家族免許の功罪と涙
この日ジュンはいつも通りセンターの受付業務に勤しみ、来訪者の波がひと段落すると受け付けた書類を整理するために自席に戻ろうした。
その時、
「あー!おったー!やっと見つけたー!」
「え!?」
後方から聞こえてきたのは大人免許の取得を目指すシオリの声だった。
振り返るとそこにはいつも通りだらしの無い格好をしたシオリの姿があった。
「シオリさん?どうしました?」
「ちょちょちょ、ちょっと付き合うてぇーな!」
「え!?」
受付から出てきたジュンの腕を引っ張りセンターの外へと連れ出すシオリ。
ジュンはされるがままにシオリに引っ張られて行く。
「ちょ、ちょっと!俺まだ業務中ですよ!どこ連れて行くんですか!?」
「ええから、ええから!緊急事態やねん!」
「はぁ!?」
こうして事情も説明されないままジュンが連れて来られたのは街中にある歯科医院だった。
やがてシオリの目的が判明する。
「ひーん。ちゃんと手握っといてやぁ~~~」
「…あのねぇ」
シオリは診察台に寝かされたまま半べその状態でジュンの手を力一杯握っている。
歯科医院内独特の匂いと不愉快な機械音がひしめく中、シオリは時折痛みに耐える仕草を見せながら何とか治療を終えたのだった。
「ひぃぃぃ~。痛かったぁ…。もうイヤやぁ。何で大人免許申請で歯医者の診断書まで要んねん!」
帰り道、車の運転をするジュンが呆れ口調でシオリに声を掛ける。
「あのねぇ。1人で歯医者に行けないなんて、本当に大人免許取得する気持ちあるの?」
「しゃーないやん。怖いもんは怖いねん。条件クリアすれば文句ないんやろ?」
「だからって俺を巻き込まないでもらえるかな?仕事中なんだぞ!」
「いち市民の免許取得を手助けするのもジュンさん達の仕事なんやろ?なら構へんやないの。こんなに頑張ってる姿見たらいやでも助けたくなるのが男心っちゅうもんちゃうの?」
「姿勢を評価してほしいならまずその下着が透けるTシャツを何とかしろよ。面接で品性を見られるって言っただろ?そういうものは1日で身に付く様なもんじゃないんだぞ!」
「どこ見てんね!スケベ!」
「いやだから、見せるなよ…」
やがてセンターに戻って来た2人。
そのまま受付フロアに向かう途中異様な光景が飛び込んで来た。
「ん!?あの人、泣いてるで」
「!」
シオリが指し示す方向には受付窓口に座り職員の話を聞きながら涙を流す妊婦の姿があった。
「…あぁ。たまにあるんだよね」
ジュンは憂い気な表情で呟いた。
「え?何なん?」
「多分、家族免許の申請をはねられたんだ。申請を出すには夫婦2人で揃って来ないといけない。見たところ奥さん、いや、ちゃんと結婚してるかも分からないけど、あの人1人で来てる。さしずめ男は逃げたか仲たがいしたんだろうね」
シオリはその妊婦を見て悲壮な表情を浮かべた。
「…やっぱ、堕ろさなアカンの?赤ちゃん」
「いや、見たところもう22週はとうに超えてる。中絶は従来の法律通り禁止だから生まれて直ぐ施設に預けないといけないね。どの道、母親に育児権は認められないね」
「でもさ、もし旦那さんが死んでもうたら?その場合はどうなるんよ?」
「それは死亡証明書があれば問題ないよ。本来旦那さんが担わないといけない負担を奥さんが背負う事になるから試験の採点は若干厳しくなるけど、その分国から手厚い補助も約束されてる」
「…けどあんまりちゃう?男女なんて色んな事情あるやん?せやのに男が賛成せぇへんかったからって母親から子供奪うやなんて」
「…」
ジュンの表情に憂い気が増す。
「元々は急増してた幼児虐待を防止するために制定された免許だったんだよ。怪我して入院する子や亡くなる子もいた。幼少期の虐待が原因で精神を病んだまま大人になった人が事件や犯罪を犯すってのも問題になってたんだ。家庭内の事だから監視も難しいし、躾と暴力の線引きも難しい。児童相談所や自治体の力ではどうする事も出来なかった…。だから産んでからじゃ遅い。その前にしっかりとした責任、能力、意欲、環境が整ってる夫婦にのみ出産と育児権を与える。そういう体制を敷く事で事件を未然に防ぐ目的だったんだ。それが家族免許さ」
「そら、分かるけどさ…」
シオリはひたすら泣き続ける妊婦を横目で見ながら心を潰される思いだった。
「だから試験や審査内容もきちんと考えられてる。収入票の提出や心理カウンセリングが組み込まれてるのもそういった理由。これまでの生い立ちも調べて今後精神病を発症する可能性は無いか、虐待に走る恐れは無いかを徹底的に調べ上げるんだ」
「でも…女でひとつで子供育ててる人だってぎょうさんおるやん。母親だけじゃまともな育児出来へんやなんて偏見ちゃうの?」
「勿論分かってるよ。でもやっぱり厳しいんだ。経済環境は勿論、そもそも片親っていうのは子供の情操教育上も好ましくない。親自身も心労が集って子供を虐待しがちになる。というより、冷静さを無くして躾と暴力の区別がつかなくなるらしいんだ。どこそこ見ても悪循環なんだよ。経済的窮地って理由から母親が自分の子供を殺した事件だってあったくらいだから。」
「…」
シオリの表情は釈然としなかった。
「付き合う相手は慎重に選びましょう、大人としてお互い責任あるお付き合いを。って戒めの意味もある」
「…あぁ~、もう胸クソ悪いわぁ!何でこんなことなんねん!大体自分が孕ました女捨てるやなんてそんな男死刑にしたらええねん!」
「まぁ、もし正等な理由無しで逃げたならその男は指名手配になるし、捕まったら即禁固刑。下手すれば10年。天罰が下るのを待つしかないね」
「…せやな。あぁそう言えば話変わるけど、ジュンさん最近ちょいちょい受付におれへんかったやないの?どこ行ってたん?」
「あぁ。ほら、例の殺人免許の事で…」
ジュンはシスターが申請に通過し、自分は研修の一環で講習等に時折参加している旨を伝えた。
「えぇぇ!?マジ?あのシスターさん、許可下りたん?相手誰なん?講習って何すんの?」
「いや、相手までは知らないよ。講習の内容も言えない。てか、この事自体機密事項なんだから絶対に他言しないでくれよ?」
「言わへんよー。てかホンマに申請通る事ってあんねんな?」
「俺も正直驚いたよ。世間に対しての後ろ盾制度だとばっかり思ってたけど」
「…ジュンさんは賛成なん?」
「ん?」
「殺人免許。制度としてさ」
「…そりゃ、ケースバイケースかな。こればっかりは何とも言えない」
ジュンは絵空事だと思っていた殺人免許発行の可能性が目の前に迫っている状況に遭遇し、制度について考える時間が多くなっていた。
しかしどんなに考えても答えは見つかる筈も無かった。
そして明日もまた、シスターと共に講習に同席する予定を控えているジュンはその思考をより一層深めるのだった。




