第35話
空が薄暗くなり始めた頃、柚月は街外れにある倉庫にいた。
「ようこそ。待ってたよ」
廃墟も同然の倉庫内で、大勢の人間に囲まれた大神がソファーに腰かけていた。
「……こんなところに呼び出して、何の用?」
柚月は月並みなセリフを吐きつつも、周囲に視線を這わせて状況を探る。
人数は少なく見積もって三十人。
厳しいどころか、絶望的な数だった。ここまでの人数を相手にしたことはないし、無事に逃げ出すのは至難の技だろう。
そんな考えはおくびにも出さず、無表情を貫く。すると、立ち上がった大神が笑顔で歓迎の言葉を述べた。
「先日は、世話なったからね。ぜひとも受けた借りは返したくて」
「お礼参りってワケ? とんだ暇人ね」
どこまでも愛想のない柚月の発言に、党首から笑みが消えた。
「……キミって、もう少し賢い人間だと思ったけど」
「あんたこそ、外面は上品ぶってるわりに中身はそこら辺のチンピラと変わらず下品ね」
毒をたっぷり含んだ柚月の言葉に、ますます瞳は鋭さを増していく。
「そうも言ってられない状況だって、もう気付いてるだろ?」
軽い口調とは裏腹に、横目で最低な脅しをかけてきた。
大神の背後には、ビデオカメラを持った仲間たちがいる。
その用途が無様に負けた自分の姿を収めるためでないことは、柚月でも察しがつく。
吐き気を誘う生理的嫌悪を何とか隠し、表情を凍らせる。
隙を突かれたら、あっという間に決着がつくだろう。そして、屈辱的で理不尽な報復を受け入れなければならない。
そんなのは、ごめんだ。
絶対に、無傷で脱出してやる。
(……保険が全くないわけじゃないしね)
実に、驚くべきことだが。日下部の指示で、今現在、柚月の周囲には風紀委員が尾行しているらしい。柚月に犯罪レベルの危機が迫るギリギリまで、ビデオカメラなどで証拠を集め、実害がおよぶ前に互いに撤収、という段取りになっている。
警察を動かすほどの効力はなくとも、『しないよりはマシ』が日下部の持論だという。
これからは慎重に行動しよう。
伊集院はともかく、閻魔大王を本気で敵に回すと確実に厄介だ。柚月が身の危険を忘れていると、向かい合う大神がわずかに視線を上げた。
自分を迎えに来た不良たちに訊ねる。
「残りのふたりはどうした?」
数秒の間、重苦しい沈黙が降りる。
予想通り、彼らは栞たちまで呼び出すつもりだった。風紀委員たちの鉄壁ガードがなければ、連れ出されていただろう。
もちろん、そんな取引を知らない彼らは自分たちの落ち度だと捉えたらしい。
「すみません……」
絞り出されるような謝罪を耳にした瞬間、
ゴッ!
「……かはッ!!」
腹に、大神の拳が突き刺さった。
それだけで終わらず、残りのふたりにも容赦なく拳で殴りつける。
「ちょっ……もう……」
思わず出た柚月の制止を無視して、無言で殴り続ける。
他のメンバーは止めもせずに、黙って見ていた。
「うッ……」
散々、殴られた内のひとりが腹を抱えて蹲る。
それでも、大神は構わず蹴り続けた。
(何なの、こいつら)
柚月には、わからなかった。
理由も訊かずに罰を与える大神も、それを黙認する仲間たちも。
異常とも思える光景を見つめることしか出来ずにいると、大神が近くにある鉄パイプを拾い上げる。
何に使うのかと疑問に思うよりも早く、少年の脳天に躊躇なく振り下ろす。
「止めて!」
柚月が叫ぶと同時に、ぴたりと動きが止まった。鉄パイプの位置は、少年の額すれすれだ。
一歩間違えば大惨事になる状況でも、大神の声は底抜けに明るい。
「まぁ、いいか。君と遊んだあとに、招待すれば」
ただの気まぐれで止めたのはわかりきっていた。
別の日だったら、あのまま殴り倒していたかもしれない。
「……あんたたち、仲間じゃないの?」
柚月の素朴な疑問も、大神は軽く笑って一蹴する。二、三度、鉄パイプを振り回して遊びながら。
「仲間っていうのは、俺の言うことを忠実に再現してくれるヤツのことだよ」
大神の瞳は、どこまでも冷たかった。
おとなしく殴られていた彼らも、ガタガタと震えるだけ。
とても、仲間という関係には見えなかった。
「うちの掟は『上の者には絶対服従』。こんな子供のお使いもできない連中……犬以下だな」
ちらりと横目で一瞥して、鉄パイプを放り投げた。
甲高い落下音がスイッチだったかのように、柚月の中に怒りが増していく。
理由は、わからない。
だが、彼らを許してはいけない。
そんな漠然とした想いだけがある。
「……いい加減にするのは、あんたたちの方よ」
ぽつりと呟き、前へ歩き出す。
「多少は他人に迷惑をかけても、ただ徒党を組んで噛みつき合ってるだけなら見逃してあげるつもりだったのに……」
一歩一歩、踏みしめるようにゆっくりと移動する。
その途中、少年のひとりが柚月に噛みついた。
「なに、わけのわかんねぇこと言ってんだよ。このアマッ!?」
最後の単語は濁って聞き取れなかった。
左頬に柚月の拳が食い込み、その先を言わせなかった。
少年が、どさりと無様に倒れたあと。
「バカな猿たちが集まって、どうしようもない組織に成り下がってるのね」
ゴッ!
柚月がコンクリートの床に、拳を撃ち込む。
古びているが、足元に五十センチ四方に窪みができた。
すぐに上体を起こし、拳を構える。
その場にいた少年たちが、ざわつき始めた。
少しではあるが、柚月の力に動揺しているからだ。
「……今まで傷つけた人たちに詫びなさい。でなきゃ、私がわからせてやる」
低い声音で、柚月が呟く。
うまく立ち回る気は失せた。
このまま彼らを野放しにしておけない。
そう直感する柚月の胸に、渦巻く苛立ちが一気に爆発した。
「さぁ、かかって来なさいよ、クズどもッ!」
威勢よく啖呵を切った柚月に、格の違いを察知したのか。
少年たちは、逆ギレすることなく息を呑んだ。間違いなく彼女の迫力に気圧されたと知って。
「────よく言った。柚」
頭上から笑いの混じった声が響く。
見れば、天井の鉄骨に人影が立つ。ゆらりと傾き、落下してくる。
「ッ!?」
目の前に着地した人物に、柚月は心底驚いた。
「もう少し、頭に血がのぼってるかと思ったんだが……悪かったな。見直したぞ」
振り返ったのは、笑みを閃かせた朱堂だった。何故か、またサングラスをしている。
「何だ、てめぇッ!?」
「そう訊かれて答えるバカいるかよ」
いきり立つ周囲を、強気に笑ってからかう。
端から見下した言い方だが、相手の少年たちには伝わらない。
朱堂の登場に多少は驚いたものの眉をひそめたり、明らかに怪訝な表情を浮かべている。
当然だ。
彼らは、仲間以外の人間とコミュニケーションをとる気がない。しかも、似たような距離でなければ、それすら危うい。
朱堂にはすでにわかりきったことらしく、特に気にする様子もない。背後の柚月だけが、憮然とした面持ちで話しかけた。
「……どういうつもり?」
小声で牽制をかけるためだ。
「あんたの手は借りないわよ。こんなゲスども、私ひとりで……」
「そう逸るな」
朱堂が、たしなめるように横目で笑う。軽くふんと鼻を鳴らし、小声で続ける。
「おまえの【力】は、そんなもんじゃない」
靴底を擦り、右腕をのばした。
流れるような動きで、拳を構える。
どこからか花びらが舞い落ちた。腕の後を追うように、ひらひらと躍る。
よく見れば、朱色の火の粉だった。
耳の裏付近で、チリチリと音がする。柚月が目を見開くと同時に、異質な空気が朱堂の周囲に纏わりつく。
彼の前方付近で、何かが膨れ上がるのを感じた。
「見ておけ。霊力の使い方ってヤツを教えてやる」
どこまでも迷いのない言葉。
揺るぎない自信の表れ。
「あんた……」
柚月の声は、かすれた。目の前の光景が信じられない。
朱堂が動く度に、火の粉の量は増えていく。
着火器や燃焼剤の類は見られないし、何より彼が平然としていることが不可解だった。それだけの炎を至近距離で操り、火傷どころか熱がる様子もない。
対峙する少年たちにも動揺が広がる。
「なんだ、こいつ……ッ!」
「化け物かよッ!?」
朱堂の纏う雰囲気が変わった。
背後からでもわかる、鋭い硬質な威圧感。
柚月は反射的に身構える。
今までにない悪寒に、背筋が震えた。
「口の利き方を知らんガキ共だな」
朱堂が腕を振った。
そこから、朱色の炎が噴き出す。
流れるように蠢き、大量の火の粉を撒き散らして。ある生き物の形を作っていく。
その場にいる全員が立ち尽くし、青ざめた表情で見つめることしかできない。
「なんだ……あれ」
「蛇……? いや、違う……」
震える少年たちの前に現れたのは、朱色の龍だった。
ドンッ!!
突如、ふたりの腹に龍が食らいつき、背後の鉄骨へと激突した。
気絶したのか、そのままずるずると床に崩れ落ちる。
「それに、おしゃべりな男は嫌われるぜ?」
腕を掲げた朱堂が、にっと笑う。
全身から血の気が引いていくのを柚月は感じた。
動くことすらきなくなっている。
倒れた少年たちに外傷はない。逆に、火傷の痕すらないことが怖かった。
今、自分の目に映る光景は、これまでの経験や価値観では説明できない事態だと、認めなければならない。
柚月は、それが怖かったのだ。
「何だよ、これ……」
「大神さんッ!」
戸惑いながらもリーダーを逃がそうとするメンバーに、炎の龍が行く手を遮った。
「おいおい。途中退席とは不粋だな。もっと遊んでいきな」
掌底を放った姿勢で、朱堂が言い放つ。隙のない態度から、拒否権などないことを誰もが悟った。
朱色の龍は、逃げ惑う狼たち全てを呑み込んだ。
数分後。
倉庫内にいる人間たちは、全員ぴくりとも動かなかった。
「相手が悪かったな」
死体のように少年たちが倒れ伏す中で、朱堂だけが屹立していた。
場違いなほど、余裕たっぷりに笑いながら。
朱色の残り火が、ひらひらと舞い落ちる。
一部始終を傍観するだけの柚月は、全身の震えが止まらなかった。




