15話 底辺探索者の日常②
「……やっぱり、時差があるのは間違いなさそうだな」
俺は千葉の部屋で、手元のメモを見つめながら呟いた。
《過去改変》を使って戻れる過去の時間と、現代で流れている時間には、どうやら大きなズレがある。
現実の十ヶ月に対して過去では三十ヶ月、つまり二年半もの月日が流れていた。単純に計算すれば、過去は現代の三倍近い速さで進んでいることになる。
「三倍か。正確に調べたいところだけど、残り回数がもう八回分くらいしかないんだよな」
「そうだな。検証のためにホイホイ使える回数じゃない。一回一回が命懸けの勝負だぜ」
千葉が真剣な顔でコーラの空き缶を置いた。
俺は深くソファに沈み込み、自分の人生を大きく狂わせた「あの日」のことを思い出していた。
「俺の人生が壊れたのは、小学六年生のときだ」
千葉は黙って俺の話に耳を傾けている。
突然、住み慣れた街にあるダンジョンから化け物の群れが溢れ出した。
平和だった街を、悍ましいモンスターたちが容赦なく飲み込んでいく。逃げ惑う人波の中で、俺を庇うようにして両親は命を落とした。
「あの日の過去まで戻って、両親を助けたい。でも、今のペースだと過去の俺はすぐに小学六年生になっちまう」
「過去で三年進むのが、現代のたった一年後ってことか。時間がねえな」
「ああ。今のままじゃ完全に詰みだ。一刻も早くスキルランクを上げないといけない。でも、いつ上がるのかが分からないんだよ」
一般的に、レベル5前後で固有スキルを手に入れた人は、レベル10くらいでスキルランクが上がると言われている。
でも、それはあくまで一般的なスキルの話だ。俺の場合はレベル10で《過去改変》を手に入れたので、あまり参考にはならない。
「でも、俺のレベルはもう13だ。多分、次のレベルアップあたりでランクが上がるんじゃないかって睨んでるんだけどな」
「根拠はないけど、信じるしかねえな。そのためには、もっと効率よく経験値を稼がないと」
千葉の言葉に、俺は意を決して身を乗り出した。
「二階層を本格的に探索したいんだ。千葉、もっと頻繁に手伝ってくれないか?」
「いや、俺だって仕事があるし……そう簡単には……」
「分かってる! 空いてるときだけでいいんだ。頼む、この通りだ!」
俺は必死に頭を下げた。ソロでは二階層の魔物に対処しきれない。
でも、時間が止まってくれない以上、立ち止まっている暇なんてないんだ。
俺の必死さが伝わったのか、千葉は「しょうがねえなあ」と呆れたように頭を掻いた。
それからというもの、俺はダンジョンに潜る頻度を週に二回から三回に増やした。
千葉にも無理を言って、週に一回は必ず二階層の探索を手伝ってもらっている。
二人での探索は、ソロの時とは比べものにならないくらい安定していた。
千葉が敵の注意を惹きつけている間に、俺が残りのモンスターを一体ずつ処理して行く。
連携がうまく決まれば、あのゴブリンが二体同時に出て来た時だって対処することは出来る。
千葉は「はい、今の俺のプレイング神ー」とか「ゴブリンさん、息してないっすね」なんて軽口を叩きながら、ひたすら逃げ回っている。
たまにヘッドマウスの群れに囲まれて「ちょ、これ詰んだんじゃね?」と焦ることもあるけれど、二人の知恵を絞ればなんとか切り抜けられた。
魔石の回収効率も上がり、収入も少しはマシになる。
それでも、千葉が来られない日は一人で一階層を這いずり回り、スライムを相手に剣を振るう。地味で泥臭い作業の繰り返しだ。
ダンジョンに行かない日はバイトを詰め込んでいるけれど、装備のメンテナンス代や入場料、それに消耗品の買い出しを考えると、収支は完全に赤字だ。
探索者ギルドの掲示板には「パーティ募集」の書き込みを出し続け、いつか来るかもしれないチャンスを待ち続けた。
そうして焦燥感に焼かれながら足掻いているうちに、五月が終わった。
また一つ年を取り、俺は二十五歳になった。
俺にできるのはただ、ダンジョンに潜り続けることだけだった。
一階層と二階層では、得られる経験値の量がまったく違う。一人で一階層をうろつくより、二階層へ行く方が、段違いに効率がいいのは分かっている。
俺は一人で二階層の闇へ挑む決意を固めた。
「おい緋呂、マジで行くのか? ソロで二階層とか、死亡フラグびんびんだぞ」
千葉は心配そうに言ったけれど、俺の決意は固かった。
「分かってる。でも、いつまでもお前に頼ってばかりじゃいられないだろ。ここでレベルを上げなきゃ、俺の人生、本当に終了しちまうんだよ」
「……ま、お前がそう言うなら止めないけど。せめて無理ゲーだと思ったら、即リタイアしろよな」
二階層に足を踏み入れたことは何度もある。
高校生の頃はF級ダンジョンの二階層には通っていたし、今潜っているこのE級、糟屋ダンジョンの二階層だって、前のクランにいた時に何度か経験済みだ。
つい先日も、千葉と二人でレベリングに来たばかりだ。だけど、今日は状況が全く違う。たった一人なのだ。
文字通り、自分の命を自分の腕一本で守り抜かなきゃならない。胃の奥がチリチリと焼けるような感覚を、俺は唾と一緒に無理やり飲み込んだ。




