78 ナナメ後ろ
五時間目のロングホームルームの時間に、3年A組担任の来栖涼華は教室を見回して、「席替えでもしよっか?」とほざいた。一年の時も二年の時も、席替えは学期ごとに一回だったので、それがこの学校の決まりなんだと思っていた美雨は少なからず驚いてしまった。
「天気もいいし、六月になったし、天気もいいし。気分転換に席替えするぞー」
また涼華サンの気まぐれが始まったと、野次ったのは和馬だった。涼華はそれを聞くと、文句があるならかかって来なさいと教卓の横でファイティングポーズを決めた。
どうやら、席替えは涼華の気紛れらしい。だけど正直なところ助かると美雨は思った。背の低い美雨に今の一番後ろの席はつらいものがある、黒板の下の方に板書されると見えなくて困っていたのだ。
「くじ引きでいいよね、ドキドキくじ引きターイム!」
黒板に机の数だけマス目を書いて、涼華はそれにひとつずつ数字を書き込んで行った。腰をふりふりチョークを使う英語教師は、何故か無駄にノリノリだ。
「はーい、好きな子の隣になりたい奴は自己申告!こっそり裏工作してあげるわよ」
こんなに堂々と宣言しておいて、こっそりも何もないだろう。しかし、涼華は至極本気のようで、希望者はいないのーと言いながら、ノートを破ってくじを作っている。
「あ、片想い限定ね。両想いは並べるといちゃつくから、むしろ離す」
なんじゃそりゃと、突っ込んだのはまたしても和馬だった。涼華はにやりと笑うと、窓際の一番後ろにあたるマス目に、アベとカタカナで書き込んだ。そして、廊下側の一番前のマス目に、アスカイとこれもカタカナで書き込む。要するに、教室内で最大に離れるように両想いカップルを勝手に配したのだ。
「何を勝手に決めてんだよ……」
「アンタはでかいから一番後ろ。飛鳥井は小さいから一番前、なんか文句あっか?」
そう言ってまたファイティングポースを決める涼華に、和馬は勝手にしろと答えて脱力したように机に突っ伏した。
「えーっと、永沢はぁ、やっぱここよねぇ」
「おいこら」
中央の列の一番前、つまり教卓の真ん前にあたるマス目にナガサワと書き込んだ涼華に、雪都はこめかみをぴくりと引きつらせた。
「俺もでかいんだから、後ろにしろよ」
「いいのいいの、アンタはいいの」
「何がいいんだよ?」
「つーか、永沢は卒業するまでこの席で固定ね。あたしと見つめ合える、と・く・と・う・せ・き」
「ふざけんなっ!」
ダンッと机を叩いた雪都を見事に無視して、涼華は「姫宮ー」と希羅梨を呼んだ。
「という訳で、姫宮は自動的に後ろってことになるけど、窓側と廊下側、どっちがいい?」
「え?」
「窓側にしとく?一番後ろは埋まってるから、阿部の前ね。日当りいいわよぉ」
希羅梨は、すっと立ち上がった。そして、まだ机に突っ伏したままの和馬の方を見る。
「どうする、姫宮。窓側?」
希羅梨はにっこりと笑うと、廊下側にしてくださいと答えた。窓際はこれから暑いからとつけ加えて、そして静かに座った。
「ああ、そうねえ、確かに窓際は暑いわね。片腕だけ焼けちゃうのよね、窓際って。よし、窓際には焦げようが剥けようがどうでもいい、野郎どもを並べるか!」
フンフンと鼻歌を歌いながら、涼華は窓側の一列に次々と男子の名前を書き込んでいった。この調子で全部決まってしまうのだろうかと美雨が思っていたら、残りの席はくじ引きになった。涼華がノートを破って作った即席のくじを教卓までひとりずつ引きに行く。
あまり後ろの方になりませんようにと、美雨は祈りながらくじを引いた。出来たら、廊下側の一番前になったセスナの後ろあたりがいいのだけれど、なんて思いながら引いたくじを開くと、『20』と書かれていた。黒板の表を見てみると、20番は中央よりひとつ廊下寄りの列の、前から二番目だった。
「……」
要するにそれは、教卓の真ん前の席に勝手に固定されてしまった雪都のナナメ後ろの席ということになる。今までは、それこそ涼華が故意に離した和馬とセスナ並に離れていたのだから、これはものすごい急接近と言えた。いやいや、ただ単に席が近くなっただけのことなのだけれど。
「はーい、じゃあ机ごと移動して!椅子も持ってくのよぉー」
パンパンと手を叩きながら涼華がそう言うと、クラス全員が一斉に自分が使っている机の天板に椅子を逆さに乗せて、ガタガタと移動を始めた。美雨も慌てて椅子を机の上にあげて、ずりずりと半ば引きずりながら動かした。
椅子がのっているせいで持ちにくい上に、教科書やら辞書やらで満杯の鞄を脇にさげているから重い。背が低いの美雨には結構大変な作業で、廊下側の一番後ろから新しい席まではほんの数メートルの距離しかないのになかなか辿り着けない。
美雨がもたもたしている間に、他のみんなはどんどんと移動を終えて行く。みんなが机を並べてしまったら動けなくなるから、美雨は必死でずりずりと机を動かした。すると不意に、美雨の両腕にかかっていた重みが消えた。顔をあげると、逆さにした椅子の足の向こうに薄茶色の髪が見えた。
「ここか?」
「あ……うん、ありがと」
自分の机はさっさと動かしてしまった雪都が、美雨の机をひょいっと動かしてくれたのだ。中央よりひとつ廊下寄りの列の前から二番目、つまり雪都のナナメ後ろの席に。
ち、近い……。
新しい席に座って、最初に美雨が思ったのがこれだった。幼馴染の彼が近い、手を伸ばせば届いてしまう距離だ。
う、うわぁー。
何が一体、うわぁーなんだか。
わからないけどとりあえず、美雨はうつむいた。うっかり顔をあげると、薄茶色の髪が見えてしまうのだ。
う、う、う、うわぁーうわぁー。
希望通りの前の方の席で、美雨はひたすらうつむく。こんなにうつむいてたら、いくら前の席になっても黒板は見えないのだが、だけど美雨はどうしても顔をあげることが出来なかった。




