88 記憶の海
学校から帰ると美雨は、ベッドの上に今日もらったプレゼントを並べてみた。例年だと両親からのプレゼントの他にはあゆみと澪からもらうだけなのに、今年はすでに五つも並んでいる。
あゆみからは、もう毎年恒例になりつつある弁当箱だ。今年のは、深いコバルトブルーに白い花が散っている小判型の弁当箱だった。
澪からは、天使のマスコット人形のストラップ。この甘すぎない可愛らしさが、センスのいい澪らしいセレクトだと思う。
弁当箱と天使のストラップの隣に並べたのは、ほんの数日前に今日が美雨の誕生日だと知ったばかりなのにちゃんとプレゼントを用意してくれたセスナと希羅梨から贈られたものだ。
セスナからは、朱塗りの櫛だった。描かれている白い撫子の花が繊細できれいな品だ。もしかしたら高価なものなのではないだろうかと青ざめながら尋ねてみたけれど、そんなことはないとセスナは笑っただけだった。
「今年は、いっぱい貰っちゃったなぁ」
呟いて、美雨は二匹並んだくまのうちの、小さい方を手に取った。ピンクのギンガムチェックの布で作られたそのくまは手作りで、希羅梨からのプレゼントだ。手のひらにちょこんと乗る程度の小さなもので、隣に並んでいる大きな茶くまとは対照的だと言える。
この前のお礼を兼ねた誕生日プレゼントとして貰ったこのぬいぐるみを選んだのは晴音だと言っていたから、別に雪都と希羅梨が申し合わせてくまになった訳ではないだろうけれど、だけどくまが二匹並んでいる、仲良さそうに。
「……」
子供の頃、雪都の隣にいたのは美雨だった。
それは間違いない、すごく仲が良かった筈だ。
それなのにどうしてこんなに遠くなったのだろう?
わからない、覚えてない。思い出そうとすれば、何故か頭が重くなる。どうしてだろう、何も思い出せない。
美雨は並べているプレゼントを避けて、ベッドの端の方にぱたっと倒れ込んだ。頭が重い、体がだるい。
目を瞑ってしばらくベッドで寝転んでいると、階下でガシャッとドアが開く音がした。ばたばたと廊下を歩き、階段を昇って来る足音は二人分。父と母が帰って来たのだ。
「美雨、誕生日おめでとう!」
「おめでとう、美雨」
先に父の草一郎が、続いて母の栄が部屋に入って来た。
草一郎の手には、ケーキの白い箱。栄の手には、金色のリボンがかけられた紙包みだ。
どちらも自分への贈り物だとわかっている、美雨は慌てて起き上がって嬉しそうな笑顔を作った。
「寝ていたの、美雨?どこか具合悪い?」
「ううん、ちょっとうたた寝しちゃっただけ。元気だよ」
「そう?」
額に伸びて来た母の手はひやりと冷たくて、とても心地よいものだった。栄は、まるで癖になっているかのようによく美雨の額に手をやって熱を測る。
いつまでも子供扱いされているみたいで本当は少し嫌なのだけれど、母が自分を大切に思ってくれているのはわかっているので、美雨はいつも大人しく測られることにしていた。
「熱はないみたいね、本当に元気?」
「元気、元気」
「そう、ならいいけど……あらぁ、たくさん貰ったのね」
ベッドの上に並べられた、いかにも誕生日プレゼントに貰ったらしい品々を見て栄は目を細めた。草一郎もすごいなと嬉しそうに言って、天使のストラップを手に取る。
「じゃあ、これはお父さんとお母さんからね。開けてみて」
手渡された紙包みを美雨はすぐにガサガサと開けた、中から出て来たのは茶色い小さな水玉模様のワンピースだった。ノースリーブのすっきりしたシルエットの服で、ふりふりひらひらが好きな栄のデザインとは思えないようなシンプルなものだ。飾りといえば首の後ろで結ぶようになっているリボンくらいで、そのリボンが背中に長く垂れ下がるのがポイントの可愛らしいワンピースだ。
それを見た途端、美雨はキャーと嬉しそうな声をあげた。毎年、可愛い服を貰うけれど、今年の服はなんだかひと味ちがう。大人っぽいと言うには可愛いデザインなのだけれど、やはりどこか大人っぽい。
「気に入った?」
「すごい、可愛い!」
「でしょー?」
美雨はベッドからぴょんと飛び降りるとクローゼットを開けて、その扉の内側に張ってある鏡にワンピースを当てた自分の姿を映し出した。こんなシックな色はあまり着たことがない、似合うだろうか?
「この大きなくまさん、誰にもらったの?」
鏡にワンピースを当てた自分を映して、右を向いたり左を向いたり、また正面を向いたりしていた美雨の耳に、何気ない栄の質問が聞こえた。
永沢くんから貰ったと正直に言っても別に支障はない筈だ、美雨が雪都とつき合っているなんてとんでもない誤解はきちんと解けている。けれど美雨は、「同じクラスの友達から」なんて、嘘ではないけれど、誰かは特定できないような答えを返した。
「可愛いわねぇ」
ワンピースを抱えたままで振り向くと、都はベッドの上に座っているくまの首のリボンをちょいちょいと直している。その隣で草一郎は、セスナから貰った櫛を手に取ってまじまじと見ていた。
「ね、お父さん、お母さん」
「なあに?」
「何だ、美雨?」
「前は……小学校の低学年くらいまでは、お誕生日パーティはいつも永沢さんと一緒にしてたよね。どうして一緒にしなくなったの?」
父と母は、二人同時に振り向いた。二人とも、こちらが驚いてしまうくらいの驚いた顔をしている。
「な、何?何かあったの?」
美雨の知らないところで、親同士の喧嘩でもあったのだろうか?両親のびっくり顔に驚いて、美雨は思わず一歩、後ろにさがった。
「あー……そう言えば、そうだったわね。どうして一緒にお祝いしなくなったのかしら?」
「忙しいんだよ、うん。永沢さんは、お仕事が忙しいから集まれなくなったんだよ、うんうん」
「そうね、そうだったわよね。ええ、そうでした」
「そうだそうだ、そうだったんだよ、美雨。わかったか?」
ぎこちない答えと取り繕ったような両親の笑顔に、美雨の足元がぐらりと揺れた。頭が重い、何か……何か、大切なことを忘れている?
「美雨、真っ青だぞ!」
「やっぱり具合が悪いんじゃないの?」
駆け寄って来た両親の手に支えられて、美雨は辛うじて立っていた。
何だろう、寒い。
冷たい。暗い。
助けて、雪くん。
私は、ここにいる……。
「美雨、ベッドに横になりなさい」
「美雨、大丈夫?美雨、美雨!」
小学四年生の秋、イジメで体育倉庫に閉じ込められた時の記憶を美雨は失っている。そればかりか、何年にも渡っていじめられていたという記憶そのものがぼんやりと薄れてしまっているのだ。
あの夜、美雨が発見された後で、俺のせいなんですと吐き出された雪都の苦しげな声を草一郎は今でもありありと思い出せる。
『俺のせいなんです、ごめんなさい。ごめん、美雨。ごめん、ごめんな』
詳しい事情を問いただせば、それは決して雪都のせいではなかった。けれど、原因が雪都だったことは確かで。
美雨には、転校するように言った。品のいい私立のお嬢さん学校なら、そんな理不尽なイジメにあうこともないだろうと思った。だけど、美雨はどうしても転校を承諾しなかった。どうしても雪都と違う学校になるのは嫌だと言い張ったのだ。
しかし、美雨がそんなにまでして一緒にいたいと願った雪都は、美雨が復学するとすぐに美雨を冷たく突き放した。その理由が痛いほどわかって、だけどどうにもしてやれなくて草一郎も栄も心を痛めた。
あれから七年以上が過ぎた、美雨はいじめられることなく楽しそうに学校に通っている。
多くの友達に恵まれているらしいことは、ベッドの上に並べられた贈り物の数々でわかる。どれも美雨のために心をこめて選ばれた品ばかりだ。美雨が好きそうな、可愛らしい小物たち。
「ほら、美雨。しばらく横になってるといい。夕食の準備は、お父さんとお母さんでするから」
「貧血ね、きっと。少し寝ていれば治るわよ」
美雨をベッドに寝かせてから栄は、ベッドの上に並んでいたプレゼントを机の上に移動させた。弁当箱、ストラップ、櫛と小さなテディベアをまとめて机の上に移し、持ちきれなかった大きなくまのぬいぐるみも移そうと振り向いたらちょうど、ベッドに寝ている美雨が腕をのばしてそのぬいぐるみを引き寄せたところだった。ぎゅっと、両腕で抱いている。
「あらあら、くまさんと一緒にねんねするの?大きな赤ちゃんね」
からかう母の言葉は聞こえなかったことにして、美雨は目を瞑った。どうしてか頭がひどく重かった。




