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クリシアム辺境伯の元に国王からの使者が訪れた日よりも1ヶ月近く前の事。
ミルバーン侯爵家の門の前に、国王からの使者を乗せた馬車が停まった。
ミルバーン侯爵夫妻とエリーゼに向けた国王からの書簡だと聞いて、3人は使者の前に礼を取った。
それを見て使者が書簡を読み上げる。
「ジェラルド・オランド国王の名において、ここにフレドリック・クリシアム辺境伯と、エリーゼ・ミルバーン侯爵令嬢との婚姻を命ずる。
尚、婚姻の届け出は既に済ませており、生涯離婚も認められない。そしてこの命を受けた後は、速やかにクリシアム領に向かう事を命ずる」
驚きのあまり、言葉も出ないミルバーン侯爵家の人達に笑顔で
「おめでとうございます」
と言って侯爵に書簡を渡すと使者は帰って行った。
国王の使者が帰った後、侯爵家の3人は執務室に集まった。
侯爵夫人とエリーゼが執務室のソファーに座ると、すぐに執事が紅茶を淹れてくれた。
侯爵は、国王からの書簡を置いた机の向こうにある椅子に座り、辛そうな顔をしながら言った。
「エリーゼ、あの側近達がここまでするとは思っていなかった。私の考えが及ばず、こんな事になってすまない」
「いいえ、お父様は何も悪くありません。アルフォンス様が私を遠くへ行かせたいと考えたのだと思います」
「卒業パーティでの事もそうですが、アルフォンス様には呆れてしまいます。ですが突然エリーゼとクリシアム辺境伯の婚姻とは…」
そう言うと侯爵夫人は俯いたまま小さく息を吐くと、エリーゼに尋ねた。
「エリーゼは辺境伯領に住む『魔獣』について聞いた事はあるかしら?」
「はい、クリシアム辺境伯領には『悪魔の森』があり、そこから『魔獣』が現れて人々を襲う事があると教わりました」
侯爵が立ち上がり、妻の横に座ると話し始めた。
「エリーゼはこれからクリシアム辺境伯領で暮らす事になるのだから知っておいた方が良いだろう。
御祖父様から聞いた話だ。
今からおよそ300年前の事、王都から東の地を治める領主から、『毛色がすこし黒っぽい獣が畑を荒らして困っているので助けて欲しい』と言う嘆願書が王宮に届いた。だが、それを受け取った者は獣が畑を荒らすのはよくある事だと思い気に留めなかった。
それから何日かして、やはり東の方を治める他の領主からも『人が何人も襲われて、死人も出ているから助けて欲しい』と言う早馬が来た。その時になって慌てて騎士を派遣したが、既に獣の数は恐ろしい程に増えており、時を置かずに獣は王都の街にも現れて人を襲うようになってしまった。
人々はいつの間にかこの普通とは違う獣を『魔獣』と呼ぶようになったんだ。
王都の街だけではない、街道を通る馬車も『魔獣』に襲われて品物も届かなくなってしまった。このままでは国が滅んでしまうと思った国王は、王都にいる騎士や兵の他、国中から戦える兵士を集め、『魔獣』を討伐させながら、いったいどこから来たのかを調べる事にした。
それから10年後、やっと全ての町や街道から『魔獣』が消えて、戦いが終わったと思った時、『魔獣』を追って王都から東に向かった騎士達が、森から『魔獣』が出てくるのを見たんだ。
出てきた数匹の『魔獣』をすぐに倒しても、しばらくするとまた2、3匹出てくる。騎士達はこの森を『悪魔の森』と名付け、森の中に『魔獣』の生まれる場所があるのではないかと考えて王に知らせた。
王は騎士達の知らせを聞いて『悪魔の森』を詳しく調べようとしたが、森の中は人が移動するには限界がある上に、いつ『魔獣』が襲って来るかも分からない。結局『悪魔の森』を調べる事はできなかったが、周辺の調査をした結果分かった事は、『魔獣』は確かに『悪魔の森』から現れる事が多いという事だけだった。
だが王は『それだけ分かれば十分だ』と言うと『悪魔の森』のある地域に城と町を造り、周りを大きく城壁で囲むと城壁の外側を掘って近くの河から水を引き込み、大きな堀と城壁で守られた城塞都市を造ったんだ。
そして王はその地域をクリシアム領と名付けて、自分の弟にクリシアム辺境伯の名を与えると城塞都市の主となって『魔獣』を討伐し、この国を守るよう命じた。
初代のクリシアム辺境伯は、その命を受ける代わりに、討伐のための独立した騎士団の所有とそれにかかる費用の負担。そして誰の許可がなくても自由に動けるようにと自治権を求めた。
それらを認めれば、クリシアム領は独立したひとつの国のような形になり、将来王の立場が脅かされるのではないかと反対する者もいたが、『悪魔の森』から生まれる『魔獣』を討伐してもらう事の方が大事だという意見が圧倒し、オランド王国に、独自の権力を持ったクリシアム辺境伯領が誕生したんだ」