あけぼの
「ああ“!」
葵の悲痛な叫びが森にこだまする。
絆音は静かに、目を閉じていた。
葵は、咲真の姿をスローモーションのように、ゆっくり、目にとらえていた。
身体を動かそうとするものの、無理だ。動かない。
(やめて!待って!)
葵が、咲真の身体がもう少しで本当に落ちることが、わかったその時、
一陣の強い風が音と葵を通り過ぎた。
「っ、何?」
その後に葵が意を決して、おそるおそる、屋上から、地面を見下ろすが、暗闇があるのみで見えはしない。
絆音がようやく目を開ける。そして、何が起こっているかを理解し、こう漏らす。
「まったく、派手にやったね」
絆音はまだ、屋上から、下を見ている葵に向かってこう言った。
「葵さん、とりあえず、下へ、行きましょうか」
「咲真、くんは?」
「咲真さんは、───────」
* * *
時は、風が吹いた頃に遡る。
(あぁ、やっと、か)
咲真は安堵と少しの愉悦を浮かべ重力に身を任せる。
(言いたいことは、全部、言い切れた、
うん、大丈夫。
津城さんが言ってた死んだら先輩が傷つくっての
も、話したんだし、ね?)
咲真は最後の最後まで、人を嘘を吐ききった。
咲真は静かに、半分玄の目を彷彿とさせるような、空を見た。
「やっぱり、きれいだなぁ、」
そして、目を、閉じる。
───────解放まで、後もう少し。
「すっきりした顔のところ悪いけど、あたしはお前を
救けるぞ」
そんな声が咲真の耳に届いた。
咲真は目を開き、心底嫌そうにに問う。
「月、麦なんで?」
「姉さんからの、依頼でね。
とりあえず、舌は噛むなよ」
そう言う月麦は狂気じみた笑顔を浮かべ、
咲真の襟首を左手で掴み右手でホテルの壁に向かって何かを投げるかのように、手首のスナップを効かせた。
すると、紐に引っ張られたかのように咲真と月麦の落下は止まった。
「ふぅ、一安心、一安心」
と月麦が呟くが、何かが、ギシギシと音を立てる。
「さすがに、二人はキツかったか……」
「ねぇ!他に持ち方なかったの?!」
「ちょっと黙れ。
よし、この高さなら、ま、いけるか」
月麦は何やら物騒なことを決め、何かを持っていた右手と咲真を持っていた左手を同時に
ぱっと離した。
咲真はまた浮遊感に襲われる。
「へ?」
いつの間にか、咲真は、
月麦に向かって手を、伸ばしていた。
「なぁんだ、
生きることへの執着、あるじゃん」
月麦はそれに満足そうに微笑みながら咲真の手をしっかりと、右手で掴みそのまま、今度は咲真のことを上に投げた。
「ん?」
咲真はもう何が何やらわからない。
上に投げられたとはいえ、地面は、もう、すぐそこだ。あと一瞬で、死ぬ。
月麦の方が先に落ちるが月麦は難なくスタッ、と、とても綺麗に、華麗に、忍者のように、着地した。
そしてすぐさま咲真をキャッチした。
「ほらお姫様抱っこなら満足か?」
というからかいを添えて。
「わかった、もう、なんでもいいから早く降ろしてく
れ」
恥ずかしそうに懇願する咲真を見て月麦は満足したのか咲真の頼みを素直に聞いた。
咲真は腰が抜けたのかぺたんとホテルの外壁に背を預けるように座り込む。
月麦は無言で隣に座る。
「…………礼は、しないからな」
降ろされた咲真は言いにくそうに月麦に告げた。
月麦は軽くため息をついたのちにこう呟く。
「わかってる。
でも、貸しは貸しだ」
「なにで、返せばいいの?」
咲真は月麦の顔の表情を読み取り、月麦が欲しいであろうことを言う。
「……………あたしは優しいからな。答えをやる。
これから、自分で死のうとしないこと。
それでチャラにしてやってもいい」
「え?」
咲真は思わず目を丸くする。
「今から言うのは、あくまであたしの考えだ。
受け入れるも受け入れないもお前次第だ」
そう前置きをして月麦は指を三本たて、咲真に問いかける。
「人の死に方は、三つに分かれる、と私は思ってい
る。何だと思う?」
「自殺と、他殺と病気、とか?」
「あたしの、考えだと
他殺、老衰、病の、三つだ。
この世に自殺は存在しない」
「自分で死ぬのが自殺でしょ?存在する」
月麦の考えに咲真は反論する。
だが、月麦の考えは微塵も揺らがない。
「世の中で言われている自殺の大体の原因は他人か、
病だよ。
他のものが原因ならば手を下したのは自分自身だとし
ても、そうしたいと、思わせたのは紛れもない他の
ものだ。
ならば、自殺は他殺と同義だ」
「それは、」
咲真は反論をしようとするが、月麦の考えを覆すほどの言葉を咲真は持ち合わせていなかった。
だが、何かを返そうとして、話を少し逸らした。
「月麦は、
自分で死ぬことをさ、悪いことだって言いたい
の?」
月麦は虚空を見つめる。
「いいや、そうは言ってない。
でも、お前が次、自分で死ぬことを選んだ時は、
一発殴る」
「えぇ〜」
咲真は痛そう〜と言いたげに顔を顰めた。
そんな咲真を月麦はフル無視し、空の次は地面を見つめながら答えた。
「でも、あたしが
一番、嫌いで、
一番、責めることができない、
自分で死ぬことを選びながらも、
他人によってそれを選ばせる残酷な死に方は、
誰かを守って、庇って死ぬことだよ」
その年齢よりも大人っぽい横顔が、あまりにも、切なげで、咲真が声をかけようとしたその時、月麦はその声を聞くまいと言うように、咲真に背を向けるように立ち上がった。
「さ、話はここまで。もうすぐ姉さん達が来る」
月麦が下手に話を逸らし、咲真が一瞬目を離した隙に月麦は消えた。
「え?な、んで」
咲真が立って周囲を見回すが月麦はどこにもいない。
月麦を探していると、月麦の言った通り絆音と葵が、現れた。
二人の顔を見た途端に咲真は、妙な恥ずかしさなどに襲われた。
「ぁ、」
葵は咲真のことを見て、地面に縫い止められたかのように、固まった。
そして、消え入りそうな声で聞いた。
「咲、真くん、いきてる?」
「はい、」
「幽霊じゃ、ない?」
「はい」
咲真の肯定を聞くや否や葵は咲真に駆け寄り、存在を確認するかのように、自身の両手で咲真の顔を包んだ。
咲真は女性に対する免疫が皆無のため顔を赤くする。
「へっ?!」
「ほんとう、だ、良かった、生きてる」
そこでようやく咲真が生きていることを実感し葵は手は手を離して少し離れた。
「咲真くん、ごめんなさい」
(あなたは、きっと謝罪を受け取らない。
なら、せめて)
「そして、ありがとう」
咲真が葵の謝罪をまた拒否しようとすると、葵は感謝を述べた。
何に感謝しているのかが咲真にはわからない。
「話しにくいことを、
私に、話してくれて、ありがとう」
「それ、は元々話すつもりはなかったのに、津城さん
と、先輩に上手く乗せられてしまったからです。
つまり、聞き出したのは先輩ですよ」
「事実を知った後に、父の娘に、優しくしてくれ
て、
恨まないでくれて、ありがとう」
「さっきも言った通り僕があなたを恨むことはありませ
ん」
咲真は葵の“ありがとう“に必死に理由をつけて真正面から受け取らないようにする。
「私と、出会ってくれてありがとう」
咲真は、今の葵の“ありがとう“に理由をつけて返せない。
「それと、
今の今まで、復讐の、ためとはいえ、
生きていてくれて、ありがとう」
葵の片目から一粒の涙がこぼれ落ちるが、葵は儚げな笑みを浮かべたまま、咲真に願う。
「これからも、あなたに、生きていて欲しい」
「でも、僕は、」
咲真は悲しげに微笑み言葉を返そうとするが出てこないようだったので絆音が口を挟む。
「やはり、咲真さん、あなたは何でもかんでも
笑って流す癖がありますね」
咲真が確信を突かれたのか黙り込んだ。
「なぜ、笑うんですか?」
「泣いたら、僕のために心配されたり、迷惑をかけた
り、気を使わせてしまうことが、申し訳ないので」
「本当は?」
スラスラと言葉を並べながらやはり笑みを浮かべる咲真に絆音は鋭い眼差しを向ける。
その絆音の目から咲真は、目を背け憑き物が落ちたかのように静かに真顔になり、こう答えた。
「笑顔はもう癖のようなものですし、
大体のことは笑顔をすれば、大丈夫だと、
ちゃんと正気であると、思ってもらえる」
(この子は本当に、私に似ている。
この子は私が感情を表に出さないことで守ってきた
“自分“をひたすら演技を笑顔で重ねて守ったのか、私と
違って、それを指摘する人もいないまま、ずっと、
一人で、全部、笑顔で涙を、覆い隠して)
絆音は、口をピタッと、閉じたまま奥歯をギリ、と噛み締める。
「バカか!お前は!」
森に罵声が響く。こんな強い言葉を使うのは、この場には一人しかいない。
もちろん、月麦だ。
月麦は森からひょっこり現れたと思ったらずんずんと大股で咲真に近づいていく。
「え!っと、あなたは、さっきの高校生さん?」
葵に話しかけられて“あっ“と言う顔をした後、足は止めずに月麦は必死に舌も動かす。
「そう、デス。
ちょっと走りにしにきたんデスが話を、聞いちゃ、
いマシテネ。
悪いノデスが口を挟ませてもらイマス」
敬語に慣れていないのか、嘘をつき慣れていないのか、はたまたその両方か、月麦はカタコトだ。
「そ、そう」
葵も、なんだか、月麦が何か隠していることを勘付いたのか曖昧な返事をする。
「というか、馬鹿なんだよお前は!」
そんな微妙な空気を打開しようと月麦は言葉の矛先を咲真に変える。
(先輩には、敬語なくせに、)
と、思ったことは頑張って口に出さなかった。
遂に月麦は咲真の目の前に立った。
「馬鹿って、なんだよ」
咲真が月麦にそう聞くと、月麦は胸ぐらを掴んで咲真の目を覗き込んだ。
「笑えば、大丈夫だと、正気だと思われる、だぁ?
ちょっとは自分を大切にしろ!
泣くのを我慢するな!
一人で泣くなよ!
“助けて“って、言えよ!
そうしたら、今みたいな救助の押し付けじゃ、なく
なって、
お前は、絶対過去を乗り越えられるから!」
咲真は何も、返さない。むしろ覗き込まれまいと目を閉じて顔を逸らす。
月麦は涙目になりながらも胸ぐらを掴む手を更に強くし叫び続ける。
「なんとか言えよ!こっち見ろよ!
本当は、今の仕事、大好きで、続けたいくせに!
本当は、復讐とか全部忘れて普通に生きたいくせ
に!
本当は、助けてほしいくせに!
本当は、誰よりも、優しいくせに!
過去がなんだってんだ!
全部、全部、演技と笑顔で誤魔化しやがって!」
咲真が、月麦の手首を掴み、目をカッ!と見開き月麦に言い返す。
「言わせてっおけば!
誰がいつ!助けてほしいって言った!
復讐に燃えてる僕のどこが優しいって?」
「んなの!お前の目見りゃわかるっての!
ちょっと前のあたしと同じ目だからな!
だからお前は!あたしみたいに吹っ切れる!
……だから、自覚しろよ。
言ってくれよ、
お前は、
助けてって、言ってもいい、
人前で、泣いてもいい
いや、言えよ、泣けよ、
なぁ、咲真」
強気な月麦の言葉はどんどん萎んでいく。
沈黙が、その場を支配する。
咲真の頬に水が、伝った。
「うっ、ひ、っ、ぁ、あぁ、う」
声を殺して、咲真は泣く。
「た、すけて、お願い」
いつの間にか、空の向こうが明るくなってきた。
まるで、玄が“もう、いいか“と言わんばかりに。
斑目との鬼ごっこから始まった咲真の長い長い夜はようやく、この瞬間をもって明けた。




