67.合間
「これが、俺があの人によって忘れていた記憶で、約束の十二月一日の前日、俺はこの郷に迷い込んだんだ」
不安げに揺れる瞳で、小春が恐る恐る聞いてくる。
「空にいた、アレがそうなの?アレはとても、奉られているような存在に見えなかったよ」
「ああ。あの人は信仰を無くし、忘れられていくことを嘆いていた。多分もう、神として弱くなっていたんだと思う。
川にいた奴に取り込まれたんじゃないかな。川にいた奴は、絶対にあの人じゃない。奴は、取り込んだことで俺とあの人の約束を知ったんじゃないかな。
約束の日を前日にして、俺を捕まえるために出向いたけれど、俺はこの郷に逃げ込んだ」
ちょっと待った、と小鳥少年が静止をかけた。
「岩兄ちゃん、取り込まれたなら尚の事、約束の期日を無視しないだろうし、岩兄ちゃんの意思を聞くんじゃないの?」
「ああ。そうだな。期日前に来たのは確実に捕らえた状態で期日を迎えるためじゃないかと思う。約束の効力が働いている状態なら、俺を見つけやすいとか有るんじゃないのかな。
時間の余裕がある内に俺を捕捉したかったんじゃない?そこら辺は俺には正直、分からないけどな」
「とりあえず、約束の前日に岩木を捕まえることは自由だし、捕まえようとしたことも間違ってないよ」
なぜか森津木さんから肯定が入った。
「岩木が迷い込んだ日、岩木の膝下、海水で濡れいたから。潮の匂いがしたから覚えている」
「濡れてたんだ…。起きた時には乾いてたから分からなかった」
「匂いが気になって、軽く洗ったしね。何かから逃げたんだろうなってのは一目瞭然だったよ。どす黒い執着と害意が足に絡みついていたから。その執着元が『川にいた奴』なんだろうね」
俺は初日から森津木さんに洗濯させていたらしい。
しかも『どす黒い執着と害意』がついているにも関わらず、当日から今に至るまで良くしてもらっていたことに驚く。
「そんなものが付いてたのに仲良くしてくれて有難うございます」
俺、説明担当が森津木さんで本当に良かった。拝んでおこう。
「いや、ごめん岩木。御山を潜ったから、朝には落ちていたよ。
残滓だったから。だから、拝むのやめて。小春が真似する前に」
え、だめなの?と小春が視線を寄越した。すでに小さな手は合掌の形になっている。
和み成分を補充しつつ、頭を撫でると嬉しそうに破顔した。
頃合いを見計らっていたのか、小鳥少年が軌道修正をかける。
「で、岩兄ちゃん。その神って、本当に取り込まれたの?変質したってことはない?」
「ああ、それなんだけど…。多分、俺、川のアイツ見たことあるんだ」
「見たことあるの?」
「お兄ちゃん。それは、神様とあった夏の海?」
小鳥少年と小春は、息の合ったコンビネーションで疑問をかぶせてくるなぁ。
「そうだよ。田舎だから街灯なんてほとんどないし、灯台に明かりなんて入ってなかったし。夜は本当に星がきれいに見えるんだ。
天文部だった近所の兄ちゃんに誘われて、夜の海辺で天体観測したんだ。
近所の子供も総出だったから、賑やかで。皆でワイワイと夏の星座を探して。
俺も分からないなりに空を見上げていたら、ふと、下に何かが蠢いた気がして。あれ?って視線を下にやるとさ。綺麗な星空の下の海にアイツがいて―――見なかったことにした」
「「「見なかったことにした」」」
三人の声が綺麗に重なった。
「皆で和気藹々と星座を探して。星の光が柔らかに空いっぱいに光ってって。全然暗くなんてないんだ。皆声を弾ませて、楽しそうだった。そんなところに、黒い変なのが波間に見えるなんて、言えないだろう?相応しくない。だから、見なかったことにしたんだ」
へ、へえ。小鳥少年が絞り出すように相槌を打つ。
「岩木。もしかして、アイツとやらの正体、目星ついていたりする?」
流石、森津木さん。鋭い。
「多分。田舎で、あの綺麗な人の話なんて聞かなかったけど、たまに大人が子供に言い聞かせる言葉があったんだ」
夜の海で遊んじゃいけない
お盆の海で遊んじゃダメよ、魚も採ったらダメ。殺生はダメだからね
船の上で騒いじゃいかん
言うこときかない悪い子は海に引きずり込まれるからね
大人が、子供に言い聞かせるとき、便利な存在。
危害を加えてくる、化け物。
あの田舎で、誰もが知っていた化け物。
「海坊主」
「俺は、あれを、そう認識している」
話しているうちに、郷の空はすっかり夕闇が広がりつつあった。
海坊主のくだりで、へえ、と相槌を打った森津木さんが、外の空の色に気づいた。
「夕ご飯、どうしようか」
どうやらこのまま、俺の相談に付き合ってくれるらしい。
二日連続で多少申し訳ない気がしたが、厚意に甘えておくことにする。
小鳥少年も、空を見て「あ」と声を上げてすぐに話題転換に食いついた。
「話はあとだね、先にご飯、ご飯」
いつもながらこのメンツだと、真面目な話は長続きしない。けれど、それ位が丁度良いのだろう。
「昨日は鍋だったから、今日は鍋以外で。小鳥、小春、岩木、何か食べたいものは?」
悩んだ末に小鳥少年が呟いた。
「煮魚…?でも、今からつくるのもなぁ」
「栄養価が高いもの!お兄ちゃんの肉になりそうなやつ」
「岩木は?」
「あったかい汁物が欲しいですね。あと生姜」
俺たち三人の意見が出そろったところで森津木さんが取りまとめた。
「僕は、ひたひたになって柔らかくなった牛蒡が食べたい。二人とも、明日仕事は?」
小鳥少年と二人でフリーだと答える。
「なら、多少遅くなっても食べたいものを食べよう。小鳥、我慢できなかったらお菓子つまんでいいから待っててよ。
生姜を利かせた煮魚作ろう。牛蒡と玉葱も入れて煮込むやつ。魚なら、小ぶりだけど僕の処にある。ちょうど、魚料理にしようと買ってたんだ。
魚料理は僕が作るから岩木は汁物とお米お願いね。柚子のお吸い物が飲みたい。
小鳥、何か他に一品できる?」
「ううん、小鉢料理だよねぇ。俺が作れる数少ない料理からなら、かぼちゃの煮物あたりでどうかな。
緑足りないから、刻み昆布も入れるよ」
「あ、じゃあ、俺、茶碗蒸しも作ります。簡単レシピで作ってみたい茶碗蒸しがあるんで。具はかまぼこだけですけど」
「待って!銀杏あるから!渡すから!入れて!僕のには二つ入れて!」
森津木さんが常にない食いつきを披露する。
「了解。小鳥少年は一つでいい?」
「うん。俺は一つでいい」
「小春は俺と半分こでいい?」
「あい」
「じゃあ、森津木さん、銀杏四つ、お願いできますか?」
「もちろん。飾り用のみつばも分けてあげよう」
森津木さんと小鳥少年は下準備した鍋や布団を持ち込み、煮込みをしている間に順番に風呂に入った。コンロもストーブの上も鍋で埋まり、茶碗蒸しはレンジである。
「あとは余熱でいいよ」と小鳥少年は発泡スチロールの中に段ボールを敷き、その中に鍋を入れた。何その小技。何で俺は今まで思いつかなかったのだろう。
ようやっと晩飯にありつく頃には外は真っ暗になっていた。
午後七時半。少し遅めの晩飯である。
煮魚は生臭さがなくて、見事な茶色だ。森津木さんは醤油の使い分けも出来ていて完璧である。
「美味しい~。森兄ちゃん、魚美味しい」
「ありがとう。ゆっくり食べてね」
小春と二人だとまず出来ない豪華な晩飯である。
「煮込まれた牛蒡がこんなに美味しいなんて、俺知りませんでした」
「美味しいよね、牛蒡。魚の煮汁で出汁もたっぷり。贅沢だと思う」
その通りだ。何せ美味い。
小鳥少年作のかぼちゃも、煮込み時間短縮目的だろう、小さめの一口サイズになっていて、あまり煮込まないおかげで刻み昆布の触感が残っていて美味しい。
俺作の二品はぼちぼち、である。
「で、岩木。これからどうする気」
魚の身をほぐしながら、少し考える。
「そうですねぇ。まずは、海坊主の方。アイツの踏まなきゃいけない手順を予測して、対策を考えないと。出来るなら、海神様を分離させて、保護したいです」
食事の前に、小鳥少年から聞かれてた後半の疑問に答えてないままだけど、いいのかな。
ま、いっか。
「あ。もう、海神様ってよぶことにするの?」
「はい。細やかだけど、俺の信仰だけでも」
この、魚の上と下の骨についた小さな身が、毎回気になる。
綺麗に取れないんだよなぁ。頬肉は小春の皿に。伊勢海老食わせてやれないから、せめての罪滅ぼしだ。
小鳥少年はその外見からは想像もできないほど、魚を綺麗に食べていてビックリする。
「お兄ちゃんが信じるなら、きっと力になるよ。私も海神様って呼ぶよ」
小春はいつでも健気で可愛い。うん。ありがとな。
茶碗蒸しの底まで掬いおわった小鳥少年が、ふう、と満足げな息を吐いてから視線を上げた。
「じゃ、手順って?」
少し、躊躇する。何となく、その手順の予想はついているのだけど、言葉にするのに勇気がいる。
「まずは岩木が約束を思い出す。その上で、この郷から現世に帰る。そして約束の日を迎えたうえで、食う。そんなとこかな」
森津木さんが、吸い物の椀を置いて答えた。
ああ、多分、その通り。現世に帰るってのが、俺が言い淀んだ部分だ。
「なんで?この郷内じゃ食えねぇの?」
「この郷で守り名を手に入れて、名による守護を重ねている岩木は、もう簡単に食えない存在になってしまっているのだろう。だから、力を削ぐために現世に帰るんだ。
この郷にいる限り、岩木の傍には小春がいるしね」
現世に帰れば、俺は郷での記憶を無くす。守り名による守護は『岩木』で無くなった俺にどれほど残るだろうか。迷い込んだ日時に戻るなら、郷での時間をも失った俺に、そもそも守護は作用するのか。残念ながら影響は大きいと考えている。
穏やかな声色で、森津木さんは続ける。
「別に岩木がそこまで強いわけじゃない。一点集中で水のものに対する抵抗が、守り名から生まれたんだ。良かったね、岩木。あの日、舎長に守り名をもらえて。
でも、その影響も現世に帰れば薄れるだろう」
やっぱりそうなのか。なら、猶更、アイツとはこの郷内で決着を着けないと。
ふぅん、と頷いた小鳥少年が「じゃあ」と続ける。
「どうして、岩兄ちゃんが食えない存在になったってわかるの?」
森津木さんに、全部説明させるのはさすがにダメだ。自分のことなのだから。
慌てて口を開いた。
「そりゃ、簡単だよ。ダイジョウが、手順があるといったから。そのまま食えないから手順がある。食えるなら、手順なんて要らないだろ?
ダイジョウが言った『連れゆくには手順を踏まねばならん』ってのは、ダイジョウからみた力関係。悔しいけど、ダイジョウは上位の存在なんだろう?
なら、ダイジョウの見立ては、ある程度信用できると思ってる。個人的なことを言えば、ダイジョウは嘘を言わないと思っているしね。
で、海坊主にとって俺を連れ行くことが目的なら、連れ行くってのは何を指す?
現世に連れ帰ることか、食うことかの二択だと思う。これはどちらでも、同じことだ。奴からすれば、食うために現世に連れ帰るのだから」
ついでとばかりに、夕方の小鳥少年の残っている疑問にも触れておく。
「約束の日を迎えたなら、俺に問えばいい。一緒にいると俺が答えたら一緒にいるために、ひとつになるために食えばいい。一緒にいれないと、答えたならばそこで約束は終わり。
約束のないただの餌が目の前にあるのだから食えばいい」
アイツが俺を食う気がない可能性は考えてない。
傍にいてほしいだけなら、口を揃えて『悪縁』と評されるはずないからだ。
「なるほど」
小鳥少年が相槌を打つ横で、森津木さんはお茶を入れ始めた。
「お兄ちゃん、そこまで予想できるなら、何か策もかんがえているの?」
可愛らしく小首をかしげながら小春が確認してくる。
「どうにか、吸い出せないかなって」
「吸い出す?」
小鳥少年が復唱する。
「ああ、ごめん。言葉選びを間違えたな。分離だ。
俺の勘だけど、空に来たのは純粋に海神様の思念だけだった気がする。
なら、まだ完全に取り込まれてないんじゃないかなって。
とりあえず、海神様を分離させることができれば、アイツの力だって少しは削げると思うんだけどなぁ」
アイツが、俺との約束を消さないために、神様の意識をわざと残しているってのも考えられるけれど、重要なのは神様の意識がまだ有るってことだ。
この郷に迷い込んだ時に見た矢印。あれは海神様が俺を助けるために作ったんじゃないか。御山の鳥居に一直線に、道のあちこちに張られた方向指示。
緑茶の匂いが漂う。
「小鳥。まずはご飯を食べちゃいなよ。冷めるよ」
あ。と慌てて食事を再開する小鳥少年をしり目に、俺も残っている吸い物を飲み干す。
森津木さんは完全に食後のくつろぎタイムに突入していた。




