表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/12

6話 戦闘

門を抜けた瞬間、街の音が一枚、剥がれ落ちた。


露店の呼び声も、金属を打つ音も、遠くのざわめきも、背中側に置いていかれる。代わりに耳に入るのは、車輪が土を噛む音と、風が草を撫でる音だけだ。空気が軽い。湿り気も、まだ薄い。


「ここからが森か?」


カイルが言う。


「正確には、森の入口だ」


俺は前を見たまま答える。


「安心するには早いが、慌てる必要もない」


レイヴァルト近郊の森は“管理されている”と呼ばれている。つまり、冒険者ギルドが定期的に討伐を回し、街道沿いは掃除されている。魔物が出ないわけじゃない。ただ、出ても増えにくい。


“浅いところは安全”――よくある言い回しだが、正確にはこうだ。

浅いところは、危険が「分かりやすい」。


草が踏まれている。木が間引かれている。見通しがある。逃げ道もある。人の匂いも濃い。魔物にとっては住みにくい。だから、よほど腹を空かせた個体か、知能の低い連中しか寄りつかない。


今日の相手はゴブリン。

知能が低く、群れる。弱いが、油断した人間を殺す程度の力はある。浅い森にいるのはだいたい、はぐれか、増え損ねだ。


「森の中に入ったら、喋るな」


俺が言うと、カイルは短く頷いた。


「了解」


余計な質問はない。こういうところが傭兵上がりらしい。命令待ちをしないし、命令に逆らうわけでもない。必要なだけ受け取って、必要なだけ動く。


森へ入る。


木々の影が濃くなる。地面は土と落ち葉。踏むと柔らかい音がする。湿り気が増し、匂いが変わる。土と苔と、腐りかけた葉の匂いだ。鳥の声はあるが、街道よりは少ない。人の気配が薄い場所ほど、音が減る。


「……浅いな」


カイルが小声で言った。


「浅いというより、削られてる」


俺は視線を動かしながら答える。


「間引きが入ってる。見通しがあるだろ」


確かに、木と木の間が広い。枝も低い位置が刈られている。これなら、低い位置から飛びかかってくる獣は避けやすい。逆に言えば、こういう場所で襲われるとしたら、狙いはだいたい人間だ。魔物の側が“人を狩りに来ている”。


道沿いには、細い杭がいくつも立っている。ギルドの印だ。討伐済み、巡回済み。これがある限り、森は「完全な野」にはならない。


だが、森は森だ。

杭が立っていようが、入った瞬間に人間はよそ者になる。


俺は足を止め、指で前を示した。


「ここから先は、俺は口を出さない」


「分かった」


「好きにやれ」


「了解」


カイルが一歩前に出る。

足音が変わる。軽くなる。体重の乗せ方が、狩りに近い。


俺は、少し後ろに下がった。

口を出さないと言った以上、出すのはおかしい。俺の役目は観察だ。値段をつける役目だ。戦場の役目じゃない。


――しばらく歩く。


浅い森は、退屈だ。

危険がないからじゃない。危険の種類が少ないからだ。こういう場所で一番多いのは、気が抜けた瞬間の事故だ。足を取られ、手を怪我し、血の匂いで何かを呼ぶ。派手じゃないが、確実に死ぬ。


カイルは慎重に進む。無駄な動きが少ない。木の陰、足元、風向き。全部見ている。たまに立ち止まり、耳を澄ませる。訓練の動きだ。


「……いる」


カイルが、ほとんど息だけで言った。

俺も気づいていた。前方の茂みが、不自然に揺れた。風じゃない。揺れが一点に集中している。何かが潜んでいる。


ゴブリンは、基本的に下手だ。

隠れるのも、待つのも、上手くない。だが、上手くないからこそ油断すると刺される。


カイルは一歩だけ横にずれた。

茂みの前に一直線で立たない。これだけで、奇襲の成功率は落ちる。


次の瞬間、茂みが破れた。


緑がかった皮膚。痩せた手足。粗末な短剣。ゴブリンだ。二体。いや、三体目が後ろにいる。浅い森にしては数が多い。小さな群れの残りか。


「ギィッ!」


叫び声は、威嚇というより合図だった。

三体が一斉に動く。正面、左、右。囲む気だ。


カイルは、動かない。

動かないが、止まってもいない。重心が沈み、次の一歩がいつでも出る姿勢だ。


最初に突っ込んだのは正面の一体。

短剣を振り上げ、勢いだけで跳びかかってくる。


カイルは半歩下がり、剣を抜いた。

抜く動きが無駄に大きくない。鞘走りの音すら小さい。


刃が一閃。

ゴブリンの腕が落ちる。

遅れて、胴が崩れた。


「……速いな」


俺は心の中でだけ言った。


次に来た左の一体は、仲間の死体を踏み越えてくる。恐怖が薄い。知能が低いからだ。


カイルは踏み込む。

剣を振るというより、突く。

喉の奥を貫き、抜く。


右から来た最後の一体は、一瞬だけ躊躇した。逃げるか、刺すか迷った。迷う程度の知能はある。


カイルは迷わせない。

剣先を向け、低い声で言った。


「来るなら来い」


ゴブリンは、来た。

結果は同じだった。


三体が倒れるまで、時間はほとんどかかっていない。

息も乱れていない。肩で呼吸もしていない。軽い運動をした程度だ。


「終わりだ」


カイルが言った。


「ゴブリンは増える」


俺は歩き出しながら言う。


「近くに巣があるかもしれない」


「浅いのに?」


「浅いからこそある。掃除の隙間に潜る」


カイルは頷き、周囲を見る。

死体をそのままにするか、証拠を持ち帰るか。依頼内容次第だ。今回は討伐数の確認だけでいい。耳を取る。


彼が手早く処理をしている間、俺は周囲を見た。


――森が、静かすぎる。


妙だった。浅い森にしては、静かすぎる。

風はある。葉も揺れている。だが、それだけだ。

鳥の声がしない。小動物の気配も薄い。


こういう静けさは、危険が「近い」時に出る。

魔物がいる時か、人が走り回った後か。

どちらにせよ、何かが森の空気を削っている。


カイルも気づいたらしく、歩幅を落とした。

俺は何も言わない。

言う必要がない。


森は、入る前よりも奥へ続いているように見えた。

実際に奥へ進んだわけじゃない。

ただ、戻るには少し遠くなっただけだ。


さて。

ここから先は、予定通りにはいかない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ