10.真実
⒑
辺りは暗くなり、町の明かりが空に昇るように灯り出す。一行は各々の準備を済ませ、王女奪還への出発の時を待っていた。
結局幸広は特に何の装備品も準備することなく、あの後立ち寄ったティトリーの何でも屋『Prankster』で防魔のアイテムを一つ貰っただけだった。それも古い物で、ティトリー自身もいつ手に入れたかすらも覚えていないような物だ。単なる不用品を処理しただけだろうが何もないよりはマシだと思うようにして、遠慮なく頂くことにした。
城に戻った時プロロクツヴィは同行しているティトリーを見て鼻で笑った。おそらくわざとなのだろうが、そういうことをするから嫌われるのだ。それに逆上したティトリーをコチカとその場に居合わせたハルヴァが抑え込まなくはいけないという事態に陥った。
幸広は手に汗を握った状態で、プロロクツヴィ本人に自分が感じた疑惑をぶつけることにした。ぶっ飛んだ事だと思いながらもそうしようとしたのは、もし本当に彼が内通者で急に襲われたとしても人が多い場所でなら誰かしら近くにいる人間に助けてもらえると思ったからだ。
過去と未来がわかるのならば何故今回のことは未然に防ぐことができなかったのか。お前が内通者なのではないのか。
幸広は何故か根拠のない確信を持っていた。しかしプロロクツヴィの返答は期待していたものとは違い、ただ一言「魔法は万能ではないんだよ」と静かに諭された。その場を離れようとするプロロクツヴィにどういうことなのか問い詰めようとするが、ラヴラフがそれを阻んだ。
「あの鏡は断片的にしか見れないんだ。見れたとしても前後数時間程度。あいつは口数が少ないから誤解されやすいけど、ちゃんと理由があるんだよね。っていうか、あの鏡渡したのあたしだから。でもいいよ、あの堅物を弄っていこう精神!もっと弄ってやって☆」
乱暴に握手され、そのままラヴラフは去って行った。嫌いと言いつつもなんだかんだでプロロクツヴィのことを気に掛けている様子は、なんとなく彼を見守る親のようにも感じた。
偵察に出たというシーハットという者はまだ戻らない。幸広は手持ち無沙汰でふらりと部屋を出ようとするが、また道に迷うことを懸念されストラッシュに止められた。通りがけにハルヴァの土人形が幸広の後を追いかけてくるのでそれを拾い上げて肩に乗せると、ストラッシュも土人形がいるならとそれ以上の追従はなかった。
風が心地いい。遠くから祭りの賑わう音が聞こえてくる。
廊下沿いに歩くと中庭にたどり着く。
(そういえば毎日待ってるとか言うてたな……ほんまにおったりして)
何となく中庭に足を踏み入れた。結界が張ってあることを知っている土人形が若干騒いだが、すんなりと中庭に入ることができたからか、すぐにおとなしくなった。
人に見つからないようにこっそり進むと草の陰から泉が見えた。そこには祈祷師とみられる白いローブを羽織る人が三人ほど泉の縁にあぐらをかいて座っている。三日三晩祈ると言っていたので、何人かで交代しながらするのだろうか。
そこに目的の人物がいないことを確認し、その場を後にしようと振り返ると人影が現れた。
「!!」
「シー!」
そこには昨日ここで出会った少女がすぐ側まで来ていた。思わず叫びそうになったが、既の所で口を塞ぎ大事にならずに済んだ。
「こっち来て」
ミシュレンカは幸広の手を引いて歩き出す。まさか本当に居るとは思っていなかったので、驚いたせいもあるだろうが湯の心臓は大きく揺れ動いている。
少し進んだところに泉のある場所とは雰囲気の違う広場に出た。そこには人が座れる程度の大きめの石がいくつか埋められており、幸広のイメージだがなんとなく古代遺跡を彷彿とさせる場所だった。ミシュレンカはその大きな石に座り、幸広にも座るように促した。
「こんな所におったらすぐバレるで」
今いる場所は泉からそう離れた場所ではないので、すぐに見つかってしまう可能性だってある。そうは言いながらも少女に会えたことが思いの外嬉しかったようで、無意識に顔が緩む。
それまでどこかに隠れていた土人形が顔を出した。それを見つけたミシュレンカは手を伸ばす。
「あ、この子ハルヴァのとこの子でしょ」
土人形は同じように手を伸ばし、ミシュレンカの手の上に乗る。
「知ってるんや」
「うん、昔よく遊んだよねー」
ミシュレンカが首をかしげるとそれに合わせて土人形も首を傾けた。その息の合った行動に自然と笑みが浮かぶ。
「そや、繁栄の祈祷?見たで。すごいな、びっくりした!」
「でしょ!私た説明した通りだったでしょ!」
「わーっと?」
「そう、わーっと」
声をあげて笑いあうがすぐに口を押さえ、目が合うとお互い照れたように微笑み合う。なんだか秘密の関係なようで、心が浮き足立つのが分かった。
「ユキ、その服似合うね。昨日のはちょっとダサかった」
「マジで?俺昨日のんしょっちゅう着てるで」
「えー、やめたほうがいいよ。今の方が絶対かっこいい」
幸広はこの時初めてストラッシュに服を借りてよかったと思った。本当はこの民族衣装じみた服は自分には全然似合っていないと思っていたので「かっこいい」という単語に敏感に反応してしまう。これまで女性からそんなことを言ってもらった過去があっただろうか。日本の女性は奥ゆかしい人が多いというがまさにその通りで、幸広の周りにははっきりと物を口に出す人は少なかったので、素直に嬉しかった。しかし言われ慣れていないので、どう返答するのが正解かがわからない。
「いやー、俺何着ても似合うからなぁ」
照れ隠しで冗談をいうが感情は顔に出てしまっているだろう。どんどん体温が上昇しているのを感じる。
それに対してのミシュレンカの反応は肯定だった。関西での生活が長かったので、冗談をまともに取られるととても戸惑う。
しかし……
「そうだね!ユキは綺麗な顔をしてるからもっと派手な色とかでも良いかも!赤とか」
その発言に幸広の表情が凍った。自分では「その手」の感情は制御できていると思っていたが、気が緩んでいたからか明らさまな感情を表に出してしまった。
「ごめん、赤は、無理やな」
赤は昔を思い出す。
「え?嫌いだった?」
「いや、嫌いっていうか」
幸広の服や持ち物は基本的にモノトーンで、色味はあってもほぼ青や緑ばかりだった。ミシュレンカの提案は嬉しかったが、これに関しては素直に受け入れる事が出来ない。
「ごめん」
「あ……こちらこそごめんなさい。また嫌なこと思い出させちゃったかな……」
「いや、俺の地雷が多いだけやから気にせんとって」
先ほどまで穏やかだった空気を一瞬にして凍らせてしまう。日本にいた時もこんな感じだったのだろうか。この世界に来てからというもの、どうも感情のストッパーが緩くなっているのがわかる。
感覚がこれまでとずれてきている。
幸広は黙って俯いてしまった。
それを見てミシュレンカは狼狽えたが、少し考えると「よし」と気合を入れ石から飛び降りる。そして幸広に正面から近寄ると両手で幸広の頬を挟むように叩いた。パチンと乾いた音が響く。
「!?」
突然の出来事に驚く。しかしそんなことはお構い無しに、ミシュレンカは目を閉じゆっくりと顔を近づける。
(え!?これ……あかんやつ……!)
ミシュレンカの行動に頭ではダメだと思いつつ、どこかで思い切り期待をして目をぎゅっと閉じる。が、思っていた場所ではなく違う場所に違う感触が。
恐る恐る目を開けると、ミシュレンカの幼さの残る顔がすぐ近くに見えた。自分の前髪を持ち上げ、幸広の額に自分の額を押し付けている。幸広は期待していた結果には至らなかったが、自分の心臓が飛び出てはいないか心配になるほど動揺していた。
「ミ、ミーシャ……」
「私、昨日からあなたに失礼なことしかしてないからそのお詫び」
「へ?」
ミシュレンカの体が白い光に包まれ、触れ合っている部分から幸広にも光が集まる。
「わ……」
(あったかい)
体の中に暖かい何かが流れ込んでくる。それが全身に巡った頃、ミシュレンカはゆっくりと離れていった。その暖かな感触にもっと浸っていたいが、名残だけが残る。
しかしその暖かさの反面、心臓のあたりが重く苦しく感じる部分もあった。
「やっぱりそうか……」
「な、なにしたん?」
ミシュレンカは幸広の頭を優しく撫でた。
「これから旅に出るあなたの役に立てばと思ったけど……ダメだった」
「へ?」
「保護魔法を掛けようとしたんだけど……あなたは魔法をすべて吸収してしまうみたい」
失敗しちゃった、と笑うミシュレンカは徐々に目線を落とした。
「私がこれを言ってしまっていいのかは分からないけど……」
頭を撫で続ける手は少し震えている。その後の言葉を言うのをためらっているようだ。しかし幸広はその手を握り返し、まっすぐミシュレンカと向き合った。
「言うて」
この世界に来てからというもの、自分が関わることの真実に近付けたのは今回が初めてのように思えた。今聞かなければおそらく確認すら出来ずに物事に巻き込まれていく気がする。幸広はどうしてもそれは避けたかった。
ミシュレンカは意を決したように頷くと、幸広の隣に腰掛ける。その距離は近い。
「……あなたは、ナドヴァ。器なの」
「ナドヴァ……」
先ほどプロロクツヴィが謁見の間で幸広のことを「ナドヴァ」であると話していた。それが何なのかプロロクツヴィや他の人間から未だ聞かされていない。自分がこの世界に連れてこられた理由さえも。
「そう。あなたは王女の魔力を移し替えるための『空の器』。入れ物」
ミシュレンカの声は震えている。他人の事を話しているだけなのにこの少女はまるで自分のことのように感じ、話している。それも人の心の声を聞くことが出来るからなのか。
「今、王女の魔力はある事がきっかけで制御が出来なくなっているの。それどころか魔力自体が増加して溢れ出てきている」
ある事、とはオルヴァーハの関係する事件のことだろう。
ミシュレンカは空中に指を滑らせる。指先には白い光が宿り、宙に絵を描く。彼女も魔具を持たないタイプの人間らしい。宙には細いグラスのような形でその中に水が並々と注がれたような絵が描かれている。
「これが王女の体とすると、今この中に限界まで魔力が注がれている。これまでは自分自身で制御してこれたけど、それが難しくなってきている」
描かれたグラスからは光の水が溢れ、こぼれ出した。その量は初めは一筋の線のようだったが、徐々にその量は増え今では壊れた水道のように止まらなくなる。その光は幸広の足元にまで流れてきている。
「こ、このまま放っといたら王女さんどないなるん」
「魔力に飲まれて無くなるわ」
「死ぬってこと?」
「いえ、存在自体が消えて無くなるの。魔力は大きな塊となって王女を飲み込み、野に放たれる。入れ物を失った魔力は誰にも制御出来ず、いずれシヴェト全土をも飲み込んで、そして全てを無に帰す」
溢れ出た水は、いつの間にかグラスを飲み込み、そのまま宙に散った。
「そうならないように、その溢れ出る魔力をどこか別の大きな器に移そうと考え出された。それがナドヴァ」
「……王女さんの魔力を悪用しようとする奴もおるんやろ?そやったらそうなる前に他に良いように使ってくれる人に渡したら良いんじゃないん」
そうなれば幸広がこの世界に来る必要はなかった。しかしミシュレンカは首を縦に振ることはない。
「魔力は基本的に他人に譲渡する事はできない。その人が持てる魔力の総量は決まっているの。鍛錬次第では多少器を大きくする事は可能だけど、あくまでもその人自身の持つ容量以上には増やす事が出来ない。だから、悪用をしようとする人たちは多分をその人間を手なづけたり弱みを握ったりしようとする。でもナドヴァは人の魔力を受け入れる態勢が整っている。なぜなら」
「魔力を持っていないから……?」
「そう。あなたのように魔力の器を持っているけど魔力そのものを持っていない人のことをナドヴァと呼んでいます」
「言わば貯蔵庫、ってことか」
シヴェト中を探せばきっと魔力を持っていない人間はいるだろう。オルヴァーハのように魔力がなくなってしまった人に分けてあげればいい。
何故そこで自分なのか。
「そう。あなたがそれを一番聞きたがっているのは分かってる」
「心読むなや」
幸広は当たり前のように心を読まれる状況にも少し慣れた。これまで真剣な話をしてきたので、少しちょけてもいいだろうと思い始めてきたので、ふふ、と笑いがこみ上げる。
「ごめん。私には何故あなたがナドヴァとして選ばれたのかが分からなかった。でも、さっき魔法を使った時分かった。あなたのナドヴァはとても大きい。大きくて、私の魔力が塵のように思えるくらい」
「塵って……言いすぎやろ」
「これがあなたのナドヴァだとすると、今あなたにかけた魔法……吸収されたのはこのくらい」
ミシュレンカは再び指で宙に描き、器の底にチョンと小さな点をつける。
「なにそれ。そんなもん?もうちょっとあるやろ」
「こんなもん」
幸広の口調を真似して話すミシュレンカに笑う。出会って二回目なはずなのにここまで居心地がいいと感じるのはなぜだろう。普段人と一定以上の距離は詰めないようにしている幸広は若干の戸惑いと、新鮮な思いが入り混じる。
「それにしてもなんで俺に魔法?かけようと思ったん」
「どうしてだかは分からないけど、あなたはどうも闇に飲まれやすい気がする。初めて会った時といい、さっきといい、暗い過去を持っているからかもしれないけど……それをちょっとでも緩和できればと思ったんだけどね……」
「ふーん……そっか」
「内側から保護できればと思ったけど、これだけ大きな器にこんな小さな点があってもほとんど意味はないかも。ごめんね」
「いや、そんなんええのに……」
触れ合う指先から伝わるミシュレンカの体温になんだか意識してしまう。
しかし、その話を聞きある一点に引っかかりを感じた。
「……なぁ、俺ってどんな魔法でも吸収されるんやんな?って事は俺に魔法は効かんってことやんな。ホンマに?」
「え、どうかな……私が知ってる限りだとそうだと思うんだけど。なんで?」
「いや、なんとなく……」
なんとなく、だがこれ以上はここで口にしてはいけない気がしてきた。
この世界に来た時、プロロクツヴィが幸広の怪我を治してくれた。彼女の話が事実なのであれば、彼の魔法は幸広に効果はないはず……
全身の毛が逆立つ感覚がする。これ以上追求してはいけない、と全身が警告している。
幸広は慌てて話題を変えた。
「それにしても、ミーシャお前よぉそんな難しいこと知っとんな!繁栄の祈祷のことはよぉ説明せんかったのに」
「う、うるさいなぁ!」
痛いところをつかれたからかミシュレンカは顔を真っ赤に染め、触れ合っていた手を放り投げるように離した。
「なぁ、なんでなん。なぁ、なぁ」
彼女のそんな反応を面白く感じ、幸広はからかうように近付く。
「来るな!変態!」
手を伸ばして幸広の侵攻を防ごうとするが、やがて観念し、小さな声で語ろうとした。
「し、調べたから……」
「ん?なんて?」
「だから!自分の……!」
しかしその先の言葉を聞く前に、がさがさと草を掻き分ける音が響く。
「誰かいるのか」
その声に驚き、幸広の心臓は跳ね上がり思わず音のなる方へ顔を向けた。体はそれ以上動かない。草むらをかき分けてきたのは見慣れた顔だった。
「……少年。何故ここにいる」
「……は、はは」
とっさに後ろを振り返った。が、そこにはミシュレンカの姿はなかった。
(あいつ、逃げたな……)
二人とも見つかるよりはいいか、と彼女のことは放っておくことにした。
「いや、散歩してたら中庭綺麗やなーって……どんなもんかなーって……はは」
「結界が張ってあっただろう」
「ん?いや、なんもなかったけど……」
これは事実だ。散歩中に立ち寄ったのも嘘ではない。
ため息をついたプロロクツヴィは座り込む幸広に手を貸すと立ち上がらせる。
「ここは立ち入り禁止だ。次はないぞ。シーハットが戻った。じきに出立してもらうから早く戻れ」
「あ、うん」
彼の顔を見ると先程の疑問が浮かび上がる。しかし、実際に目の前にすると出会った当初から感じていた焦燥感が邪魔をする。内通者の話は出来たのに、何故。
早く戻れ、と最後に一言言うと彼は泉のある方へ向かう。
「あれ?一緒に行かんの?」
「祈祷の様子を見てくる。すぐに行く」
「そっか……」
姿が見えなくなるまでプロロクツヴィは一度も振り返らなかった。




