日常
「もうちょっとですね」
終業時間の10分前、受付嬢として一緒に働く楓が前を向いたまま呟いた。
楓は25歳、ふんわり柔らかい雰囲気を纏っている。軽くカールがかった髪は、男ウケがいいらしく、受付に来た客人に携帯番号を尋ねられるのも珍しくない。もちろん、うまくかわし番号交換などはしていないのだが。
楓より少し背が高い私は、軽く彼女に視線を落としながら、周りに気づかれないよう、斜め上の時計にさりげなく目をやる。
「本当ね。金曜だしさっさと帰りたいね」
大理石のテーブルに手を置いていると、手からその冷たさが伝わってきて、心まで冷やされるような気になる。
背筋をピンと伸ばし、人が通るたびに軽い笑みを浮かべながら会釈をする。
何だろう、この人形的な動きは。人が通るたびに頭を下げるロボットでも置いていればいいんじゃないか。
私も楓と同じ位の若さだったら何も考えずにこうやって受付嬢としてやっていったのだろうけど……。
30代になり、焦りや恐怖のようなものを感じるようになった。受付は二人体制。前任者は32歳で他の部署に異動になって、若いこの子が入ってきた。私もいつ異動させられるかわからない。
男女平等? よく言うわ。会社の受付嬢に男置いてる会社なんかないだろうに。
結局、見栄え良く若い女の子置いてるだけじゃないか。しかも、『会社の顔』なんだからって余計なプレッシャーかけてきて、クレームなんてきた暁には、礼儀作法がなってないだのなんだの、全部こっちのせいにするくせに……。
楓の前に一緒にやってた先輩はどこの部署に行ったんだっけ……。私もそう遠くないうちにどこかに……。
不意に、ガラス張りの自動ドアから夕方の生ぬるい風と一緒に、いかにも仕事のできそうなビジネスマンが滑り込んできた。そして、足早にこちらに向かってくる。
私は瞬時に思考を切り替え、大理石から手を離して、口角をきゅっと引き上げる。
「第三会議室に、用事が、あるのですが……」
息を切らしながら慌てた様子で、汗をハンカチで拭きながら懇願した瞳で私たちに目を向けてくる。年齢はそうだな……30代ぐらいだろうか……。
楓がいつもの余裕のある可愛らしい笑顔で対応する。
「お約束はございますか? 17:30以降の対応は難しくなっておりますが……」
楓の言うことは最もである。不審者対策の観点からも、約束のない人間は社内に立ち入ることは不可能だ。
「いえ……今、会議があっていると思うのですが、そこで使う大切な書類を同僚が忘れてしまって……。
その同僚も忘れたことにまだ気づいてないだろうし、会議だから携帯もサイレントにしてるみたいで連絡もとれないんです……」
「ですが――……」
早口で捲し立てるように言われるが、楓はそれに動揺を見せず冷静に対応しようとしている。
楓の反応でわかる。不審者かもしれない方で対応するつもりだ。
私はふと、この男性の首から掛かっているネームプレートに目をやった。会社名、そして、この男の名前が書いてある。
さらに、このやりとりが気になったのか、警備員が近付いてきた。
「どうしました?」
怪訝そうな表情を浮かべ、明らかにこの男性を追い出しにかかるのだろうと簡単に予測できた。楓も警備員が近付いてきたことで、安堵した表情を見せ、警備員の方へ口を開いた。
「ああ、この方がお約束がないのに会議室へと……」
「大丈夫ですよ!」
三人へ伝わるよう、しっかりとした口調で言葉を発す。
そして、私は微笑み、守ってくれているカウンターから身体を滑り出した。
「私がご案内します!」
「え……っ!? ちょっ……今井さんっ!?」
楓も警備員も驚きを隠しきれず、私から目を離せない様子だった。それに気づいてないふりをして男性に声をかけた。
「行きましょう。お急ぎですよね」
唖然とした二人を残しエレベーターを目指す。
私たちのカツカツという早足の足音がフロアに響いて消えていく。
これは、決してその場での思いつきではない。
この男性は以前、受付で見かけたことがあった。
そして。現在、第三会議室で行われている会議は、この男性の会社の社員が参加しており、その人はまだ会議室から出てきた形跡はなかった。
私が同行することにも意味がある。
もし万が一、この人が不審者の場合、そんな人間を一人で行かせては防げるものも防げない。
また、エレベーターは必然的に二人きりになる可能性が高い。危険な人物と二人きりになれば、その時点で襲われる可能性もある。
それも、覚悟の上なのだ。




