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合否通知



 花芽吹きの季節の陽光に包まれる港湾。

 このレギューム地中海は塩分濃度が高すぎる上に、さまざまな大河川との繋がりがあって、固有種の魚がよく揚げられる。

 そんな物珍しさと、それを売り捌く(たな)に世界が注目している。

 そんな港の喧騒を見下ろす場所にある宿に、エノクとベルソートは宿泊していた。



 試験から三日が経った。

 ベッドの上で怠惰に寝転ぶエノクは、窓外の青空をのほほんと見詰めている。

 宿の一室は狭く、ベルソートは文机で何かを書き付けていた。()ペンの先を紙面に走らせ愉快そうな面持ちだ。

 エノクはそんな姿の老爺を恨めしそうに睨む。

 助言を与えてくれたとはいえ、試験の存在自体を忘れて土壇場勝負をさせるなど、保護者としては杜撰すぎる。

 しかも、試験終了までの間に学院の女性を逢引に勧誘(ナンパ)しているとなれば尚更だった。


「おい、ベル爺。少しは反省してくれよ」

「ワシは信じとったぞ。ヌシなら遣り遂げると」

「誤魔化さないでくれます?」


 非難めいた言葉も効かない。

 ベルソートはどこか浮わついている。

 エノクの命懸けの合否など意中にない様子だ。


「ベル爺、俺は合格してるかな?」


 エノクは少しでも自分を案じているのか、ベルソートに訊ねた。

 すると、彼は常識を問われたように心底意外そうな顔を向けてくる。


「何を言っとる?」

「え?」

「ヌシが合格せんわけがなかろう。ワシが見込んだ才能じゃぞ」


 エノクは途方に暮れた顔になって、後で照れて赤くなった顔を逸らす。

 普段から子供の羨望や大人からのお世辞を聞いてきたが、臆面もなく人を褒めるベルソートの言葉は今までと違う。

 エノクには祖父母がいない。

 それどころか肉親も(・・・)


 立たされた事のない逆境で、初めて救いの手を差し伸べてくれたベルソートは、メリーの両親とも異なる親近感と恩義を感じている。

 だから、些細な誉め言葉でもなぜだか嬉しくなる。


「過信はよくない!」

「正当な評価じゃ。それに、ヌシが頑張っとるのは知っとったしな」


 さも自分のことのように胸を張るベルソート。

 エノクは微笑みつつ、まだ浮わつきを見せる彼を睨み続けた。


「……ナンパ爺め」

「ヌシにはまだ早い、大人の嗜みじゃ。というか、ヌシの場合は不純異性交遊でも死刑じゃったりな!」

「冗談にならないからやめろよ!?」


 エノクは跳ねた心臓を押さえるように体を掻き抱く。

 自分の窮状を忘れたときは一瞬も無いが、人に言われると嫌でも強く自覚させられる。裁判に立ち合ったベルソートの言葉なら、その効果は絶大なのだ。

 しかし、エノクは眉根を寄せた。

 たしかに犯罪者として裁かれたのは事実だ。

 でも、災厄のケティルノース――レイナルを保護したからといって、その罪状は全く把握していない。


「なあ、ベル爺」

「んあ?」

「俺って、どういう罪で入学すんの?ていうか執行猶予とか付いてる?」


 今まで忘れていたことを問う。

 とても肝心なことだった。


「ああ、ヌシの罪はな……」

「うん」


 ベルソートがとびっきりの笑顔を見せた。


「執行猶予は学園生活五年間、罪状は『ケティルノース保護による国家転覆容疑の死罪』じゃ!」


 内容はこれ以上なく不穏当だったが。

 エノクの顔色が一瞬で真っ白になる。


「へ?」

「ちなみに、魔獣の使役の術を五年以内に解明せんと死刑、あと退学処分でも死刑じゃ」

「ひぃぃぃい!?」


 エノクは訊いたことを後悔した。

 暗に安穏な学園生活など許さないという内容である。魔術を手なずける術を、『誰もが習得可能な技』として確立させるのに五年しかない。

 ベルソートに指摘されるまで、声や撫でる手などが魔力を発しているなど知らなかった。

 感覚的な事を形あるモノに変える。

 ただでさえ言葉にするだけでも困難なのに、それを一般的にせよとは無理難題だった。

 拾った子猫が災禍に化ける時点で冗談ではないが、それを保護しただけで国家転覆の罪を被るとは誰が予想できようか。


「俺、不安な気がしてきました……」

「ま、ワシも協力するしの。何とかするしかないわい」


 エノクは愁嘆(しゅうたん)の息を吐く。


「というか、合否って今日わかるんだよな?」

「そ、そうなの?ワシ知らんかった」


 心底から愕然としたベルソートの顔。

 エノクはもう怨恨じみた怒りの感情を滾らせて、必死に胸の内に沸々と湧く感情のマグマを抑えた。



 ――どんどん。

 鼕々(とうとう)と扉を叩く音がした、少し強めだった。


「おお、()よった、来よった」


 ベルソートがやや興奮気味に言った。

 エノクが訝って寝台から立ち上がり、扉の方へと向かう。

 宿の職員なら、マナーとしてなっていない。相手への配慮が欠けた職業意識の低さが見受けられる。

 開けると同時に注意してやろうと密かに息巻いたエノクが、ゆっくりと扉を押しやって。


 扉の前に立つ存在に絶句した。


『がるるるっ』


 靉靆(あいたい)と棚引く雲のように柔らかく、けれど玲瓏に輝く銀毛、星空の模様を宿す毛筆のような尻尾。

 如何にも獣とは一線を画した生物。

 しかし、エノクには見慣れた、いや、待望していた家族の姿があった。


「…………れ、れ、れれ、レイナル!!」


 エノクは飛び込む勢いでレイナルの首筋に抱き着く。

 知る人も知らない人も情けないというように、顔を首筋の毛にぐりぐりと埋める。

 半年間も王国に身柄を拘束され、別行動になっていた姿を見て押さえ込んでいた物が決壊した。

 ベルソートも若干その勢威に引いていた。

 レイナルはそれを受け止めていたが、徐々に毛が逆立っていき、遂には鼻先でエノクを部屋の中へと突き飛ばす。

 奔馬さながらの勢いで振りほどかれ、エノクは無様に床を転がった。


『がうっ』

「悪かったって、久し振りで嬉しかったんだよ」


 レイナルが苛立たしそうに唸る。

 それすらも懐かしく感じ、エノクは相好を崩して歩み寄り、レイナルの頭をそっと撫でた。

 ベルソートも肩を竦めると、疼いた右肩を擦る。

 レイナルはそちらを斜視(しゃし)して、エノクに顔を突き出した。

 エノクは小首を傾げて、レイナルを眺める。その首に小さな(カバン)が下げられていた。中身が大きいのか、かなりきつく膨らんでいた。

 手を伸ばして閉じられたボタンを外し、中を手で漁る。

 小さい容量に限界寸前まで占有していてのは、すべて丁寧に畳まれた紙だった。

 引っ張り出すと、そばまで来たベルソートと一緒に内容を検める。


「これって?」

「ほれ、合格通知じゃよ」


 エノクは目を剥いて凝視する。


 試験結果を報せる一通の紙。

 宛先と郵送日の下に――『合格』の文字が燦然と輝いていた。

 レイナルの登場に連続して驚愕に打ちのめされてしばし放心する。

 しかし、少しずつ忘我の霞から戻ってきた意識の中で現状を再確認すると、安堵で手元が震えて膝から崩れ落ちた。


「よ、良かった~……!」

「まずは第一関門の突破じゃな!」

「ベル爺は知ってたの?」

「ケティルノース返還は、無事入学した時と決まっとる。なら此奴(こやつ)が来た時点で合格確定じゃ」


 エノクはレイナルを見て得心した。

 たしかに、そんなことを言っていた気がする。

 ベルソートは杖で床を数回叩き、窓の外の空に杖先を示した。


「よし、合格祝いに飯を食いに行くぞ!」

『ぐるぁっ』

「もうワシの肉はやらんぞ」


 ベルソートを睨むレイナル。

 エノクはそれを窘めて、合格通知を改めて見た後、他にあった紙の内容にも目を通す。

 入学手続き書、入学に際して持参する物、入学式当日の運びについて記載されている。


 本来なら(いわい)の宴よりも、先に学園生活必須の道具などを揃えるべきなのだが……。

 ちらりとベルソートを見た。


「ベル爺、女の人との約束はどうしたんだよ」

「知らん!ヌシの祝いが先じゃ!」

「……そっか」


 エノクは思わず笑った。

 我が事のように喜ぶ彼を無下にはできない。

 エノクも波乱万丈だった入学試験を突破した晩餐の味を想像して胸が高鳴った。


「いざ出陣じゃあ!」

「お~!……ちょっと待て」

「何じゃ」


 しかし。

 浮かれていようともエノクは看過しなかった。

 とある重大な問題を。


「レイナル、どうすんだよ」

「……あ」

『ぐる?』


 魔獣を連れて港に行く。

 それはあまりにも危険だった。混乱を招く災いにしかならない。

 ベルソートは、『お座り』で待つレイナルに微笑んだ。


「――待て」


 その後。

 お留守番になったレイナルに、ベルソートは親指を噛み千切られそうになった。




次。

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