10話 《過去改変》1回目③
「……おい、緋呂。どうだった?」
千葉の野太い声が、俺の意識を強引に引き戻した。
視界が急激に切り替わる。さっきまで俺がいたのは、十八年前のリビングだった。夕飯のソースの匂いが漂う、あの懐かしい空間じゃない。
今、俺の目の前にあるのは、千葉が住んでいる手狭なマンションの一室だ。
千葉は、その大きな体を窮屈そうにソファに沈めていた。テーブルには飲みかけの缶ビール。
壁の時計が刻む規則正しい音。部屋の空気も、肌にまとわりつく嫌な湿気も、固有スキル《過去改変》を使う前と何一つ変わっていない。
だけど、俺の心臓だけは、まるで全力疾走したあとのように激しく警鐘を鳴らしていた。
「……ああ、悪い。ちょっと考え事をしてただけだ」
声を出すだけで精一杯だった。喉の奥がカラカラに乾いている。
千葉は心配そうに俺の顔を覗き込んできた。俺はさりげなく腕時計へ目を向ける。秒針は冷酷なまでに淡々と、時を刻んでいた。
スキルを使う前と、時間は全く変わっていない。過去で五分間を過ごしてきたが、こちらでは一瞬の出来事だったということだろう。
「……《過去改変》は成功したんだな」
「……ああ、六歳の頃に行ってたよ」
どうやら周りの人間には、俺の意識が飛んでいたことすら分からなかったようだ。
過去の世界で過ごした五分に対し、現実は一瞬たりとも進んでいない。俺の意識だけが一方的に往復しただけだ。目立った干渉をしなかったせいか、二十四歳の現在の状況に目に見える変化はない。
《過去改変》なんて大層な名前のスキルを手に入れた瞬間は、正直、震えが止まらなかった。
これで俺の人生もバラ色の勝ち組ロードが確定して、いわゆる「チートで無双」が始まるんだと、本気で信じ込んでいたんだ。
でも、現実はクソみたいに冷たい。冷静になって考えればわかることだった。
十八年前、わずか六歳の自分に、たった五分間だけ戻ったところで何ができる?
二十四歳の俺の意識があっても、体は六歳だ。思うように動かないし、言葉だって舌足らずなガキのそれだ。
意識だけが大人でも、できることには限界がある。万能感に酔いしれていた自分を殴り飛ばしたい気分だった。
「千葉、このスキル、少し厄介だ。戻れる先が選べないし、今の俺じゃあ無力すぎる」
「六歳か……。それって、今から過去を変えるのは相当難しいんじゃないか? 幼稚園とか保育園だろ。体も小さければ、できることも限られてる。そんなに万能なスキルじゃないってことだな」
千葉は残ったビールを一気に煽る。
「そうだな、せめて十歳以上、自由に体を動かせる年代ならまだやりようがあるんだけどな。六歳のガキにできることなんて、たかが知れてる」
期待が大きかった分、落胆の波が何度も押し寄せてくる。この《過去改変》をまともに使いこなすには、いくつもの高い壁を越えなきゃならない。俺は自分のステータス画面を頭に思い浮かべながら、必死に現状を分析した。
「まずは、スキルランクを上げなきゃダメだ。今の俺のランクは最低の『F』。できることが少なすぎる。過去に留まれる時間も短いし、干渉できる範囲も狭い。スキルランクを『E』や『D』に上げなきゃ、過去を変えて現実を塗り替えるなんて夢のまた夢だ」
「ランクを上げるには、やっぱり使い込むしかないのか? ゲームみたいにさ」
「普通はそうだけど、これには回数制限があるみたいなんだよな。TPが残り18。一回につき2消費するから、最大でもあと9回までしか使えない。無計画に使って、肝心な時にSP切れで使えないなんて、笑えない冗談だろ」
「回数制限か……。じゃあ、むやみに過去へ飛んで練習するわけにもいかないんだな。デリケートなスキルなんだな、お前みたいに」
「ああ。となると、残された道は一つ。地道にダンジョンでレベルを上げるしかない。レベルが上がれば、スキルランクが上がるはずだ」
俺たちはテーブルを挟んで、スキルの仕様や今後の活動方針について話し合った。もう一つの大きな壁は、戻れる「過去の時点」の問題だ。現代と過去がどう繋がっているのか、その法則性は未だに謎のままだ。自由に時代を選べないというのが、最高にタチが悪い。
「スキルの検証はしたい。喉から手が出るほどデータが欲しい。だけど、使用回数制限という見えない鎖が、俺の足を派手に引っ張りやがるんだ」
軽いノリで使って、また六歳の自分に逆戻り。挙句、何もできずに回数だけが減っていく。そんなマヌケな結末だけは、絶対に避けなきゃならない。
「……まずは、レベル上げだな」
自分に言い聞かせるように、俺はポツリと呟いた。これまでは週に一回程度、趣味の延長線上でダンジョンに潜るだけだった。でも、そんな甘えは今日で終わりだ。手に入れた《過去改変》のランクを上げるため、俺は本格的に探索者としての活動を再開することを決意した。
「緋呂、まさか毎日潜るつもりか? 無茶はよせよ」
隣で呆れたように千葉が聞いてくる。
「いや、毎日は流石に無理だぞ」
探索者ではない千葉には、ダンジョンに潜れる頻度なんて分かってないようだ。
肉体的にも精神的にも、それに経済的にも限界がある。それに、戻る時期が六歳なんだとしたら、まだ時間はたっぷりあるはずだ。焦って自滅しては元も子もない。
「これからはプロの探索者として本気で上を目指すつもりだ。ノルマは週に二回、必ずダンジョンへ潜る。それ以外の日はバイトを入れて、生活費と装備代を稼ぐんだ。E級ダンジョンの一階層をうろついているだけじゃ、食っていけないからな。生活の基盤をしっかり固めつつ、着実なレベルアップを狙う」
「パーティを組んで二階層へ挑戦したほうがいいんじゃねえか? そっちの方が稼ぎもいいし、手に入る経験値だって段違いだろ。俺、たまになら二階層の探索、手伝ってやってもいいぜ」
千葉が胸を叩くと、腹がぼよんと揺れた。
いや、お前はそんなに戦えないだろ。とはいえ、あいつの言葉はありがたい。
二階層は今の俺ではソロで探索するのは無理だ。千葉程度の戦力でも、二人いれば少しはマシな攻略ができるかもしれない。
「……ありがとな。今度、頼むわ」
「まあ、俺も仕事があるから、そんなに手伝えないけどな」
「そうだよな、やはり仲間を集めないと……。だが、俺みたいなパッとしないソロ探索者と組んでくれる物好きなんて、そうそう見つかるもんじゃねえ」
俺の情けない叫びに、千葉は同情混じりの苦笑いを浮かべた。結局、地道に一階層でスライムやムカデを相手にするしかない。
それが今の俺の冷酷な現実だ。それでも、今の俺には明確な目的がある。過去を変えることで、クソみたいな現実からおさらばすることだ。
決意を胸に、俺は千葉の部屋をあとにすることにした。
不安がないわけじゃない。むしろ、足元が崩れそうなほどの不安しかない。だけど、今の俺には「過去をやり直せる」という、確かな希望の光がある。
明日からは、バイトとダンジョンの往復、そして過去への旅という日常が始まる。
俺は一歩ずつ、自分のアパートへ向かって夜道を歩き出した。重い足取りが、少しだけ未来へ向かっているような気がした。
一章完結です。
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