第十五幕 坐禅(後編)
…とその時、観音の背後にもう一点の光が見えた。遠かった光は急速にこちらに近づき、人型となった。
「偉大なる大勢至菩薩摩訶薩よ。果てしなき知恵の光で世界を照らし人々を地獄や迷いから救う偉大な菩薩よ。その大いなる叡智を讃えん。仁者の解き明かすところの世の理は、その隅々に至るまで真実なり」
もう一体の本尊、虚空蔵菩薩だった。
「マハアカーシャガルバ。偉大なる虚空蔵菩薩さま。もったいなきお言葉、身に甘んじてお受けいたします」
「偉大なる大勢至よ。仁者の解き明かすところのアーカーシャの波は縁起の記録なり」
「然り」
「偉大なる大勢至よ。仁者の解き明かすところの阿頼耶識に薫習されたる因縁の波動が、風輪の渦に巻かれし時、共業の時空と末那識の迷妄を透過し、色法の器世界として現前す」
(……くそっ、言葉が難しいな。待てよ、要するに、アーカーシャの関係性の記録の波が、交差して生まれた渦に巻き込まれた時、3.5次元時空間と自我の営みによって、物質化して世界を作り出す……そうか! アーカーシャの波は関係性の記録だ。その段階では目に見えるものではないんだ。高次元だしね。それが渦に巻き込まれた時、錯覚として生じるその3.5次元時空間の中に、初めて物質として顕現するんだ! それがこの3.5次元世界の正体なんだ!)
虚空蔵は、眞琴がすでに解き明かしたこととして語ったが、眞琴にしてみれば、いま初めて知った新事実だった。菩薩たちの住むところも、時間の制約のない高次元、ということだろうか。
さて、虚空蔵の言葉を整理すると、こういうことだ。
渦が自己参照ループを始めると、錯覚として3.5次元時空間と自我が生まれる。自我はその時空間の中に、五感を備えた肉体というアバターを置く。一方、「意識」はその一段高い次元にあって、絶えずアバターを操り、他者との接触や観測の共有に、この3.5次元時空間を利用している。
そして、この時空間そのものも、世界の関係性を記したアーカーシャの波から逐次情報を得ることで、初めて物質として具現化するのだ。
(ちょっと待てよ。それはつまり……どういうことだ? 僕は今まで「第六感」とか「虫の知らせ」とかいわれる時だけ、アーカーシャと繋がって情報をキャッチしてるんだと思っていたけど、そうじゃないのか? ずっと絶え間なく繋がっているってことにならないか!?)
「然り」
虚空蔵は眞琴の心の声もしっかり聞こえているようだ。
「虚空蔵が大勢至に応ず。窮め言えば如何なる分別も皆、直下の現量なり。そは阿頼耶識の波動と冥合せるが故の果なり」
(……要約すると、僕らはいろんなことを自分で判断しているように思っているけど、なんで?を繰り返して突き詰めていけば、必ず最後は「なんとなくそんな気がするから」という直感頼りの答えになる。つまり実は全ては理屈抜きの直感で世の中回ってるってことだ。それが絶えずアーカーシャと繋がってる何よりの証拠だ、と言ってるんだ)
眞琴の胸の中で、最後のパズルが音を立てて組み合わさった。
アーカーシャ、すなわち阿頼耶識。西洋ではアカシックレコードとも呼ばれる、世界の記録の海だ。そこにコンタクトすれば、過去のことも未来のことも、世界のあらゆることが分かるという。シンクロニシティやデジャヴ、インスピレーションなどもアーカーシャと接続した結果起こる現象と言われている。アーカーシャ自体が、物質化なんてナンセンスに思えるほどの高い次元に広がる海なのだ。そこには時間の流れもないし、前後上下左右なんて窮屈な空間もない。
(僕らは、普段はアーカーシャから切り離れていると思ってたけど、それは大きな間違いなんだ。むしろ逆で、この世界は、その全ての物や、全ての出来事は、絶え間なく流れてくるアーカーシャからの情報によって逐次生成されているんだ。つまりこの世界はまさしくアーカーシャの波が3.5次元に具現化してる世界なんだ。この自己参照ループで形成された錯覚の世界は、実はアーカーシャの箱庭だったんだ!)
「然り。大いなる大勢至菩薩摩訶薩よ。この言説の応酬もまた、阿頼耶識に刻まれし種子の共鳴に過ぎず。我は今、御身を通してアーカーシャの含蔵識と対話せるなり」
虚空蔵菩薩は微笑み、手に持った宝珠を軽く掲げた。
(そ、そうか! いまこうして、僕が瞑想の中で、自分の末那識が作り出した菩薩たちと会話して、知らないことを教えてもらったりしていること自体も、僕の末那識がアーカーシャと繋がっているから成立してるんだ)
眞琴は心の底から納得した。境界線など、初めから存在しなかったのだ。
アーカーシャに発生した渦が、勝手に世界と自分を切り分け、3.5次元という狭い箱庭のなかにアバターを投影していただけで、自身の本質——この意識の根底は、片時も途切れることなくアーカーシャの深淵とつながり、世界そのものを一瞬一瞬ごとに生成し続けていたのだから。
眞琴はもう一つ、ずっと頭の隅に引っ掛かっていることについても聞くことにした。そう、ホットケーキを食べながら伽羅に指摘されてから、ずっと解けなかった謎だ。
「偉大なる虚空蔵菩薩摩訶薩よ。大勢至が虚空蔵に問う。夢と現実に、何れの差別か有らん」
すると虚空蔵菩薩は、歓喜に満ちた表情をして静かに答えた。
「虚空蔵が大勢至に応ず。夢の中は但受領するのみ。寤の時は即ち観照を為す」
(な、なんと!そうか、そうだったんだ!僕は大きな勘違いをしていた。僕は夢も現実も条件は同じだと考えていた。だから答えが出せなかったんだ。でも真実は違った。夢はただ「受領」すなわち「受信」するのみ、つまりアーカーシャの情報をただ受け取るのみ。一方、現実は「観照」すなわち「観測」、つまり観て測る。観察といってもいい。認知して見定めるってことだ。僕らは意識していないけれど、夢と現実では、同じ「見る」でも根本的に事象の本質が違うんだ。
夢の中の配達員は、そこに「いた」のではなく、ただ受信されていたにすぎないんだ。こちらを観測し返す者ではなかったから、あの夢は夢で終わった……)
虚空蔵菩薩は穏やかに微笑み、その智慧に満ちた眼差しを眞琴に向けた。
眞琴は世界の理を知るにつれ、いつしか菩薩の難解な言葉も、現代の言葉に訳さずともすっと理解できるようになっていた。
「偉大なる大勢至よ。虚空蔵がさらに大勢至に応えよう。
「受領」という相はただ、影のように幻を映すのみ。それゆえに、ただ受領しても、物質を確定させることはできない。
一方、「観測」という智は、自らの眼を開いて世界を照らし合わせ、その存在を実体として確定する。
さらに、「個」としての垣根を超え、他者と相互に観測を共有すれば、我々の存在はダイヤモンドのように絶対的な強度を得る。
そしてこの「観測」という行為は、過去から未来へ流れる一方通行の時間軸を持った物質世界(3.5次元時空間)においてのみ、成立が可能なのだ。
つまりこの3.5という数字は、そのすべての現象を「観測」し、確定させることのできる次元の上限なのだよ」
虚空蔵菩薩の宣うその言葉は、アーカーシャの深淵から響く鐘の音の如く、眞琴の魂の奥底へと染み入っていった。
虚空蔵菩薩はさらに光を放ち、悠然とした声で眞琴に告げた。
「偉大なる大勢至よ。虚空蔵がさらにさらに大勢至に応えよう。
一方、自我が「私はここにいる」という「個」としての意識を維持させるためには、どうしてもこの3.5次元時空間が必要なのだよ。
なぜなら、もし時間軸が双方向の完全な形、つまり過去・現在・未来を自由に行ったり来たりできるとなれば、すべての他者の視点や、あり得たかもしれない別の人生の可能性がすべて見通せてしまうので、「いま、特定のこれを選び取っている私」という自我の輪郭は、たちまちに溶け失せてしまうからなのだよ。
先に申した通り、この3.5次元の時空間そのものも、自我による観測の働きがなければ具現化することができない。
つまり、渦の自己参照ループより同時に発生する「自我」と「3.5次元時空間」とは、表裏一体で切り離すことのできないものなのだよ」
眞琴は打ちのめされていた。あまりにも完璧な世界の構造。眞琴がこれまで気づき、思索してきたことのすべてがことごとく絡み合って、これほど隙のないこの世界のカラクリとして、見事に解き明かされてしまった。時間が一方通行であることが観測共有の条件なのだ。そして自我と時空間は表裏一体だったのだ。
眞琴は最後の力を振り絞るようにもう一つ質問をした。
「偉大なる菩薩摩訶薩たちよ。大勢至が汝らに問う。いわゆる「変性意識状態」とは何か」
虚空蔵菩薩は満面の笑みを浮かべた。最後の問いには観世音菩薩が答えた。
「観世音が大いなる大勢至に応じます。大勢至よ。それは渦の回転が異常に速まる状態のことです。それによって、自己参照ループのフォーカスが拡大し、「自分」としての認識エリアが拡張するのです。その結果、梵我一如(宇宙との一体感)を体現し得るのです。大勢至よ。まさに今、あなたはその境地に到達なされました」
眞琴は光となって宙に浮いていた。その思考は雲ひとつなく冴え渡り、世界の隅々までも見渡せそうだった。いま眞琴は全知全能の叡智を纏っていた。
胸の奥から湧き上がるのは、歓喜というよりも、すべてを包み込むような静かな凪だった。
まぶたの裏の暗闇に漂う千手観音の千の眼も、虚空蔵菩薩が掲げる宝珠の柔らかな光も、いまや完全に自分自身と溶け合い、ひとつの壮大な波動として響き合っている。
「さあ、すべてを理解した偉大なる大勢至菩薩摩訶薩よ」
千手観音の朗々とした声が、言葉としてではなく、空間そのものを震わせる重低音となって響いた。
「うむ。偉大なる大勢至よ。その窮屈な肉体から脱して、今こそ観られるとよい。この3.5次元時空間の奥底に揺らめく、真実の姿を!」
虚空蔵菩薩が静かに掲げた宝珠が、かっと眩い光を放った。
その光芒は、暗闇の空間に幾何学の線となって走り、暗黒のキャンバスの上に、恐ろしいほどの密度と鮮烈さで一枚の巨大な図像を描き出していく。
——それは極彩色のチベット曼荼羅だった。
真紅、群青、金箔、鮮烈な緑彩。
無数の円が幾重にも重なり合い、その渦の中心には厳然とした方丈(四角形)の区画が描かれている。さらにその内部には、寸分の狂いもなく配列された無数の諸仏や諸尊の姿。
(……そうか、これが……! これが、あの曼荼羅の正体なんだ!)
眞琴の胸に、激しい衝撃が走った。
単なる関係性の記録、何のかたちも持たないアーカーシャの情報の波。それが「渦」という自己参照ループに巻き込まれた時、幾何学的な秩序を伴って整理され、この3.5次元の物質世界へと具現化していく——その変換システムそのものを、先人たちはあの一枚の極彩色の図像として書き表していたのだ。
幾重もの円は「阿頼耶識に発生した渦の派流」であり、中央の方丈は、人間が時空間と錯覚する物質世界の規範そのもの。無数の仏たちは、その構造の中で相互に影響し合う万物の関係性を表している。
「見られよ、偉大なる大勢至よ。アーカーシャの波より立ち現れる様子を描いた極彩色のこの図こそ、観測共有の織りなす世界の理なのだ」
虚空蔵の宝珠から放たれた光芒が曼荼羅の中心を穿つと、その平面に描かれた幾重もの円が、激しく回転を始めた。
ぐるぐると速度を増していく円の渦。極彩色の幾何学模様が光の帯となって溶け合い、そのまま巨大なひとつの「螺旋の渦」へと変貌していく。
曼荼羅という変換装置の渦に吸い込まれるように、眞琴(大勢至)の意識は極彩色の図様を突き抜け、その背景にある「全情報が解き放たれた真の領域」へと一気に躍り出た。
——そこは、言葉を絶する大宇宙だった。
前後も上下もなく、時間すらもその絶対的な意味を失った無辺の漆黒。
その深淵のただ中に、幾千億もの銀河の群れが、圧倒的な質量と光を放ちながら浮かんでいた。
青白く燃え上がる渦巻銀河、黄金色に輝く楕円銀河、星々が散りばめられたようなクラスター。それらは、人間がレンズ越しに覗き込むような静止した点などではない。幾億年という壮大な時間を一瞬に凝縮したかのように、生き生きとした巨大な呼吸を繰り返していた。
遥か彼方で、重力の微かな揺らぎが巨大な高密度ガスを紡ぎ直し、真新しい星々が眩い産声を上げて閃光を散らす。
その傍らでは、命脈を使い果たした超巨星が壮絶な超新星爆発を起こし、内包していた重金属やプラズマの塵を、まるで光の華を咲かせるように四方八方の暗黒へと撒き散らしていた。
宇宙の全天を覆い尽くす星々の大河。数十億光年にわたって網の目のように連なる超銀河団の巨大な構造体。それらの輝かしい幾何学の網目は、まさに先ほど目にした曼荼羅の幾何学模様そのものだった。
「さあ! 観ずるが良い、大勢至よ」
虚空蔵菩薩が静かに宝珠を掲げると、漆黒の宇宙の只中に、一筋の光のモヤ——まだ何者でもない「確率の波」がたゆたい始めた。
そこには、時間の流れもなければ、幾億光年という距離の縛りもない。波は過去から未来へと流れているのではなく、時空を超越した高次元の領域に、ただあらゆる可能性の重ね合わせとして漂っている。数十億年前に放たれたはずの光は、いまだ「どちらの道筋を通ってきたか」という歴史すら持たずに漂っているのだ。
「大勢至よ。これこそが、観測される前の世界の素顔なり」
虚空蔵が囁く。誰にも観測されていない状態の世界の素顔……!!
「そう。大勢至よ。これに視線を注いで、その存在を確定させるのが——私の役目です」
千手観音の背後に広がる四十二本の手のひら、そこに並ぶ千の眼が一斉に瞬き、その未確定の光の波へと視線(観測)を注ぎ込んだ。
——その瞬間!
時空を超えて漂っていた光のモヤが、まるで動画を逆回転させたかのように集結して形を成した。それはカチリと音を立てるように一点に収縮し、眩い一粒の物質(星)となって宇宙の暗黒に実体化した。
それだけではない。星が実体化した瞬間、その星が数十億年かけて歩んできた歴史や、広大な宇宙の中で幾多もの重力レンズに進路を曲げられながら届いてきた光の軌跡が、「今」というこの一瞬の観測を起点にして、過去へ過去へと遡行するようにピシリピシリと一瞬で確定し、銀河の歴史として書き込まれていく。
(……ッ! これは……! 観測した瞬間に現在だけでなく過去までもが時空間に拘束される! すごい……これが降格作業の真の姿なんだ……! )
眞琴は宇宙のスケールで見せつけられた現象に息を呑んだ。
人間は、物質が過去から現在へと時間の流れに沿って組み立てられていると思っている。だがそれは逆なのだ。
物質も、過去の歴史すらも、時空の縛りのない高次元に「情報の可能性」としてストックされている。それが「観測」という相互作用の引き金を引き、3.5次元というスクリーンに触れたその瞬間に、今この場所の現実だけでなく、そこに至る過去の歴史までがセットで一瞬にして具現化されるのだ!
「……然り、偉大なる大勢至菩薩摩訶薩よ」
虚空蔵と千手観音が、全宇宙の星々の輝きを背景に静かに微笑みかける。
「あなたが解き明かす通りです。ご自身が「いま・ここ」で観測し、選択するその一瞬こそが、アーカーシャの海から、今だけでなく過去をも紡ぎ出して、この箱庭をこうして目の前に形にしていく真実の鍵なのです」
眞琴は言葉を失っていた。この宇宙の全てが奇跡に思えた。「アーカーシャという未知の力場は万事を記録する性質を持つ」という、ルールとしてあるのは最初のたったそれだけだった。すべてはそこから始まって、この宇宙の全てがドミノのような因果をもって展開しているのだ。そのあまりにも壮大で、あまりにも常識を覆す真実を目の当たりにして、眞琴は驚きと畏怖の念に押しつぶされそうになりながら、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「偉大なる大勢至菩薩摩訶薩よ。あなたが解き明かす世の理は、その隅々に至るまで真実です(である)」
その最後の言葉は、観音と虚空蔵の声がひとつに重なり、この空間の果てまで幾度も響き渡ったのち、静寂の中へと消えていった。
そして意識が静かに霧散していく。
全知全能の叡智を纏い、大宇宙の創発そのものを目撃していた大勢至菩薩としての壮大な意識が、ゆっくりと闇に溶けていく。
観音も虚空蔵も、周りを取り囲んでいた宇宙も、徐々にその輪郭を失い、深い暗闇の彼方へと消えていく。
だが、眞琴の魂は、いまも激しい戦慄に支配されたままだった。
――ぞっとするほどの、真実の質量。
臨死体験をきっかけに、取り憑かれたように解き明かしてきた青臭く拙い仮説の数々。それらがいま、目の前で全宇宙の構造として組み上がり、ことごとく証明されてしまった。
そして、菩薩たちの口から明かされた、想像をはるかに絶する宇宙のメカニズム。
それは、眞琴の知性がようやく辿り着いた答えであると同時に、その知性の及ぶ範囲など、あまりにも小さなものでしかなかったことを突きつける、途方もない真実だった。
全身の毛穴が逆立つ。魂の奥底から、冷たいものが込み上げてくる。
(……なんということだ。僕たちは……僕は、一体どんな壮大な仕組みの中で生きているんだ……!?)
理解できたという喜びも、長年の謎が解けた安堵も、とうに通り越していた。
ただ、知性の限界を遥かに超えた真理の深淵を覗き込んでしまった者だけが知る、圧倒的な畏怖。その底知れぬ世界の重みが、眞琴の魂をいつまでも震わせていた。
やがて、大宇宙の最後の光芒が闇に呑まれた。
何も見えない。何も聞こえない。それでも、いま見たものは消えなかった。
宇宙の素顔。その途方もない仕組み。そして、自分がその中で生きているという、疑いようのない事実。それらだけが、深い闇の底に、確かな手触りを伴って残されていた。
静寂が、辺りを包み直した。
(……あぁ)
眞琴は、ゆっくりと息を吸った。
鼻腔をくすぐるのは、本堂の欅の古木が放つ薫香と、外から漂う夏の夜の湿った青葉の匂い。肌を撫でる夜風の、なんと優しく、なんと生々しいことか。さっきまで、あれほど巨大な宇宙のただ中にいたというのに。いま、自分の胸を満たしているのは、ただ一息の空気だった。
どこか遠くで、虫の声がしていた。眞琴はもう一度、ゆっくりと深く息を吸い、吐いた。瞑想を始めてから、どれほどの時間が経ったのだろう。
確かなことは、一つだけだった。もう、以前の自分には戻れない。胸の奥に、一生消えることのない確信が、静かに、しかし決定的に刻み込まれていた。
膝の上で握りしめた両手は、びっしょりと汗に濡れていた。ゆっくりと両手を胸の前まで持ち上げ、眞琴は深々と合掌した。その瞬間、眞琴の心に、とてつもなく大きな感謝の念が押し寄せてきた。何に対しての感謝なのか、わからなかった。ただ、どうしようもなく、ありがたかった。何が、どうありがたいのか。それすらもわからない。
ふと、遠い昔の記憶が蘇った。あのときも、そうだった。臨死体験を終え、再びこの世界に戻ってこられたとき。あのときもまた、眞琴は、この得体の知れない感謝の念に圧倒されたのだった。
あれから、どれほどの時間が流れただろう。いま再び、同じ感情が眞琴の胸を満たしていた。まるで、自分という存在の奥底から、尽きることのない何かが湧き上がってくるかのように。
眞琴はゆっくり目を開けた。大きな感動と、得体のわからない感謝の気持ちで、その目には涙が溢れていた。
ふと前を見ると、薄暗い本堂のなか、二体の木彫りの尊像は、何一つ変わらず、須弥壇の奥から静かにこちらを見下ろしていた。
【気づき】
《肉体と意識》……私たちの肉体とは「私」のすべてではなく、3.5次元という限定された箱庭で他者と出会うために設置されたアバターであり、意識はその一つ高い次元から絶えず肉体を操り世界を観測している本体そのものなのではないか。
《物質世界》……物質世界(色法の器世界)とは最初から固定されて存在するのではなく、アーカーシャの情報(関係性の記録)が渦の「自己参照ループ」に巻き込まれ、錯覚としての3.5次元時空間が生まれた瞬間に初めて具現化する現象なのではないか。
《阿頼耶識に常時接続》……私たちは普段アーカーシャから切り離されているのではなく、むしろ絶え間なく流れ込む阿頼耶識の情報によって一瞬一瞬の世界が生成されており、日常の「直感」こそが常時接続し続けている何よりの証拠なのではないか。
《受領と観照》……夢と現実の本質的な違いとは単なる鮮明さではなく、一方はただ情報を一方的に受け取るだけの「受領」であり、もう一方は互いの存在を実体として確定させる「観測」のシステムであるという点にこそあるのではないか。
《自我と物質世界》……私たちが生きる3.5次元時空間と「私」という自我とは切り離された別物ではなく、自己参照ループによって発生し、互いが互いを維持し観測し合うために同時に生成された表裏一体の錯覚なのではないか。
《曼荼羅》……幾重もの円や諸仏が描かれたチベット曼荼羅の正体とは、何のかたちもないアーカーシャの波が渦に巻き込まれ、この3.5次元の物質世界へと具現化していく変換システムそのものを図像化したものなのではないか。
《観測の過去創造》……物質や過去の歴史はあらかじめ客観的に存在しているのではなく、私たちが「いま・ここ」で観測の引き金を引いたその瞬間に、そこに至るまでの因果の歴史を一瞬にして遡行し紡ぎ出しているのではないか。




