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空の器  作者: 相田 來生
第三章 終焉
20/29

19.事実


 19


 草原に一本の光の線が引かれている。その上を一枚の板が滑るようにスピードを上げて走る。板の上には二人の影、オルヴァーハとプロロクツヴィだ。

「オルフ、無事か!」

「あ、あんまり無事じゃな……!」

 幸広がこの世界に来た時にプロロクツヴィが使っていたスケートボードの様な板の上に、無理やり二人乗り込んでいる。操縦はもちろんプロロクツヴィだ。オルヴァーハは情けなくも屁っ放り腰でプロロクツヴィの腰にしがみついている状態だ。急いでいるとはいえ、あまりの速さと向かってくる風を直に受けて、オルヴァーハは呼吸の仕方を忘れる。しかしそのスピードのおかげか、馬車で移動をするよりもかなりの時間短縮で目的地に到着できそうだ。

 二人は聖山へと向かっていた。

 王女……ミシュレンカがフォンターナに現れたとき既にプロロクツヴィは彼女の居場所を察知していた。聖山にある魔力(マギ)の湖と城内中庭のフォンターナは不思議な力で繋がっている。その力を使ってミシュレンカは魔力(マギ)で自分の姿を実体化させていた事を瞬時に見抜いたプロロクツヴィは、聖山へ向かう準備をするため中庭から姿を消していたのだという。少し考えれば分かることだ、とプロロクツヴィは語ったが、そんな事が出来るのはミシュレンカの魔力(マギ)と聖山の力が起こす奇跡のようなものだ。混乱していたオルヴァーハにはそんなところに気付く訳がない。

 しばらく走ると山の麓にある大きな門が見えてくる。そこには確か衛兵が見張りをしていたはずだが遠目では姿が見えない。徐々に近づくと門の前で衛兵が二人倒れているのが確認出来た。おそらくリーマの仕業だろう。一度聖山に侵入した事のあるリーマならそんなことをしなくても楽に聖山に侵入できるはずだが、時間稼ぎなのかこちらの注意を引くためなのか全く意図がつかめない。幸い衛兵たちの息はあるようなので、門の脇に寝かせておき二人は聖山の湖へ向かうべく山を登り始めた。

 山を少し登ると空気が澱んでいることに気が付く。闇の力が広がっているのだろう。

 オルヴァーハはこの禍々しい力にかつての友人を思い出していた。

 リーマとはもう何百年も会っていなかった。彼は一家共々ある日突然姿を消したのだ。

 幼少時オルヴァーハとリーマはイェギナの城下町で暮らしており、いつも二人でつるんでいた。幼い頃から魔力(マギ)の量が人一倍多かったオルヴァーハと、魔力(マギ)はそこそこだがその辺の強い大人よりも武術に長けていたリーマ。他の街の子ども達に比べて落ち着きがなく散々いたずらをして回り、二人が手を組むとろくなことが起きないと周りの大人達に言われ続けていた。

 その頃二人共同じように「王国騎士団に入る」と豪語していたのをオルヴァーハは今でも覚えている。だが、それも叶わずリーマはひっそりと姿を消した。噂では親の借金が膨れ上がり首が回らなくなった為夜逃げをしたのだろうとのことだったが、オルヴァーハは信じなかった。それからオルヴァーハは毎日リーマを探しに出たが、年端もいかない子供にはリーマを見つけ出すことは出来なかった。

 しかしそれが先日やっと姿を現した。

 出会った瞬間リーマが膨大な量の魔力(マギ)を持っている事に気が付いた。それはかつて自分が持っていた量とほぼ同等なものだとオルヴァーハには感じられた。何故、どうやって……疑問は募るがそれを知る術はなく、何故姿を消したのかも今でも理由はわかっていない。

 今はそんなことよりミシュレンカと幸広を第一に考えるべきだ。オルヴァーハはそう自分に言い聞かせて山を登り続けた。

 山の中腹までくると、プロロクツヴィが横道にそれる。獣道をプロロクツヴィについて行くと、水の匂いが漂ってきた。ただ空気は闇に染められ、重く感じる。草むらを抜けると大きな湖のある広い場所に出た。

「ここが……」

「イェゼロだ」

 プロロクツヴィは立場上何度かここに足を運んでいるらしいが、オルヴァーハはこの場所に来て初めて聖山の魔力(マギ)の強さを身に染みて感じた。イェゼロと呼ばれる湖から発せられる魔力(マギ)はビリビリと肌を刺激するほどの強さで、それこそ耐性のない人間はこの場に立つだけでも体力を奪われる。

 辺りを見回すが探し求めている人物の姿は見えない。

「くそ……どこにいるんだ」

 昔の自分であればこの程度の広さなら魔力(マギ)を使えば人の気配を察知することなど造作もなかった。それが出来ない今、視覚での探索しか出来ないもどかしさと焦りを隠しきれない。オルヴァーハは堪らずプロロクツヴィを振り返ると、彼は空を見上げていた。

「プー……?」

「……来る」

 プロロクツヴィがそう呟くと、空に黒雲が集まり雷が響いた。黒雲は渦巻き、その中心から人影が降りてくる。幸広だ。その後に遅れてリーマが王女を連れて出てきた。

「ユキ!」

 オルヴァーハが叫ぶが、幸広はまるで聞こえていないかのように何も答えず、静かに地上へと降り立った。幸広は背に悪魔を連想させる翼を携え、鬼を彷彿とさせる二本の角が頭の上で圧力的な存在感を放っている。それはこれまでの少年のような風貌を失い、今や闇の覇者と化している。

「……こんなところまで何しに来てん」

「ユキ、帰ろう……!俺はお前をそんな風にするつもりで連れてきたんじゃない!」

「じゃあどういうつもりなん」

 幸広はリーマに抱えられるミシュレンカの長い髪を引っ張る。

「う……っ」

「ミーシャ……!ユキ、やめるんだ!」

「……最初からお前はミーシャのことしか見てへん。俺の事は正直どうでもえぇんやろ。……別に俺はミーシャをどうしようとかそんなこと考えてへんし、もうホンマのこと全部聞いたから」

 長く触り心地のいい髪は幸広の指から零れ落ちる。

「ごめ、なさ…ユキ……私、本当に……」

「もうえぇよ」

 幸広はオルヴァーハとプロロクツヴィに向き直る。いや、二人にではなくプロロクツヴィに向けて声を上げる。

「全部お前が、こいつ……リーマと仕組んだことやったんやな。プロロクツヴィ……いや……」

 その瞬間体が凍るほどの冷たい風が幸広とプロロクツヴィの間を吹き抜けた。

「……結、お前なんやろ」

「……」

 沈黙が重い。

 何も答えないことが答えだった。十八年前に起こった「あの事件」の後行方不明になっていた結は、リーマにこのシヴェトへと連れて来られていた。プロロクツヴィの本当の名前は「幸田結(こうだゆい)」、幸広の妹だった。そしてイェギナ王国の王女を誘拐した闇者(トゥーマ)の内通者は幸広の読み通り、プロロクツヴィだったのだ。

「……ユキ?今のはどういう意味だ……ユイって……」

「こいつ……プロロクツヴィは俺の妹や。こいつはこの世界に来てからずっとリーマと繋がっとってん」

 幸広の口から発せられた言葉にオルヴァーハは驚きを隠せなかった。これまで傍で共に戦ってきた戦友が闇者(トゥーマ)と手を組んでいた。そして幸広の「妹」であること……これまで培ってきた関係などを思い出すとオルヴァーハは口を押さえて絶句した。

 プロロクツヴィは初めから知っていたのだ。幸広がかつて自分の兄であったことを。それを知った上で幸広をこの世界へ呼んだ。だからこれまで一度も幸広の名を呼ばなかったのだ。そして知らなかったとはいえ幸広も身体中の何かがそれを感じ取り、その存在を認識していたためプロロクツヴィの名を呼ぶことを避けていた。

「なんか言うたらどないやねん。お前は兄貴とお話も出来んのか」

「……お前を兄と認めたことなど一度もない」

 かつて妹だった者の目はこれまで見たことのないほどの冷たいものだった。正体が分かったとはいえやはり幸広にとってその目は当時を思い出させるもので、腹の奥底で焦燥感と憎悪が入り混じり複雑な感情が渦巻く。「冥」は「結」を刺したのだ。

「行方不明になったと思ってたらこんなところにおってんな。そりゃ見つからへんわ」

「お前こそ改名しているとはな。探すのに苦労した」

「そりゃすまんかったな。お前らのせいで変えざるを得んかったんや。悪かったな、トドメ刺してやれんで」

「……見ない間に随分とゲスになったな」

「お前は知らん間に性別まで変えてんな」

「……」

 プロロクツヴィ……結はその言葉には何も答えなかった。その代わりにリーマが口を挟む。

「ふふ、仲直りできてよかったよ。結の性別の事だけどね、僕が世界間移動の時にちょっとミスってね。結だけ禁忌を食らっちゃったんだー。それでどっちでもなくなっちゃったんだ!ごめんね」

 ニコニコと笑顔で軽く謝るリーマに幸広は苛立ちを露わにする。彼が結を呼び捨てにする事にも何となく腹が立つ。

「リーマ、お前は他にやることあるんやろ」

「ああ、そうだったね。じゃ、後で」

 ミシュレンカを小脇に抱えたままリーマはオルヴァーハの元へと向かった。邪魔者がいなくなったところでプロロクツヴィは改めて幸広に向き合った。

 お互いに沈黙が続く。久しぶりの再会がまさかこんな形になるとは誰が想像出来たか。

 表情を一つも変えずにプロロクツヴィが冥に刺された場所を手でおさえながら口を開いた。

「一生お前の顔を見たくはなかった。お前を見ていると未だに傷が疼く。百八十年も経過しているのにな……もう歳も追い越してしまったよ」

「……なんで俺をここに呼んだ」

 幸広がこの世界に来たのはプロロクツヴィが示唆したからだ。わざわざ禁忌を犯してまで呼び寄せた。元々はリーマが幸広に目を付けていたのが始まりだったはずだが、何故「イェギナを介して」呼び寄せたのか。

「……それはもう話したはずだ」

「それは建て前やろ。もっと『結』としての思惑があったんちゃうんか」

 プロロクツヴィとして、国の軍師として王女を救うため、一人の人間としてオルヴァーハを救うため……それだけならば敢えて幸広を禁忌を犯してまで連れてくる必要などないはずだ。自分のナドヴァが規格外の大きさだったと先程リーマに教えられたが、おそらくシヴェト中を探せば他にもナドヴァがいたはずだ。それでも幸広を連れてきた理由は何だ。

 するとプロロクツヴィは「結」の顔に変わり、鼻で笑う。

「ふっ……分かっているだろうに。あの時の借りを返すためだよ」

 悪魔のような(おぞ)ましい姿の幸広が目を細める。本来内通者だったプロロクツヴィが敵方になるのだろうが、端から見ていると対峙している幸広の方が悪に見える。その幸広も今は闇者(トゥーマ)側にいるのだが。

「ここまで来るのにどれだけの時間を費やしてきたか、どれだけの苦労をしてきたかお前にわかるか。私は性別を捨て、名前を捨て、世界をも捨てることになった。言葉も環境も違う。頼れる存在もいない。五歳で異世界に一人放り込まれた私の気持ちがお前にわかるか!」

 結が経験したことはあまりにも壮絶で悲惨なものだった。ここまで生きてこれたのはイェギナ王国に拾われたからだ。生きていくために結は必死に学んだ。死ぬ気で生きて、今ここにいる。結は「プロロクツヴィ」として生きていくために、結を生かしてくれたこのイェギナの恩に報いる為に、「イェギナ王国の軍師」として幸広をこの世界に呼んだのだ。この国の王女を救うために……だが。

「じゃあお前は……生まれた時から親から虐げられてきた子供気持ちは考えたことがあるか?散々いたぶられて腹違いの妹に気持ち悪いなんて言われて……挙句母親に滅多刺しにされる子供の気持ちは!!」

 人生の三分の一は虐待を受けて、死んだように生きてきた。虐待から逃れられたとしても「普通の人間として生きること」を知らない冥にとっては、残りの三分の二もある意味地獄だった。結局はどちらも十分な愛を受けられず生きてきたのだ。

 だが、それぞれ相手の苦労話なんてどうでもよかった。

「……自分が親から愛されなかったからと嫉妬するな!!」

 プロロクツヴィは魔具(ナラディ)を構え、幸広に向けて赤の魔弾を幾つも打ち込んだ。それを避けることもせず幸広は打ち続けられる魔弾を浴びる。一度に多量の魔力(マギ)を消費し、プロロクツヴィは軽く肩で息をした。

 辺りには土煙が立ち、状況がよく掴めない。その状況を作った自分を恥じ、完全に頭に血が上っている事を猛省した。あいつのせいで、これまで作り上げてきた新しい”自分”を自ら壊してしまった。

 土煙が徐々に晴れてくる。煙が晴れて見えてくる幸広の姿に、プロロクツヴィは致命的なミスをしていることに気が付いた。

 あいつは……

「……全然効かんなぁ」

 あいつは、ナドヴァだ。

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