最後の親戚
ガキンッ—
沼地に広がる鈍い音。鉄と鉄の擦れた臭いが、沼地の臭いと相まって、一層臭さを際立たせる。そこには今、まさに二人の男が命を奪い合っていた。
「ふん。なかなかやるな」
再び金属音が響く。
振り払われた剣の先には、酷く汚れた沼地とは無縁に思えるほど美しい青年が剣を交えていた。その青年はまっすぐとその黒い瞳で標的を見つめる。
「だがお前は私に勝てない。その理由は一つだ。それは―」
そう言って青年は剣を振りかぶる。次第に青年の頭上にある剣に光が集まっていく。
「そ……それは!?」
青年と敵対していた男が後ずさりをする。しかし沼に足を取られて思うように身を動かせない。
青年の剣に集まる光が見る見るうちに集束していく。
青年は告げる。
「―――私が最強だからだ」
刹那—。
パタンッ—
書物の閉じる音が聞こえたのは、物語の主人公が剣を振り下ろすのと同時だった。
「はぁ~つまらん」
少し裏返るような間抜けな声が、一面大理石で覆われた部屋に響いた。
ここは魔王城の客間。その部屋の中央に設置されているソファに魔王はいた。美しい顔立ちに、黒紫の長髪が特徴的な彼は、真っすぐと僕を見つめている。
魔王は目の前のソファに横たわり、手には先ほど読んでいた小説を持っている。そして口元を細かく刻むように、ブツブツと何かを言っている。
多分、読んでいた小説の評価だろう。そしてそれは恐らく、ものすごい酷評だ……。 筆者である僕には聞こえていなくとも、なんとなくわかる……。
そして僕のその予想は、残念ながら的中する。
「最近さぁ、すごく多いんだよねこうゆうの。少し前はめちゃくちゃ流行って面白かったジャンル。でも、同じことの繰り返し。さすがに飽きた!」
ブツブツと小声だったはずの魔王の声が、部屋全体に響き渡る。そして追い打ちをかける様に、一息つかず魔王は続ける。
「味を占めたか知らんけど、よぉ似たジャンルで執筆してくるやん! 別にそれはええねんけど……。全くないオリジナリティ! こっちはすでに飽きてんねん! そのうえオリジナリティなかったら、そりゃおもんないわ! もう賞味期限は切れてんねん!」
その罵詈雑言は、大理石でできた部屋に鋭く響いた。それは魔王が全てを語り終わった後もなお、余韻が部屋全体を響かせるほどに。
僕は耳が痛くなるような酷評という悪口を堪えながら、目の前の男の評価を受け入れる。名のある小説家の血筋である僕からすれば、それは地獄のような評価だった。
とはいえまぁ、事実でもあるが。
「……どうされましたカ?」
その時、ソファの後ろから少し不器用に喋る声が聞こえた。声のほうへと顔を向けると、そこには白髪の老夫がいた。彼は少し困惑した表情で、魔王を不思議そうに見つめている。
ソファにいる魔王を、覗き込むようにしているその姿勢からは、顔ははっきりとは見えない。しかし、僕は彼の正体が分かる。この老父と初対面でないということもあるが、それ以前に顔が見えずともその話し方で分かる。
魔族だ。
元々魔族は魔力に長けており、知力をあまり活用しない生き物だ。そのため長い年月の末、魔力のみが向上していき、次第に知力は衰えていった。ある程度のコミュニケーション能力と思考・感情表現能力は備わっているみたいだが、僕ら人族には到底及ばない。
そして目の前の老父もまた、話し方が不安定にぎこちなく、言葉を覚えたと伺える。これは人族と姿形が似ている魔族の、唯一の見分け方だ。
ただ世界は広いもので、例外も存在する。それが今、酷評を下してきた魔王だ。
魔族である魔王には言語能力が確りと備わっており、その言葉一つ一つの意味もきちんと理解して会話をしている。さらには独特な訛りも備え付けだ。もはやここまでになると見分けを付けるのが難しい。
魔王が何故、これだけ知力にも長けているのか。それは人族と魔族のハーフだからだそうだ。改めて思うとめちゃくちゃだと思っている。
こうして僕が声の主の正体を判別している間に、老夫が再びぎこちなく魔王に声をかける。すると魔王は先程と同じ人物だと思えない声色で喋りだした。
「おや爺や。来ていたのか。来るなら前もって伝えてくれ」
……誰なんだこいつは。さっきまでの口調はどこへいったんだ?
「……なにをおっしゃいますカ。きょうはおういけいしょうのはなしあいヲ、あのゆうしゃとおこなうひでございまス。もうすぐよていじこくですのでまいりましタ」
あぁ、魔王の側近は大変だな。魔族であるのに、こんなに語学まで鍛錬をつんで。
それに対して当の本人といえば……。
彼がものすごく重要なやり取りをしていることは分かるが…。それより、この男が自分の予定を把握していないことに驚きを隠せない。あまりにも自分の地位を理解していないように感じる。
このふざけた男が魔王だなんて…… 。今や全世界を統一している唯一の権力者なのに。というよりか、そんな大事な日に僕の新作感想会をしていたのか!?
魔王の豹変ぶりに少し怯える僕とは裏腹に、老夫にそう告げられた魔王は、「そうだったー」とつぶやきながらソファから立ち上がる。そして僕の方へと歩むと、目の前で立ち止まった。
「とまぁ、今伝えたことが今回の評価である。次回作を期待しておるぞ!」
魔王がそう言い放つと、老夫にもまた、申し訳なさそうに退出を促された。
次回作なんてごめんだ!っと思うのも何回目だろうか。ここに来ると罵声を浴びせられ、怯えてばかりだ。でも第三者目線を聞けるかつ、正確な指摘をしてくれるのでついつい来てしまう。
あぁ、結局厭々、またここへ来るのだろうな。怖いけど。
僕はそのまま魔王に一礼をし、部屋を後にする。しかし扉の一歩向こう側へ足を踏み出したその時、魔王は「忘れておった!」などと言いながら僕を引き留めた。
「そうそう。我はもう寿命が長くなくてな。王位継承をしたら死ぬつもりである。何、安心せい。近いうちに復活でもするつもりだ。3年後にはまたこの地に足をつけるだろう。それが次回作を見る次の機会になるであろう。その時こそは、おもしろいもの。頼んだぞ?」
はい?
思考が停止する。理解ができなかった。僕は入り口を出たすぐ目の前で呆気にとられ、数秒間立ち止まってしまった。
バタンッ、と扉が閉まる音がしてようやく僕の思考が徐々に働き始めた。
復活?
なんだそれ!? 無理に決まっている!
……。
しかし扉が閉まる前もあの老父は慌てていたしな。まさか……?
それとあまりにも急じゃないか? まだ見た目は若いだろ? しかも王位を継承したら死ぬつもりって…。意図的にそんなことできるのか? 口調からして衰えは感じなかったが、感じさせていなかっただけなのか? いや、何かの病気の可能性もあるな……。
とにかく、それを乗り越えたとして、復活は無理に決まってる!
訳が分からない僕は、もはや笑うことしかできなかった。それは少しの嘲笑か、あるいは脳の限界か。深いため息交じりの笑みをこぼした。
もはやカオスだった。情報量が多すぎた。脳が悲鳴を上げている。今日、覚えているのは「賞味期限切れや!」だけだ。
今回の新作の指摘は、最後の言葉にすべてを持っていかれた。
最悪だ。頭の中で「復活」の二文字が反響し、繰り返す。時々くる「賞味期限切れや!」がさらに鬱陶しさを増加させる。
立ち止まって思考し続けても意味がない。僕は逃げる様に玄関口へ、真っすぐと歩んだ。
その道中、城内で大勢の使用人がせわしなく働く中で、ひときわ目立つ人族とすれ違った。その男は豪勢な鎧を身に纏っていたため、この城内ではあからさまに浮いていた。
あの男が魔王の言っていた王位継承者だろうか。なるほどあの派手好きが気に入るわけだ。
……じゃなくて! 今はそんなことどうでもいい。魔王のことは何も考えるな!
無心で玄関を急いで出ていく。そして何かを封印するかのようにその豪勢な扉をとしっかりと閉めた。しかし、一歩外へ出た時、僕は何故か振り返り、今いた魔王城の頂を見上げる。
「……復活、ねぇ。」
僕は一人そう呟くと再び邪念を振り払うように頭を振り、魔王城に背を向け、帰路へと歩み始めた。
◇◇◇
結局、帰宅中はあのことを考えることに没頭していた。まったく、僕の悪い癖だと思っている。何か面白いことが起こるとつい長考してしまう癖。
もちろん良いこともあるが…これは小説家としての血が騒ぐからなのだろうか。良くも悪くも僕の時間を奪っていく。
そんなことをしていたら、いつの間にか家に着いた。魔王城がある王都から大分離れた場所に家はあったが、時間を忘れさせてくれる長考には、距離など無に等しかった。時を感じさせてくれるのは辺りが暗くなっていたことに気づいた時だ。魔王城にいた時は、日の光が頂上に来ていたのに…。
今日は本当に疲れたし、寝ようかな。寝たら頭の中も整理されているだろう。今はこれが最善だ。よし寝よう。
自分に言い聞かせる様に、また、本能に従うように僕は寝床についた。
そして気付く。この横になった状態が一番思考を加速させることを。
結局その日は思考を続け、小一時間しか眠れなかった。
◇◇◇
いつからだろうか。まともにペンを握り、筆を走らさなくなったのは。ペンを握ったとしても、あの事を思考するため。そして一日が過ぎる。
次の日も、その次の日も。魔王の復活の意味を考え続けた。
そのことを考えているうちに王位継承日となり、そのまま魔王はその地位を無事に、あの魔王城の廊下ですれ違った人族に譲渡した。
その日は首都バルトリアに多くの人々が、新たな君主のために建てられた王城に集まっており、王位継承は盛大に開催された。
もちろん僕も参加はしたが、式場の後方に居座っていたので、事の全貌は見えていない。ただ、無事継承されたことは分かるくらいだ。
会場内の熱狂。ただ僕は知っている。この歓喜に満ちた国の裏で、主役がもうすぐいなくなることを。
◇◇◇
そして継承日の数か月後。
それは唐突に、しかし当然のことながら、魔王の死が訪れる。
魔王の葬儀は、これまた盛大に執り行われた。継承祭のように賑わいはしないものの、国中から首都バルトリアの大聖堂に集まっていた。
しかし国民の殆どが聖堂内に入れず、中に入れるのは親族と関係者のみであった。僕は魔王の専属小説家という立場で出席したため、何故か中に入れた。
関係者のみで済まされた葬儀はごく普遍的なもので、簡素なものだった。あまりのことに僕も呆気に取られていたが、これが普通なのだろう。いくら魔王とはいえ一人の魔族、国民と言うことには変わりはないということらしい。
ふと辺りを見渡すと最前列にあの継承者がいた。その後ろ姿からも分かる程に悲しみが感じられる。
その背中を見て、僕は少し胸が苦しくなる。
この事を知っていたのは……と。
◇◇◇
親族及び関係者のみの葬儀が終わると、次は大衆に向けての式に移行する。大聖堂を一歩出た大街道を、魔王の棺を先頭に関係者が続いて歩くというものだ。
こちらは盛大に執り行われ、皆が魔王との最後の別れを過ごした。人々は魔王との別れを惜しみ、次々と魔王に最後の感謝を伝えている。
またここでも胸が苦しくなる。
あぁ。ただ一人、僕だけが、知っていたのか。
そう思うと―――
「……本当に復活するなら、はやく、良い小説書かなくちゃな……」
大衆が悲しみの声で溢れる中、僕は一人、そう呟いていた。
―――――――――。
そしてあの小説を最後に、僕は、魔王に小説を見せる約束を二度と果たせなかった。




