9話 赤梟亭にて
《赤梟亭》へ向かう前、俺は宿の前で足を止めた。
「カイル以外は、宿で待ってろ」
そう告げると、三人はほぼ同時に頷いた。
理由を聞き返す者はいない。
「長くなる」
俺は続ける。
「戻るまでは自由にしていい。ただし――」
「外に出るな」
グランが被せるように言った。
「分かってる」
「話が早くて助かる」
ノアはすでに共用スペースの本棚を眺めていた。
古い帳簿、地図、旅人向けの読み物。迷うことなく一冊抜き取り、床に座って読み始める。
「読めるのか」
俺が聞くと、
「……簡単なのなら」
視線を落としたまま、短く返ってきた。
グランは部屋へ戻り、荷物から小さな本を取り出す。
擦り切れた表紙。鍛冶の基礎書だ。
「酒は?」
一応、聞いてやる。
「いらん」
即答だった。
「頭を使う」
カイルが三人を一度だけ見た。
何か言いかけて、結局やめたらしい。
「すぐ戻る」
それだけ言って、俺の後ろに立つ。
宿の扉を出ると、街の喧騒が一段濃くなった。
振り返ると、三人はもうそれぞれの時間に戻っている。
待つことに慣れた動きだ。
――さて。
今度は、話す番だ。
◇
《赤梟亭》に着いた時、冒険者の三人は店の外で待っていた。
入口脇の壁際。
前衛の男は腕を組み、後衛の男は通りに目を配り、回復役の女はその間で静かに立っている。
「来ましたね」
女がこちらに気づき、軽く頭を下げた。
「待たせたか」
俺が聞くと、
「いえ、今着いたところです」
前衛の男が肩をすくめる。
カイルは一歩後ろで足を止め、店の中を一度だけ覗いた。
「……騒がしすぎない」
小さく、独り言のように言う。
「話をするにはちょうどいい」
俺が返す。
扉を開けると、酒と煮込みの匂いが流れ出した。
外観より中は広い。
低い天井に太い梁。壁には古い盾や刃こぼれした剣が飾られている。飾りというより、置き場に困った結果だろう。
奥の長机に腰を下ろす。
前衛の男が手を挙げると、店主がすぐに気づいた。
顔なじみらしい。ここは、命を預けた後に来る店だ。
「今日は俺が出す」
前衛の男が言う。
「命を拾った礼だ」
「遠慮はしない」
俺は言った。
「だが、話は落ち着いてからだ」
酒が運ばれる。
前衛と後衛はエール。回復役の女は薄めの果実酒。
カイルには水。俺も酒は取らない。
「まずは、名乗ろうか」
前衛の男が言った。
「俺はラグス。前に立つ役だ」
「後ろで矢を撃ってる、フェルだ」
後衛が続ける。
「回復を担当しております、ミレアと申します」
女が丁寧に頭を下げた。
視線が、カイルに向く。
「……カイルだ」
短く、それだけ。
最後に、俺を見る。
「ジェイド・ヴァーニストだ」
俺は言った。
「旅の奴隷商人をやっている」
一瞬、間が空く。
「……銀行でも聞いたが、まさかヴァーニスト家のご子息様とはな。正直驚いた」
フェルが苦笑した。
「隠す理由がない。それに、俺は既に独立した商人だ。今は家は関係ない」
俺は肩をすくめる。
それを見てラグスが小さく笑った。
「確かにな」
「別に対応を変える必要もない。それで......」
俺は視線を巡らせる。
「礼ってのは、酒だけか?」
冗談めかした言い方だったが、全員分かっている。
理由はそれだけじゃない。
ミレアが、背筋を伸ばした。
「改めて、お礼を申し上げます」
「命を助けていただき、ありがとうございました」
一瞬だけ、カイルを見る。
「仮登録とは思えない動きでした」
「評価は、街のルールで決まる」
俺が言う。
「……承知しています」
ミレアは頷いた。
「ですが、あの場で助けていただけなければ、私たちは――」
言葉を切る。
続きを言う必要はない。
「前衛が、足りない」
俺は事実だけを置いた。
ラグスは酒を一口飲み、ゆっくり息を吐く。
「……ああ」
「分かってる」
「それで、ここにいる」
カイルは何も言わない。
水を一口飲み、視線を落としたままだ。
「話を続ける前に、一つだけ確認だ」
俺は言う。
「これは、仕事の話だ」
「感情は、あとだ」
フェルが肩をすくめる。
「冒険者相手に、随分はっきり言うな」
「商人だからな」
「……だろうな」
ラグスが、真っ直ぐ俺を見る。
「条件を聞かせてくれ」
「その上で、払えるかどうか判断する」
「いいだろう」
俺は頷いた。
「ただし――」
言葉を切る。
「本人の意思は、最後だ」
全員の視線が、カイルに集まる。
カイルは眉をわずかに動かしたが、まだ何も言わない。
「今日は、ここまでだ」
俺は言った。
「続きは、もう少し酒が回ってからにしよう」
「……焦らすな」
ラグスが苦笑する。
「値段を上げるためだ」
「正直だな」
「商人だからな」
酒場の喧騒が、少しだけ近づいた。
《赤梟亭》は今日も賑わっている。
だが、この卓だけは、もう別の時間に入っていた。




