小学校編 57時間目 ―好きな子の好きな物―
〈燈李視点〉
「ねえ、お母さん!!」
俺は勢いよく家の中に駆け込んだ。
「あら、燈李!」
俺の声を聞いて、お母さんが振り返った。
「おかえり! 久しぶりね! どうしたの?」
久しぶりに会うお母さん。
本当なら、もっといろいろ話したいこともあるんだけど……。
今は、それよりも大事なことがある!!
「俺、野球始めたい!!」
「え!?」
お母さんが驚いたように目を丸くした。
「なんで急に……?」
…………。
うっ。
そ、それは……。
…………。
言えないよおおおお!!
*
―――数時間前―――
「桃は好きなスポーツとかあったっけ?」
桃と紗奈と美香と愛理。仲良し4人組がリビングで話をしていた。
桃は少し考えるように首を傾げる。
「うーん、特にはないけど……」
そっか。
特にはないんだ。
……なんて思っていた、そのとき。
「あ、でもサッカーよりは野球が好きかも!」
…………。
…………え?
や……。
野球が好き……!?
…………。
野球!!
桃は野球が好きなんだ!!
…………。
そ、そっか……!!
桃、野球が好きなのか……!!
…………。
よし。
俺、野球やろう!!
*
―――現在―――
…………。
なんてこと。
お母さんに言えるわけないよおおおお!!
『好きな子が野球を好きって言ってたから、俺も野球を始めたいんだ!』
……なんて!!
そんなの、恥ずかしすぎる!!
絶対に言えない!!
俺が答えられずにいると、お母さんは少し不思議そうな顔をした。
「まあ、燈李が何かしたいって言うことはほとんどないし、いいわよ」
…………。
えっ!?
「始めてみなさい。その代わり、とことんやるのよ!!」
…………。
お……。
お母さん!!
「う、うん!!!」
やったああああああ!!
許してもらえた!!
野球、始めていいんだ!!
嬉しい!!
すっごく嬉しい!!
……よし!!
今日から野球、頑張ろう!!
…………。
桃、野球が好きなんだよね。
だったら、俺が野球を頑張ったら……。
…………。
うわあああ!!
何考えてるんだ、俺!!
と、とにかく!!
まずはちゃんと練習しなきゃ!!
お母さんにも、とことんやるように言われたし!!
……うん!!
頑張るぞ!!
*
……それにしても。
勢いで家まで来ちゃったけど……。
よく考えたら、お母さんに会うのも久しぶりだな。
別邸での生活は毎日賑やかで、すっごく楽しい。
だから、あんまり寂しいって思うこともなかったけど……。
こうして久しぶりにお母さんと話すと、やっぱり嬉しい。
……あっ!
そうだ!!
せっかく帰ってきたんだし、お父さんにも会っていこう!!
「お母さん、お父さんは?」
「お父さんなら、今お店の方にいるわよ」
お店!!
そっか!!
「燈李も顔を出してきなさい。常連さんたちも、燈李がいなくて寂しがっていたんだから」
「うん! 分かった!」
常連さんたち!!
みんな、元気にしてるかな!?
俺も久しぶりに会いたい!!
そう思うと、自然と足取りが軽くなった。
*
「お父さん!」
お店に入って声をかけると、お父さんがこちらを振り返った。
「おお! 燈李!」
お父さんは嬉しそうに笑った。
「どうしたんだい?」
えへへ。
久しぶりのお父さんだ!!
何から話そうかな……。
なんて考えていると。
「お父さん、それが燈李がね、野球、始めたいって!」
…………。
あっ!!
お母さん!!
それ、もう言っちゃうの!?
「おお!」
お父さんは驚いたように俺を見た。
「燈李が何かしたいなんて言うこと、あんまりないからな」
…………。
うっ。
やっぱり、そう思うよね……。
「一体どういう風の吹き回しだ?」
…………。
あわわわわ!!
それは!!
それだけは!!
言えないよおおおお!!
俺は思わず視線を泳がせた。
だって!!
桃が野球を好きだから、なんて……。
そんなの、お父さんにもお母さんにも知られたくない!!
絶対、いろいろ聞かれちゃう!!
「燈李もそれ、言ってくれないんだけどね」
お母さんが苦笑した。
「まあ、何かあったみたいなのよ!」
「そうかそうか」
お父さんは、それ以上追及しなかった。
…………。
ほっ。
よかったあああ……。
なんとかごまかせた……。
……いや。
ごまかせてるのかな?
まあ、いいや!!
「燈李くん、久しぶりねえ」
そのとき、聞き慣れた声がした。
振り返ると、常連さんの一人がにこにこしながらこちらを見ていた。
あっ!!
久しぶり!!
「ちょっと、背伸びたんじゃない?」
…………。
ええっ!?
「前会ったときから一か月も経ってないよ!」
俺が驚いて言うと、その人は楽しそうに笑った。
「あら、そうだったかしら」
……もう。
そんな短い間に、そんなに背が伸びるかなあ?
「でも、ちょっと前より大人になった感じがするわね……」
…………。
えっ?
大人……?
俺が?
「そうかな……!」
「そうよそうよ!」
…………。
えへへ。
なんだか、ちょっと嬉しい。
自分じゃあんまり気づかなかったや。
別邸に行ってから、いろんなことがあった。
たくさんの友達ができて。
毎日、みんなと一緒に過ごして。
それから……。
…………。
桃のことを、好きになって。
…………。
うわあああ!!
また桃のこと考えちゃった!!
……でも。
そういうことも含めて、少しは成長できたのかな?
だったら、嬉しいな。
*
それから、俺はお父さんやお母さん、常連さんたちといろんな話をした。
別邸でのこと。
学校でのこと。
最近あった、面白いこと。
みんな、楽しそうに聞いてくれた。
久しぶりに会えて、本当によかった。
……あ。
でも。
お姉ちゃんには会えなかったな。
きっと、今頃学校なんだろうな……。
ちょっと残念。
せっかくだから、お姉ちゃんにも会いたかったんだけど。
……まあ、いっか!
今度は、お姉ちゃんもいるときに帰ってこようっと!!
俺は家を出る前に、もう一度お店の方を振り返った。
お父さんも、お母さんも、常連さんたちも。
みんな、いつもどおり優しかった。
……やっぱり、家っていいな。
もちろん、別邸も大好きだけど!!
…………。
さあ!!
帰ったら、野球のことを調べよう!!
何から始めたらいいんだろう?
道具も必要かな?
練習もいっぱいしなきゃ!!
……よし!!
桃が好きな野球、俺も頑張るぞ!!
…………。
あっ。
でも、野球を始めた理由だけは……。
絶対、秘密だからね!!
〈57時間目・終〉
〈矢野昌子〉
燈李のお母さん。優しくてとてもあったかい人。
夫婦でレストランアローを切り盛りしている。




