最終話 現れる真実、終わらない金曜日
「あの時の俺たちは、どうしようもなく惹かれ合って、一線を越えてしまった。お前はいつも、泣きじゃくりながら俺の腕の中で言ってたよ。『もっと早く出会いたかった』『結婚する前なら、よかったのに』って」
脳裏に見たこともないはずの、けれどなぜか胸を締め付けるような切ない光景がフラッシュバックする。
「同じ誕生日だって言ったのも、嘘だ」
海斗君が 歪 んだ笑みを浮かべる。その目からは、絶え間なく涙が溢れていた。
「お前が俺の誕生月が自分と同じだと知って、『もし同じ日だったら、運命だったのにね』って、愛おしそうに笑ったから。だから俺は、お前を喜ばせたくて、運命だと思わせたくて、『同じ日だよ』って嘘をついたんだ」
「そんな……じゃあ、あの時の言葉は……」
「1回目の人生は……悲惨な結末を迎えた。お前を深く深く傷つける、最悪の結末だった」
海斗君は何が起こったか、具体的に口にしないが、その表情だけで、どれほど恐ろしい結末だったのかが痛いほど伝わってくる。
「だから俺は、人生をやり直したんだ。タイムリープして、今度はお前に近づかないって心に決めていた。お前があの男と何事もなく結婚して、安定した幸せな未来を歩めるように……。パートナーまで作って、お前から徹底的に逃げるつもりだった」
海斗君の指先が、私の唇にそっと触れる。先日、自分が色を乗せた、あの唇に。
「周りの女には、指一本触れるだけで吐き気がする。俺は本当にお前以外の女じゃダメなんだ。でも、お前に対してだけは……違う。
あの小5の時から、俺の身体も心も、お前だけにしか開かないように呪われてる」
海斗君の声が、激しい感情で 震 えた。
「なのに……会社で再会して、お前の左手にまだ指輪がないのを見た瞬間、全部どうでもよくなった。お前を他の男に渡したくない、また抱きしめたいって……。
自分の醜い独占欲を、抑えきれなかったんだ。ごめん、ごめんな、花音……」
海斗君は私の胸に顔を 埋 め、子供のように声を上げて泣いた。
彼の背中にまわした手が、じわりと熱い。彼が自分を愛するがゆえに、タイムループの中でどれほど孤独に、狂うほどの矛盾に引き裂かれてきたのか。その底なしの狂愛を知った瞬間、私の胸には恐怖を遥かに超える、切なくも狂おしい愛おしさが込み上げていた。
ホテルを出た私たちの間に、言葉はなかった。
深夜2時。冷え切った雨上がりの路地裏には、街灯の鈍いオレンジ色の光だけが 澱 んでいる。海斗君の告白の重さに 眩暈 を覚えながら、濡れたアスファルトをヒールで踏み締めていた。
これから優真にどう向き合えばいいのか、海斗君とどうすればいいのか、何も決まらない。
ただ、繋いだ手の互いの指先から伝わる微かな体温だけが、頼りだった。
コツ、コツ、コツ……。
静まり返った路地の奥から、硬い革靴の足音が響いてきた。規則正しく、けれど異様なほど冷徹な響き。
海斗君がハッとした様子を見せ、私を背中に 庇 った瞬間、街灯の影から、一人の男が姿を現した。
「……山中、さん」
喉が恐怖で 凍 てつく。そこに立っていたのは、昼間のスマートなビジネスマンの面影を無くした山中さんだった。
前髪は濡れて額に張り付き、その手には、自室から持ち出してきたのであろう、ギラリと鈍く光る大きな包丁が握られている。
「やっぱり、ここにいたんだね。海斗」
山中さんの声には、怒りすら入っていなかった。完全に感情の切れた、 虚 ろで深い 闇 のような声。
「最近、態度が何かおかしいと思ったんだ。念のためにGPS入れといて良かったよ……」
山中さんの一歩が、水たまりをパシャリと叩く。包丁の刃先から、雨の滴が滴り落ちた。
「智哉、やめろ! !……やめてくれ……っ!!
この娘には手を出すなっ……!!」
海斗君が叫び、山中さんへ飛びかかろうとする。だが、狂気に囚われた山中の動きの方が早かった。ギラリと光る銀色の軌跡が、夜の闇を切り裂き私めがけて真っすぐ振り下ろされる。
「この女——ッ!!」
肉を切り裂く嫌な音が響き、生温かい血の匂いが、一瞬にして路地裏の空気を支配した。私の目の前で、海斗君の身体が崩れ落ちる。彼の胸元から 溢 れ出た鮮血が、アスファルトの雨水を真っ赤に染めていく。
現実と受け止めきれないほどの凄まじい惨劇。
「……あ、あ……」
私は恐怖で声も出ず、血の海に倒れる海斗君に駆け寄った。彼を抱き起こす手のひらが、ドロドロとした熱い血で染まっていく。
海斗君は血を吐きながら、 霞 む瞳で私を見つめた。その大きな手が、私の頬に触れる。彼の血が私の頬に付着するのが生温かさで見なくてもわかるを
「……変えられないのか」
海斗は 歪 んだ、けれどひどく穏やかな笑みを浮かべた。
「ごめんな……また、戻れるかな……」
「嫌、嫌よ海斗!!」
私の静止も虚しく、海斗君は残された最後の力で、自身の首筋に残った山中の刃を深く突き立てた。
タイムリープの、血に染まった引き金。凄まじいフラッシュバック。じりじりと皮膚が焼ける、小学5年生のあの「炎の熱さ」が脳裏を駆け巡り——。
「……っ!」
パッと目を開けると、視界に飛び込んできたのは、夕日が斜めに差し込むガラス張りのロビーだった。耳に飛び込んでくるのは、静かなクラシックのBGMと、お決まりのビジネスパーソンたちの足音。
私は、自分が大理石の受付カウンターに両手を突いていることに気づいた。
あ……。
手のひらを見る。海斗君の血の熱さも、 粘 り気もない。慌てて、さっき海斗君が触れた自分の頬に触れる。
……血が付着してない。汚れてない……
ただ、大理石の硬い冷たさだけが、ドロドロに燃えていた心を一瞬で冷やしていく。
壁の時計を見る。金曜日の、終業10分前。
時間が戻った……?
理解するのにそう時間はかからなかった。海斗君はまた、自分の目の前で命を絶ち、時間を巻き戻したのだ。あの惨劇を変えるために。今度こそ、自分に関わらないようにするために。
呆然とする私の前を、一人の男が、人事部の社員に連れられて歩いてくるのが見えた。
見覚えのある、スマートなスーツ。中途採用の、「一ノ瀬海斗」だ。彼は花音のいる受付の前を、一度もこちらを見ようとせず、他人のフリをして通り過ぎようとする。
だが、すれ違う直前。彼の視線が、我慢できないよつにほんの一瞬だけ私の方へと向けられた。
その瞳の奥にある、狂おしいほど熱く、ねっとりとした「愛おしそうな視線」。
ふと、目が合う。
私のブラウスの袖の奥、おへその横、そして記憶のすべてが脳裏に鮮明に蘇り、あのひりひりとした熱を持って 蠢 き出す。
ああ、やっぱり……貴方は、また私に会いに来たのね。
逃れられない宿命のループの始まりを確信しながら、完璧な受付嬢は、彼に向かって、 妖 しく美しい微笑みを浮かべた。
恋するタイムリープ〜歪んだ恋物語
海斗視点バージョン公開予定。
この物語はタイムリープのただの一回に過ぎなかった……。




