第十三幕 電車の中
水族館をあとにする頃には、満開の桜が立ち並ぶ港町も、しっとりとした黄昏に包まれ始めていた。
春の陽光もついに水平線の彼方へと落ちかけて、潮風の香る街並みには、ぽつりぽつりとオレンジ色の街灯が灯り始めている。かつての昼の眩しさは、朧げな空色から深みを帯びた茜色へと移ろう夕暮れの気配へと溶け込んでいた。
帰りの電車の、すっかり空いたロングシートに、二人は肩を寄せ合うようにして並んで腰掛けていた。
一日歩き回ったあとの心地よい疲労感が、ゆっくりと身体の奥へと染み渡っていく。傾いた春の日差しが、黄金色の優しい光となって車内に静かに差し込み、二人と空間全体を柔らかく包み込んでいた。車内の乗客の姿もまばらで、どこか浮世から切り離されたような独特の静寂が満ちている。ガタン、ゴトン、と規則正しく線路を刻む車輪の振動と、遠くでかすかに響くモーターの重低音。その心地よい揺れだけが、時間を静かに前へと運んでいく。
隣に座る伽羅は、車窓に映る暮れなずむ空の景色と、そこを流れていく遠くの街明かりを静かに見つめていた。オレンジや白の光の粒が、彼女の大きな瞳の中に浮かんでは消え、幻想的な軌跡を描いていく。
その繊細で美しい横顔を、眞琴は言葉もなく密かに見つめていた――。
窓ガラスを滑っていく街灯の微光が、彼女の長い睫毛や、すっきりと通った鼻筋、柔らかそうな唇の輪郭を優しく浮き彫りにする。
眞琴はあらためて、今日の伽羅はいつにも増して「美しい」と思ってしまった。その可憐で大人びた佇まいを目に焼き付けるたび、眞琴の胸の奥で、青くさくも激しい情熱が爆発的に膨れ上がろうとする。それはただの幼馴染に対する親愛や保護欲などという言葉では誤魔化しきれない。
車内の揺れに合わせて、ふいに触れ合う肩の温もり。自分を見つめ返してくる時の、あの優しく揺れる瞳。そして、今日見せてくれた無邪気で気立ての良い笑顔。いまその想いの正体を正面から直視などすれば、この理性を繋ぎ止めているタガは、たやすく外れるだろう。そうなれば溢れ出した感情が、たちまち恋の情動となって、自分を飲み込んでしまうのが目に見えていた。
自由な意思をもつ一人の男として、自惚れかもしれないが、伽羅もまた、自分に対して単なる「歳の離れた幼馴染」以上の特別な好意を寄せてくれている――そんな甘やかな確信が、微かな現実味を帯びて脳裏をかすめる。
だが――自責と葛藤が、またもや鋭い毒針となって胸を刺した。大人の女性としての輝きと魅力を増していく伽羅。九歳という年齢の差は、これから彼女が描くはずの未来において、決して小さくない隔たりとなって立ちはだかる。
本当なら、もっと相応しい、彼女を幸せにできる同世代の男がいるはずなのだ。それなのに、幼馴染という安全で心地よい立場に甘え、彼女の自分に対する無警戒な親愛に付け込んで、彼女の貴重な時間を独占してしまっているのではないか。恋愛には奥手な眞琴には、この想いを口にして関係を進めてしまうことなんてできなかった。彼にとってそれは、彼女の可能性を奪う不誠実で身勝手なことに思えたからだ。
自分たちの存在も、この時空間も、すべては合わせ鏡のバグが生み出した泡沫の錯覚にすぎない――今日、水族館の闇の中でそこまで世界の仕組みを悟ったはずなのに。目の前の彼女を思う個人的な執着だけが、どうしようもないほど生々しく胸を焦がしている。
世界の虚無を暴いたはずの頭脳が、ひとりの女性の横顔の前ではあまりにも無力で、愚かだった。
彼女の未来を想うからこそ一歩を踏み出せない。
そうして、眞琴はいつものように自分の恋心へ静かに蓋をした。この恋心は、もういつか分からないほどの遥か昔から、その胸に巣くっているのかもしれなかった。けれど眞琴は、いつもこの得体の分からない感情から距離を置くことで、自分を保とうとする。――それが、物心つく前から、これほどの愛らしく美しい女性が、いつもこれほどすぐ近くにいるという、実に危うい状況に対処するための、無意識に染み付いた彼の「癖」になっているのだった。
そうやって恋心を押し殺す思考の裏で、いま眞琴の脳裏では、水族館の合わせ鏡の前で爆発したあの「世界の仕組み」が、さらに恐ろしいほどのスケールへと拡張され、決定的な形を成そうとしていた。
電車は海沿いを離れて市街地へと入っていく。夕焼けの赤も薄れ、空は群青から黒に塗り替えられていく。目を落とせば、ぽつりぽつりと明かりがともりだした灰紫色のビルや民家が途切れなく流れていく。カンカンと鳴る踏切の警報器が通り過ぎる。走る車のテールランプがおぼろげな景色に滲んで光る。そんな逢魔時の灯りを眺めながら、眞琴はこの世界の「次元」についての思索を深めていく。
常識的には、この現実世界は、縦・横・高さの「3次元空間」に、過去から未来へ流れる「時間軸」を足した「4次元時空間」とされる。
けれど、時間軸は片方通行なのだ。もしこの世界の他者との共有度や不自由さを表すなら、それは4次元ではなく、3.5次元だ。この世界は、他者と観測共有できる限界としての、たったの「3.5次元時空間」の箱庭にすぎない。
(だけど……本当にそれだけなのか?)
電車は山間部に入り、うなるモーターと車輪の微かな軋み音を発しながらいくつかの急峻なカーブを通り過ぎる。窓から落ちる灯りに照らされた樹々や田園風景がぐるりと回り込むように流れていく。
(夢の中では、時間や空間の制約なしに自由に思ったところに行ける……。人間はみんな、この重たく不自由な3.5次元の箱の中に閉じ込められていると思い込んでいる。肉体という物質の檻に縛られ、過去から未来への時間の流れに押し流されている、ちっぽけな存在だと……)
その時、眞琴の脳裏に目が眩むほどの稲妻が走った。
「――違う。逆だ、そうか!」
眞琴は目を見開いて驚愕し、膝の上で両手の拳を強く握りしめた。誰もが日常的に驚くはずの、けれど誰もが盲点として見落としている壮大な真実が、大々的に浮き彫りになっていく。
人間の「意識」は、眠って夢を見ている時や瞑想をしている時、時間や空間の制約をたやすく飛び越えて、自由自在に展開している。それはつまり、この現実よりも制約のない遥かに高い次元の世界。我々の「意識」がいる場所こそが高次元の世界なのか……!
そして驚くべきことに、その意識は、こうして普通に目覚めて生活している「今この瞬間」も、ちゃんとここに、いるではないか!!
それもその高い次元の場所(覚醒意識の次元)のままで! 我々の意識は、覚醒している時も何一つ、この不自由な3.5次元という低次元へと降りてなどいないのだ!!
ーー一般に古くからよく譬喩される「次元の非対称性」という考えがある。
高い次元からは、低い次元のすべてを見通せるが、低い次元からは、高い次元の姿を捉えることができない、という考えである。具体的には、例えば3次元の我々が、2次元の紙に描かれた絵を上からすべて見通せるのに対し、紙の上という2次元の世界からは、3次元の住人の姿を捉えることができない、というロジックだ。
人間の肉体にある「視覚」や「触覚」といった感覚器官は、この3.5次元の物質世界に対応した、いわば低次元のハードウェアなのだ。だから、肉体の眼からは、自分の意識という高次元の実像を捉えることができない、ただそれだけのことなのではないか。捉えられないから、みんなそこに「ない」と思い込んでいるにすぎないのではないか。
そうだとするならば、本当の真実は、こうだ。
「意識」は、物質という箱の中に閉じ込められているのではない。
「意識」は、物質世界よりも「明確に一つ以上上の次元ベクトル」として、今この瞬間もリアルタイムで、この現実世界の構築に直接参加しているのだ!
眞琴は窓ガラスに映る自分の目を見つめた。
(僕たちが見ているこの現実世界、この共有世界とも呼べる場所は、ただの物質が転がっている3.5次元の冷たい箱なんかじゃない。
そこに生きる無数の人たちの「意識」という高次元ベクトルが、リアルタイムで物質の網目と重なり合い、織りなされ、ハイブリッドとして編み上げられている、いわば「複合次元空間」なんだ!)
誰もが驚く仮説が、見事にそこに成り立った。
この現実世界は、物質だけでできているのではない。人の「心(意識)」そのものが、この世界の物理的な空間を縦・横・高さ・時間とともに形づくり、固定し、支えている、厳然たるもう一つの次元であり、もう一つの構成要素そのものではないか!
すっかり暗くなった車窓は暗い鏡となって、向かいの誰もいないシートと、隣り合って座る二人のシルエットを静かに映し出している。伽羅は目を瞑ってじっと隣で座っている。実体と影が重なり合うそのガラスの向こうを、漆黒の夜の闇が飛沫のように過ぎ去っていく。
そしてその時、思索し続ける眞琴の脳裏に、また新たな疑問が生まれた。もしそうだとするなら――では人々が日常的に行っている「コミュニケーション」の正体は何だ?
電車の滑走する音を聞きながら、眞琴の思考は、さらにその核心へと踏み込んでいく。
人間は言葉を交わし、身振りを交え、互いの認識をすり合わせる。それは単なる情報の伝達ではない。それはきっと、この3.5次元時空間を強固に構築するために、他者と「観測を共有する」という明確な目的を持った、超次元的な儀式なのだ。
高次元にある広大なイメージを、わざわざ不自由な低次元へと押し込める行為。それは、莫大な精神力を費やして行われる、いわば「次元の降格作業」に他ならない。
脳を絞り、声を震わせ、おしゃべりすることやギターを弾くこともそうだ。様々な手段を用いて、僕たちは高次なる意識の内界にあるイメージを、一つ下の次元で表現できる形へと変換し、外の世界へと必死に伝えている。
(そうか、そういうことか……)
眞琴は、自分が行き着いた結論のあまりのスケールに、眩暈に似た高揚感を覚えた。
つまりこういうことである。人が覚醒している時、その人の本体である「意識」は、この3.5次元時空間のすぐ一つ上の次元にぴったりと張り付くように展開しているのだ。
そこは、この不自由な箱庭を外側から構築し、俯瞰する場所。人間は3.5次元という物質の世界に「肉体」というアバターを設置し、「意識」はそれと表裏一体となって、常に上から「降格作業」というコマンドを送り込むことで、この重たい物質の塊を不器用に、けれど執拗に操作しているのだ。
だとすれば、人々が当たり前のように受け入れているこの「目覚めている(覚醒している)状態」の意識の領域こそが、遥かなる高次元世界の、まさにグラウンドフロアそのものなのではないか。人間は物質の檻に閉じ込められているどころか、今この瞬間も、高次元の入り口に片足を踏み入れたまま生きている。
不意に、トン、と肩に心地よい重みが落ちてきた。
「……ん……」
小さく吐息を漏らし、伽羅がすうすうと規則正しい寝息を立てながら、眞琴の左肩に頭を預けてきた。柔らかい髪が眞琴の頬にかかり、甘い体温が衣服越しにダイレクトに伝わってくる。
(あ……寝ちゃったのかな……)
一瞬で眞琴の思考の濁流がストップし、全身の皮膚感覚が、彼女の触れている左肩一点へと収束していく。
(……可愛い。今日一日、僕の難解な話にずっと付き合ってくれて、疲れちゃったんだな……)
眞琴は胸の奥がキュッと締め付けられるような愛おしさを覚える。
しかし次の瞬間、眞琴の覚醒した頭脳は、この「肌の触れ合い」によって、先ほどの高次元理論をさらに綿密な体感として検証し始めてしまっていた。
(僕たちが日常的に行っている意思交流、つまりこのなんとも愛おしい「スキンシップ」や、何気ない会話なんかのいわゆる「コミュニケーション」は、観測共有を目的とする、意識から肉体に次元降格し、また肉体から意識に次元昇格する、つまり、「物質界」と「意識界」の間の「次元間のシフト作業」なんだ)
眞琴は天啓のように降りてきたこの気づきに、もはや畏れを感じて震えが止まらなかった。はずなのだが……
(……待てよ。僕はいま、彼女の「頭の重み」や「温もり」を、左肩の触覚(3.5次元)で感じている。だけど、僕の胸の中で激しく波打っているこの「愛おしさ」や「切なさ」……この強烈な感情の座は、一体「どこ」にあるんだ?)
……心臓が早鐘を打つ。左肩の肉体感覚(低次元)と、胸の奥で爆発している情動(高次元)。その二つは明らかに「別の次元の座標」に存在している。(僕は……今この瞬間、伽羅の体温という物理現象を触媒にして、高次元の意識領域から、彼女という存在を観測しているんだ。肉体という操縦席(3.5次元)を通じて、すぐ真上の高次元から、彼女の魂の輪郭を抱きしめて……!)
その高次からの観測が強烈であればあるほど――低次元の肉体器官である心臓が、バクバクと暴走するように鼓動を強めていく。
(くそっ……心臓の音が大きすぎる。肩を通じて、伽羅にこの鼓動が聞こえてしまうんじゃないか……!?)
背徳感と情熱の狭間で、眞琴の体温は一気に跳ね上がっていくのだった。
◇
(……ふふ。眞琴の肩、すごく温かい)
伽羅は、閉じた瞼の裏で、密かに口元が緩んでしまうのを必死で耐えていた。
もちろん、起きていた。寝たふりをして、そっと彼の肩に頭を乗せたのだ。
(あ、心臓の音……すごく速くなってる。眞琴、緊張してるのかな……)
規則的な電車の揺れに混ざって、自分の頬に伝わってくる眞琴の鼓動。それがドクドクと速く、強くなっていくのが手に取るようにわかる。
伽羅は目をつむったまま、自分の「意識」が不思議な感覚とともに、身体の外へと広がっていくのを感じていた。
(なんだろう、これ……。気持ちいい。目をつむって、体を動かさないでいると……自分が「どこ」にいるのか分からなくなる)
伽羅は理屈や難しい言葉は知らない。けれど、彼女の鋭い直感は、今まさに眞琴が思考している真理と、全く同じ領域へと足を踏み入れ始めていた。
(私の体は、電車のシートの上に座っていて、眞琴の肩に頭を預けてる。だけど……いま眞琴のことを「愛おしい」「ずっとこうしていたい」と思ってる私の「心」は、この体の中には収まっていない)
身体の外側。眞琴と自分を優しく包み込んでいる、もっと広くて温かい「空間」のような場所。
そこに自分の意識がふわっと広がっていて、上から眞琴と自分の二人を、そっと抱きしめているような感覚。
(……あ、そうか。眞琴がよく言ってる「自我」とか「心」って、体の中に閉じ込められているものではないんだ。私の心は、眞琴の心と、この体よりもずっと高いところで、最初からちゃんと繋がっている……)
だからこそ、言葉なんて交わさなくても伝わってくる。
彼が自分をどれほど愛おしく思ってくれているか。そして、どれほど真面目に、九歳という年の差や自分の未来を気にして、一人で葛藤し、踏み出せずにいるのかが。
(……バカだなあ、眞琴は)
伽羅の胸の奥が、愛おしさでキュンと痛む。
(三十五歳だから何だというのだろう? 九歳離れてるから何? 私は、難しく考えすぎて照れてる眞琴のことが、こんなに大好きなのだ。……こんなに心臓をバクバクさせて、私のことを考えてくれてるくせに)
伽羅は寝たふりを続けながら、そっと眞琴の肩に体重をもう少しだけ預けてみた。
トクン、と眞琴の心臓が大きく跳ねる気配が伝わってくる。
(あ、また早くなった。……本当はね、眞琴。私、起きてるんだよ。私たちが今、身体の向こう側のすごーく高いところで、ちゃんとお互いを見つめ合ってること、私だってちゃんと分かってるんだから)
二人は一言も言葉を交わさない。
ガタゴトと響く電車の規則的な振動の中。
眞琴は論理という鋭利な刃で世界の次元を解き明かしながら、伽羅の体温に翻弄され、伽羅は素肌の温もりと直感という優しい光で世界の次元を感じ取りながら、眞琴の愛おしい葛藤を抱きしめていた。
3.5次元の冷たい物質世界を遥かに越えた、ふたりだけの高次元領域で。互いの存在という名の猛烈なフィードバックのループが、永遠のように静かに、けれど熱く火花を散らし続けていた。
【気づき】
《3.5次元字空間》……時間が片方向へしか流れず、意識を現世に繋ぎ止めるための重荷として機能している以上、この世界を四次元時空間ではなく、不完全に制限された「3.5次元」の箱庭と捉えるべきではないか。
《複合次元空間》……私たちが生きるこの現実世界とは冷たい物質の箱などではなく、肉体のある3.5次元の物質界に、一つ上の高次元に存在する無数の「意識」がリアルタイムで重なり合い、織りなされている「複合次元空間」なのではないか。
《コミュニケーション》……人々が言葉を交わし触れ合う「コミュニケーション」の真髄とは、単なる情報の伝達ではなく、高次元にある広大なイメージを不自由な現実へと落とし込み、互いの世界を固定し合う「次元間の昇降作業」なのではないか。
《次元シフト》……私たちが言葉を交わし、互いに肌を触れ合わせるコミュニケーションの正体とは、単なる情報の伝達ではなく、物質界と意識界の境界を往来し、高次元の想いを現実の形へと翻訳するダイナミックな「次元シフトの営み」なのではないか。
《グランドフロア》……人間は不自由な物質の檻に閉じ込められているのではなく、日常の「目覚めている意識」そのものが高次元世界のグラウンドフロアであり、私たちは今この瞬間も高次元の入り口に立ったまま生きているのではないか。




