補講:神話は幻想文学なのか
神話は幻想文学ではないのか、という質問が来ていたので答えさせてもらいます。
神話は確かに「幻想的」ではあるのですが。幻想文学かと言うと難しくてですね。
例えば「ノアの方舟」を幻想文学だと言っちゃうと、「聖書に書かれていることが嘘だというのか!?」と怒る人が出てくるしょう。
これは他の民族の神話だったとしても、大変にマズいことになる。もう神話の解釈は色々とセンシティブなんですよ。
神話は事実だと言ったら、八岐大蛇が実在したのかという話になるし。八岐大蛇はメタファーだと言ったら、嘘だというのかと怒る人が出る。
そもそも古代に「神話創生期」みたいなのがあった。
古代だから、言語にあまり語彙がない。なので流れ星があったという記録も「女神が舞い降りた」と当時の俗語で書いたとする。もしかして、それが後に擬人化されて神話になったかもしれない。
神話は事実とも嘘ともメタファーとも断言できない。もう「神話とは神話である」以外の表現は難しいんです。
なので「神話は幻想文学だ」とも余り言えない。
そもそも神話は幻想文学として書かれてない。文学表現の発達の歴史で分かるんですが。大昔の文学には心理描写すらなかった。というのに、さらにその前の次代に、幻想を目的とした文学が書かれたかというと難しい。
もちろん結果的に「幻想的」になった文学ならありますが。なので「神話は幻想文学である」は違う。
じゃあ幻想文学とは何かというと。近代になり、科学的な物の見方というのが文学にも影響を与えるようになった。そこから社会をつぶさに描く「考証」という技法も生まれた。
その影で神話から続く「幻想的」なるものが、非科学的な下らないものとして扱われるようになった。
この「本当にないものを描くのは良くない」という思想。実は古代ギリシア、プラトンの詩人追放論から存在する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%A9%E4%BA%BA%E8%BF%BD%E6%94%BE%E8%AB%96
だからフィクションはけしからん。ましてや幻想文学なんて、もっとけしからん。
この延長が「ライトノベルなんて下らない」論なんでしょうね。老害は古代ギリシアから存在したわけです。
けど、科学的な物の見方が全てじゃない。失われつつある、神話の頃のような幻想を取り戻そうというムーブメントが起こった。その一つが幻想文学。
だけどボクは幻想文学が神話から進歩していると思っていて。なぜなら神話は結果的に幻想が生まれてるが。幻想文学は、あらゆる物の影に幻想を見る。
もしも幻想文学のモチーフは神話に限定されていたら、古臭い化石のままで終わっていただろう。けど幻想文学のデペイズマンは、あらゆる物を異化する。
例えば幻想文学で描こうと思ったら、テレビ、自転車、ロックスター、戦闘機と、現代的な物を扱うこともできる。
これは過去に囚われた神話には描けないものだ。
というわけで神話と幻想文学。比較的近いところを走っているけど。発祥、目的、目指すところと、全く違うよと。
まあ専門家だけが拘る差異ですけどね。説明しておきたかったので。
余談。
上記の意見は私個人のものではなく、いくつかの文献をまとめたものに過ぎません。この辺を参考にしました。
https://amzn.asia/d/032GfTPT
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https://comet-bc.stores.jp/items/684baaaee99ff90001b34c74




