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第7話「試験前日の地味な時間、あるいは名もなき魔法使いの休日」

王都の朝は、パンとハーブの香りで始まる。


その日、シグ=ノクスはやや遅めに目を覚ました。昨日の帰り、ギルドで「明日は休みにしていい」と伝えられていたためだ。Bランク昇格試験前のインターバル。準備を整えるための一日といえば聞こえはいいが、要するに「好きにしろ」ということである。


陽射しが差し込む窓辺で、シグはストレッチをしながら小さくあくびをした。


「さて……洗濯物と買い出しと、ついでに……魔法の細かい調整か」


冒険者とはいえ、生活は地続きだ。炊事、洗濯、掃除、魔法の手入れ。それらを一つひとつこなしていく。


地味だが、嫌いではない。


 



午前中は近くの水場で洗濯。冒険用ローブに染みついた泥と魔素の燻りを、しっかり落としていく。


「《クロノ・ラグ(遅延転送)》」


魔法で洗剤の効力を時差で最大化し、乾燥工程のタイミングをずらす。地味だが、抜群に効率的だ。干す頃にはもうほとんど乾いている。


通りかかった老婆に「何その便利魔法」と言われ、思わず「時間属性です」と胸を張ってしまった。反応は「はぁ……珍しいわねえ」で終わったが。


 



昼食は行きつけの屋台。いつもの焼きスープと、胡椒の利いた肉まん。


「ひとりかい、兄ちゃん。今日はツインテの子は?」


「たまには、な」


屋台の親父がニヤニヤしてくるのを適当に受け流しながら、ひとり昼の陽射しの下で食事を取る。黙っていても、周囲の雑音が妙に耳に入ってくる。


「昇格試験、やっぱあの貴族の推薦組が有利だろ」


「なにせ魔法学院の優等生らしいからな。こっちは数合わせだよ、数合わせ」


──そういう声を聞いても、シグはもう眉一つ動かさない。


貴族の推薦。数合わせ。過去、自分が言われていたことでもある。もう、それを「悔しい」と思う段階は過ぎた。


「……どうせ明日も、“地味だが役立つ”で、終わりだ」


口の中の肉まんを噛み締めながら、ぽつりとそう言って笑う。


そして、その“地味”こそが俺の強みだと、誰よりわかっているのは俺自身だ。


 



午後、道具屋に立ち寄り、簡易魔石を数個と新品の羽根ペンを購入。


羽根ペンは、魔法陣の調整に使うためのものだ。一般人には理解されにくいが、ほんの1ミリの線の揺らぎが、時間魔法の精度を大きく左右する。


魔力灌漑装置の制御用に、自作のタイムシグナル魔方陣を試作しているが、精度がまだ甘い。


「ま、明日の試験には要らんが……こういう積み重ねが、いずれモノを言う」


 



夕刻前。


シグは図書館に立ち寄り、時間属性関連の古書を数冊借りる。


誰も借りていない本ばかりだ。埃を払いながら、ふと気づく。


(……こういう本、昔は読みながら“意味あるのか”と思ってたな)


今では、意味があると知っている。無駄と思えた時間が、魔法を“自分のもの”にする唯一の道だと理解している。


 



夜。部屋の灯りを落とし、ロウソク一本で静かに魔法陣の練習。


紙の上に羽根ペンを走らせながら、時折、視線を窓の外にやる。


遠くで風が吹いている。たぶん、ユノの部屋の窓か何かが、開け放たれているのだろう。


(あいつ……明日は、どんな顔で来るかな)


 


何も起きなければ、それでいい。


だが、もし何か起きたら──そのときこそ、俺の出番だ。


俺は目立たなくていい。ただ、確実に、“正しいタイミングで正しい一手”を打てるように。


「……準備完了だ、明日は──いつも通り、静かに勝ちに行こう」


ロウソクの火が、ふと揺れて、そっと消えた。


静かな夜が、昇格試験の前日を包み込んでいった。

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