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28話 残る席

店を出る頃には、外は完全に夜になっていた。


雨雲は流れたらしく、空には薄く月が出ている。


石畳はまだ濡れていた。

街灯の光を反射して、通りがぼんやり白く見える。


夜の街は、昼とは別の顔になる。


酔っ払いの笑い声。

閉店作業の音。

裏路地を急ぐ足音。


昼の市場が“働く街”なら、夜は“金が止まる街”だった。


「冷えるな」


俺が呟く。


吐いた息が、少しだけ白かった。


ガレスが鼻で笑う。


「まだマシだ。北側なんざ、この時期でもっと酷い」


店の前で立ち止まり、コートの襟を軽く直す。


長く街道を回ってる人間の動きだ。


無駄がない。


「次はどこへ行く」


「まだ決めてない」


「商人らしい返事だな」


ガレスが笑う。


決まった道だけ走る商人は、稼げない。


利益の匂いへ動く。


街道商ってのは、結局そういう生き物だ。


「お前は?」


俺が聞く。


「2日後に北へ戻る」


ガレスは肩をすくめた。


「本当は南回りしたかったんだが、保存食が動いてる」


「値上がりか」


「戦争の後始末だよ」


ガレスがため息混じりに言う。


「人が減ると、今度は物が足りなくなる」


遠くで鐘が鳴った。


夜の時刻を知らせる鐘だ。


通りを歩く人間も、少しずつ減り始めている。


閉まりかけた露店の前で、売れ残りの果物を値切っている声が聞こえた。通りの端では、酔った冒険者が仲間に肩を貸されながら笑っている。


街は眠る前が、1番だらしない。


ガレスはそこで、ふとノアを見た。


「お前」


ノアが少し顔を上げる。


「帳簿以外は?」


「……え?」


「計算とか、整理とか」


ガレスは続ける。


「他に何できる」


ノアは少し考えた。


夜風が吹く。


濡れた空気が服の裾を揺らした。


「……荷物運び、掃除。あと、場所を覚える」


「場所?」


「どこに何があるか」


ガレスが少し笑う。


「手離すには惜しいな」


ノアは返事をしない。


代わりに、少しだけ視線を下げた。


照れてるというより、反応に困っている。


そういう顔だった。


ガレスはそんな様子を見ながら、ぽつりと言った。


「うちにも1人欲しいくらいだ」


薄く笑う。


「黙って動ける、場所を覚える、字も読める」


コートの袖を軽く払う。


雨粒が、まだ少し残っていた。


「商会は、ああいうのが1番長持ちする」


ノアの肩が少し止まる。


商会。

使用人。

帳簿。


最近、周囲が勝手にそういう話をする。


ノア自身が考えるより先に、“向いている場所”を周囲が見つけ始めていた。


「欲しいなら売るぞ」


俺が言う。


ガレスが吹き出した。


「冗談みたいな顔で言うな。親父そっくりだぞ、その辺」


「だからやめろ」


ガレスはしばらく笑っていたが、やがて少し真面目な顔になる。


「……いや、でも本当に。悪くないと思うぞ」


視線はノアへ向いている。


「今の商会は、人が足りん。字を読める若いのは貴重だ」


通りの向こうで、閉店作業の木音が響く。


誰かが看板を外していた。


「便利な奴ほど潰れる」


ガレスが静かに続ける。


「だから、扱う側も選ばなきゃならん」


ノアは静かに聞いていた。


街灯の光が横顔を照らす。


まだ子供だ。


だが、こういう話になると急に空気が変わる。


“商品”として見られる空気を、理解している。


理解しているからこそ、黙る。


「ヴァーニスト」


ガレスが俺を見る。


「お前、商品を見る目はある」


「褒めても安くならんぞ」


「安心しろ」


ガレスが笑う。


「まだ買う気はない」


“まだ”。


その言葉を、ノアも聞いていた。


小さく木杯を持ち直す。


もう空なのに、まだ持っている。


癖なんだろう。


俺は少しだけ空を見る。


雲の切れ間から、月が出ていた。


濡れた石畳へ白い光が落ちる。


「じゃあな」


ガレスが手を上げる。


「またどこかで会うだろ」


「街道商らしい別れだな」


「固定客になってもいいぞ」


「値段次第だ」


最後まで商人だった。


ガレスは笑いながら夜の通りへ消えていく。


背中が細い。だが、妙に消えそうには見えなかった。

長く街道を走ってきた人間の背中だった。


しばらくその後ろ姿を見送る。


濡れた石畳を踏む足音が、ゆっくり遠ざかっていった。それから、俺達も歩き出す。


宿へ戻る道。


夜の街は静かだった。


昼の熱気が抜け、店先のランプだけがぼんやりと通りを照らしている。


ノアが隣で、小さく聞いた。


「……商会って、そんなにいい場所なの」


少し考える。


夜風が吹く。


どこかの酒場から、笑い声が聞こえてきた。


「場所による」


「……ジェイドは?」


「俺は向いてない」


即答だった。


ノアが少しだけ目を丸くする。


「なんで」


「縛られるの嫌いだからな」


石畳を踏む音が続く。


「商会は、同じ場所で積み上げる仕事だ。俺は、動く方が楽」


ノアは黙って聞いていた。


その横顔を見ながら、俺は小さく息を吐く。


固定される側か。

動き続ける側か。


こいつがどっちなのかは、まだ分からなかった。


ただ、夜の街を歩くノアの足取りは、最初に比べるとずっと迷いが減っていた。

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