1話 ダンジョンのある世界
二〇〇七年、世界中に不気味な「穴」――ダンジョンが突如として出現した。
それは予兆も何もなく、ある日いきなり世界を侵食し始めたんだ。
当時、俺はまだ小学校に入学する前だったから、世の中がどれほどパニックになっていたのか、正直なところあまり覚えていない。
ただ、テレビに映る大人たちの顔がみんな引きつっていて、街全体がざわざわと落ち着かない空気に包まれていたことだけを、断片的に覚えている。
ダンジョンの内部には、RPGに出てくるような恐ろしいモンスターたちが潜んでいた。
各国政府はすぐに調査を開始し、軍を動員してモンスターを駆除しながら、その奥深くへと足を踏み入れていった。そこで判明したのは、モンスターを討伐すると、倒した本人が「ステータス」や「スキル」といった、まるでお伽話のような特別な力に目覚めるということだった。
しかし、これには奇妙な制約があった。銃火器による攻撃でモンスターを倒しても、ステータスは得られないし、レベルも上がらないんだ。
おまけに地下深くの複雑な構造には持ち込める兵器にも限界があり、近代兵器に頼った調査はすぐに行き詰まってしまった。
必然的に、剣や槍といった近接武器を手に取ることが、人類の新たな戦い方となっていく。
モンスターを倒すと、その姿は霧のように消滅して、不思議な素材が後に残る。
魔石、銀貨や金貨などの硬貨、それに薬草やポーションといった、地上では決して手に入らない希少な品々だ。
これらは瞬く間に莫大な富を生む資源となり、世界経済の構造を根底から書き換えてしまった。
こうしてダンジョンから得られる素材は、現代社会にとって欠かせない資源となった。
中でも世界を劇的に変えたのは「魔石」だ。当初は小さな道具の動力源に過ぎなかったけれど、魔石の熱量でタービンを回す魔石発電の実用化により、世界のエネルギー問題は一気に解決に向かった。二酸化炭素を出さない究極のクリーンエネルギーとして、魔石は各国政府にとって最重要の戦略物資となっていく。
けれど、ダンジョンは俺たちに恩恵を与えるだけの都合の良い存在じゃなかった。
出現当初から、ダンジョンはその姿を留めることなく成長を続けていた。
迷宮は層を重ねて深化し、出現するモンスターもより強大かつ凶悪に変質していった。
この過程で入り口周辺には「魔素」が滞留し、モンスターが地上へ溢れ出す事象が当たり前になってしまった。
結果、ダンジョン周辺の数キロ圏内は住民が強制退去され、軍が管理する「立ち入り禁止区域」になったんだ。
さらに人類を震撼させたのが、「ダンジョン・スタンピード」だ。
内部の魔力が飽和した際、モンスターが津波のように地上へ噴出するこの大規模災害は、一夜にして都市を壊滅させる威力を持っていた。
スタンピードを起こした迷宮は消滅するけれど、そのときに飛散する「ダンジョンの種」が周囲に新たな迷宮を芽吹かせるという、悪夢のような連鎖が各地で確認された。一つのダンジョンが消えれば、その周りに複数の新しいダンジョンが生まれる。そうやって、世界中にダンジョンが増えていくことになる。
国際連合はすぐさま動き出し、二〇〇八年には国際探索者協会――通称「ISG」を発足させた。日本は翌年の二〇〇九年に加盟している。これにより「探索者」という職業が正式な免許制として誕生し、ダンジョンは制限付きながらも民間人に開放された。
一攫千金を狙う若者や巨大企業がこぞって攻略に乗り出し、社会全体がダンジョンを中心に回り始めることになった。
……話を俺のことに戻そう。
六歳の頃に世界にダンジョンが出現した。
世界は劇的に変わったようだが、当時の俺にはその変化が何を意味するのか、よく分かっていなかった。
テレビの向こう側で起きているお伽話のような、どこか他人事の出来事だったんだ。
だが、小学六年生の時に、俺の現実は最悪の形で塗り替えられた。住んでいた町でダンジョン・スタンピードが発生したんだ。
そのスタンピードこそが、俺の人生を決定的に変えてしまった元凶だ。
突然、住み慣れた街にあるダンジョンから化け物の群れがあふれ出した。
平和だったはずの街をモンスターたちが容赦なく飲み込んでいく。
その光景を前にして、俺たちは世界の終わりを肌で感じた。
逃げ惑う人波の中で、俺を庇うようにして、両親は命を落とした。
平穏だった俺の日常は、そのたった一度の災害であっけなく粉々に砕け散ってしまったんだ。
一人残された俺は、その後、九州に住む爺ちゃんの家に引き取られることになった。
そこで孤独に耐えながら成長し、高校生になった俺は、あの日何もできなかった無力な自分と決別するために探索者を目指した。
両親を奪ったダンジョンという存在を、今度は自分の手で支配してやろうと思ったんだ。
探索者免許を取得して、俺は意気揚々とダンジョンに潜り始めた。
希望に満ちていたとは言わないけれど、ようやく自分の人生を取り戻せるような気がしていた。
だけど、そこでまた地獄を見た。
あろうことか、ダンジョン探索中に、俺の力不足のせいで友人を亡くしてしまったのだ。
守ると決めたはずなのに、結局、俺はまた誰かを守ることに失敗した。
それが決定的なトラウマとなり、俺は剣を置き、社会から逃げ出した。
そうして、何も手につかないままの引きこもりニートになった。
それでも、世界は不条理なほどに続いていく。二〇二四年には世界同時多発スタンピード、通称「パンデミック」が発生し、世界中が大混乱に陥った。
そんな最悪な状況の中で、俺の唯一の身内だった爺ちゃんが死んだ。
住む場所も守ってくれる人もいなくなった俺は、嫌でも家を出るしかなくなった。
社会復帰―――いや、ただ今日を生き延びるために、俺は再び探索者として生きる道を選んだ。
必死の思いで法人化したクランに入社して、ようやく一年が過ぎた。
そんなある日のことだ。
「残念だけどぉ、契約は今月まで。来月からは、もう来なくていいですよぉ」
担当者の気の抜けた声が、俺の耳に冷たく響いた。
俺は、クランをクビになった。




