9話 次の商品
ギルドを出て、通りを一つ曲がる。
昼の光は高かった。
石畳が白く照り返し、歩く人間の影を短く切っている。荷を背負った商人が早足で通り過ぎ、桶を抱えた子供が脇を抜けていく。武器を提げた冒険者達は、昼前の酒場を探しているのか、笑いながら通りを横切っていった。
レイヴァルトは相変わらず忙しい。
誰もが、自分の用事だけを見て動いている。
さっきまでの空気が、嘘みたいだった。
契約。
金貨。
書類。
別れ。
ああいう時間は、扉一枚で終わる。
「さて」
小さく呟き、ジェイドは歩き出す。
金は入ったし契約も済んだ。
――仕事は終わりだ。
表通りを抜け、少しだけ人通りの少ない裏道へ入る。
喧騒が一段薄くなる。
代わりに聞こえてくるのは、鍛冶場の槌音だった。
カン、カン、と一定の間隔で響く音に混じって、焦げた鉄と炭の匂いが風へ乗る。
どこかで煮込みを作っているらしい。肉と香草の匂いも混ざっていた。
目立たない道を選ぶのは癖だ。
必要以上に見られると、ろくなことにならない。
宿の扉を押し開ける。昼時の宿は、夜より静かだった。
薄暗い。
窓から入る光が床へ細長く落ちている。
昼酒を飲んでいる客が一人、壁際で寝息を立てていた。店主は帳簿へ何かを書き込みながら、こちらを一度だけ見て、すぐ視線を戻す。
もう顔を覚えられている。
共用スペースの窓際。
ノアが、昨日とほとんど同じ姿勢で本を読んでいた。
背中に光を受け、ページだけが白く浮いている。
静かな読み方だ。周囲の音に引っ張られない。
「戻った」
ジェイドが声をかける。
ノアは顔を上げない。
「……おかえりなさい」
小さく返事だけが返ってくる。
「どうなりましたか」
ページをめくる指先だけが、一瞬止まった。
「売れた」
短い返答。
ノアの指が、紙の端へ触れたまま止まる。
ほんのわずかな沈黙。
それから、またページがめくられた。
「そうですか」
声は変わらない。
だが、読む速度だけが少し遅くなっていた。
ジェイドはそれ以上何も言わず、階段へ向かう。
古い木の階段が軋む。
昼の宿は静かだから、足音だけが妙に響いた。
二階の廊下は薄暗い。
窓が小さいせいで、昼でも半分夜みたいな色をしている。
部屋の前で足を止め、扉を開ける。
中は静かだった。
窓から入る光が、机の上だけを照らしている。
その中央に、グランがいた。机へ身を寄せ、何かを分解している。
鉄の匂いがした。
「戻ったか」
顔を上げる。
視線が真っ直ぐ来る。
「ああ」
ジェイドは扉を閉めた。
部屋の空気が少しだけ重くなる。
「一人、売れた」
グランは短く息を吐く。
「……そうか」
それだけだった。
余計なことは聞かない。
聞く必要もない。
ジェイドは机へ目を向ける。
そこに並んでいたのは、見覚えのある短剣だった。
刃。
柄。
留め具。
きれいに分解されて並べられている。
無造作に置いているように見えて、位置は揃っていた。
「それ、俺のだな」
「ああ」
グランが答える。
「荷物にあった」
「勝手に触ったか」
「問題あるか」
「ない」
最初から、そのつもりで置いていた。ジェイドは刃を手に取る。窓の光へ向けると、表面が整っているのが分かった。
錆が落ちており、刃先も研ぎ直されていた。
元より、ずっとまともだ。
「……研いだな」
「ついでだ」
「形も変えてる」
軽く振る。
重心が前より自然になっていた。
握った時の癖まで考えて削っている。
「これ、売れるぞ」
思ったまま口にする。
グランは即答した。
「売る気はない」
「使う道具だ」
「だろうな」
ジェイドは短剣を机へ戻す。
乾いた金属音が、小さく鳴った。
しばらく沈黙が落ちる。
窓の外から、遠い槌音だけが響いてくる。
グランがぽつりと言った。
「試した」
「何を」
「腕だ」
短い返答。
ジェイドは少し笑う。
「……ちょうどいい」
壁へ背を預ける。
「こっちも、試すつもりだった」
グランの視線が変わる。
仕事の顔だった。
「聞こう」
「鍛冶はできるか」
「できる」
迷いがない。
「どの程度だ」
「基礎は全部。応用もだ」
「証明は」
「ない」
「だろうな」
外からまた槌音が響く。
規則的な音だった。
レイヴァルトは、鍛冶屋の多い街だ。
武器も、防具も、人手も足りていない。
つまり、直せる奴には価値がある。
「じゃあ次だ」
ジェイドは言った。
「壊れた装備を抱えてる連中がいる」
「直せるなら、話は早い」
グランは少しだけ考える。
視線が短剣へ落ちた。
「壊れ方による」
「だが、できる」
「いい返事だ」
ジェイドは笑う。
「場所はある」
「炉は借りる」
「伝手は、作る」
グランは静かに頷いた。
「条件は」
「成功したら売る」
ジェイドは答える。
「失敗したら、別を考える」
少し間が空く。
グランは、ゆっくり短剣を鞘へ戻した。
「……いいだろう」
「決まりだな」
部屋の空気が少しだけ動く。
ジェイドは扉へ手をかけた。
「準備しろ」
振り返らずに言う。
「すぐ動く」
階下から、ページをめくる音が微かに聞こえてきた。
静かな宿だった。
一人減った。だが、止まるわけじゃない。
商品は、まだ残っている。
そして――
次に値段が変わるのは、グランだ。




