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79 一人きりの屋上で


 雲が早い、雨になるのだろうか。


 屋上の固いコンクリートの床の上に寝転んで一人ぼんやりと空を眺めていた雪都は、少し降ってくれた方がいいなと思った。

 湿度が高くて、蒸し暑い。

 風があるから過しにくいというほどではないが、やはり暑い。もっとも、晴音を雨の中を連れて帰るのは大変だから、降るなら夜になってからの方が助かるのだが。


 放課後になるのを待って、雪都は退部届を出した。コーチの林美玲は、雪都が膝を痛めたこと、インターハイが狙えないなら今から受験勉強に専念したいということを説明すると、無言で退部届を受け取った。

 雪都も無表情な方だが、美玲も負けず劣らず無表情だ。お互いに感情の読み取りにくい顔を見合わせて、何か言いたいが言葉が見つからない、そんな気まずい数秒のあとに雪都は、「お世話になりました」と頭をさげた。


 部活に出ないとなると、晴音のお迎えまで中途半端に時間が空く。一旦、家に帰るという手もあるが、それはなんだか億劫な気がした。

 図書室で勉強するかと思いつつ、雪都の足は屋上に向った。昼休みにはいつも仲間達と昼食を取る屋上に、一人であがる。


 寝転ぶと、空が青かった。

 昼休みより幾分、色が薄いような気がした。


 陸上を選んだのは、サッカーやバスケみたいな団体競技ではないからだ。人と馴れ合うのは苦手だった、自分一人の力だけが試されるスポーツがいいと思った。


 走るのは、好きだった。

 スピードがあがると、向って来る風の音しか音が聞こえなくなる。

 その瞬間が好きだった。


 時間の感覚が狂うような、あの独特な数秒。

 周りの音が消え、風だけを感じて走る。


 雪都は、ズボンのポケットに入れてあった携帯を取り出した。美玲に挨拶をしている時にマナーモードにしてあった携帯が震えたのを思い出したのだ。

見てみると、それはメールだった。発信者は、『姫宮』。内容は、『中森さんと席が近くなって良かったね』 と、それだけだった。


 『どうして窓側って言わなかった?』、そう打ち込んで雪都は送信ボタンを押した。希羅梨の答えは、訊かなくてもわかる。だけど、あえて訊いてみたかった。

 返信は、すぐに来た。


 『だって、阿部くんの前なんて緊張しちゃうから。後ろだったら良かったんだけどね!』


 予想通りの返事。素直なような、捻くれているような。


 六時間目が終ったあとで、阿久津が一時間目に集めたノートを持って来た。阿久津は集めたノートを休み時間の間に確認して、その日のうちに返すことが多い。

 ノートの山を抱えて教室に入って来ると阿久津は入り口付近で立ち止まり、「席替えしたんだね」と、いつもの穏やかな顔で笑った。そして、中央よりひとつ廊下寄りの列の前から二番目の席に迷いなく近づいて行った。


 「悪いけど、返しておいてもらえるかな」という阿久津の声と、それに答える美雨の「はい」という声が、前を向いたままの雪都の耳に届いた。日直か委員長に言えよと思ったけれど、雪都は振り向かなかった。阿久津は、ノートを置くとすぐに教室を出て行った、それでも振り向けなかった。


 阿久津の授業は、週に三回ある。その度に美雨の視線は、ナナメ前の席の雪都を素通りして教卓の阿久津に向けられるのだろうか。


 「雨、降らねえかな」


 風が雪都の独り言を軽やかに攫って行く。強い風だ、だけど雪都が欲しいのはこんな風ではない。


 「……暑い」


 雪都は、腕で目を覆った。その途端、空は見えなくなった。




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