一歩前へ
「見ろ……クラリス!!」
俺は完璧に釣り合った神魔の秤をクラリスに見せつけるように前に出す。
「証人は俺一人だけじゃない。影で見ているヒキヤンにノエリア――」
「――おっと、クラリスが真犯人でしたか。とても残念ですね」
俺の言葉を遮るように、俺の真後ろから低く湿った、忘れようにも忘れられない声がした
俺の後ろを見る、クラリスは苦虫を噛み潰したような表情に変わっていた。
俺は恐る恐る後ろをふりかえる。
なんと、そこには三翼傑の一人、カイ・フェアラート。
そして……
「――早く降りてよ!!」
「うるさいですね……」
何故か、カイをおんぶするマイヤちゃん??
目の前で起きている状況に全く理解できず、唖然としているとカイが語り出す。
「簡単に言えばこの子と交換条件をしました――」
◆◇◆◇
「やだ!!お前嫌い!」
「はぁ……何度も言いますが、僕は貴方たち一行に今後一切、危害は加えません。その代わりに僕を背負って研究所に運んでくれるだけでいいんですよ。」
「やだ!!」
即答。食い気味。躊躇ゼロ。
カイはやれやれと言いたげに目を瞑りながらため息をつく。
「分かりますか?このままでは先に死ぬのは貴方ですよ?」
「……なんで」
「この城は貴方たちにとって敵の本拠地です。見回り中の兵士なんて汚物にたかるハエのようにやってきますよ」
マイヤちゃんは俯いたまま、だんまりを決め込む。
それを見兼ねたカイはゆっくりと口を開いた。
「……時間がありません。仕方ないですが、無理やりにでもそうさせていただきます」
そう言い終えると、マイヤちゃんの左手がおもむろに動き出し、カイの手を掴んだ。
「やめて!!やだ、やだ、やだよぉ……」
マイヤちゃんの目からぽたぽたと雫が垂れてくる。
その刹那――
「うわぁぁぁぁぁん!!」
なんと、マイヤちゃんが悲鳴に近い大声を上げて泣き出したのだ。
「は、はぁ?」
もちろん、カイからしたら全くの想定外……もう何が何だか分からなくなる。
「そんな声上げてたら、こちら側の兵士が来ますよ!?いいんですか!?」
突然泣き出したマイヤちゃん相手にこういった場面に慣れていない、カイに明らかな動揺が見える。
「デンゼイ様ぁぁぁ!!どごぉぉぉぉ!!」
「あぁもう……」
とうとえ痺れを切らしたカイはマイヤちゃんにひとつある提案をした。
「分かりました……僕の研究所へは向かわずにそのテンセイに会ってもらって構いません」
「ヒクッ……本当に……?」
「ええ、貴方たちには一切手を出さない。そして、貴女を先程の男の元へ送り届けます。どこにいるかは見当がつくので」
マイヤちゃんはうーんと可愛らしい声で喉を鳴らしながら、右手で顎に手を当て考える。
そして、こくりと一度頷くと口を開いた。
「うん、わかった」
重みが抜けるように、空気が軽くなる。
「貴女を完全に信じたんですよ……」
再度カイはマイヤちゃんの手足を動かし、自身を背負わせた。
「無理に抵抗しようとしないでくださいね。もげるので」
「いいから早く!」
「はいはい……」
◆◇◆◇
「と、こういう感じです。」
「な、なるほど」
つまり、カイは俺たちを攻撃することは出来ないわけだ。
だが、神能を解いていないということはマイヤちゃんのことをいつでも殺せるということでもある。
下手に刺激するのは得策ではない……
「――カイ……お前は最初から知っていたのか……」
そんなことを考えていると、背後から低い殺気が籠った刃物のような鋭さを持つ声が聞こえた――クラリスだ。
対するカイは一切怯まず、むしろ愉悦すら滲ませてその言葉に応じた。
「王の死体を回収し、調査したのは天才であるこの僕です。あれだけ証拠を残しておいてバレないとでも思っていましたか?」
言葉は淡々としているのに、逃げ場のない現実だけが突き刺さる。
クラリスは息を詰まらせ、返す言葉すら見つけられない。
やがて、抗う力を失ったように肩が落ち、視線が床へと落ちた。
そして――絞り出すような声が零れる。
「――あぁ、そうだ。王を殺したのは私だ。
証拠を散らし、疑いを他へ向け……全て私が仕組んだ」
その声は静かで、どこまでも澄んでいた。
もはや否定も、言い逃れもなく、ただ真実だけが戦場に落ちた。
「――だがな」
まさにその瞬間だった……周囲の瓦礫が微かに震え、張り詰めた空気を切り裂くようにクラリスの纏う殺気が膨れ上がる。
全身の皮膚が粟立つのを感じる。
「私は決して止まらない。たった一人の犠牲でこの国を変えることが出来るのなら……私は――」
クラリスの言葉は、感情というよりも確信そのものだった。
迷いも悔恨もない。
ただ選び取った未来のために刃を振るう覚悟が剥き出しになっていた。
しかし、その決意が完全な形となる前に――
「マイヤちゃん、瓦礫の後ろに隠れていてくれ」
「……うん」
そして、一歩踏み出す――
「――俺が止める」
クラリスがゆっくりと顔を上げ、その双眸が俺を捉える。
深淵のように黒ずんだような瞳は、怒りでも憎しみでもない。
ただ理解される必要などないという、孤独。
「レイ……これは貴女の望んだ世界への一歩だ」
クラリスもまた、一歩前へと踏み出す。
空気そのものが凍りつくように音を立てて、クラリスの左手に氷の剣が形成される。
カイはマイヤちゃんの肩の上でため息をつき、俺の隣に視線だけを寄越す。
「後は……貴方達がどう終わらせるか、です」
瓦礫の破片が静かに転がる音だけが、戦場に響く。
風も止まり、世界が止まる。
…………
………………
その瞬間――クラリスの足元から、白い霜が一気に広がった。
音もなく地面を走り、瞬く間に戦場全体を白が覆う……それはまるで世界そのものをクラリスの支配下に置くかのように。
そして、クラリスは静かに息を吐く。
その吐息から生まれる白い残滓が空気を裂く。
「この一撃で――世界を変える」
声は震えていない。悲しみも迷いもない。
ただ純粋で、残酷で、救いのように美しい決意だけがあった。
次のエピソード更新は12月13日(土)になります。




