(5)首都『レ・シャングル』
マズランの夫婦に頭を下げて宿を出る。一刻半先の宿場町から乗合馬車を捕まえて、さらに二刻ほど。中天に日が達する手前の頃合いに、その都市は姿を現した。
「そら、見えてきた!お客さん方、じきに着くよ。あれがグランブリトーの首都さ」
「これが──レ・シャングル……!」
乗合馬車が静止し、その乗り場から降りた瞬間に、様々な人の声が耳に届いた。男たちの掛け声、呼び込みをする地元訛りの女。子供の歓声に教会の鐘。そのうえ旅装の人間からは公用語のほかにもあらゆる国の言語が飛び交っている。マリアたちのようにマズランを抜けてきた人々もいれば、アトラスやそのほかの港から来たりするものもいるだろう。 大陸の端から陸路でここまで訪れた隊商──キャラバンも多い。フランチェストと交易をしている隊もきっと含まれることがあるのだろう。
グランブリトーの首都、【レ・シャングル】。
フランチェストの公用語から『楽園』を由来に受けたその場所は、多少の緊張感を残しながらめざましく発展を遂げている。建築や商売の様式は自国によく似たものばかりだが、そこで過ごしている人々の空気感というものはやはり異なるらしい。街中に歌い踊る人間はおらず、それぞれが日常を真摯に過ごしている。
華やかかつ牧歌的なのがフランチェストの特色だが、グランブリトーの人々は華美を好まず、より洗練された小都市としての機能美に重きを置いているように見えた。あまり派手な享楽を好まないマリアにとってはなかなか好ましい景色だ。
「いい空気ね。とても賑わっているし、……マズランとはだいぶ違う」
「そうだね。防衛の観点からかなり距離を取っているんだろう。それに中心都市だから、出入りの多い港よりは治安維持の統率も取りやすそうだ」
マリアの発言を肯定し、ロジェは言う。彼は興味深そうに周囲を窺っていたが、そのうちにぱん、と、軽やかに手を叩いたと思うと、「よし」と、声を上げた。
「とりあえずは周辺を回ってみよう!どこに何があって、誰がどう生きているのか」
「ええ、それがいいと思う。気になる話というのもあったんでしょう?」
「その通りだ。その真偽を確かめるためにも──」
ロジェはマリアに脈絡なく路銀袋を握らせる。それから目深に外套のフードを被りなおすと恭しく自身の手を拾い上げて、軽やかに一歩市内の方へと踏み出した。
「まずは僕と、気兼ねなくデートを。だって、そういう約束だろう? 」
────
──
「ん!美味い!なるほど、甘く焼き上げた生地に鹿肉の切り落としを挟むのか……」
「待って、ソースがこぼれそうよ。ちゃんと包み紙でくるんで──」
「うわっ、後ろから野菜が!」
「ロジー! ほら、言わんこっちゃないんだから! 」
「あ、あはは……面目ない……」
「あ、あっちに魚売りが来てるって。ちょっと覗いてみようよ」
「いいけど、さすがに持っては帰れないわよ?」
「見て、ヴェイラ。この子たちみんな尾っぽがひらひらで真っ黒だ。なんか、その……」
「なあに、まるで私のクローゼットの中ですって?……あら。確かに、この子は昨年買ったサマードレスね」
「でもほら、桁は一個少ないみたいだよ?」
「もうっ!って、うそ、一個だけなの?」
「ここは賭けをやってるのかい? カードか、いいね!じゃあ、ためしに一戦……」
「ロジー。あなたが賭け事というのは、流石に……」
「うーん、やっぱり? ちょっぴり手持ちが心許なくなってきたしと思ったんだけど」
「ミスター、とっととカードをお出しなさい。私が有り金すべて巻き上げて差し上げますわ」
「マっ、いや、ヴェイラ!? 」
「ロジー、少し待っていてね。あなたが不安がることは何一つないわ。……そうね、ついでにちょっと私に賭けたらどう? 額によってはもう少し長く遊べるわよ」
「オーケー、ヴェイラ。それじゃおじさん、僕は妻の勝利に五万ラージをベットだ。勿論、僕のへそくりからね! 」
「良い判断よ、ロジー。さあ、かかっていらっしゃい! 」
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……気が付いたころには、真上にあったはずの太陽がすっかり傾きだしていた。火のような赤が周囲を染めている。マリアは晴れた夕空に視線を投げて息を吐いた。
「いつの間にか、日暮れね」
「そうみたいだ。全然気付かなかったなあ」
思い切りよく伸びをして、彼が小さく欠伸を溢す。くすりと笑みをこぼした。
「マリア」
「あ、ごめんなさい。欠伸をしていたから……不愉快だった? 」
「ううん、それは構わないんだ。ねえ、今日は楽しかったかい? 」
「ええ、とっても。こんなに遊んだのは久しぶりだもの。楽しかったわ、凄く」
「……本当に、凄く」
噛み締めるように繰り返す。ロジェはそんなマリアを静かに見つめ、「そう」と穏やかに呟いた。それから、近くにあったキャラバンの露店に目を向ける。地面に敷物を敷き、その前に置かれた商品を並べて売っているような簡素な店構えだった。
「ヴェイラ」
「どうしたの? 何か気になるものでも──」
「うん。気になるもの。何かない? 」
「え?」
「きみにプレゼントを贈りたいんだ。ほら、昨日荷運びや酒場の手伝いをしただろ。その分をジョゼから少しいただいてさ。路銀と別にいくらかあるんだよ」
「そうなの? ああ、宿代はこちらから出していたのね」
「まあ、そういうことだ。彼は僕が財布から金を出したことに驚いてたけどね。すっかりちゃらんぽらんの“ひも”だと思われていたらしい」
ふっと思い出し笑いをしながら彼は言う。それからマリアの顔を見た。
「欲しいもの、何も言わなかっただろ。今日、一度もだ」
「──」
「……路銀を使うのは心苦しくても、自分たちが働いた分で出すならどうかな」
気遣うようにそんなことを問いかけてくる。マリアは少し驚いて、それから首を横に振った。
「何もないのよ、嘘じゃないの。その、出所に気を回してるわけでもなくて……だって私、本当に楽しかったから。あなたから言われるまで、自分が何もねだらなかったことに気付いてもいなかった」
「マリア」
「……わたし、本当に。あなたが傍にいるだけでいいのよ、ロジェ」
これは決して世辞や気遣いなどではない。ロジェがそれをどう捉えたかは別にして、マリアにとってはそうなのだ。
彼は少し考えを巡らせると、「じゃあ」と、露店の品物をマリアに示した。
「何か、揃いのものを記念に持つのは? 例えばこういう色違いのアクセサリーとか」
彼は示したのは二種類の首飾りだった。一つはシルバーのチェーンに青の宝石。もう一つはゴールドのチェーンに赤の宝石。なんとなく彼の言わんとすることが分かって思わず笑ってしまう。見たところ値段もそれほど高いわけではない。純金属ではなく、何かしら混ぜ物をした素材でできているのだろう。それならば、と頷けば、ロジェは嬉しそうにその品物を買いに行く。その様子を微笑ましく眺めていたが、……なんだか、それにしてはやけにやり取りが長い。
何か値段のことで揉めでもしているのだろうか。そちらに近付けば、ロジェと店員の会話が耳に飛び込んだ。
「しかし、純金じゃないか。こんな値段で売っていては、市場価値が──」
「いえ、いいんです。わたしたちは、『お客様』に商品をお届けしたいので」
「気持ちはわかるけど、だとしたらなおのこと、きちんと相場を理解してくれる場所で取引を決めた方が双方に理があるんじゃないのか? 」
「いいえ、旅の人。そんな場所はもう、グランブリトーにはありませんから……」
一体何の話だろう。静かに距離を詰めるマリアの横を貴族方の連中が通り過ぎていく。その中から一人、ロジェに割り込むように彼と揉めているキャラバン商の女に声を掛けるものがいた。
それは随分と威圧的な大男である。彼は訛りのないフランチェスト語を扱っていた。
「おい、“砂の女”。いったいそこで何をしてる」
「!」
「今、その客は純金と言っていた。その品物は純金なのか? 」
「い、いえ、それは──」
「このグランブリトーの首都、レ・シャングルにおいて、“純金属”には希少価値を加味した関税を支払う義務がある。……まさか、隊商がそれを知らん訳はあるまい」
「で、あるのならば、女。貴様は己のせんなき我欲と利潤のために、その正しき規則を破り、卑劣な隠匿を行った、ということだ。それはすなわち、この都市への侮辱と他ならない」
「貴様は愚かしくも土地を借り、商いを行わせてもらう身の上なのにもかかわらず───『ブルフォワ』様のご意向に逆らうと言うのだな、下等の民め! 」
「!?」
(ブルフォワ様、ですって……!?)




