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押し寄せる波



 一斉に黒く長い胴体が波打つ。

 エノクが悪夢にて対峙した怪物そのものであり、各々が別の形の傷を負っている。夢の中で患者と格闘した影響だ。

 引きずり出すことには成功した。

 だが、まだ足りない。

 駆除しなければ、また患者の中へと入り込む。

 彼らにとっては人の意識の中こそが楽園であり、外界は天敵の多いだけの危地なのだ。

 エノクの役目は――そこに彼らを留めるだけ。


「エノク君、次」

「了解――『止まれ』!」


 エノクの声に魔獣が一瞬だけ震えると、ぴたりと一切の動作を止めた。

 凍り付いたように動かない魔獣たちが、まるで患者たちから伸びた木々のように大広間に林立している。

 動きを止め、伸び切った標的。

 この好機を逃すまじと、患者たちを取り囲むように配置していた五人の魔法使いが杖を手に取る。


 ティアーノが袖の中から出した漆黒の短杖が照明の光に塗れる。

 杖先まで艶を帯びたそれは、骨のような関節の造形であり、他の者たちが携えている物とは異質にして不気味であった。


「皆様、討ち漏らしをお願いします。――職員、ホタルとエノクは伏せなさい」


 ティアーノの指示に全員が従う。

 中央にいたエノクとホタルも床へと伏せた。

 全員が伏せたのを確認して、漆黒の杖が横へと振るわれる。


 その直後。

 ひょう、と風の音が鳴った。


 弧状の線として目視できる風が杖先から解き放たれ、半円形に大広間を疾走する。魔獣たちの胴体を横殴りに過ぎ去っていく。

 風を受けて少し後、遅れるように血を噴いて魔獣が寸断された。

 ティアーノの位置を中心に、その現象は拡大していく。


 エノクは床に伏せながら顔をわずかに上げて辺りを見渡す。

 敵が狙うなら――ここが好機である。


「レイナル、備えるんだ」

『ぐるる』


 エノクは耳を澄ます。

 こういう時、確かに――あれ(・・)が来る。

 大広間全体を捉えるように感覚を研ぎ澄ます。


 ――…………ぁぁああああん、ざあああああん。


 危惧していたように。

 波の音はたしかに聞こえていた。

 その『潮騒』は斜め後方、杖を前に構えたままの魔法使いが立っている。

 杖先は――エノクを指していた。


「ホタル、右斜後方――」

「大丈夫」


 危険を報せようとしたエノクの声に、ホタルはそちらに振り向きもせずに答える。

 魔法使いの杖先は敵意を宿し、今にも魔法を放たんと光を放っていた。

 数瞬の後には、光は暴力として飛び出す。

 その予感に従って身構えようとした。


「まず一人」


 エノクの行動を、ティアーノの声が止める。

 杖を構えていた魔法使いの胴体に飛来した炎が命中し、どんと音を鳴らして炸裂した。吹き飛んだ魔法使いは体を壁面に叩きつけられて床に落ち、そのまま沈黙する。

 一瞬の芸当だった。

 エノクの『潮騒』こそ敵を見分ける指針。

 だが、ティアーノは迷わずあの魔法使いを攻撃した。


「ティアーノ先生ほどの魔法使いなら、魔法を使う前に魔力を感知できる。 あなたに攻撃しようとする魔法使いがいれば、直ちに察知できるのよ」

「そうか。 なら――!」


 再びエノクの耳に『潮騒』が響く。

 次は――左、患者の一人を診察していた職員。

 片手を懐中に入れ、身を低くしたまま二人の方へと迫っていた。

 その挙動を見たホタルが素早く杖を向ける。


「――『火炎(イグレフテ)』!」


 杖先が白熱し、前方の虚空に向けて放射状に複数の火の玉が放たれる。

 患者ではなく、職員へと殺到したそれらが過たず標的だけに着弾した。


「ぐあああああああああ!!」

「消化」


 ホタルの杖が元の状態へ戻ると、同時に職員の体を焼いていた焦熱が消え去る。

 火傷を負った職員は、白目を剥いてその場に倒れ伏した。

 流れるように素早い撃退。

 ホタルの魔法の一芸にエノクは驚かされた。

 本来なら子供を関わらせるべきでない剣呑な現場で、ティアーノからの信頼を受けて最も危険なエノクの直近を任せた理由を垣間見る。


 敵は倒した――が、まだ『潮騒は』止まない!


「次は――全方位!?」


 どっと周囲から押し寄せるような音だった。

 ティアーノとホタルという隙間を除いて――この治療棟の大広間が鳴動しているかのような圧迫感となって耳朶を打つ。

 エノクは鋭く周囲に視線を奔らせる。

 二人が難なく撃退された様子に功を焦ったか、もはや形振り構うまいと職員全体が動き出していた。


「この数――!」


 ホタルが舌打ちする。

 その顔色に深い焦りの色は無い。ホタルには全員を相手取る実力があるのだろう。

 時間を取れば、確実に全員を討滅できる。

 だが、誰かを守るという目的を持つ以上は自由に動けない。

 エノク、という条件がホタルの行動範囲を制限しており、総じて不利な状況を招いている。


 だから――守られているだけではいられない。

 エノクは肩の上の毛玉に触れた。


「レイナル…………『やれ』」

『グルルルルァァァアア!!』


 エノクの肩から跳び上がった毛玉が数十倍にも膨張し、大虎の体格へと変身する。

 ずん、と床を重たく響かせて着地するや七色をした銀毛の毛先を震わせて、周囲一帯の空気に光の粉を撒いた。

 綺羅星のごとく、殺伐とした大広間を彩る。

 誰もが一瞬、その光景に見惚れて…………すぐ後悔することになる。


 星の一つひとつが一条の閃光へと変化した。

 肉薄する職員たちの急所を次々に射貫く。

 音もさせず、まるで雷のように瞬く間だけ姿を見せた光のすべてが命を刈り取った。職員たちが床に転倒し、そのまま起き上がらない。


 これで職員は全員倒した。

 あとは、魔法使いのいずれかに敵がいる可能性がある。

 だが、彼らは動かない。

 大広間でティアーノとホタル、そしてレイナルが職員などを倒した事実に驚愕で固まっている様子だった。


 エノクはその反応に目を顰める。


 つまり、彼らは敵ではない。

 事情を知らず、職員たちを攻撃したティアーノとホタル、レイナルを訝しんでいるのだ。

 ならば、彼らはエノクを狙う手勢とは無関係という証左。


「どういうことだ」


 けれど。

 エノクの耳は、まだ『潮騒』を聞いていた。


「エノク君、他には」

「他には――」


 音を意識で辿る。

 波の音は何処から――考えていく内に、それが足下から湧いていることに気付いた。


 エノクは床に伏せていた体を、床面を叩くようにして横へと跳ね飛んだ。

 そして離れた体を追うように、銀色の凶刃が下から突き破って現れた。


「―――!」

「あら、また気付かれてしまったわ」


 色香を含んだように甘い声。

 エノクとしては、聞き馴染みは無くともまだ記憶に真新しい声だった。


「襲撃者…………!」

「エノク君、今度こそ連れて行くわ」





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