第六章 共振
教室の空気が、再び凍りついた。
今度は、蒼太の激昂によるものではない。
異質なものの出現がもたらす、冷たい静寂だった。
担任教師が「あ、えーと、白石さん、自己紹介を……」と慌てた声を出すが、つかさの耳には届いていない。
彼女の視界には、凪咲しか映っていなかった。
蒼太は、呆然と目の前の光景を見ていた。
問い詰めていた相手が、まるで自分を存在しないかのように扱っている。
自分と凪咲の間に、見えない壁を築いて割り込んできた、この少女は一体誰だ。
凪咲は、蒼太を一瞥もせず、まっすぐにつかさを見つめ返した。
そして、まるで旧友に再会したかのように、ふわりと笑う。
「来たね」
「ええ」
短い応答。
凪咲は立ち上がると、つかさの手を軽く引いた。
二人は、唖然とするクラスメイトと、狼狽する担任、そして怒りと屈辱で顔を歪ませる蒼太を置き去りにして、連れ立って教室を出ていった。
春の生ぬるい風が吹き抜ける、屋上のフェンス際。
眼下には、ミニチュアのような街並みが広がっている。
「思ったより早かったね」
凪咲が、フェンスに寄りかかりながら言った。
「それでも6日掛かったわ。手掛かりが、あなたの着ていた制服しかなかったから」
つかさは凪咲を見据えて言った。
「そういえばさぁ、ちょっと乱暴だったかなぁ? あのショート動画」
凪咲が、フェンスから小さく飛び上がるように離れて言った。
「ラビットって……。ジョークがきつすぎる……」
つかさが呟いた。
「それは謝るよ、ごめん! でも、落ちる穴がどれだけ深くても、つかさだから大丈夫。受け止めてくれるって思ったんだ」
「私だから?」
「そう、例えば、ゴータマ・シッダールタ王子が宮殿でウェーイってパーティしてる最中に、突然悟っちゃったらどうなると思う?」
凪咲の問いに、つかさは少し考える素振りを見せた後、静かに答えた。
「そうね、次の日には自死でもしてるかもね」
「そう、つかさは準備できてたんだよ」
凪咲は満足げに頷いた。
つかさは遠くの空を見つめたまま、凪咲の言葉に反応を示さない。
少しの沈黙が流れた後、つかさがゆっくりと口を開く。
「これから、どうするの?」
「つかさの力を貸してほしい」
凪咲の声は少しの切実さを含んだものに変わっている。
「具体的に何をすればいいの?」
つかさは、遠くを見つめたままだ。
「さあね、まだわからない」
凪咲は短く答えた。
再び沈黙が流れ、つかさは凪咲の次の言葉を待った。
「でも、退屈はさせないよ」
凪咲はそう言うと、悪戯っぽく笑った。
つかさも、つられるように、ほんのわずかに口元を綻ばせた。
二人が教室に戻ると、一限目の授業が終わるチャイムが鳴り響いていた。
屋上での時間を知る由もないクラスメイトたちは、突然現れた転校生、つかさの周りに、あっという間に人だかりを作った。
「エグくね? 超かわええー。凪咲、友達なん?」
真っ先に声をかけたのは理沙だった。
凪咲が軽く「うん」と頷くと、理沙はすかさず自己紹介を始める。
「ウチ、星名理沙。で、こっちが望月陽菜」
陽菜が小さく会釈する横で、つかさは背筋を伸ばしたまま、静かに「白石つかさです。よろしくお願いします」とだけ返した。
その凛とした態度に、理沙の質問攻めはさらに熱を帯びる。
「どっから来たん?」「彼氏いんの?」「つーか、なんでこの学校に?」
好奇の渦の中心で、凪咲とつかさは涼しい顔でそれを受け流していた。
だが、その輪の外で、苦々しい表情で四人を見つめる影が一つ。
結城蒼太だ。
無視された屈辱と、解けない謎への苛立ちが、蒼太の中で黒い渦を巻いていた。
彼は人垣をかき分けるようにして凪咲の前に立つと、煮え滾る感情を押し殺した低い声で言った。
「おい、加納。さっきの話の続きだ。答えを聞かせろ」
周囲の生徒たちが、何事かと息を呑む。
そのただならぬ雰囲気を、凪咲はひらりとかわした。
「んー、じゃあ、放課後。中庭に来てよ。ちゃんと聞いてあげるから」
悪戯っぽく片目を瞑る凪咲に、蒼太は「……必ず来いよ」とだけ言い残し、自分の席へと戻っていった。




