13話 鍛治区画
「どこへ行くんですか」
下へ降りると、ノアが本から目を上げずに聞いてきた。
共用スペースには昼の気怠さが残っている。
壁際では昼酒を飲んだ冒険者が潰れ、店主の娘が片付けをしていた。煮込みの匂いと、薄い酒の臭いが混ざっている。
「仕事だ」
俺は短く答える。
「……鍛冶ですか」
ページをめくる音。
「耳がいいな」
「さっきから、外の槌音を気にしていました」
ノアはそこで初めて顔を上げた。
視線が、俺ではなく後ろのグランへ向く。
「職人は、音を見るので」
「聞いたことあるのか」
俺が聞くと、
「本で」
それだけ言って、また本へ戻る。
グランは特に反応しない。
だが、宿を出た後も、ほんの少しだけ歩く速度が速かった。
昼の街は相変わらず人が多い。
石畳の上を荷車が通り、商人が怒鳴り、冒険者が道端で地図を広げている。
その喧騒の中を抜け、鍛冶区画へ近づくにつれて、空気が少しずつ変わっていった。
熱い。
風に熱が混じっている。
鼻につくのは煤と鉄の匂いだ。
乾いた金属音が、通りの奥から絶えず響いている。
カン、カン、カン。
一定のリズム。
鍛冶区画は、街の中でも妙に荒っぽい場所だった。
上半身裸の職人。
煤だらけの弟子。
鉱石を積んだ荷車。
壁際には折れた剣や、曲がった槍が山のように積まれている。
武器屋も多い。
ただし、完成品を並べる店と、奥で実際に打っている工房は別だ。
「武器屋と鍛冶屋は違う」
俺は歩きながら言う。
「前で売るのが商売人。奥で打ってるのが職人だ」
「両方やる奴もいる」
グランが言った。
「腕が足りればな」
「詳しいな」
「鍛冶師だからな」
短い会話。
だが、さっきより口数が多い。
グランは歩きながら、店先の武器をちらちら見ていた。
剣。
槍。
斧。
盾。
ただ眺めているわけじゃない。
目が、細かい。
「どうだ」
俺が聞くと、
「あれは駄目だ」
即答だった。
グランが顎で示したのは、通り沿いに並んでいた安物の短剣だ。
「鉄が悪い」
「刃だけ硬い」
「すぐ欠ける」
一本一本答える。
「触ってもいないぞ」
「見れば分かる」
言い切る。
別の店を見る。
「こっちは悪くない。だが高い」
「分かるのか」
「研ぎ方が違う」
相変わらず短い説明だ。
だが、迷いがない。
店先に並んでいた片手剣の前で、グランの足が止まる。
「これ」
「ん?」
「打った奴、癖がある」
「癖?」
見た目はごくごく普通の片手剣だ。素材は鉄だろうか、やや灰色がかかった銀色をしている。
「握りを軽くしすぎているせいで、前に重さが逃げてる」
俺は剣を見る。
……正直、分からん。
「本当か?」
「振れば分かる」
店主が嫌そうな顔をしたので、触るのはやめた。
「職人って怖いな」
「商人よりはましだ」
「違いない」
歩き続ける。
奥へ進むほど、音が増える。
熱気も濃い。
炉の火が見える工房もあった。
赤く焼けた鉄を叩く度、火花が散る。
グランの視線が、自然とそちらへ向く。
ほんの少しだけ。
歩く速さも変わる。
「好きか」
俺が聞くと、
「……嫌いじゃない」
初めて、少しだけ感情が混じった声だった。
通りの端では、冒険者が店主と揉めていた。
「だから高ぇんだよ!」
「修理が三本同時だぞ! 安くできるか!」
曲がった剣を机に叩きつける。
店主も怒鳴り返していた。
別の工房でも似たような声が聞こえる。
「二週間待ち!?」
「嫌なら他行け!」
「繁盛してるな」
そんな声を横目に俺が言うと、
「足りてない」
グランが返した。
「何が」
「腕」
短い返答。
通りを見回す。
確かに、どの工房も忙しそうだった。
修理待ちの武器が山積みになっている。
冒険者が多い街だ。
壊れる量も多い。
だが、直せる側が追いついていない。
「なるほど」
俺は小さく笑った。
「需要はあるわけだ」
グランは答えない。
代わりに、一軒の工房をじっと見ていた。
炉の火。
槌音。
鉄の匂い。
職人は、ああいう場所へ吸われるらしい。




