EX 蛇娘だって輝きたい
セル・ペンティは、裸になり、鏡の前で自分の姿を見ていた。
ラミアの、蛇の下半身がゆったりと床を這う。鱗の一枚一枚が、蛍光灯の白い光を弾いて鈍く輝いている。上半身は人間のそれと変わらない。だが、その肌はどこか青みがかっていて、血管が透けて見えるほどに白く、均整の取れた体躯はまるで、神殿に並べられた石像のように、美しい。髪は濡れたように黒く、長く、瞳は琥珀色。縦に裂けた瞳孔が、鏡の中から、自分をじっと見つめ返していた。
「……負けない」
誰に言ったわけでもない。誰かが聞いてるわけでもない。けれど、言わずにはいられなかった。
同じ事務所のライバルグループ『ビースターズ』のライブが終わった。客席からはまだ、彼女たちの名前を呼ぶ声が聞こえている。アンコールはなかった。ビースターズはアンコールをしない。あっさりと終わって、あっさりと去っていく。それが彼女たちの美学なのだと、ファンは言う。
だが、違う。同じ事務所であるセルは知っている。ミミ。兎獣人の、グループ最年少の少女。彼女がベストパフォーマンスを出せる時間が短いからだ。小さい体で目いっぱい跳ね回る彼女は、体力が無い。ソロコンサートなら、あの狼獣人のビャクヤが、セットリストやMCの工夫で何とかしているようだが……今日の様なフェスでは、難しいのだろう。
だが、ファンそんな事は知らない。彼らから見れば、残り香を惜しませるように、潔く消えるのだ。その去り際の美しさが、どれだけ多くのファンの心を掴んでいるか。セルは悔しいほどに分かっていた。
「セル様、そろそろ準備を」
低く太いマネージャーの声が、楽屋の外から聞こえた。
「わかったわ」
衣装はシンプルな、黒いワンピース。多少の装飾はあれど、デザインはいたってシンプル。だが、これでいい。
下からすっぽりと被り、薄手なシルク製の、紺色の腰布を巻き、扉を開く……さぁ、私のステージだ。
「本日のステージも、素晴らしかったです」
「そ」
「ええ。特に最後の曲、『メドゥーサ』は圧巻でした」
セルは鼻で笑った。
『メドゥーサ』。彼女の代表曲。異邦の者が作詞作曲した、蛇の怪物の名前を冠した歌だ。愛する者を石に変えてしまうという、悲しい怪物の歌。セルはこの曲が好きだった。自分自身を歌っているようで。そして、嫌いだった。自分の本質を暴かれるようで。
「私を見るなら覚悟をして。私も見つめ返すから。きっとあなたも石になる。ほら、もう、動けないでしょう?」
「また愛する人が石になった。また私はここで一人きり。私を愛せる人はどこ? 今日も私は一人、歌う」
さっき歌ったばかりの歌を、囁くように歌う。口の端が曲がったのは、自嘲か、苦笑か、自分でもわからなかった。
「マネージャー。ビースターズ、どうだった?」
ゴーレム族のマネージャーは一瞬言葉に詰まった。だが、すぐに答えた。
「……強かったです」
「そ。強かった。でしょうね」
セルはくるりと振り返った。長い髪が、波のように揺れる。下半身の鱗が、ざわりと音を立てた。
「ミルクは?」
「……は?」
「ミルク・カーベル。どうだった?」
マネージャーは、セルの金色の瞳を見た。縦に裂けた瞳孔が、彼を射抜いている。生物であれば冷や汗をかいていたであろう彼は、正直に答える。……そもそも、彼ら彼女らゴーレム族は、主と決めた相手に嘘はつけない。
「……輝いていました」
「そ」
セルは、目を細めた。それは笑っているようにも、泣いているようにも怒っているようにも見えた。ラミアの表情は、読みにくい。だが彼女の尻尾――下半身の先端が、微かに震えているのをマネージャーは見逃さなかった。
「……下がっていいわ」
「かしこまりました」
マネージャーが楽屋を出て行く。扉が開き、扉が閉まる。そして、静寂。
彼はきっと、いつものように、楽屋の扉の横に身動ぎもせずに立っているのだろう。
セルは、ソファに崩れるように座った。ラミアの下半身は、座るのには向いていない。だが、彼女は無理やり座った。自分の体が、自分のものではないような気がして、それが嫌だった。
「……ミルク」
名前を呼ぶ。誰もいない部屋で。誰にも聞かれないように。そして、誰かに聞いてほしいように。
セルとミルクは、幼馴染だった。ミルクは牛の獣人。セルはラミア。種族は違う。だが、同じ村で育った。ミルクはいつも、セルの後ろを歩いていた。セルが先に行く。ミルクが追いかける。セルが振り返ると、ミルクが笑っている。その笑顔が、セルは好きだった。
一緒に遊んだ。一緒に寝た。一緒にお風呂に入った。一緒にご飯を食べていたある日、セルが言った。
「なー、うちら、アイドルにならん?」
ミルクはきょとんとしていた。
「え? アイドル?」
「そ。二人で歌って踊るんにょ! 異邦の者さ持ち込んだ文化にゃ、この村にいるよか、かっちー面白いにょ!」
「うふふ、セルちゃん、それ、楽しそうだね」
「だにゃぁ? 一緒にやろまい!」
セルは得意げに笑った。ミルクが笑う。二人は、手を繋いだ。ラミアの手は少し冷たい。牛の獣人の手は、温かい。その温度差がセルは好きだった。
そうして二人は、都会に出たのだ。小さな芸能事務所のオーディションがあったから。事務所の社長は、二人を見て目を輝かせた。
「君たち、いいね! 異邦の者が言う、ティンと来た! って奴だ。デュオでどうだい? セル・ペンティとミルク・カーベル。『ミルセル』……いや、『セルミル』かな?」
セルは嬉しかった。ミルクと一緒にアイドルになれる! 夢が叶う! ……そう、思った。
なのに、社長は、数日後セルだけを呼び出した。
「あー……セル君、ソロでデビューしてみないか?」
「……え」
「君の歌声、君の存在感、君の……その、何というか、圧倒的な……『何か』。ソロでも十分やっていける。いや、ソロの方が君の良さが際立つ」
「ミルク、は?」
「ミルクは……別のグループを組ませようと思う」
「別の……私以外と?」
「ああ。ビースターズ。今、メンバーを集めているんだ。ミルクにぴったりのグループだよ」
頭が真っ白になった。のだろう。セルはその時の感情を覚えていない。
「……私と、ミルクで、デュオだって、話だった……のに」
「うん。でも、考え直したんだ。セル君、君は誰かと一緒にいるより、一人で立った方が輝く。俺には分かる。君は、そういう星の下に生まれたんだよ」
「そんなの……そんなの、勝手すぎる、よ……」
セルは声を震わせた。ラミアの尻尾が、感情を抑えきれずに床を打った。二度、三度。
「ミルクと、ミルクと一緒じゃなきゃ、意味がないよ!」
「セル君」
社長は、真剣な目で彼女を見た。
「君は、ミルクのことが好きなんだな」
「……っ」
「でもな、セル君。ミルクは君のものじゃない。ミルクには、ミルクの人生がある。君には君の人生がある。それを、一緒にする必要はないんだ」
「……でも、でも」
「セルと一緒の方が、ミルクも売れるかもしれないね」
社長は、ぽつりと言った。
「でも、ミルクがもっと輝ける場所はビースターズなんだよ。あの子は、誰かに支えられながら、誰かを支える、そうやって輝く子だ。君は違う。君は、自分一人で太陽になれる子だ。君がそばにいると、ミルクは君の影に入ってしまう。それは……君は嫌だろう?」
セルは何も言えなかった。図星だったから。セルが輝けば輝くほど、ミルクが霞む。それは怖い、それは嫌だ。ミルクの笑顔が、曇るのは、嫌だ。なら、二人で同じステージに立つより、別々のステージに立つ方がいい。理屈では、分かっている。頭では理解している。
けれど――けれど、心が納得しなかった。
それでも。心が納得できなくても、了承するしかなかった。ミルクの笑顔が大好きだったから。その笑顔を、自分が曇らせるのは、本当に本当に嫌だったから。
「……セルちゃん」
その日の夜、ミルクがセルの部屋に来た。ミルクは、泣きそうな顔で笑っていた。
「セルちゃん、ソロデビュー決まったんだってね、おめでとう」
「……ありがとう」
「私も、ビースターズで頑張るから。だから、セルちゃんも頑張ってね」
「……ミルク」
「なあに?」
「……あなたは、私がいなくても大丈夫なの?」
ミルクは、少し寂しそうに笑った。
「…………セルちゃんが頑張ってる姿を見たら、私は、頑張れる。だから大丈夫」
セルはミルクを抱きしめたかった。けど、できなかった。
今でも思う。あの時、ミルクを抱きしめていたら、何かが変わっていたのだろうか、と。
抱きしめて、私は大丈夫じゃないよと言っていたら、何かが変わっていたのだろうか、と。
「……行って」
「うん。またね、セルちゃん」
ミルクは、去っていった。セルは一人残された。そして、想像する。
手錠をかけられ、首輪に繋がれた、笑顔を失ったミルク。首輪には鎖が繋がれていて、その鎖を持つのは……セル・ペンティ。
吐き気がした。
だが、そうなってしまう所だったのだ。社長が止めてくれなければ、セルは、ミルクの人生を……あぁ、なんて傲慢なんだろう。ミルクの人生を、自分のものにしようとしていた自分。それは、愛ではなく支配だ。そう、分かっていた。
でも――諦められなかった。
「……ミルク」
楽屋で、セルは、もう一度名前を呼んだ。
「あなたは、私のものじゃない。でも私は……あなたのものになりたかった」
想像する。手錠をかけられ、首輪に繋がれ、それでも笑顔の自分。首輪には鎖が繋がれていて、その鎖を持つのは……ミルク・カーベル。あぁ……! ラミアの下半身がゆっくりと床を這う。セルは立ち上がり、鏡の中の自分を見た。金色の瞳。縦に裂けた瞳孔。青白い肌。黒い髪。蛇の体。美しい、と、思った。同時に醜い、と、思った。
「負けたくない」
もう一度、言った。
「ビースターズにも。ミルクにも。……なにより、自分自身に」
セルは楽屋を出た。廊下は静かだ。ライブが終わった後の、熱気と余韻が残る、独特の静けさ。彼女たちはもう、いない。だがその残響が、まだ、空気の中に漂っている。セルは、その残響を全身で感じた。悔しさと、憧れと嫉妬と、そして愛。ぐちゃぐちゃになった感情が、彼女の中で渦巻いている。
「セル様」
マネージャーが楽屋の扉の横に立っている。
「帰りますか?」
「……ええ」
「明日は、朝からラジオの収録。その後、雑誌の取材。午後からは新曲のレコーディングです」
「そ」
「……お車までご案内します」
「ん」
セルは、マネージャーの後ろを静かに這っていく。ラミアの移動は、静かに、ゆっくりと進む。彼女は急がなかった。急ぐ必要など、ない。時間はある。彼女は、焦らない。ゆっくりと、じっくりと、確実に、前に進む。……蛇は、執念深いものだ。
「私は、セル・ペンティは、輝いて見せるわ。あなたが輝く場所で、私も輝くの。あなたが立つ場所に、私も立つ。そしていつか……いつか、私をあなたのものにする」
それは愛か執着か。あるいは、呪いかもしれない。だがセル・ペンティは、そういう生き物なのだ。ラミアの、蛇の、女の。冷たく熱く、しなやかで、執念深い、性格や性質を越えた――生態。
廊下の窓から、月が見えた。満月に近い大きな月。セルは、ふと、ミネルヴァのことを思い出した。ビースターズの、フクロウの獣人。あの子もきっと、この月を見ている。そう思った。
「あ! セルちゃんだ!」
車の近くで名前を呼ばれた、ファンに見つかったのかと思って、一瞬びくりとした、が、違った。
「おつかれさまー!」
満面の笑みを浮かべながら、走り寄って来るヤマネコの獣人の少女。スズ。ビースターズの、センター。
しなやかな身のこなしで、あっという間にセルの眼前に迫る。その瞳は、ライブの余韻か、まだキラキラと輝いていた。
「セルちゃん、今日のステージ、すっごく良かった! 『メドゥーサ』の最後のとこ、鳥肌立っちゃったもん! あの低いとこから、一気に駆け上がるとこ! もう、なんていうかこう、心臓をぎゅーって掴まれる感じ!」
スズは両手を胸の前で握りしめて、身振り手振りで熱弁を振るう。その剣幕に、セルはたじたじとなった。ラミアの下半身が、無意識に後ずさる。
「そ、そう……ありがと」
「それに! 衣装もすっごく綺麗だった! あの黒いワンピース! セルちゃんの鱗の色に、すっごく合ってた! あとあの腰布の色! 紺色って、あんまり見ないけどセルちゃんの肌の白さが引き立つよね! あれ、誰が選んだの? やっぱりセルちゃん自身?」
「え……ええ、まあ」
「やっぱり! センスいい! 私、ああいうシンプルで上品なの好きなんだ! あ、でも私が着たらもっとフリフリになっちゃうかも! でもね、ビャクちゃんは言ってくれたんだ、『お前にはフリルが良く似合うぞ』って。それって、そういう意味かなーって思ってたら、ミルク姉が『良かったわね、ビャクちゃんも可愛いって言ってるわよ』って。ビャクちゃんは『言ってない』って言うけど、でも、そういう事だよね? じゃあフリフリにしようかなって! そしたらね、ミネちゃんも『スズはセンター、輝かないとだめ』って!」
まくしたてるようにスズは喋る。距離が近い、止まらない。セルは、その勢いに圧倒されながらもどこか心地よさを感じていた。
この子はいつもそうだ、いつだって全力で、キラキラとしながら、夢に向かって、周囲を巻き込んで、輝いていく。
セルの顔に笑みが浮かぶ、いつもの自嘲や苦笑ではない、年頃の少女に相応しい、可愛らしい微笑み。
「あ! セルちゃん、今笑った! やっぱり笑うと可愛いね! もっと笑ってればいいのに!」
「か、可愛いって……あ、あなたね……」
また一歩踏み込まれた。もう完全に、パーソナルスペースの中。なのに、少しも嫌ではない。キラキラした瞳で、嘘偽りなく私をほめてくれているのが伝わるから。
セルは、ぐっと詰まった。ラミアの頬が、ほんのりと熱を持つ。青白い肌の下で、血が騒ぐのが分かった。こんなことで照れる自分が、少しだけ恥ずかしい。
「セルさん、お疲れ様です。……スズ、黙れ。相手の迷惑も考えろ」
「あ! ごめんなさいセルちゃん! 私ったら、いつもこうで! えへへ!」
落ち着いた声がした。ビャクヤ・オオガミだ。スズとは対照的に、その声は静かで抑揚が少ない。だが、その声には確かな温もりがあった。
セルは、少しだけ姿勢を正した。正すことができた。心臓がドキドキしてるのは、スズの勢いに押されたからで、他の理由なんてない。だから、落ち着きなさい、私の心臓!
「セルさん。今日のステージも良かった……あなたは、怖いくらいに魅力的だ」
「にょろっ!?」
クールな瞳で、落ち着いた声音で、そういう台詞をさらりと吐くビャクヤ。ドキーンと来た。
いやいや、あくまで冷静に、理知的に、客観的に、私のステージを分析した発言よこれは。静まれ、静まりなさい、私の心臓!
「……?……スズ、セルさんは疲れてるみたいだ、もう行こう」
「うん! セルちゃんごめんね、疲れてるところに……今度一緒に歌おう!」
「わ、私と?」
「うん! セルちゃんの歌、すっごく好きだから! 私もセルちゃんみたいに、歌えたらいいなって! あ、でも、私は、セルちゃんみたいには、なれないか! だってセルちゃんは、セルちゃんだけの歌い方があるもんね! でも、一緒に歌ったら楽しいかなって!」
「スズ」
「あ、ごめんなさい! 私ったらまた! えへへ!」
瞳をキラキラと輝かせて、そう言うスズに、その瞳にセルは、圧倒される。この子は本気で、そう思っている。ライバルの、しかもソロの、しかも、ラミアのセルと、一緒に歌いたいと、本気で思っている。一緒のステージに立ちたいと、本気で願っている。
「本気、なのよね?」
「うん! 本気だよ! ね、ビャクちゃんもいいよね? きっと素敵だよ! 楽しいよ!」
「……ふぅ。セルさん、お願いします」
ビャクヤはそう言って、セルを見た。静かに、でも、どこか期待しているように、力強い狼の瞳が、セルを射抜く。
「い、いいわよ。別に」
セルは、それ以外の答えを思い浮かばなかった。断ることだって出来たはずなのに、今この場では、選択枝として浮上すらしない。
「やった! 約束だよ!」
「スズ、そろそろ行くぞ。みんな待ってる」
「うん、それじゃセルちゃん、またね!」
元気よく手を振りながら、跳ねるような歩調で去っていくスズ。
軽い会釈をして、背筋を伸ばして確かな歩調で去るビャクヤ。
とても対照的な二人なのに、とてもお似合いの二人に見えた。
「太陽と月……」
セルは、呟いた。誰かの言葉を借りるように。
「私は負けない。絶対に、負けない」
ほんの一瞬、思い浮かんだ、自身に繋がれた鎖を、あの二人が持つイメージを、頭を振って、振り払う。
セル・ペンティ。十七歳。ラミア。アイドル。一人の少女。そして――一匹の蛇。
彼女は――意外とチョロかった。




