9話【欠け月の絵札】
昼休み。
紅葉と桜子、結禍の三人は、教室の隅で机を寄せて昼食を広げていたそのとき。
教室の前方が、急にざわついた。
「え、ちょっと、弔鐘さん?」
「他クラスだよね? どうしたの?」
ばたばたと騒がしい足音。
次の瞬間、教室の扉が勢いよく開いた。
「星ノ宮さん!」
明るすぎる声が教室に響く。
そこに立っていたのは、やっぱり未充だった。
ブレザーの襟は少し曲がっていて、呼吸もわずかに乱れている。
衝動的な勢いのまま飛び込んできたように見えるのに、その顔色だけが妙に悪い。
紅葉は思わず立ち上がりかけた。
「未充さん……?」
未充は教室の中を見回し、紅葉たち三人を見つけると、ほっとしたように駆け寄ってくる。
「……よかった……。いた……」
息も絶え絶えで声の端も震えていた。
その視線が桜子と結禍まで捉えた瞬間、ほんの少しだけ迷う色が浮かんだ。
「……あれ?」
未充が、きょとんとした顔で紅葉と結禍を見比べる。
「星ノ宮さんも、双子だったの?」
「え?」
紅葉が間の抜けた声を出す。
「いや、ふたり……髪型が少し違うのと髪の色以外は、よく似てるから」
「…………」
結禍は何も言わず、ただわずかに視線だけを逸らした。
未充は首を傾げながら、もう一度二人を見る。
「白銀髪と黒髪とで……なんていうか、2Pカラーみたいな」
「2Pカラーって……ただの親戚だよ」
紅葉が苦笑する。
「あ、そうなんだ。ごめんごめん」
未充が少しだけ照れたように笑った。
「……でも、本当によく似てる」
「……未充ちゃん?」
「あ……違う違う。ちょっと、星ノ宮さんに話があるんだけど、今、いい?」
そこて、紅葉は気づいた。
教室の空気が、じわりとこちらに寄っていた。
目立っている。
すごく、目立っている。
紅葉は周囲の視線を感じて、小さく息を吐いた。
「……ごめん。ここだとちょっと目立って迷惑になってるから……屋上、は駄目か」
「屋上の扉の前ならひとは来ないはず」
結禍が即座に言った。
◇
四人は教室を出て、階段を駆け上がり屋上の扉へ向かった。
そこは人通りが少なく風が入り込むこともないのだろう、少し埃もある。
遠くで運動部の声が響いているのに、この場所だけ切り離されたみたいに静かだった。
未充は壁際で足を止めると、すぐには話し出さなかった。
両手をぎゅっと握りしめている。
紅葉は、その様子を見て声を落とした。
「……朝、私を探してたんだよね」
「うん」
「何か、あったの?」
未充は答えない。
代わりに、制服のポケットへ手を入れた。
出てきたのは、くしゃくしゃになった薄い和紙だった。
「これ」
そう言って差し出された紙を、紅葉が受け取る。
端に皺が寄り、何度も握りしめられたことがすぐ分かる。
そこには、墨でこう記されていた。
『次の持ち主へ。 その品を次の人に託すとき、この歌と共に譲ってください』
そして、その下。
【とおと けぶりは ゆめをつく
まことをつつみ あやをなす
こころのいたみ やわらげて
ねむればひとは めをそらす】
桜子が、息を止めた。
「……その歌」
結禍の目が細くなる。
未充は、三人の反応を見て、ようやく確信したように言った。
「やっぱり、知ってるんだ」
紅葉は紙から顔を上げる。
「……未充ちゃん。これ、どこで」
「骨董市でこの前、惑華と一緒に行ったときに、買ったものに付いてきたの」
桜子が眉を寄せる。
「買ったものって……」
「私は蝋燭立て。惑華は煙管」
その瞬間、結禍の空気が変わった。
ぴたり、と風が止まったようだった。
「煙管……」
未充はそれに気づかないまま、早口で続ける。
「最初はただの手紙だと思ってた。でも今日、家で変なことが起きて」
彼女の声が、そこで少し掠れる。
「お母さんがね……お父さんのこと、忘れてたの」
紅葉が息を呑む。
未充は、自分でも整理しきれていないように言葉をつないでいく。
「うちのお父さん、死んでるの。ずっと前に事故で。でも、お母さんも弟も……惑華まで、“最初から今の父親が本当の父親だった”みたいに振る舞ってて」
桜子の顔色が変わる。
「……そんな」
「しかも、惑華が」
未充はそこでいったん唇を噛んだ。
「煙管を、すごく大事そうにしてた。触るなって、あんなふうに怒ったことないのに」
結禍が、低い声で問う。
「今、その煙管はどこにあるの」
「家。たぶん、惑華が持ってる」
「そう」
短く返した結禍の横顔は、ひどく冷たく見えた。
紅葉は、その変化に少し戸惑いながらも未充へ向き直る。
「……未充ちゃんは、その手紙を見て、神社の歌だって気づいたんだよね」
「うん。最初の行に見覚えあったから」
「それで、私のところに?」
「そう。……星ノ宮さんなら何か知ってる気がして」
未充はそこまで言うと、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。
「……私、おかしいこと言ってる?」
「言ってないよ」
答えたのは桜子だった。
いつになくはっきりとした声だった。
「むしろ、すごく心当たりがある」
未充の目が揺れる。
「……ほんとに?」
桜子は、自分のポケットを押さえる。
そこには、【和本】の絵札がある。
「未充ちゃん。放課後に神社にまた来て。……紅葉ちゃん、いいよね?」
急に話を振られ、紅葉は一瞬だけ目を瞬かせた。
「え……あ、うん。私は大丈夫だけど」
桜子は小さく頷き、未充を見る。
「ここで全部話すには、たぶん長くなるし……見せた方が早いかもしれない」
「見せる?」
未充が眉を寄せる。
桜子はそこで、ほんの一瞬だけ言葉を止めた。
それから、静かに続ける。
「……ごめん、結禍ちゃん」
その声は少しだけ硬かった。
「これは――あんまり、人に広く話していいことじゃないの」
空気が、わずかに張り詰める。
結禍が桜子を見る。
「……私にも?」
問いは短い。
桜子は一瞬だけ目を伏せてから、はっきり頷いた。
「うん。ごめん」
沈黙。
ほんの数秒。
そのあと、結禍は小さく息を吐いた。
「……そう」
それ以上は何も言わない。
ただ、視線だけが少し鋭くなる。
「じゃあ、私はここまでにしておく」
◇◆◇
放課後。
空はまだ明るいのに、神社の境内にはもう夕闇の気配が落ち始めていた。
石段を上がってきた未充は、鳥居の前で一度だけ足を止めた。
「……ここ、昼に来たときより静かだね」
軽く言ったつもりだったのだろうが、その声には隠しきれない固さがあった。
社務所の戸を開けた紅葉が振り返る。
「入って。とりあえず座ろ」
未充は小さく頷き、靴を脱いで中へ上がった。
畳の上には、この前片付けていた本や古い帳面が、まだいくつか積まれたままになっている。
桜子は、棚をあさりお祭りで子供達が使う絵札の束を未充の向かいにそっと置いた。
「これは?」
未充は不安そうにそう返すと、部屋の中を見回し、絵札を手に取る。
指先でつまみ上げたそれは、思ったよりもしっかりした厚みがあった。
古びてはいるが、折れも汚れも少ない。
大事に使われてきたのが分かる。
未充は、いちばん上の一枚を裏返した。
そこに描かれていたのは【桜と赤い紐】。
未充はもう一枚めくる。
【朝日と鶏】。
次は【和本】。
その次は【折り鶴と盃】。
未充は絵札を見たまま、ゆっくりと息を吐いた。
「……これ、祭りの歌の順番?」
桜子が小さく頷く。
「うん。神様を表してる絵」
「神様……」
未充はその言葉を、信じるというより確かめるみたいに繰り返した。
絵札の束を膝の上に置き、ひとつずつ眺めていくと、指先が止まる。
「あれ? これ……」
「どうしたの?」
紅葉がそう聞くと、未充は止まったままの指先を絵札の上に置いて、少しだけ首を傾げた。
「……なんか、見たことあるような……」
「見たこと?」
桜子が身を乗り出す。
未充は、曖昧な顔でその札をもう一度見下ろした。
指が止まっていたのは、【蝋燭とちぎれそうな縄】の絵札だった。
「いや……確信があるわけじゃないんだけど」
未充は眉を寄せる。
「前に、どこかで似た絵を見た事がある……気がする」
最後の一言だけ、自信がないように小さかった。
紅葉と桜子が視線を交わす。
未充はそれに気づかないまま、絵札の束をぱらりとめくる。
「……あれ?」
「どうしたの?」
今度は紅葉が短く返す。
未充は【水鏡の月】の絵札をつまみ上げ、明るい障子のほうへ少し傾けた。
しばらく、そのまま動かなかった。
「この絵なんか……変」
「変って?」
「この絵、空にあるのは三日月なのに水面に映ってるのは満月なの。」
未充は、言い終わった後もう一度、考えをまとめるように絵札を見る。
「三日月にしては鋭くて……なのに縁はまん丸で……まるで、水面に映ってる満月をはめ込むと、もっと大きな満月だったみたいに……」
言い終わったあとも、どこか腑に落ちないように、未充は絵札から目を離さない。
社務所の空気が、ほんの少しだけ静かになる。
「……鏡って、何を映してるの?」




