不安、的中!
とりあえず、このままここにきららさんと居続けるのは、危険だということだけはたしかね。早くみんなのいる場所に行った方がいいかも。
アリスは頭の中で状況打開策を模索し始めた。
でも、さきはどうしたらいいか……。缶紅茶を買いに行ったきり、まだ帰ってこないし……。もしかしたら、さきはもう『彼女』の手に掛かって……。
膨れ上がる不安に気持ちが押し潰されそうになる。
ううん。さきに限って、そんなはずはないから……。きっと大丈夫なはず。それに今はさきのことよりも、ここにいるきららさんの身の安全のことを第一に考えないと──。
さきのことも心配であったが、ここは部長としてきららを守ることを優先させることにした。
「きららさん、今から急いでのどかたちの後を追い駆けことにするから」
アリスはすくっとベンチから立ち上がった。
「えっ? 急にどうしたんですか、アリスさん?」
きららがきょとんとした顔をアリスの方に向けてきた。
「きららさん、今は詳しく説明している時間がないの。とにかく少しでも『彼女』から離れたいから」
「あの、『彼女』って……誰のことを言ってるんですか……? もしかして、カミ──」
きららの顔が夜目にもそれと分かるほどさっと曇った。見るからに不安そうな表情が浮かぶ。
しまった! こんな大事なときに、言葉選びを間違った!
アリスは心中で舌打ちをした。きららにしっかりと説明すべきかどうか迷いがあった。その心の迷いが、言葉選びのミスを生んでしまったのだ。
ここはきららさんにちゃんと話した方がいいのかも──。
しかし今の段階では、『彼女』が真犯人であるという確証は何ひとつない。状況証拠でしかないのだ。加えて、アリスがきららと知り合ってから、まだ間もない。仮にアリスが自分の考えを打ち明けたところで、きららはアリスの話よりも『彼女』のことを信じる可能性の方が高かった。
やっぱり、きららさんには話さない方がいいか……。だとしたら、もう力ずくで無理やりきららさんを引っ張って行くしか……。
そんな風に考えたが、すぐに自分の考えを捨てた。
いや、それはダメか。逆にきららさんを不安にさせるだけだろうし……。何か別の手を使って、きららさんを説得しないと……。
しかし、すぐには妙案は思い浮かばず、逆に焦燥感だけが募っていく。
「──ねえ、アリスさん……いったいどういうことなの……?」
きららの声には不安な色が混ざっていた。明らかにアリスの言動に対して不審感を抱いているのだ。
「あのね、だから……ここを離れないと、なんだか危険な気がするの……。詳しい話はあとで絶対にするから、きららさん、ここを離れよう!」
アリスは説得とは言えない曖昧な言葉できららを説き伏せようと試みた。
「でも、まだカミラもさきさんも帰ってきてこないし……」
しかし、アリスの予想通り、きららはカミラのことが気になっているようだった。
「きららさん、この際、さきのことはほっといても大丈夫だから──」
「それじゃ、カミラはどうなの……?」
「あ、うん……そのカミラさんなんだけど……なんて説明したらいいか……」
直接的な表現は出来ないので、どうしても言葉が詰まってしまう。しかし、そのことで余計にきららが疑念を強くさせているのが、手に取るように分かった。
「──アリスさん……わたしに何か……隠しているんじゃ……?」
きららがアリスのことを疑いの眼差しで見つめる。
「きららさん……」
焦りだけが浮かぶアリスの目と、戸惑いの光を湛えたきららの目が空中でぶつかる。
そのとき──。
「──あら、何をそんなに返答に困っているの? 正直に教えてあげればいいだけじゃない」
光が届かない校門の裏手から、不意に声があがった。夜の闇と同化した声。
「──遅かったか……」
アリスは思わず口から声を漏らしてしまった。
「アリスさん、何が遅かったの? ワタシが戻って来たのが不味かったみたいに聞こえるけど?」
一人称が『私』から『ワタシ』に変わっていた。その口調にも明らかな変化が生じていた。相手を平気で見下すような傲慢さが、言葉の端々から感じられるのだ。
「ワタシ、何か悪いことでもしたかしら?」
依然として声は校門の裏から聞こえてくるが、姿はまだ見せない。
「なんのこと言ってるの?」
アリスはわざと惚けた風を装って、相手の出方を窺った。
「フッ。その話振りからすると、すっかり『謎』は解けたみたいね」
「──それって暗に認めているって考えてもいいのかしら?」
アリスはここでも直接的な表現は避けて、曖昧なニュアンスのまま話を続けた。
「さあ、それはどうかしらね」
闇の声は明らかに面白がっている風だった。
「──そういえば、さきの姿がどこにも見当たらないけど、どこにいるの?」
アリスは話を切り替えた。
「ああ、あの腑抜けた彼のこと? トイレにでも行ってるんじゃないかしら。それとも、誰かと同じように後頭部を強打されて、どこかその辺にでも転がっているかもしれないわね」
まるで道端に捨てられたゴミ切れに対するような言い様である。
「──ねえ……カミラ、どうしたの……? まるで別人みたいな話し方だけど……」
二人のやり取りをじっと聞いていたきららが初めて口を開いた。
「別人? それは間違いもいいところよ。だって、今のワタシこそが本当のワタシなんだからね!」
優越感に満ちた声を闇の中に響かせて、堂々とした足取りで街灯の下に姿を現したのは──。
「カミラ……」
ベンチからさっと立ち上がったきららが闇の声の主──カミラの方に近付いていこうとして、足を一歩前に踏み出したところで、突然、硬直したように体の動きを止めた。
「──ち、ち、違う……カ、カ、カミラじゃ……ない……」
きららの声に怯えが走った。このときになってようやくきららも目の前に姿を現したカミラが、自分のよく知っているカミラとは違うということに気が付いたのだろう。
「あ、あ、あなた……な、な、何者……なの……? いったい……だ、だ、誰なのよ……?」
きららがその場からじりじりと後退りし始めた。顔は恐怖で強張ってしまっている。
「あら、正体がバレちゃったようね──」
カミラはそこで不意に言葉を切った。夜目にも鮮やかな真っ赤な上唇を、同じくらい真っ赤な舌先でこちらに見せ付けるようにしてゆっくりと舐る。生々しいというよりは、むしろ毒々しいといった赤の色彩が、街灯を鈍く反射させた。そして──。
「──こうすれば分かるでしょ?」
口をこれでもかというぐらい左右に大きく開いて見せた。果たして、そこに見えたものは──。
「──ひぃっ……!」
きららが声にはならない悲鳴を張り上げた。
「──やっぱりそうだったのね。真犯人はあなただったのね……」
アリスは瞬きすることなく厳しい眼差しでもって、カミラの口元を凝視し続けた。
カミラの口腔に見えたもの──それは人間の口には決して生えているはずのない、肉食獣のような鋭く尖った白い牙だった。
カミラの正体は──女吸血鬼だったのである!




