儂、パンを作る
「パンを作るって、お前……作ったことあんのか?」
「ない」
「清々しいほどきっぱり言い切ったな! どーすんだよ!?」
「夕べ、プニはパンなら捏ねて棒に巻き付けて焚き火で焼くことができると言っておったが……」
「腹が膨れれば味は知らんってシロモンだ。料理って呼んでいいかビミョーだぞ」
「では、計量は……」
「テキトーに目分量だ。だから、毎度味が違う」
「では、計量して料理を作ったことは?」
「カップ麺とか袋ラーメンとかくらいだな」
「それです」
「どれだよ」
「それらを作る時、お湯やお水の量を量ったと思います」
「まあな。薄味は嫌いなんで、そこはちゃんとしてたな。それがどうしたんだよ?」
「料理は化学です」
「はぁぁぁ?」
「分量と手順を守れば、きちんとした料理が出来るのです。ゆえに、化学の実験と差違はありません。というか儂、趣味が料理じゃ」
「そういや、そうだったな。お前んちで、なんか色々食ったわ。ハンバーグとか饂飩とかって……小麦粉なら饂飩作りゃいいんじゃねぇの? 作り方わかってんだろうし」
ホタルはここ一番の渋い声で言った。
「作ったことのないパンを異世界で作ることに醍醐味があるんじゃないか……!」
「わかんねぇ。お前のそーいうとこ、前世からわかんねぇよ。つか、作り方わかんねえのにどーすんだよ」
「プニや。リュエルさんのお祖父さんの生業は?」
「パン屋……ああ、そういうことか」
「そういうことじゃ」
ホタルは膝を曲げ、リュエルと目線の高さを合わせた。
「リュエルさんや、お祖父さんが作っておられたパンのレシピなどはあるかね?」
「うん、あるよ。確か、お店の厨房に。その前に朝ご飯にしよう。あと、着替えなくちゃ。ホタルさん、また髪くくってあげるね」
○ ○ ○
「そのまま動かないでね……んしょっと」
リュエルはホタルに着せた白いエプロンの紐を締め終えると、満足そうに笑った。
「これでよしっ。うん、すごく似合ってる!」
「そ、そうかの?」
褒められて、ホタルはてれてれと照れる。
「プニのエロプンは今ないから、これで我慢してね」
リュエルは赤いチェックのハンカチを三角にして、プニの頭に巻いた。
「後ろでくくれないから、前できゅっと……うわあ、プニ、すっごく可愛い!」
「まあ、当然だな」
プニは自信満々、ニヒルに唇の片側を釣り上げた。
対照的な一人と一匹をにこにこと見つめながら、リュエルもエプロンをつける。
「お店の厨房はこっちよ」
厨房は店舗と生活エリアの間にあった。
経年に小さく軋む木の扉を、リュエルは静かに開く。
主をなくした厨房から冷たい空気が緩く流れてきた。
「お邪魔します」
入り口で軽く会釈してから、ホタルはそっとリュエルに続き、厨房に入る。
壁に埋め込まれた煉瓦で造られたオーブン。
オーブンの傍らに並ぶ薪束。
中央に作業台が二つ。
材料や道具の並んだ棚。
大人二人が作業できるのがやっとの小さな厨房だった。
「えっと、確かこの辺り……」
リュエルは棚の横にある細い本棚の前でしゃがんだ。
一番左にあるノートを取り出し、ホタルに差し出す。
ノートの表紙には「パンの作り方 その1」と書かれていた。
「じいじに何かあった時は、このノートを見ろって言われてたの」
「どれどれ、ちょっと拝見」
ホタルはリュエルからノートをそっと受け取ると、紙が傷まぬよう、慎重にページを捲った。
「おう、ホタル。こっちの世界の文字読めるのか?」
「不思議と」
ふむふむと、ホタルはレシピのノートを一通り確認する。
「で、どうだ? 作れそうか?」
「うむ。このノート、レシピだけでなく、手順も書かれてての。一度も作ったことのない儂でも作れそうな気がするくらい詳細に書かれておるんじゃ。ほれ、イラストつきじゃ」
ノートに描かれているイラストは、パステルで描かれていた。
どのパンの完成図も、見ているだけで香りまで感じるほど良い色で表現されている。
「本当だ。すげえ。味がある絵だな」
端の黄ばんだノートをそっと撫で、ホタルは表情を緩める。
「これは、リュエルさんが小さな頃から書かれていたんじゃろうな。小さな子が見てもわかるよう、工夫がされてるのぅ。このノートは愛が溢れておる。素晴らしいお祖父さんじゃな」
「そうだったんだ……でも私、じいじの跡を継ぐなんて言ったことないよ? じいじも将来は私の好きにしていいって言ってたし……」
「それでも何か孫に残したい爺心じゃよ」
「そう……なんだ……」
リュエルはノートが入っていた本棚に顔を向けた。ホタルとプニも続く。
八十センチほどの高さの本棚の上に、写真立てが一つ載っている。
照れくさそうにはにかむリュエルと、老人の男性が写る写真が入っていた。
その老人はリュエルが貸してくれた服を着ている。
リュエルとは四十センチほどの身長差がある。
大柄だがホタルより一回り小さい。
短く刈り込まれた白髪。ふわふわの白い口髭と顎髭。柔らかくカーブを描く太い白眉。温厚そうな微笑を浮かべている。
(あれが、リュエルさんの祖父さんか……)
柱に固い物がぶつかるガチョンという音に、ホタルもリュエルもプニも入り口を見た。そこには――
左右の手に小麦の袋を抱えた小鉄が。
出入り口の横幅が足りず、つっかえている小鉄が。
「待て、待て小鉄! お前が入ると身動きがとれんようになる! お前は入り口でステイ! ステイじゃー!」
ホタルは慌てて小鉄の両腕から小麦の袋を受け取り、両肩に担ぎ上げた。
「ホタル……それ、重くねえのか?」
「ずしっとはしておるが、さほど重さは感じんのぅ」
と、言いながら、小麦の袋を作業台の横の床に置いた。
どさりと重さのある音に、キュイ~キュイ~と、切なさを想起させる歯車の音が重なる。
小鉄からだった。
「なんだ、この音?」
「自分もみんなの仲間になってここに入りたくて鳴いておるんじゃ。ひとりぼっちになりたくないんじゃろ。小鉄や、そこで座って待ってなさい。パンを作ったら遊んでやるから」
ホタルの言葉に、小鉄はしょぼんと肩を落とし、切ない歯車の音を小さくたて、正座した。
「さてと、リュエルさん。パンを作るとしようかの。リュエルさんのお祖父さんのように上手に作れるかわからんが、儂、がんばるぞい。どれが食べたいかの?」
「えっとね、これ……」
ノートを見ていたリュエルは、おずおずと開いたページをホタルに差し出した。
そこには鍋の中で綺麗な焼き色のついた丸いパンが描かれていた。
「ふむふむ。鍋を使って焼くパンじゃな。あまり捏ねなくていいようだし、お祖父さんのメモにも初めてのパンに最適と書いてある。いいんじゃないかの」
「これね、お店で一番人気のパン。お鍋で焼くから次の日もパサパサしないの。果物屋のお婆ちゃんがいつでも焼きたてみたいって褒めてくれたわ。それでね、あの……上手に焼けたら、夕食のとき、みんなに食べてもらいたいな……って、ホタルさん、なんでまたあたしを拝んで泣いてるの!?」
「だって……尊い……尊いんじゃあぁぁぁ、リュエルさん……! なんという澄み切った心の持ち主じゃあ!! 煌めきが……煌めきが見える!! んぶふぅぅっ! 儂も何かできればと思っていたんじゃ。頑張って美味しく焼いてみるぞい」
ホタルは涙を拭うとしっかりと手を洗い、二の腕の力こぶをパシンッと叩いた。
「では、材料の準備じゃ。リュエルさんは、ノートに書かれている塩や砂糖、酵母の準備をしてもらえるかの? 儂は鍋の準備をするぞい」
「うんっ!」
頷いて、リュエルは棚から必要な材料を揃え、作業台の上に並べていく。
それを見ながら、ホタルはノートに描かれたものと同じ鍋を複数見つけ、流し台に運ぶ。
ホタルが鍋を洗っているうちに、リュエルが材料の計測を終えていた。
「手際がいいのぅ、リュエルさん」
「パンは作ってなかったけど、ご飯は作ってたから。ちょっとはできることがあって良かった」
「ちょっとどころではないぞい。すごく助かった。儂も頑張らんとのう」
ホタルは飾ってある写真を見る。
(儂が上手にできるよう、そこで見守っててくだされ。リュエルのお祖父さん)
「じゃあ次は、リュエルさんが混ぜてくれた粉をダマがなくなるまで捏ねるんじゃな」
「うん。あまり混ぜないように……こんな感じかなぁ」
「次は倍になるまで発酵させるんじゃが……時間がかかりそうじゃの」
「でも、しょうがないよね。でないとパン、膨らまないから」
言いながら、リュエルは柱時計に目をやる。
(このままだと、夕食に何個焼けるか気になっておるんじゃな)
発酵には時間を要する。
それはどんな気温になっても必至。
「リュエルさん、お祖父さんはどうやって発酵させておったんじゃ?」
「前日から仕込んでたり、昼から仕込んでたり……売れる数で調整してた。それ以外は特に何もしてなかったよ」
(ということは、捏ねたあと、そのまま置いておいたのか。時間を短縮する……時短……確か、電子レンジがあれば、発酵が短くなると聞いたような……でも、そんなものはなさそうだし……)
鍋の数は四つ。四つ分のパンの種を捏ねながら、ホタルはうむむと考える。
そして、目が合った。
ドアの前で正座をして、こちらを凝視している小鉄と。
「……そうか、魔法じゃ。プニや」
「パン生地の時間を魔法で進めるってわけか。並大抵の魔法使いじゃ無理だけど、お前さんならできるんじゃねえか?」
「うむ、では一つ、試しにやってみるとしようかの」
銅のボウルの中の白いパン生地に、ホタルは集中する。
「む~~~……ふぅぅぅんっ!」
気合いとともに、鋭く伸ばした右腕の掌を広げ、パン生地に向ける。
ホタルの全身がカッと輝いた!!
「大きくな~れ、大きくな~れ! 萌え萌えキューン!」
全身を包む光がぎゅるんと渦を巻いて凝縮し、ぽんっと弾けると、ボウルの中のパン生地も、ぽんっと倍に膨らんだ。
「よしっ! できた……!」
「すっ……すごいっ! 本当に魔法使いなのね、ホタルさん!」
「うむ、魔法使いのようじゃ。だが、ちゃんとできてるか自信がない。ひとまずこの生地で続きを実験させてもらっていいかのぅ? これが上手にできたら、残りも魔法で時短させよう。そうすれば、夕食までに町のみんなの分ができると思うしの」
「……うん……うん!」
「もし、上手くできなかったらどーすんだ、そのパン」
「……儂とプニで美味しく食べよう」
「なんで俺様も巻き込むんだよ……」
「ホタルさん、生地を鍋に入れたよ。ここからまた発酵が必要なんだけど……」
「うむ、じゃあまた……萌え萌えキューン!」
再び魔法でノートに書かれた大きさまで膨らませた生地を、予熱したオーブンの中に入れ、ホタルは両掌を合わせた。
「上手に焼けますように、上手に焼けますように……」
「大丈夫! ホタルさんの魔法なら絶対うまくいくわ」
リュエルは笑って言った。
その手は休まず生地を捏ねていた。
「おおっと、祈ってる場合じゃないの。儂も生地を捏ねるぞい」
リュエルの向かいで、ホタルも生地を捏ねる。
注意深くオーブンの温度をチェックしながら。
チェックする度に、飾られている写真を見ながら。
(お祖父さんは、このくらいの力で捏ねておったんじゃろうか? お祖父さんの作られたパンを目指すなら、やはり、同じくらいの力で捏ねた方がいいかのぅ?)
ホタルの視線は、オーブンの温度を見る時間より、写真を見る時間の方が多くなっていく。
(がっしりとしたいい腕をされておるのぅ。あの腕で捏ねられる生地……腕だけじゃないの。体格も重要かもしれん)
捏ねるなら、体格は同じくらいの方がいいだろうか。
温度を感じるなら、皮膚も近しい方がいいだろうか。
香りを感じるなら、鼻の形も近い方がいいのではないか?
骨格は――
ホタルは集中する。
集中しながら捏ねる。
捏ねて、捏ねて……捏ねているうちに、オーブンから良い香りがしてきた。
「おお、いい香りじゃ。そろそろ三十分じゃな。もう焼き上がる……ん?」
向かいにいるリュエルを見て、ホタルは首を傾げる。
リュエルは愕然と目を見開き、呆然と口を開いていた。




