夢と支配
それは、突然安寧の日々を破りにやって来た。
鳴り響く大地、崩れ行く建物、沸き上がる火の手、無数の爆発に、
阿鼻叫喚の世界。
六歳年下の妹を庇いながら、命からがら家から這い出す。
すぐに目に飛び込んできた、頭部だったところが瓦礫に押し潰された見覚えの
ある人を、妹には見せないようにして走り出すも、異様なまでの
虚無感と寂しさと吐き気に襲われ、すぐにしゃがみこんでしまった。
乾いて熱くなった地面を凝視していた瞳から、大粒の涙がぼろぼろと零れる。
なんなんだ、この世界は。
僕は、こんなこと望んではいない、誰も望んじゃいないのに。
不意に泣きだした妹の肩を、その場にしゃがみこんだままの僕は
強く抱き締めた。自分の震えを隠すように。
妹を励まし続けた。自分を誤魔化すように。
程なくして、僕らは立ち上がり、走り出す。
小さな手を握り合って。
そう、街の外れに船着き場があった。
あそこなら、船で逃げられるかもしれない。
しかし僕ら兄妹が繋いだ手は、二度目の地面の揺れによって呆気なく離れ、
必死になって繋ぎ止めようとした手の向こうで、妹がいた地面は崩れ、
炎の壁に分断された。
何が起きたか分からなかったが、自分一人ではどうにもならないことは
わかった。
悲鳴のように叫び、人を呼んだ。
しかし、偶然にも僕を見つけた男性は、血眼になり僕を抱えその場から逃げた。
あまりに混乱した僕は、今思えば人語を発していなかった気がする。
ただ、狂ったように叫び続けた。そして泳ぐ目線の先、立ち上る煙の向こうに、僕は見た。
何は覚えていなくても、混乱していようとも、あれだけは僕はずっと忘れないだろう。
黒い双翼に死の匂いを湛えた、禍々しい姿。
それが腕とおぼしき部位を振り下ろすと、再び街は破壊音と悲鳴を上げた。
お前が、お前が!!お前が!!!!
許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない!!!!!!
僕がお前を殺してやる!!!!!!麻人、お前がやるんだ、お前が、お前が!!!!!!!!
「麻人!!」
「…………あ」
あまりの静けさに、ため息をついた。
ずいぶん懐かしい、悲しい夢だった。
「……おはよ、アルフ。」
朝の心地良い香りを、温かな蒸気が運ぶ。
コーヒー二人分に着手しようとして、昨日アルフが侮蔑するような表情で
それを飲んでいたのを思い出した。
「水でいい?」
「水。」
水を入れたグラスと、コーヒーのカップをテーブルに運んでいくと、
アルフがまじまじと僕を見ている。
「何?」
「もういいのね、腰。」
「さすがに1週間半経つしな…誰かさんの脚力がとんでもないお陰で
こんなにかかってしまったけど。」
「麻人が軟弱なんじゃなくて?でも治りが早くて羨ましいわ。
人魚がそうなったら、恐らく二月はかかるでしょうから。」
あれがよければ、これが悪い。さすがに万象に都合良くできた生物では
ないらしい。
「麻人は」
僕がコーヒーを一口口にすると、アルフが空気を見計らったように呟いた。
「何故、箱庭の品を集めるの?」
僕の部屋には、様々な箱庭の品が溢れている。火竜の鱗、妖精の羽、
魔女の洗礼を受けた水、小人の鉞…。
どれも高い値が付き、世間的に需要のあるものだ。箱庭に住むアルフにとって、僕の部屋に箱庭の品があることは、不快でならないだろう。
初めは僕自身の身を守る為に有用だと思って収集を始めたのだが、
やがて、その行為が行き着く結果に気が付いた。
「僕の故郷は、壊滅したんだ。」
唐突な話の切り出しに、アルフは怪訝そうに水を飲んだが、
何も言わずに聞いていた。
「地面が揺れ炎が上がり、賑わっていた通りやビル群はみるみる形も
無くなった。僕の両親は死に、一緒に逃げた妹とは生き別れて、
僕をつれて逃げたたった数人の大人たちも、負った大怪我の治療が
間に合わなくて、結局死んでしまった。
実質、アレから生き延びたのは、僕を除いて誰も居なくなった。」
最後の大人が死んだ時の、やり場の無い怒りと哀しみ。
僕はあのとき、泣くことすらできなかった。
「…その災害が何故、箱庭の品を集めるのと関係があるの?」
「それは、あれが天災なんかじゃなかったからだ。」
「…どういうことかしら。」
独りになったあと、僕は謎の災害唯一の生存者としてメディアの注目の
的になった。
病院で要療養の僕のもとに、たくさんの記者が訪れる日々が何日も続いた。
「あれは地震だったの?それまでの街の様子は?テロか?内輪揉めか?
捲し立てる大人たちに囲まれ、怯えた僕は何も言えなかったけれど、
原因を僕は知っていたんだ。」
わずかに身を乗り出したアルフの期待に背くことを、僕は僅かばかり申し訳なく思っていた。
「あれは……―――箱庭の仕業だ、とね。」
アルフは丸い瞳を大きく見開き、眉をひそめた。
「何の根拠があって?貴方は何かを見たというの?」
「黒い大きな翼で空を飛ぶ人形生物が街を破壊して回る姿を見たんだ。
…あんな化物…箱庭にしかいねぇよ。」
「…何ですって?」
ギリッ、とアルフの手元のグラスに亀裂が走る。
アルフは憎悪の目で僕を睨んだ。構わず僕は続ける。
「奴は街を破壊したばかりか、数日後街と街の周辺はあっという間に
砂漠になってしまったんだ。君には残念だろうけど、人間業じゃない。
これが理由だ。…そう、僕は心の奥では、箱庭を憎んでいる。
だけど身を守る為にやむ無く集めていた品が僕を引き金に多くの需要を
生めば供給の高まりを生み、やがては箱庭人の乱獲の活性化に繋がり、
自然と箱庭を滅ぼす…。僕はその手伝いをするんだ。」
ふと視線をグラスに落としていたアルフが、ぽつりと呟いた。
「愚かなことだわ」
気がつくとグラスの亀裂から染み出た水が、アルフの手首にまでまとわりつき、その肌にはうっすらと鱗が浮き出ていた。
マズイ、怒らせた。
その瞬間、振り上げた腕が清々しい音と共にグラスを叩き割った。
「そこまで知っているなら、これも知っているはずよ。箱庭の住人は貴方達の
想像から生まれた…。仮にも創造主である人間には手出しできない。
あなたが見たそれは、箱庭のものではないわ」
失念していたわけではないけど、僕が見たものを疑うことはない。
「それに…こそこそと仇を討とうなんて腰抜けに、みすみす箱庭を
潰させはしないわ。その、私の目も。」
静かに立ち上がったアルフを、僕は見つめたまま、ひとまずそれまでの
話を切り上げた。
「…僕はそろそろ出かけるよ。」
「あら、私も行くわよ。」
…………なんだって?
「貴方は私の、箱庭のとても有用な人質ですもの。みすみす
自由にはしないわ。」
「…いや、でも」
「さあ、出掛けましょう?」




