OP それは哀れな誰かの話
失敗した。
穏やかな光に包まれていた陽光の城に不釣り合いな、蹄鉄と野蛮な鬨の声。
それを四方八方から浴びながら悪態を吐く。この景色を見るのももう何度目だろう。思い出せもしないが、この後に起きることだけはありありと脳裏に描くことができる。
ああ、油断した。だから失敗以外の何物でもない。
今頃私の夫はその美しい顔を頸椎から切り離されて晒し首にされているだろう。
幾度となく繰り返したなかの、いつかと同じように。
「いたぞ!黒衣の悪妃だ!」
「稀代の悪女め!ここで我が剣の錆にしてくれる!」
思わず乾いた笑いが漏れる。常ながら悪女なんて御大層な冠を弄してくれるものだけど、一体私がこの有象無象どもにどんな悪意を向けたというのか。
個性ひとつない、同じ顔をした塵芥ども。なんと平面的で愚かしい連中だろう。
「……ああ、でも、今更この言い訳は通じないわね」
微笑に合わせて指先を口元に寄せる。玉座から見下すようにして吐き捨てた。
「実際私、もう何度も何度も何度も何度も、貴方達を殺しているもの」
それはこの場所になんの証明もない。
しかしてこの私、ブルフォワ・レ・マリアヴェールにおいては燦然たる事実なのだ。この手に染み付いた血の香りはただ、私にだけ感じ取れるものだから。
はらり、と、視界の端で純白の旗がはためいて、思わず眉根を寄せた。
「……来たのね、【聖女】」
聖女。
美しい黒髪を持つ、無垢な乙女だった。
旗を掲げた彼女がその場に現れた途端に烏合の芥は統率をなす。なんてカリスマ。なんて御伽噺。
ああ、本当に。これは世界に愛された女なのだ。
私のロジェーリオとはまるきり対極の、幸福な女。
若々しくて、麗しくて、高潔な、穢れを知らないおまえ。
心の底から、おまえが憎い。
慣れた手つきで袖に隠したダガーベルトから短刀を抜いた。
王家の紋が刻まれたそれは、私がブルフォワに嫁いだ後でロジェーリオから受け取ったものだ。
今もまだそのときの温度を覚えている。互い以外に頼るもののない王宮の中で、ペーパーナイフですらろくに握ったことのない貴方が、震える手で私に贈ったこの刃の、冷えた熱を。
憶えている。血潮の香りとともに。
「そんな小さな刃で、俺の聖剣を受けきるつもりか?」
聖女の横に控えていた赤髪の男が一歩前に出た。この男は、……なんだったか。
例え思い出したとて、何か思うことがあるわけでもない。この驕り高ぶった自信がどこから来ているのかにさえ興味ひとつも湧かなかった。
「受ける意味も必要もないわ。この刃は、私だけのものよ」
「……お前、まさか」
迷いなく、頸動脈に刃を立てる。横目に聖女を伺うが、彼女は表情すら変えることはない。……やっぱり。どうでもいいのね。私のことも、世界のことも。
しゅり、と、音を立てて、冷たい刃が首に差し込まれた感覚がする。
穿痛とともに声帯が喪われる前に、女を睨みつけた。
「──聖女、ミレイ・イルミナータ」
「!」
「私は、決して貴女を赦さない」
赤く染まる視界。死ぬほどの痛みを食いしばる。
……死ぬほどの痛みというか、実際死んでいる最中なんだけれど。
眠るように目を閉じて、それがふたたび開くまで。
死んで、死んで、繰り返し。
貴方と同じ世界で、その背を追って、死んでいくなかで。
どうして、貴方に逢えないのかしら、と。
私はこの暗がりで、いつだって想い焦がれている。




