表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/91

その8・ターニングポイント

「待ってくれ! この金で、その娘を買う!!」

 そう言って、俺は全財産をぶちまけた。


 緒菜穂(おなほ)身請(みう)けする――と、叫んだ。

 すると。

 アンジェリーチカは、ほっとしたように笑い、そしてすぐに冷淡な表情に戻した。

 それから努めて無感情に、アンジェリーチカはこう言った。


「それでは、テンショウを緒菜穂(おなほ)身請(みう)け人とする」



 この言葉に城門はどよめいた。

 交易商は歩を止めた。

 幌馬車(ほろばしゃ)に乗っていた緒菜穂(おなほ)が、振りむいた。

 俺を視た。

 緒菜穂(おなほ)は、ぱっと花が咲いたような笑みをした。

 俺はどういうわけか喜びがこみ上げてきた。

 一度だけ、たった一度だけ、たった一度会っただけの緒菜穂(おなほ)なのに。

 俺は彼女のことをまるで知らないと言うのに。それなのに。


 俺は彼女を救えたことを、心から神に感謝した。――


 俺はひざまずき、天をあおいだ。

 このとき、ようやく城門にあふれる人々を見た。

 アンジェリーチカ、フランポワン、フランツ、それに見知った顔の貴族や従者たち。

 みな穏やかな顔をしていた。

 おそらく俺たちの事情は分かっていないが、なんとなく雰囲気から察して、そして祝福をしてくれているようだった。


緒菜穂(おなほ)

「ちゅ! ちゅちゅう!!」

 俺は安堵(あんど)のため息をついた。

 と、そのとき。




「ちょっと待ちたまえッ!」

 と、ひどく根性の悪い声がした。

 アダマヒア王国第八公子・アハトだった。


「やあやあ、久しぶりだな男魔法使いのテンショウ君」

 残忍な口元、邪悪な笑み。

 すらっとして、トカゲのような顔のアハトは目を細めた。

 そしてまるで演劇のようなオーバーアクションで、ここにいる者すべてに語りかけるように言った。



「今さらだけれども――。その人型モンスターの競売(けいばい)に僕も参加するッ! ああん、分かってる分かってるよ、諸君。上から被せるのには、3倍の額を提示するんだったよね。もちろん払うよ。テンショウ君の身請け金の3倍を僕は払うよ」

 この言葉に、城門は騒然(そうぜん)となった。

 俺がしばし言葉を失ってると、アハトはこう続けた。


「ああん、テンショウ君。なんだねその顔は? うーん、その様子だと、どうあってもその人型モンスターを身請けしたいようだねえ? どうぞどうぞ。この競売は王族への気遣(きづか)いはいっさい不要、魔法使いだろうと気を遣うことはない。そうそう。僕の提示額にィ! 上から被せてもらってェ! んん~、かまわないよォ~?」

 と、アハトは挑発するように言った。

 俺は、つばを呑みこむように頷いた。

 するとアハトは、鼻で笑ってこう言った。



「テンショウ君。キミは今、『3倍ならなんとかなる』と思ったろう? 『誰かに借金でもすれば、保証人になってもらえれば』とキミは今、考えたのだろう? なにしろ最初に払った身請け金は、高額とはいえ、キミがほぼ1ヶ月で稼いだ金額だからね。3倍の3倍、イコール9倍の金額なら9ヶ月働けば払えるものなあ?」


 俺が頷くと、アハトは残忍な笑みをした。

 そして値踏みするように無遠慮な目で俺を見てから、こう言った。



「では、テンショウ君! 僕はキミの3倍の金額に、さらにデモニオンヒルの別荘をプラスしようじゃないか。んん~、それだけじゃないぞォ。聖遺物(せいいぶつ)のコレクションも加える。身請け金にプラスするゥ!! ああん、ちなみにだがねえ、僕の聖遺物のコレクションはレプリカだけど銘品(めいひん)でね、ひとつひとつが、そうだなキミの稼ぎの1年分くらいになるんじゃないかなあ?」

「そっ、それが」


「さあ、どれくらいあるか数えてないけれど、キミの稼ぎじゃ10年20年じゃ届かないんじゃないかあ?」

「そんな」


「そんな金額の3倍を、キミは払えるかい? もし、払えなかったらあの人型モンスターは僕が身請けするけれど」

 そう言って、アハトは根性の悪い笑みをした。



「お義兄(にい)さま!?」

 アンジェリーチカが詰め寄ると、アハトは、おどけて肩をすぼめた。

 そして俺をじろりと(にら)んだ。

 俺を指差した。困ったように眉を(ゆが)ませてから、アハトは言った。


「といっても、テンショウ君。僕はキミが思っているほど冷徹な男ではないし、それにね、少々オトナゲないことをしているのは、まあ、自覚しているよ。だから、テンショウ君。こうしようじゃないか」

 と、アハトは言って目を細めた。

 それから、こうつけ加えた。



「そこに土下座してお願いしなよ。そしてそうだな、昨晩食べ残した肉がまだ厨房(ちゅうぼう)に残っているんじゃないかな? それを持ってこさせるからさ、目の前で食べてもうおうか。そうしたら僕は、身請けから手を引くよ」


 この言葉に貴族たちは悲鳴にも似た声をあげた。

 俺の心中では、怒りと屈辱が複雑にからみあった。

 激しい感情がこみあげてきた。

 瞳が、憎しみの炎で熱くなった。

 アハトを見ると、彼はおどけて大げさに(おび)えた。

 その横ではアンジェリーチカが絶句して、胸のネックレスをいじっていた。

 フランポワンが泣き出しそうな顔をしていた。

 貴族たちは気の毒そうな顔をしていたけれど、しかし瞳を好奇で輝かせていた。

 そして。


 テンショウ君! ――と、フランツが瞳に力を込めて、ゆっくり頷いた。


 俺は、その瞳から彼の言いたいことを読み取った。


 フランツの目はこう告げていた……――。

 テンショウ君。

 これは、すべて茶番だ。

 アハトのメンツを立てるための茶番なのだ。

 アハトは、そもそもその娘に興味はない。

 キミからその娘を奪う気はない。

 むしろ、キミにその娘を与えたいと思っている。

 キミとそのモンスターの娘はお似合いだと、アハトは笑いたいんだよ。

 だからここはオトナになって負けてやれ。

 食べ残しの肉を食べてやれ。

 ひとくち、かじるだけで良いんだ。

 そうすればアハトは満足する。

 喜んで身請けから手を引くだろう――……と。



「それはっ、それは」

 俺だって分かっている。

 分かっているけれど、俺はこぶしを握りしめ、くやしさを呑みこんでうつむいた。

 その姿勢のまま、残飯が運ばれてくるのを待った。

 緒菜穂は、そんな俺たちのやり取りを、きょとんとしたまま見ていた。

 よく分かっていないようだった。

 でも、俺には彼女が状況を理解していないことがありがたかった。


 城門は静まり返り。

 数分とも数時間とも感じられる時がすぎた。

 そして残飯が俺の眼前に置かれた。





「テンショウくぅ~ん?」

 このアハトの嘲笑(ちょうしょう)に応えるように、俺は残飯に手を伸ばした。

 そして憎しみをこめた瞳でアハトを(にら)みながら、それを口にした。

 ()みしめ、引きちぎり、なんども()んで、()みこんだ。

 貴族たちから悲鳴があがった。


 くやしい。くやしい。くやしい。

 くやしさで味なんかまったくしない。なにもしない。

 ただくやしいという感情だけが俺のすべてを埋めつくした。

 ひたすら俺は残飯を食べた。


 そのうち貴族から拍手が起こった。

 その男は、アハトとよく似た服を着ていた。

 となりでフランツが力強く頷いていた。


 そんななか、俺は再びアハトを(にら)みつけた。

 するとアハトは、あごをひき、冷や汗をふきながら無理やり笑った。

 そして身請けを取り下げた。

 それと同時に、アンジェリーチカが(りん)とした声で高らかに宣言した。


「テンショウを緒菜穂(おなほ)身請(みう)け人とする!」


 この宣言に貴族たちは、ほっと胸をなで下ろした。

 フランツとフランポワンが微笑んでいた。

 拍手をくれた貴族も満面の笑みで何度も頷いていた。

 ほかの貴族も穏やかな笑みを浮かべていた。


 俺も喜びがこみ上げてきて。

 それと同時に安堵(あんど)からくる疲れがどっと押し寄せてきて。

 それでも俺は、ふらふらとなりながらも立ち上がった。

 顔を上げて、大きく息を吸い込んだ。笑顔であたりを見まわした。

 と、気を(ゆる)めたところに。



「入札の取り下げはルール違反ですから、私が上乗せした額を払っておきますね」

 と、アンジェリーチカがアハトに言うのが、たまたま目に(うつ)った。


「あ、ああ」

 と、アハトが汗をふきながら頷いていた。

 アハトは、ちらりと俺を見た。

 目と目が()った。

 アハトは困った顔をした。

 その横で、アンジェリーチカが信用状にサインを書き込んでいた。

 そして書き終えて顔を上げた彼女と、俺の、目と目が()った。

 アンジェリーチカは、母性に満ちた瞳を俺に向けていた。



「ああ、そういうことか」

 このとき俺はすべてを理解した。



 このとてつもなく大きな世界は、神の手のひらにあって。

 その世界のなかの片隅に、ちっぽけなアダマヒアの領土があって。

 そのアダマヒアの領土は、国王の手のひらにあって。

 そのアダマヒアのなかの片隅に、ちっぽけなデモニオンヒルがあって。

 デモニオンヒルは、アンジェリーチカの手のひらにあって。

 そのデモニオンヒルのなかの片隅に、ちっぽけな俺は()いつくばっている。


 ふふっ。


 なにかが崩れた。

 俺のなかで崩れた。作り換えられた。置き換わった。

 俺が俺でなくなった。

 黒いなにかが体中に染みわたっていくのを感じて、そして世界が、なぜか澄んで見えた。





 世界がとても大きく見えて。

 自分がとてもくだらなく感じられて。

 そして、このとき俺は解き放たれた。




 俺は大きく息を吸った。

 そして、ゆっくりと吐いた。

 アンジェリーチカを見た。

 フランポワンを見た。

 フランツを見た。

 貴族たちを見た。

 アハトを視た。

 なにもかもが今までと違って見えるなか、しかし、緒菜穂(おなほ)だけはそのままだった。


 俺は背をまるめ、ゆっくりと歩いた。

 アハトの足もとに、ひざまづいた。

 そして言った。


「アハト様。今まで、わたくしめの度重(たびかさ)なるご無礼(ぶれい)をお見逃しいただき、また、ご教育いただきありがとうございました。わたくしめはお恥ずかしながら、たった今、アハト様の寛大(かんだい)なるお心を理解したところでございます。今までは誠に申し訳ございませんでした」

 アハトは絶句した。

 俺は続けて言った。


「それで、アハト様。この魔法使いめはご無礼を重ねるのを承知で、ひとつ、お願いがございます」

「なっ、なんだっ」

 アハトは声を裏返して応えた。

 俺の態度の変化に、みなが気味悪がっていた。

 しかし、俺は続けて言った。


「わたくしめがこの娘を身請(みう)けすることに、アハト様からの『お墨付(すみつ)き』を頂けないでしょうか。この娘は、アハト様からしてみれば取るに足らないゴミのようなもの……ですが、わたくしのような魔法使いにとっては、かけがえのない宝でございます。ですから、この娘がわたくしめの所有物であると、今ここでアハト様から宣言してはもらえないでしょうか」

 アハトは、悲鳴のような声で承知した。


 俺は、深々と頭をさげて。

 誰にも見えないように、笑ってから、顔を上げた。

 そして、アンジェリーチカを上目遣(うわめづか)いに見て言った。



「アンジェリーチカ様。この度は、わたくしめに代わって、この娘の身請け金をお支払いいただきありがとうございました。実はこのテンショウ、失礼を重々承知のうえで、アンジェリーチカ様には、もうひとつ、おすがりしたいことがございます」

「……なによっ」


「立て替えていただいた身請け金を、わたくしめに、少しずつではございますが、返済させてはいただけないでしょうか。いえっ、失礼なことを言っているのは重々承知でございます。ですが、アンジェリーチカ様からしてみれば、ちっぽけな魔法使い……このテンショウにも、()というものがございます。このまま立て替えていただいたままというのは、このテンショウのちっぽけな胸が痛むのです。ですからアンジェリーチカ様、どうか笑って、このテンショウめに返済させていただけますよう――」


 俺はそう言ったまま、深々と頭をさげたままでいた。

 返事を待った。

 アンジェリーチカは言葉を詰まらせた。

 貴族たちは騒然(そうぜん)とした。

 そのまま俺は待った。

 しばらくすると、アンジェリーチカが何か言おうと咳払(せきばら)いをした。

 一歩前に出た。

 と、それをくじくように俺は鋭くこう言った。



「返してやるから待っていろ――と、このゲスな魔法使いは申しております」



 そう言ってから、俺は上目遣(うわめづか)いでアンジェリーチカを視て。

 そして、にたあっと笑った。



――・――・――・――・――・――・――

■チートな魔法使いである俺の復讐の記録■


 アハトに残飯を食べさせられた。


 とてつもない額の身請け金を、アンジェリーチカに肩代わりしてもらった。


 ……必ず返済すると、俺は彼女に告げた。そしてこのときから俺は、『ゲスな魔法使い』であることを自覚したのだった。




■まだ仕返しをしていない屈辱的な出来事■


 城塞都市からの使者・アンジェリーチカ第一王女に、まるで汚物でも見るような目で見られた。


 屈辱的な姿勢で、後ろから指をつっこまれた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ