儂、何をやっとるんじゃ
「どうしたんじゃ、リュエルさん。儂の顔になんかついているかのぅ? はっ!? ひょっとして、粉塗れ?」
ホタルは慌てて、手で頬を擦ろうとした。擦ろうとした手も粉だらけ。ふれようとして、また慌てて止めて……そして、気づいた。
(儂の手、なんだか小さくなった……だけじゃないのぅ。なんか節が逞しくなっとらんか?)
少し見慣れてきたはずの新しい手を、ホタルはグッパッと開けたり閉じたりする。
「ホタル……で、あってるのか? お前……」
「何を言っとるんじゃ、プニ。儂はホタルじゃぞ?」
「だったら、お前、それ……なんで、そんな姿になってんだ?」
「そんな姿? 何がなんだかわからんが……」
プニの指摘にホタルは小首を傾げ、タブレットのアントニオを召喚すると、自分の顔の前に浮かせた。
「アントニオ、鏡モード」
アントニオの真っ暗な画面が、鏡に変化した。
「っ……」
ホタルは息を呑む。
そこに映っているのはホタルが性癖をぶちこんだ顔ではなかった。
本棚の上に載っている写真立ての中で微笑む老人――
「これ……リュエルさんのお祖父さんの顔……? えっ!? はぁっ!? ええっ!?」
狼狽えて鏡を凝視するホタルの耳が、ひゅうという声を捉え、ぴくんと震えた。
ホタルはリュエルの祖父の顔を白くさせて、声のした方を――リュエルを見る。
リュエルは……両掌で口を塞ぎ、目を見開いている。
祖父の顔をしたホタルをまっすぐに見つめる大きな瞳からは、ぽろぽろと大粒の涙が落ちていた。
一瞬でホタルの全身が冷たくなる。
「すっ……すまん! 儂、リュエルさんを泣かせるつもりはなかったんじゃ!」
「泣かせるつもりはなくてもよぉ……祖父さんが死んで間もないリュエルの前で、その姿になるのは、ちょっと無神経だぜ、ホタル」
「信じてもらえるかわからんが、勝手になったんじゃ……どうやってなったか、自分でもわからんのじゃ……!」
「は? 魔法で変身したんじゃないのかよ?」
「しとらん……本当じゃ。リュエルさんのお祖父さんが作るパンを再現するには体格も大事なんじゃろうかと考えていたら……」
狼狽に小さな涙を浮かべていたホタルの顔が、シリアスに引き締まる。
「まさか……そういうことなのか?」
「何がだ?」
「あの世界の画面に、儂の名前や職業、魔力が表示されとらんと言ったじゃろう? もしかして、誰にでも……どんな人物にでもなれるから表示されなかったとしたら……?」
「さっぱりわからん! 結論を言えよ!」
「儂は、キャラメイクがスキルの無職ということじゃ!」
「無職かよ!」
「正確には職業名を決定できないということではないかのぅと……でもぅ……無職ってなんだか切ない……」
「そんなの知ったこっちゃねえよ。だけど、なんだ、その……スキルがキャラメイクってのは。そう思うってことは根拠があるのか?」
「ない」
「ないのかよ」
「なんとなく、そんな気がしただけじゃ。それより今は、元に戻れるか試さんと」
「魔法で姿が変わったわけじゃねえのに、どうすんだ?」
「少し待ってくれよ……」
ホタルは静かに目を閉じ、念じる。元に戻りたい、と。しかし……
(これで戻れなかったら、儂はどうすりゃいいんじゃ。プニに頼んで魔法をかけてもらうか? いや……やはりこれは、自分の力でなんとかするのが筋じゃ!)
強く強く念じてすぐ、瞼を閉じていても感じていた光の存在が、すうっと消滅した。
おそるおそる目を開ける。
ホタルの躰は『無限に広がる』あの『漆黒』の中に在った。
(儂にはわかるぞ。あの世界じゃ……儂が転生してすぐの、あの暗い世界じゃ……)
そう思った瞬間だった。
ホタルの目の前に、あの映像が現れた。
テレビやパソコンのディスプレイを思わせる、長方形のそれ。
画面の左側に人体の……リュエルの祖父の姿が。
右側には円グラフ。その下にはこう書かれている。
CHARACTER MAKING――
(やった……あの世界に入ることができたようじゃの。儂のスキルがキャラメイクとしたら、多分、どこかに……)
ホタルは画面をくまなく見回し、目的のものを発見した。
右上の隅にある決定ボタン。
その下に追加されているバックアップというボタンを。
(これをタップすれば、おそらく……)
ホタルはバックアップボタンをタップした。
画面に表示されているものがすべて消え、「CHARACTER MAKING」と書かれていた場所に、「BACKUP」と書かれた画面が表示された。
(よし! バックアップモードに遷移できた!)
画面の左上に二体のキャラクター画像が表示されている。
右側は今の……リュエルの祖父の姿。
そして、左側に見知った人体が表示されていた。ホタルは、ぐっと拳を握りしめ鼻息を荒くする。
(……あったぞ! 儂が性癖をぶちこんだ姿……!)
早く元の姿に……性癖をぶちこんだ姿に戻らないと。
――リュエルが悲しんでいる。
ホタルは躊躇することなく、性癖をぶちこんだ姿をタップする。
瞬き一つする間もなく、漆黒の世界は光溢れる厨房に戻った。
「はぁぁ!!」
「うおおお!?」
「ど、どうじゃ!? 戻ったか!?」
すぐにホタルはアントニオを覗き込んだ。
鏡に映っているのは自身が性癖をぶちこんだ姿。
ぺたぺたと顔にふれ、ホタルの表情はやっと緩んだ。
「良かった……戻れた……」
ほっとしてすぐ、ホタルはプニを見る。
「儂はどのくらい目を閉じておった?」
「一瞬だ。目を閉じてすぐ、その姿に戻ったぜ」
「そうか……もっと時間がかかったように思ったが……」
「てか、どうやって戻ったんだ?」
ホタルはプニに漆黒の世界でのことを告げた。
「……というわけで、やはり儂のスキルはキャラメイク……魔法を使わず、自身の姿を自在に変化させられるスキルがあるようじゃ。しかも、一度なった姿はセーブ……記録されているようじゃ」
「だから、お前のその姿は記録されてて、いつでも元に戻れるってことか。つーか、元に戻れるってわかってたのか?」
「わからんかった」
「元に戻れる保証なしだったってことか……」
プニはやれやれとため息をついた。
「まあ……変なとこで度胸あるよな、お前。迷わなかったのか?」
「ああ。迷わなかった」
ホタルはリュエルの前に静かに膝をついた。
何か起こったかわからず、呆然としているリュエルの頬には涙の筋が残っている。瞳の端にも未だ涙の粒が光っていた。ホタルの胸がぎゅっと締まる。人差し指で優しく涙を拭った。
「すまん」
心の底から詫びる声色に、リュエルはゆっくりと首を左右に振る。
「……わざとじゃないんでしょ?」
「もちろんじゃ。こんなことができるとは知らなんだ。じゃが、知らんで済む話ではないの……本当に、すまんかった」
「だから、いいってば。あたしも……なんで涙が出たか、よくわかってないし……」
リュエルは涙を拭ってくれたホタルの手を、きゅっと両手で包み込んだ。まだ涙で潤む瞳を笑みに細め、優しく言う。
「そろそろパンが焼けるよ。ちゃんとできてるかな?」
すん、と一度、鼻を小さく啜り、ホタルもぎこちなく笑う。
「ちゃんとできてるとええのぅ。オーブンの扉を開けてもいいかのぅ?」
「うん。じゃあ、あたしが開けるね」
オーブンの側面に、使い込まれたミトンがぶら下げられていた。リュエルはそれをはめ、オーブンの扉を開く。
こんがりと焼けた良い香りが強くなり、ふわりと広がった。
二人と一匹は顔を上げ、くんくんと鼻を動かす。
リュエルはオーブンの中に慎重に手を入れ、鍋を掴み、ゆっくりと引き寄せた。そっと鍋の蓋を開く。
キツネ色のパンが見えた。より香りが強くなり、二人と一匹は自然と喉を鳴らす。
「まずはリュエルさんに味見をしてもらいたいんじゃが、魔法で発酵させておるからの。どんな作用があるかわからん。というわけで、プニや。逃げるんじゃないよ。一蓮托生といこうじゃないか。前世からの友達じゃろ?」
「くそっ、しょうがねえなぁ……じゃあ、まずはお前から食えよ、ホタル」
「いやいや、一緒に食べようじゃないか。こんなにいい色をしておるぞ? いい香りじゃろ? さあ、あーんして」
ホタルはパンを千切ると、自分とプニの口に近づけた。
「うう……男にあーんされるのすげえいや……あ、あ~~~ん……」
「あ~~ん、んむ、ん……んっ……んっ……」
一人と一匹は焼きたてのパンを口にすると、少し咀嚼して、瞼を閉じ……天を仰いだ。
「ううぅぅまあぁぁぁいいぃぃぞおおおおお!!!!」
ホタルは吠え、
「ああ……本当に美味いな……なあ、もっと食わせてくれよぉ……」
プニは陶然と囁いた。
「さっくりとした表面! ふんわりとした中身! 小麦の甘さが最大限に引き出された風味! こんなに美味いパンを食ったのは初めてじゃあ!」
「大いに同意するけどよぉ、魔法の悪影響はありそうか?」
「……なさそう?」
「俺もそう思うけどよぉ……俺、魔王だろ? お前もよくわかんねえ生き物だしよぉ……普通の人間に食わせて大丈夫か?」
「大丈夫! きっと大丈夫よ!」
リュエルは自信満々に言い切った。
「リュエルさん……ひょっとして早く食べたいとか思ってる?」
「お、思ってないよ!? ほんとよ?」
リュエルは軽く首を傾げ、上目遣いで言った。
(思ってるの……)
(思ってんな……)
一人と一匹は内心でそう思いながらも口にはしない。
「……食わせても大丈夫と思うぞ」
「な、何故じゃ、プニ?」
「リュエルの手のことを思い出したんだよ。初めて会った時、リュエルの手からお前の魔力の気配がしてるって言っただろ?」
「おお、そういえば」
「今、気づいたんだけどよ。リュエルの手荒れが消えてんだよ。癒えてるってのが正しいかな。それって、お前の魔力に触れたせいじゃねえのか?」
プニの指摘に、ホタルとリュエルは手を見る。
「本当じゃ。あんなに痛々しかった手荒れが跡形もない。そういえば、髪を結ってもらっていた時に、なんとかしてやりたいのぅ……と考えておったぞい。そのせいかのぅ?」
「かもな」
「急に治ったのそういうことだったの? ホタルさんのおかげだったんだ。ありがとう! ちっとも痛くないよ。そういえば……萌え萌えキューン! って、呪文だったの?」
「そ、そうじゃのう。美味しくな~れと思ったら、そう言っておった」
「じゃあ、美味しくなる魔法がかかったパンなのね。だったら、食べても大丈夫よ!」
「う、うむ……それじゃあ、少量で試してみるかのぅ……何かおかしい感じがしたら、すぐにペッてするんじゃぞ?」
「うん!!」
満面の笑みで頷くと、リュエルはぱかっと大きく口を開いた。
その様は、ホタルの自宅の軒下に作られた燕の巣の中で、餌をせがむ小燕を想起させた。
(ギャンカワ……)
などと思いながら、ホタルは愛らしく大きく開く口腔に、ちょっぴり千切ったパンを入れる。
「あむ……ん、ん、ん……んんっ!?」
「ど、どうしたんじゃ、リュエルさん! 気持ち悪くなったか!? ペッしなさい、ペッ! ほら、儂の手の上にペッて!」
おろおろと両掌を上にして揃え、リュエルの前に差し出すホタルに、リュエルは首を左右に振る。
「すっごく美味しいよ、ホタルさん! じいじのパンもホタルさんのパンもすごく好き! 美味しい!」
「美味しいと言ってくれるのは嬉しいが……躰は? 平気かのぅ?」
「うん、なんともないよ。だからね……そのぉ……もっとね……食べたいなぁ?」
リュエルはスーパー孫パワーを発揮。とびきり可愛い上目遣いでホタルを見つめる。あまりの可愛さにホタルはきゅうっ……と目を閉じ下唇を噛んだ。
「も、もう……! しょうがないのぅ。どんどんお食べ」
「やったー! ありがとう、ホタルさん。いただきまーす!」
リュエルは鍋に手を突っ込むと、大きく千切り、大きな口を開け、はむっとかぶりついた。林檎の頬はハムスターのように膨らんでいる。きちんと口を閉じて咀嚼し、味を堪能して嚥下して、幸せそうに笑った。
「本当に美味しいよ、ホタルさん! たっくさん作って、町のみんなに食べてもらおう!」
「うむ……うむ、うむ! 是非食べてもらおう! それじゃあ、儂、張り切って作っちゃおう!」
「……待ちな」
小さな手で器用にパンを掴んだプニが、シリアスな声で二人を止めた。
「外の様子がおかしいぞ」




