小学校編 29時間目 ―憧れの人との再会!―
〈圭視点〉
「圭、おーい。俺の話聞いてた?」
「……え?」
突然、太志の声が聞こえた。
「あ、ごめん。なんだっけ?」
「……はぁ。だからさ!」
太志は、少し不機嫌そうに腕を組んだ。
「俺、なんか流されちゃった感じで、あのときは納得しちゃったけど……」
「……うん」
「よくよく考えてみたらさ……」
太志は、ぐっと拳を握った。
「やっぱ無理!! 一緒に暮らしてるなんて!!」
(……ああ)
その話か。
帝耀の家に、莉玖翔や燈李たちが住んでいるという話。
確かに、最初は俺も驚いた。
吉沢派と古田派は、ずっと対立してきたんだから。
でも……。
(……玲士さんが勧めたことだしな)
それなら、仕方ない。
いや、むしろ素晴らしいことじゃないか。
「圭は!!」
太志が、俺を指さした。
「憧れの人に会えるからいいかもしれないけど……!」
「……まあ、そうだな」
「そこは否定しないんだ!?」
(……だって事実だし)
正直、今の俺はそれどころじゃない。
今日、ついに玲士さんに会えるんだ。
あの日から、ずっと憧れていた人。
俺が将来、吉沢ホールディングスで働こうと決めるきっかけになった人。
(……ああ、どうしよう)
考えるだけで、胸が高鳴る。
ちなみに、こんなことを言うのもなんだが、太志は結構ちょろい。
あのときだって、女子も住んでいると聞いた途端、少女漫画の話で盛り上がっていた。
(……まあ、元々納得できる理由なんてなかったんだろうな)
そう思っていると。
「お! 二人とも!」
明るい声が聞こえた。
「ナイスタイミングー!」
振り返ると、そこにはるると海斗がいた。
「お、二人とも」
「今、斎森さんに家の中を案内してもらうところだったんだ」
るるが、にこっと笑った。
その隣には、きちんとした服装の年配の男性が立っている。
「おはようございます」
男性は、丁寧に頭を下げた。
「お待ちしておりましたよ。どうぞ、中へご案内いたします」
「……あ」
(……この人)
どこかで見たことがある。
落ち着いた声。
丁寧な物腰。
そして、その顔。
(……あっ!!)
思い出した。
あのときの運転手だ。
小学四年生の春。
ホテルの前に停まっていたリムジン。
そのドアを開けて、玲士さんを迎えていた人。
(……間違いない)
あのときの人だ。
ということは……。
(……いよいよ)
本当に。
本当に、玲士さんに会えるんだ。
「……ふふ」
「……圭?」
「ぐふふふ……」
「……おい、圭?」
(……やばい)
ニヤける。
どうしよう。
ニヤけが止まらねえ!!
***
案内された先は、想像していた以上に立派な屋敷だった。
広々とした廊下。
綺麗に磨かれた床。
どこを見ても、普通の家とは違う。
(……すげえ)
さすが吉沢家。
でも、俺の頭の中は屋敷のことなんかでいっぱいじゃなかった。
(……玲士さん)
もうすぐ会える。
あの人に。
(……ぐふふ)
「……圭、顔やばいよ」
太志が、呆れたように言った。
「……うるさい」
「めちゃくちゃニヤけてる」
「……うるさいって」
今は放っておいてくれ。
俺だって、どうにもできないんだから。
すると、奥から一人の女性が現れた。
年配の、優しそうなメイドさんだった。
「いらっしゃいませ」
女性は、にこやかに頭を下げた。
「皆様、お待ちしておりましたよ」
「おはようございます!」
るると海斗が挨拶を返す。
すると、女性は俺たちを見回した。
「旦那様のファンという方は……」
(……っ!!)
「……あら!」
女性の目が、俺のところで止まった。
「あなたですわね」
「……は、はい!」
「ふふ。旦那様をお呼びしてきますわね」
「…………」
女性が奥へ歩いていく。
(…………え)
(……待て)
今から玲士さんが来る!?
さっきまであんなにニヤけていたのに。
急に、心臓がものすごい勢いで鳴り始めた。
(……やばいやばいやばい)
どうしよう。
何を話せばいい?
まずは挨拶?
いや、自己紹介?
サインをお願いして、それから握手も……。
(……ああああ!!)
何も考えられねえ!!
さっきまでよくニヤける余裕あったな!!
俺!!
コツ、コツ。
(……っ!!)
足音が聞こえた。
少しずつ、近づいてくる。
コツ、コツ、コツ。
(……来る)
俺は、思わず背筋を伸ばした。
そして――。
「みんな、こんにちは」
(…………!!)
玲士さんが、笑顔で姿を現した。
***
(……あ)
(……本物だ)
帝耀には、何度も写真を見せてもらっていた。
もちろん、顔は覚えている。
でも。
やっぱり、実物は全然違う。
あの日と変わらない、柔らかな笑顔。
落ち着いた雰囲気。
それでいて、どこか圧倒されるような存在感。
(……玲士さんだ)
本当に、玲士さんだ。
「旦那様」
先ほどのメイドさんが、俺を示した。
「こちらの方が……」
「ああ」
玲士さんが、こちらを向いた。
「聞いてるよ」
そして、にっこり笑う。
「俺のこと、好きなんだって?」
「…………っ!!」
(……む、無理!!)
目が合った。
玲士さんが、俺を見ている。
(……落ち着け)
落ち着け、俺!!
言うんだ。
ちゃんと、言わなきゃ。
「は、初めて……」
「ん?」
「初めて見たときから……ファンでした……!」
(……言えた!!)
でも、まだだ。
まだお願いしたいことがある。
「サ、サイン……!」
「うん?」
「サイン、ください……!」
俺は、必死に言葉を絞り出した。
「あと……よ、よければ……」
「……うん」
「握手も……!」
玲士さんは、少し目を丸くした。
それから、楽しそうに笑った。
「ははっ。いいよ」
「……!」
「それくらいのことでよければ」
(……やった!!)
サインも握手もしてもらえる!!
(……夢みたいだ)
……と、思ったそのとき。
玲士さんが、ふと俺の顔を覗き込んだ。
「……って、君」
「……え?」
「…………」
玲士さんは、少し考えるような表情をした。
そして。
「……やっぱりそうだ!」
(……え?)
「また会えたね」
「…………」
(……は?)
また?
会えた?
(……え?)
まさか。
まさか、玲士さん……。
俺のこと、覚えてるのか!?
玲士さんは、あの日と同じように俺の頭に手を置いた。
そして、優しく撫でてくれた。
「俺に名前、教えてくれるかい?」
「…………」
「今日は時間無制限だよ」
にこっと笑う。
(…………っ)
あの日と同じだ。
小学四年生の春。
ホテルの前で。
俺が名前を言えなかったとき。
「残念、タイムオーバー。またね」
そう言ってくれた。
(……覚えてたんだ)
俺は、玲士さんが俺のことなんて覚えていないと思っていた。
だって、俺にとっては人生が変わるほど大きな出来事だったけど。
玲士さんにとっては、きっと何でもない日常の一部だったはずだから。
見知らぬ子供に声をかけた。
ただ、それだけのこと。
……なのに。
(……覚えててくれた)
胸が、いっぱいになった。
「…………」
名前。
今度こそ、名前を言わなきゃ。
(……俺は)
水嶋圭。
水嶋圭です。
たった、それだけ。
なのに――。
「…………」
(……声が)
出ねえ!!
なんでだよ!!
一年も前から、ずっと言いたかったのに!!
玲士さんは、そんな俺を見て、優しく笑った。
「じゃあ、俺が当ててあげる」
「……え?」
玲士さんは、まっすぐ俺の目を見た。
そして。
「水嶋圭くんでしょ?」
「…………!」
「帝耀から話は聞いてるよ」
(…………え)
(……なんで)
俺の名前。
知ってるのか?
(……帝耀が?)
帝耀が、俺の話をしてくれた?
(……え、ちょっと待て)
情報が多すぎる。
頭が追いつかない。
何か言わなきゃ。
お礼とか。
あの日のこととか。
ずっと憧れていたこととか。
……でも。
「…………」
やっぱり、言葉が出てこなかった。
玲士さんは、そんな俺を見て、困ったように笑った。
「……ふふ」
そして、そっと言った。
「話せるようになったら、またおいで」
「…………」
「待っててあげる」
(……あ)
そう言って、玲士さんはその場を離れていった。
俺は、ただ立ち尽くしていた。
……その隣で。
「……父さん」
帝耀が、呆れたように呟いた。
「対応が完全にアイドルすぎだろ……」
***
「……はぁぁ」
俺は、深いため息をついた。
「緊張しすぎて、全然話せなかった……」
(……最悪だ)
せっかく会えたのに。
一年も待ったのに。
また名前すら言えなかった。
……いや、玲士さんは知ってたけど。
それでも、自分の口から伝えたかったんだ。
「ぎゃはははは!!」
(……ん?)
「いや、あのときの圭!!」
蓮が、俺を指さして爆笑していた。
「あんなの見たことないよ!!」
「……おい」
「思い出したら腹痛てぇ!!」
「……蓮」
(……こいつ)
人が落ち込んでるっていうのに!!
「ちょっと蓮」
華人が、呆れたように言った。
「可哀想だろ……」
(……お)
華人。
お前は分かってくれるのか。
「ぶっ……!」
「……ん?」
「あはははは!!」
(……は?)
華人まで笑い出した。
「いや、無理!! あの圭は……!」
「……おい!!」
(……お前もかよ!!)
「……蓮、華人」
るるが、二人をたしなめた。
「誰だって緊張するときくらいあるでしょ?」
(……るる!!)
お前だけだ。
俺の味方は、お前だけだ!!
るるは、優しい眼差しを向けてくれた。
……けれど。
「まあ、確かに面白かったけどな」
帝耀が、呆れたように言った。
「……おい」
「父さんの前であんなになる人、あんま見たことないぞ?」
「……そうなのか?」
「うん。みんな媚び売るのに必死だからさ」
帝耀は、肩をすくめた。
「圭みたいなの、逆に珍しいよ」
(……そうなのか)
……って。
「……帝耀」
「ん?」
「お前、笑ってないか?」
「……え?」
帝耀が、さっと顔を逸らした。
「いや? 全然?」
(……嘘つけ!!)
口元が、ものすごく震えてるぞ!!
絶対、笑いを堪えてるだろ!!
「圭、諦めな」
海斗が、苦笑しながら言った。
「……え?」
「あっちに、笑いすぎて死んでる奴もいるし」
海斗が、少し離れた場所を指さした。
俺も、そちらを見る。
すると――。
「あっははははは!!」
太志が、腹を抱えて笑っていた。
「ちょっ、圭!! お前!!」
「……太志」
「さっきまであんなに偉そうだったのに!!」
「……おい」
「玲士さんの前だと、あんなになるんだ!!」
「……っ!!」
(……こいつらぁぁぁ!!)
俺だって恥ずかしいよ!!
できることなら、ちゃんと話したかった!!
あの日のことも。
憧れている理由も。
将来、吉沢ホールディングスで働きたいと思っていることも。
全部、伝えたかったのに。
(……くそぉ)
「まあまあ」
帝耀が、俺の肩を軽く叩いた。
「また話せる機会は来ると思うし」
「……え?」
「今日は父さん、家にいるからさ」
帝耀は、にっと笑った。
「きっとリベンジできるんじゃない?」
(……!)
「……本当か?」
「うん。だから、そんな落ち込むなって」
「……帝耀」
(……そうだよな)
まだ、チャンスはある。
今日が終わったわけじゃない。
「そうだね」
るるも頷いた。
「二回目なら、そんなに緊張しないんじゃない?」
「それまでに、話したいことをまた考えといたら?」
海斗も、優しく声をかけてくれた。
(……るる、海斗)
いい奴らだな。
本当に。
それに比べて……。
「ぎゃはははは!!」
「ぶっ、あははは!!」
「ひぃぃ、腹痛い!!」
(…………)
蓮。
華人。
太志。
お前らぁぁぁ!!
まだ笑ってやがる!!
(……くっそぉぉ!!)
こっちは真剣だったんだぞ!!
一年越しの再会だったんだぞ!!
それを、そんなに笑いやがって!!
(……ゆ)
(……ゆ、許さねえ……)
絶対に許さねぇぇぇ!!
……でも。
(……玲士さん)
俺は、そっと自分の頭に触れた。
あの日と同じように、撫でてもらった場所。
「また会えたね」
その言葉を思い出すだけで、胸が熱くなる。
(……次こそは)
絶対に、ちゃんと話すんだ。
俺の名前も。
あの日のお礼も。
ずっと伝えたかったことも。
今度こそ、全部。
……だから。
(……まずは)
あいつらを黙らせてからだ!!
〈29時間目・終〉




