小学校編 8時間目 ―返事のない家―
〈古田莉玖翔視点〉
ガチャ。
玄関の扉を開けると、いつもと変わらない静けさが俺を迎えた。
「ただいま。母さん、帰ったよ」
靴を脱ぎながら、家の奥に向かって声をかける。
けれど――。
「…………」
返事はない。
(……まあ、そうだよな)
別に、期待していたわけじゃない。
今日も返事がないことくらい、分かっていた。
それでも、家に帰るたびに声をかけてしまう。
……習慣っていうのは、なかなか抜けないものらしい。
(俺が悪いんだし)
母さんとの関係が変わってしまったのは、あのときからだ。
あの日を境に、俺たちは以前のように話さなくなった。
いや、正確には――。
母さんが、俺に話しかけなくなった。
(……俺のせいで)
それ以上、考えるのはやめた。
考えたところで、何かが変わるわけでもない。
俺は鞄を置き、制服のままリビングへ向かった。
***
(それにしても……)
今日のことを思い返す。
新学期。
クラス替え。
5年2組。
燈李と同じクラスになれたのは、素直に嬉しかった。
燈李は昔から、俺のことをやたらと慕ってくれる。
ちょっと抜けているところもあるけど、素直で、裏表がなくて。
一緒にいて気を遣わなくていい。
だから、今年も同じクラスでよかったと思う。
……ただし。
(なんで、あいつまで一緒なんだよ)
吉沢帝耀。
名前を思い浮かべただけで、ため息が出そうになる。
(あいつ、マジで何考えてるか分かんねぇ……)
いつも軽い調子で、何を言っても平然としている。
こっちが本気で怒っていても、あいつはどこか楽しそうだ。
今日だってそうだった。
突然やって来たかと思えば、燈李を自分たちのグループに誘い始めるし。
挙げ句の果てには、俺と一緒にいるより自分たちといた方が楽しいなんて言い出す始末。
(……ふざけんなって話だろ)
思い出すだけで、少し腹が立つ。
俺が何を言っても、あいつは笑って受け流す。
そういうところが、どうにもやりにくい。
(明日から毎日顔合わせんのか……)
考えただけで憂鬱だ。
***
(……ああ、そういえば)
もう一人、気になるやつがいた。
山本紗奈。
確か、そんな名前だったはずだ。
(あいつも、思ってたのと違ったな)
前から名前くらいは知っていた。
学校でも人気があるらしいし、見た目も落ち着いている。
だから、もっと清楚で、おとなしい感じの女の子なのかと思っていた。
……まさか、初対面であんなに怒られるとはな。
『新学期早々、喧嘩とかやめてほしいんですけど!』
(……結構、はっきり言うんだな)
思わず苦笑する。
しかも、こっちが謝ったところで、簡単には引き下がらなかった。
あそこまで遠慮なく言われたのは、少し意外だった。
でも――。
(まあ、何考えてるか分かんないやつよりはマシか)
思っていることが、そのまま言葉に出る。
そういう相手の方が、まだ分かりやすい。
少なくとも、帝耀みたいに何を考えているのか読めない相手よりは。
(……その方が、断然扱いやすい)
そう結論づけて、俺はキッチンへ向かった。
***
「……よし」
冷蔵庫を開け、中を確認する。
今日はオムライスにしよう。
新学期初日だし、ちょっとくらい奮発してもいいだろう。
(まあ、奮発ってほどでもないけど)
オムライスは、俺の得意料理だ。
……得意と言っても、まだそんなに上手く作れるわけじゃない。
卵の焼き加減は難しいし、思ったように包めないこともある。
それでも、ほかの料理に比べれば、まだ自信がある方だった。
(今日はうまくできるといいな)
必要な材料を取り出し、調理台に並べる。
母さんの分も作るつもりだ。
「母さん、ご飯作ってるね」
家の奥に向かって、もう一度声をかけた。
「…………」
やっぱり、返事はなかった。
(……うん)
分かってる。
分かってるけど。
ほんの少しだけ、胸の奥が重くなった。
俺はそれを振り払うように、料理の準備を始めた。
卵を割り、フライパンを温める。
静かな家の中に、調理器具の音だけが響いた。
(……明日から、毎日あいつらと顔を合わせるのか)
帝耀の軽い笑い声。
燈李の困った顔。
それから、紗奈の怒った声。
今日の出来事が、次々と頭に浮かんでくる。
「……はぁ」
思わずため息が漏れた。
新学期早々、あんな騒ぎになるなんて。
これから先が思いやられる。
(ほんと、憂鬱だな……)
それでも、明日はやってくる。
俺がどれだけ嫌がったところで、5年2組の一日は始まるのだ。
フライパンの上で、卵が静かに焼けていく。
俺はその様子を見つめながら、もう一度小さく息を吐いた。
こうして、俺の新学期も始まった。
――返事のない家で、いつもと同じ夜を迎えながら。
〈8時間目・終〉
〈吉沢帝耀〉
吉沢財閥の御曹司。次期社長。
一見何を考えているか分からない。また、何も考えていなさそうに見えることもあるが常に色々と考えている。そのためモノローグも多い…。
父や兄を尊敬していて、自分もあんな風になりたいと願うが、自分の置かれている状況や環境から敷かれたレールの上を歩いていこうと決心する。
何かと天才肌。
スポーツに関する絶対的な才能は、初めてやるスポーツでもプロ同等、またはそれ以上に出来てしまう。本人は少しその事で悩んでいる。
1度見たものは写真として頭の中に残っている感覚らしい。テスト前に教科書を1度見ることで全て覚えられるので、勉強というものをしたことが無い。
現在はスクールバンドでチューバを演奏している。




