2 . 人が死んだら
気まずい空気がずっと流れている。
助手席の山下先輩は無言で、時折ミラー越しに村のほうを見ている。
高森もいつもの軽口が少なく、依然として窓の外の非日常な景色に圧倒されている様子だった。
そもそも山下先輩と高森は今日一度も話していない。
あんなことがあったから、どちらも来ると思っていなかった。
金光先輩は謎だ。
いつも通り頼もしく、どこか陽気で安定感はある。
なので私は気まずい二人よりも、金光先輩とできれば一緒にいたいが…金光先輩、黒幕じゃないよね。
金光先輩も結構わからないところがあるのだ。
金光先輩は速度を緩め、ブレーキを踏んだ。
目の前に、典型的な田舎の民家が聳えている。
煤けた瓦屋根、重厚な木製扉、庭先に干される漬物樽。
しかしよく見ると、窓枠には新しい花輪が掛けられ、玄関脇には純白の提灯が灯されていた。
「着いたぞ。ここが父方の実家だ。長旅疲れただろ」
金光先輩が満面の笑みを浮かべていた。
金光というのは離婚した母の苗字で、父と一緒の時は田上十夜だったらしい。
なので村では旧姓の田上で呼ばれるという。
村の名前と一緒なので、名前を呼ばれてるのか分からずややこしいんだよ、と笑って話していた時、家の中から小柄なお婆さんが出てきた。
皺だらけの顔に優しい笑みを浮かべている。
「久しぶり、婆ちゃん。友達を連れてきたよ」
金光先輩がそう言うと、お婆さんは深々とお辞儀をした。
「これはこれは遠くからよくいらっしゃいました。どうぞ、上がってくださいませ。旅の疲れをごゆるりとおとりください」
「婆ちゃん、そんなに畏まらなくていいんだよ。後は俺が案内するから、婆ちゃんの方こそゆっくりしてて」
「お気遣いありがとうございます。でしたら、あとでお部屋にお茶でも」
「いいって好きにするから」
玄関に入った途端、古い独特な埃っぽい匂いが鼻腔を刺す。
床板は長年の湿気ですっかり歪み、私たちが歩くたびに重苦しく軋み上げる。
お婆さんは、丸まった背中を縮こめるように深々と頭を下げた。
だけど、その瞳の奥は底なしに暗く、不吉さしか感じない。
映画では、迷い込んだ主人公たちが、狐神家に招待され、そこで家族のゴタゴタと、謎の包帯男、美女、双子の手毬歌、怪しげな老婆の忠告、その後に死者の弔いの儀式で次々と人が死んでいくという、不吉要素てんこ盛りのわりには、何も回収されないまま、とりあえず人が死んどけば怖いだろという展開が続くらしい。
映画の感想サイトではここに罵詈雑言もあったのだが、そこまでは覚えていない。
ただ、某名探偵の雰囲気だけ借りただけの作品だということはよくわかった。
だから田上村という名前もわからないし、田上家が出てるかも私にはわからない。
狐神家は村にあるらしいから、やはり映画に関係しそうだけど、今回は死者の弔いとはいえ結納らしいし映画とは違う展開になるのかもしれない。
しかし、死者の弔いの儀式が何個もある村なんて嫌すぎる。
「とりあえず各自、荷物置いて休もう。話はその後だ」
金光先輩の後をついて、奥へ進む。
私と高森が続く後ろから、山下先輩の重い足音が遅れて響く。
相変わらず、高森と山下先輩の間に会話はない。
私に割り当てられたのは二階の一室だった。
襖を開けると六畳ほどの和室で、中央にはすでに布団が一組敷かれている。
壁際には年代物の箪笥と、小さな仏壇が据えられていた。
うーん、なぜ宿泊者が使う部屋に仏壇があるのだろう?
私が死んだ時用に先に用意したとか?
先走りすぎじゃない?
とりあえず中を覗いてみるけど、あるのは一枚の古い写真。
もちろん見覚えなどない、若い女性だ。
その時、部屋の外からお婆さんの声がした。
お婆さんがお盆を抱えて静かに部屋に入ってくる。
「お嬢さま、お休みのところ申し訳ございません。お茶をお淹れしたので、粗茶ですがよければお飲みください」
「ありがとうございます。いただきます。でも、そんな畏まらなくてもいいですよ」
苦笑しながら、湯飲みを受け取り、一口啜る。
お茶の味のことはよくわからない。
ただの緑茶のようにも思えたし、一口飲んだ後に、この村のものを無警戒に口に運んでよかったのかと思い始めた。
失敗したかもと思いつつも、じっと私の様子を見守っているお婆さんがいては、飲まない選択肢もし辛い。
私はお婆さんの圧に負け、全てを飲みきった。
今回こそ死んだかもしれんな。
味は全然わからなかった。
お婆さんは私の正面に正座し、両手をきちんと膝の上で組んでいる。
そして、遠慮がちにこう切り出した。
「この度はおめでとうございます。若いのに儀式にも参加していただけるとお聞きしました」
えっと、佐藤先輩と美咲のことだよね。
私を殺して儀式に参加させてやる!という宣戦布告じゃないよね。
「婆ちゃん、何してるんだ。お茶は要らないって言っただろ?」
足音も気配もしなかった。
いつの間にか、金光先輩はお婆さんの後ろで苦笑していた。
お婆さんを心配するような口調だったのに、お婆さんは怯んだように俯き、それ以上表情は読めない。
「…目出度いことですから」
「気持ちは分かるけど、俺たちにも心の準備があるから、そっとしておいてほしい。ただでさえ、皆は知らない土地で緊張してるだろうし、不安にさせたくないんだ」
ふと視線を巡らせると、部屋の隅の掛け軸が目に飛び込んできた。
村全体を描いているようで、田んぼで稲作をしている男女とその奥には山が描かれている。
絵は春夏秋冬を表しているようだ。
春には子どもの男女が田植えをし、夏には育った稲の中で若い男女が紋付袴羽織と白無垢を着て見つめ合っている。
秋には男女は赤子を背負いながら稲刈りをして、冬は雪の中老いた男女が山を上っている。
その男女を先行しているのは白い狐。
「気に入ったか?」
いつの間にかお婆さんはいなくなり、金光先輩がニコニコと私を見ていた。
「よくわかりません。これは村の一年を表してるんですか?」
金光先輩はいつもの、少し陽気で掴みどころのない笑顔で、私の隣に立ち、同じ掛け軸を見つめる。
慈愛に満ちた、優しげな眼差しを向けている。
良い思い出でもあるのかもしれない。
「命を循環させているんだ」
「命を循環、ですか?」
言葉を繰り返しながら、私は慎重に訊いた。
それにしても、冬の絵だけが異質だ。
「この冬の絵だけ、少し他の季節とは違いますよね。なぜか山へ登っていくみたいだし、白い狐がいるし、何か宗教的な意味合いでもあるんですか?」
「そうだな。この村では、命は巡回するものと考えられてるんだ。死んだ魂は山に行き、それからまた戻ってくる」
金光先輩は少しだけ視線を落とし、穏やかな声で答える。
そういう話は聞いたことがある。
祖霊信仰のことだろうか。
だけれど、それと今回の死者の結納が繋がらない。
私が考え込んでいる間も、金光先輩の話は続く。
「狐は道に迷った魂を、正しい場所に導いてくれるんだ」
「狐神家と関係あるんですか」
「そうかもな」
「死者の結納のことがわかりません。未婚の男女だと、山に上れないとかですか?」
「だって可哀想じゃないか」
金光先輩は少しだけ困ったように眉を寄せた。
「誰だって一人は嫌だろ?死んでいる時に誰かと一緒だったら、支えあえるじゃないか」
「死んだ後で支え合いが必要な事が起きるんですか?」
「生まれ変わることだよ」
金光先輩の目は変わらず穏やかだ。
ホラー映画のモブに理由もわからず転生した私が、金光先輩の宗教観を否定するつもりはなかった。
かといって、転生者だからといって、輪廻転生について悟れることはない。
私が完全には金光先輩たちの考えを理解できないように。
金光先輩の考えだと、結婚しないまま転生した私は可哀想になってしまう。
独身者に厳しい宗教観だ。
私は掛け軸から視線を外し、窓の外を見た。
夕暮れが近いのか、空が半分オレンジに染まり始めている。
ここは確かに映画とは少し違う。
金光先輩の話す口調や態度には、なんの不自然さもない。
彼は本当に、ただ歓迎してくれているだけなのかもしれない。
「腹減ったろ? 夕餉の準備ができてるはずだ。婆ちゃんの料理はうまいぞ。さあ、行こう」
彼はそう言って、私の肩を軽く叩くと部屋を出て行った。
私はまだ掛け軸を見つめながら、小さく息を吐いた。
少しばかり胸騒ぎがするが、それを追い払うように首を振り、その後を追うことにした。




