30話【かごの中の鳥は いついつ出逢う】
30話
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がばっと。柔らかな腕が、茉宵の身体を包み込んでいた。
「……え」
何が起きたのか分からず、茉宵は目を見開いた。
頬に触れる、知らない女性の髪。
背中に回された腕は温かく、逃がさないように、それでいて壊れ物へ触れるように優しい。
「……大変だったでしょう」
耳元で、震える声がした。
茉宵を抱きしめているのは、父の隣にいた女性だった。
父の、今の奥さん。
自分ではない、父の娘たちの、母親。
そう理解した瞬間、茉宵の身体が強張った。
「お母さんを亡くして、親戚のお家に引き取られて……」
女性の腕に、ほんの少しだけ力がこもる。
「ごめんなさい」
その言葉に、茉宵の喉がひくりと鳴った。
「……どうして」
掠れた声が零れる。
「どうして、あなたが謝るんですか」
女性はすぐには答えなかった。
ただ、茉宵の背中をゆっくり撫でる。
「私が知らなかったから」
静かな声だった。
「この人に、前の家庭があったことは聞いていたわ。でも、娘さんがいたことも、その子はお母さんを亡くして引き取り手を探されてた事も……何も知らなかった」
社務所の隅では、茉宵の父が正座したまま、小さく背中を丸めている。
先ほどまで穏やかに家族を案内していた面影はない。
妻の隣で、ただひたすら肩身を狭そうに俯いている。
その後ろには、雛璃とかごめが並んで座っていた。
二人とも事情を飲み込めないまま、父と茉宵を交互に見つめている。
「私は」
女性は一度だけ夫へ冷たい視線を向けた。
父親の肩が、さらに小さく縮こまる。
「この人が、養育費を途中で払わなくなっていたことも知らなかった」
「……」
「引っ越すときに、連絡先を伝えなかったことも」
声は穏やかなのに、その奥には明らかな怒りが感じられる。
父親は何も言えず、畳を見つめたままだった。
未充が、社務所の端で小さく呟く。
「……めちゃくちゃ怒ってる」
「当たり前でしょ」
惑華がこそこそと返した。
桜子は心配そうに茉宵を見つめ、紅葉は口元へ手を当てたまま動けない。
結禍だけは、眼帯に隠れていない右目で、父親を冷たく見据えていた。
「でも……私は」
茉宵の唇が震えた。
「私は、この人の……昔の家族です」
「昔じゃないわ」
女性は、はっきりと言った。
茉宵の目が揺れる。
「親子でしょう?」
女性は茉宵の肩を抱いたまま、後ろを振り返る。
「この子たちは」
促され、二人の少女が身体を強張らせた。
これまで妹の後ろで小さく猫背になっていたせいで気づかなかった。
雛璃は、中学生とは思えないほど背が高い。
細い肩幅とは裏腹に、制服の上からでも分かるほど豊かな胸元を持ち、その暴力的な体つきは、年齢よりずっと大人びて見えた。
そんな少女が今は、どうしていいか分からないように指先を握り合わせている。
その隣で、かごめは大きな瞳を何度も瞬かせていた。
「貴女の妹よ」
「……妹」
「二人とも、血の繋がった貴女の妹なんだから」
その言葉が、胸の奥へ落ちていく。
血の繋がった妹。
自分の代わりに父から愛された子たち。
自分の居場所を奪ったかもしれない子たち。
そう思っていたはずなのに。
「でも……」
「貴女にも、今は一緒に暮らしているご家族がいるのでしょう?」
茉宵の脳裏に、あの家が浮かぶ。
いつも心配してくれる、おばさん。
怪我をして帰るたび、呆れながらも手当てをしてくれる人。
自分を引き取り、ここまで育ててくれた家族。
「……はい」
小さく頷く。
女性は優しく微笑んだ。
「その人たちを大切にしてね」
それから、茉宵の頬へ手を添える。
「だけど、私たちのことも家族だと思っていいから」
「……え」
「いいえ。思ってほしいの」
女性の目にも、薄く涙が滲んでいた。
「私には、貴女を育てた時間はないわ。お母さんの代わりになれるとも思っていない」
その声には、迷いがなかった。
「それでも、これから貴女を大切にすることはできる」
女性の言葉に、社務所は静まり返った。
誰も、すぐには何も言えなかった。
その沈黙を破ったのは、小さな声だった。
「……じゃあ」
かごめが、おずおずと顔を上げる。
「お姉ちゃん……?」
その一言に、茉宵は思わず視線を向けた。
かごめは不安そうにこちらを見つめていたが、その瞳は少しずつ輝きを取り戻していく。
「私、お姉ちゃんがもう一人いたんだ……!」
ぱあっと花が咲くような笑顔だった。
「お姉ちゃんが増えた!」
その無邪気な歓声に、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
未充が思わず苦笑し、紅葉と惑華も小さく肩の力を抜いた。
桜子なんかは目元を押さえていた。
――この時、誰も気が付かなかった。
その隣に立つ雛璃だけは、笑っていないことに……。
その表情には、戸惑いではない。
怯えでもない。
もっと静かな――。
まるで、ずっと恐れていたものが、静かに形を持って目の前へ現れていたような。
雛璃はただ一人、■■を見つめ続けていた。
――――――そして、その日。茉宵は姿を消した。




