ピンチなのか? 儂
ホタル達のいる厨房に設えられた小さなガラス窓からは、パンを販売するための店舗の中が見えるようなっていた。
店舗の向こう側は表通りに面していて、木枠の格子に飾られたガラス張りの壁を通し、よく見える。
そこを鬼気迫る顔の女達が、手に手に武器を持って駆けていた。
(儂が初めて町に入った時と同じじゃ)
集団から抜けた一人が、表通り側のモスグリーンの扉を開けようとしているが開かない。
「マデナおばさん!」
叫ぶとリュエルは店舗へ飛び込み、鍵を開けた。
「あいつらだ! 盗賊達が町に入って来たんだよ!」
扉が開くなり、マデナは早口でリュエルに告げる。
「まさか、リュエルさんを狙ってる奴らか!?」
血相を変えて厨房から出たホタルに、マデナは強く頷いた。
「あの妙な魔物は、お前達の仕業かって」
「え?」
マデナの言葉にリュエルは小首を傾げた。
その小さな背中の後ろで、ホタルとプニは互いに見つめ合ってから、そぉ~っと厨房へと顔を向ける。
そして、見る。
厨房の奥の扉の前で、横幅が足りず、つっかえている小鉄を。
「よくわかんないんだけどさ、あいつら小麦を盗んだ魔物を探してるんだって。四肢しかない妙な魔物だって言うんだけどね。そいつを探して町の近くまで来たら、パンを焼く煙が見えたから、町の誰かが魔物を使役して小麦を盗んだんだろうって因縁つけてるらしくて……どうしたんだい、ホタルさんとプニ。両手で顔を覆って……」
「ゴメンなさい・・・アタシのせいで ……!!」
と、嘆くホタルをプニはぎろりと睨んだ。
「なんで、アタシって言ってるかわかんねえけどよぉ……」
「ひゃうんっ!?」
ずどんと重いプレッシャーが、ホタルにのしかかる。
(こ、これは……プニと初めて会った時に感じた霊圧!?)
「魔王の威厳」
耳にした者すべてを虜にする魅惑のバリトンボイスでプニが囁くと、プニの全身を取り巻く魔王のプレッシャーが野球のボールほどの塊となり、ホタルの膝裏に激突した。
「あぅんっ!?」
魔王のプレッシャーボールに膝かっくんをされ、ホタルは床に大の字で倒れた。
「ふい~……」
プニはニヒルなため息をついて頭のハンカチを取ると、大の字に倒れたホタルの腹に載り、のっしのっしと歩く。
「ぐふっ!? うおおっ!?」
その一歩の重みは、愛らしいフレンチブルドッグの子犬のそれではなかった。
ホタルの美々しい腹筋や内臓に重く染み込んでくる。
金縛りにあったかのようにホタルは微動だにできない。
(なっ、ななな、なんじゃこれは!? こ、ここここ……怖い~……!)
「大丈夫、ホタルさん!?」
「いきなり倒れたからびっくりしたよ。急に動いたせいかい? そんなちっちゃな子犬に載っかられても動けないなんて、頭でも打っちまったのかい!?」
リュエルとマデナはホタルに駆け寄ると、左右に別れて膝をつく。
普通に身動きできている二人の様子にホタルは違和感を覚えた。
「な、なんで二人は平気なんじゃ? プニから漂ってくるこの異様な気配……感じておらんのか?」
「お前だってそうじゃねえか。ガキの頃、俺が他校の不良と喧嘩になる度に、ふええ~つって驚いてただろ?」
「ええっと……儂とプニと当麻の三人で商店街とか歩いている時、他校の生徒とすれ違った瞬間に、お前さんが喧嘩を始めてたことかのぅ?」
「それそれ。お前と当麻は、なんで会話もなしでいきなり喧嘩するんだって、いつも言ってたよな?」
「おおう……毎度儂は半泣きで、当麻は怒鳴っておったのぅ……」
「なーんも会話しねえでも喧嘩してたのはな、目が合った瞬間わかっちまうからだ。俺達は同類だって。言葉なんかいらねえからさ」
「ど、同類……?」
「ああ、そうだ。同類ってのはな、目が合っただけでわかるんだ。どんくらい強いかとか、どんくらい喧嘩したことあるかとかな。だから、目が合っただけで喧嘩になるってわかるから喧嘩するんだよ。お前が俺のプレッシャーに怯え、リュエル達が怯えないのは、そーいうことなんだよ」
「ど……どういうことぉ!?」
「カ~~~! なんでわかんねえんだよ! つーか、涙目になってんじゃねえよ! お前だけが俺に怯えることができるのは、お前が俺と同じくらい魔力が高いせいってことだよ!」
「ま、魔王のプニと儂が……お、おお、おっ……同じぃぃぃ!?」
(同じどころか……ヘタすりゃホタルの方がすげえ魔力の持ち主かもしんねぇ。こいつは俺と同じだ。魔法を使ったあと、一瞬で魔力が供給されてる。カンストとは無縁な気配がしやがる。だけど、そんな人間、この世界にいるのか? 俺もまだこっちに来て日が浅いが、そんな人間、見たことねえ。俺と同じ魔王かなんかかと思ったけど……違う。ホタルは人間……なんだよなぁ。どういうことだ? オタクだったらわかるのか? だったら、ホタル本人に聞いてみるか……)
「ふ、ふええ~~~! なんで? なんで儂そんなに魔力が高いのぉ!? 儂の職業なんなのぉ!?」
やれやれ、と、プニはため息をつく。
(……なるほど。オタクでもわからんってか。それなら――)
「んなモン知るか」
「えええ~~……!」
「驚いた! リュエルのとこの子犬、人間の言葉を話せるのかい!?」
プニはぴょんっと飛び上がり、焦りながらも可愛い顔を作って上目遣いでマデナを見る。
「へはっ!?!?!?!? ひゃ、ひゃうん! そうそう! ホタルの魔法で話せるようになった可愛い子犬のプニだワン! 決して魔王なんかじゃねえぞ!? それよりもだ、ホタル!」
「は、はいぃ!?」
「お前、なんでパンを焼こうって思ったんだ?」
(はうううっ!? なんか怖い~! 叱られる流れかのぅ?)
「そっ、そそ、それは、そのぉ~……」
ホタルはすすす……と、プニから目をそらす。
「なんで目をそらすんだよ。なんかやましいことでもあんのか?」
「う、う、その、その、あの、あの……」
目をそらし、もじもじするばかりのホタルの様子に、プニの愛らしい額に努筋が浮かぶ。
「うっぜえぇぇぇぇぇぇぇ!! ジジイのくせに初めてヤる処女みてえな反応してんじゃねぇよ!! いいから言え! さっさと言わねえか! オラ! 言えよ! オラァ!」
プニは前足を巧みに使い、ホタルの逞しい胸板をふみふみした。
「あぅぅぅんっ! 待ってぇ! 胸をふみふみしないでぇ! おっぱい出ちゃうんじゃあ!」
「ほほう? ジジイの母乳ってか? おもしれぇ! 出せるモンなら出してみろってんだ! さっさと言わねえと乳首狙い撃ちにすっぞ、オラァ!」
「マァァァァァ!? マジでやめて! 言う、言うからぁ! 隠滅! 証拠隠滅しようとしたんじゃあ!」
「証拠隠滅だとぉ?」
「うう、そうじゃあ……小麦粉を全部使ってパンを作り完食すれば、なんとかごまかせるかなと……袋もオーブンで燃やしてしまえば完璧じゃあと思ったんじゃあ~……!」
それを聞いたリュエルは、気づきに大きく目を開いた。
「……ホタルさん……証拠隠滅だけが目的じゃないんじゃない? あたし達がご飯あまり食べられなくなってるから……だから、あの小麦を全部パンにしちゃおうって思ったんじゃないの……?」
リュエルの指摘に、ホタルはしょんぼりした顔で呟いた。
「……そういう思いもあったが……小麦を手に入れた経緯が経緯じゃ。そんなことを言うのは憚られたんじゃあ……」
「待っとくれ。あんた達の会話を聞いてたら、その……盗賊が言ってた小麦を盗んだ四肢しかない妙な魔物って、もしかして――」
マデナが静かに言ってから、すぐ。
キイ、と、扉が軋む音。
ホタルが倒れているそばの、厨房に続く扉からではない。
店舗の入り口。
マデナが閉めた扉が、ゆっくりと開いた音。
そこに立っているのは――ベニヤ板に屈強な四肢がついたような姿の……
「こ、ここ、小鉄ぅぅぅぅぅ!! なんで!? なんで、店の扉を開けてるのぉぉぉ!? というか大通り側に、いつの間に~~~!?!?」
「小鉄のヤツ、全員が店ん中にいるから仲間に入りたくて移動しやがったんだ。厨房からだと入れないとふんだんだろうな」
プニの言葉が大当たり、と、小鉄は嬉しそうにくるりと一回転すると、店に入ろうと一歩進んだ。
ガンと大きな音がした。
扉の幅より小鉄の幅の方が大きいせいだった。
なんとか入ろうと、何度も何度も小鉄は躰をぶつける。
「ちょ! やめ! お店潰れちゃう! 小鉄! ステイ! ステイじゃああああ! というか、裏に回るか姿を変えて!?」
四肢しかない妙な魔物――小鉄を見て、マデナは天を仰いだ。
「なんてこったい……てことは、この魔物はホタルさんの魔法か何かかい? 召喚でもしたのかい?」
「小鉄は魔物じゃないわ、マデナおばさん。ホタルさんが魔法で作った乗り物なの。手がついているのは、ホタルさんがお姫様だっこしてもらうためなんだって」
「お姫様だっこぉ!? 屈強な外見の爺さんでも足腰が疲れやすいのかい? なんでもいいけど、この小鉄ってのを早く隠すんだよ! 盗賊達は、この店の煙突から出てる煙を見たから、町に入ってきてるんだ。ここに小鉄がいるのを見られたら――」
「……もう遅い」
舌打ち混じりのプニの声に、全員が大通りを見て息を呑んだ。




