小学校編 27時間目 ―聞いてはいけない秘密―
〈柊明日夏視点〉
「……まじかよ」
俺は、誰もいなくなった男子トイレで呟いた。
(……いや、待て待て待て)
ちょっと待ってくれ。
今、俺は何を聞いた?
莉玖翔と燈李が、帝耀の家に住んでいる?
しかも、華人と蓮と皇輝まで?
そのうえ、女子もいるって……。
(……はぁぁぁ!?)
俺、とんでもないこと聞いちゃったんじゃないか!?
そもそも、なんでこんなことになったんだ。
俺はただ、前髪を直しに来ただけなのに!!
***
――数分前。
(……最悪だ)
俺は、急いで校舎の中を歩いていた。
理由は一つ。
風が強すぎて、前髪が禿げた。
いや、もちろん本当に髪がなくなったわけじゃない。
ただ、せっかく綺麗に整えてきた前髪が、強風のせいで無惨な姿になってしまったのだ。
(……ありえねえ)
朝、あんなに時間をかけてセットしたのに!
俺の努力を返してくれ!
(……早く直さないと)
向かう先は、男子トイレ。
手洗い場にある大きな鏡の前が、俺の定位置だ。
もちろん、手鏡は常に持ち歩いている。
でも、前髪の状態を確認するなら、やっぱり大きな鏡が一番。
角度も、毛流れも、全体のバランスも。
全部まとめて確認できるからな。
「ふんふふ~ん♪」
俺は鼻歌を歌いながら、鏡の前で前髪を整え始めた。
(……よしよし)
ここをちょっと直して……。
あとは、こっちを……。
(……うん、いい感じ)
ようやく元の形に戻ってきた。
……そのときだった。
(……ん?)
なんだか、外が騒がしい。
しかも、足音が近づいてくる。
それも一人や二人じゃない。
(……なんだ?)
俺は手を止め、入口の方を見た。
そして――。
(……げっ!!)
こちらに向かって全力疾走してくる、四人の男子が見えた。
帝耀。
華人。
蓮。
皇輝。
(……吉沢派!?)
しかも、よりによってあの四人!?
(……なんで!?)
俺は反射的に身を引いた。
あいつらとは、できれば関わりたくない。
というか、絶対に関わりたくない。
俺は古田派だ。
吉沢派の奴らと鉢合わせなんてしたら、何が起こるか分かったもんじゃない。
(……隠れろ!!)
俺は急いで個室に飛び込み、ドアの裏に身を隠した。
その直後。
バタバタバタッ!
四人が男子トイレに駆け込んできた。
(……あっぶねぇぇぇ!!)
間一髪だった。
……いや。
(……待てよ)
普通にトイレから出ればよかったんじゃないか?
「…………」
(……あ)
気づくのが遅すぎた。
もう、今さら出られない。
(……俺、何やってんだろ)
***
俺は、個室の中で息を潜めた。
(……早くどっか行ってくれ……)
しかし、そんな願いも虚しく。
今度は別の足音が聞こえてきた。
「なんだ、全員いんじゃん」
(……ん?)
聞き覚えのある声。
太志だ。
その後ろから、圭やるる、海斗の声も聞こえてくる。
(……は?)
ちょっと待て。
まさか……。
(……吉沢派、全員集合!?)
終わった。
俺の人生、ここで終わった。
いや、死ぬわけじゃないけど!
それくらい絶望的な状況なんだって!
(……なんでよりによって俺がいるときに!?)
俺は、ドアの裏で身を縮めた。
絶対に見つかってはならない。
今ここで見つかったら、何を言われるか分からない。
(……頼む)
気づかないでくれ。
俺は、息をすることさえ控えた。
……けれど。
本当に恐ろしいことは、このあと起こった。
***
「実は……」
帝耀の声が聞こえた。
(……ん?)
どうやら、何か大事な話をするらしい。
俺は、思わず耳を澄ませた。
……そして。
「…………」
(……え?)
今、なんて言った?
莉玖翔と燈李が……。
帝耀の家に?
(……は?)
一緒に住んでる?
(……はぁぁぁ!?)
さらに、華人と蓮と皇輝も住んでいるらしい。
(……ちょっと待て!!)
何がどうなったら、そんなことになるんだ!?
莉玖翔と帝耀だぞ!?
あの二人が!?
同じ家に!?
(……ありえねえだろ!!)
俺は、思わず頭を抱えた。
もしかして、今日は四月一日だったりする?
エイプリルフールとか?
(……いやいや)
もう四月下旬だ。
そんなわけない。
じゃあ、あいつらの頭がおかしくなったのか?
……いや、それも違うだろ。
(……どういうことだよ)
俺が混乱していると、向こうからも驚いた声が聞こえてきた。
「はぁぁぁ!?」
「なんでそんなことになってんの!?」
(……あ)
なるほど。
太志たちも、今初めて知ったのか。
(……そりゃ驚くよな)
俺だって驚いてるんだから。
……というか。
(……俺、できれば知りたくなかったんだけど)
知らなければ、こんなに悩むこともなかったのに。
しかし。
事態は、さらに悪化した。
「実は、女子もいるんだ……」
(…………)
(……え?)
(……女子?)
(…………)
はぃぃぃぃ!?
(……そ、それはまずくないか!?)
色々と!!
男子だけでも十分おかしいのに!
女子まで一緒に住んでるって!?
(……なんなんだよ、その家!!)
思わず声を上げそうになった。
「……っ!」
俺は慌てて口を押さえる。
(……危なっ!!)
今、叫んでいたら絶対にバレていた。
(……落ち着け、俺)
大丈夫。
これはきっと夢だ。
そうに違いない。
だって、こんなこと現実にあるわけないだろ?
(……よし)
夢なら、痛みを感じないかもしれない。
俺は思い切って、自分の頬をつねった。
ぎゅうううっ!
「……っ!!」
(……いってぇぇぇ!!)
めちゃくちゃ痛い!!
涙が出そうなくらい痛い!!
(……夢じゃねえのかよ!!)
残ったのは、尋常じゃない頬の痛みだけだった。
***
気づけば、男子トイレは静かになっていた。
(……あれ?)
耳を澄ませても、もう誰の声も聞こえない。
どうやら、あいつらは全員出ていったらしい。
(……助かった)
俺は、そっと個室から顔を出した。
誰もいない。
……よかった。
本当によかった。
「……はぁぁ」
思わず、大きなため息が漏れた。
(……なんなんだよ、今日は)
俺は、ただ前髪を直しに来ただけなのに。
吉沢派の奴らがぞろぞろやって来るわ。
いきなり他では話せない秘密を打ち明け始めるわ。
しかも、その内容がとんでもないわ。
(……俺、ついてなさすぎだろ!!)
なんだって、俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ!?
自分で言うのもなんだけど、俺は今まで誰かに迷惑をかけてきた覚えはない。
むしろ、善良な一般市民だ。
前髪を大切にしているだけの、ごく普通の小学生だ。
……たぶん。
(……なのに)
どうして、こんな秘密を知ることになっちゃったんだよ!
***
(……どうしよう)
俺は、鏡の前で考え込んだ。
さっき聞いた話。
あれは絶対に、俺が聞いていい話じゃなかった。
(……まずいなぁ)
俺は、嘘をつくのが苦手だ。
このまま莉玖翔や燈李に会ったら、きっと態度に出てしまう。
「……なあ、明日夏。どうした?」
なんて聞かれたら。
「い、いや!? 別にお前らが帝耀の家に住んでるとか、知らないからな!?」
……とか言っちゃいそうだ。
(……いや、最悪じゃねえか!!)
絶対バレる!!
じゃあ、どうすればいい?
莉玖翔本人に問い詰めるか?
(……うーん)
あいつなら、ちゃんと答えてくれるかもしれない。
でも、なんとなく聞きづらい。
じゃあ、燈李に聞く?
(……いや)
燈李を困らせちゃうかなぁ。
あいつ、こういうとき気を遣いそうだし。
だったら、いっそのこと聞かなかったことに……。
(……できるか?)
無理だろ。
だって、こんな衝撃的な話!
忘れられるわけが……。
「…………」
(……いや)
待てよ。
俺は、ある解決策を思いついた。
(……そうだ!!)
忘れればいいんだ!!
覚えているからいけない。
最初から知らなかったことにすれば、何の問題もない!
(……よし)
忘れよう。
忘れろ。
忘れろ!
忘れろ、俺!!
俺は、ぎゅっと目を閉じた。
(……何も聞いてない)
俺は何も知らない。
莉玖翔と燈李が帝耀の家に住んでるとか。
華人と蓮と皇輝も一緒だとか。
女子までいるとか。
(……ああああ!!)
全部思い出してるじゃねえか!!
「……くっ」
もう一回だ。
(……忘れろ)
忘れろ。
忘れろ。
忘れろ!!
「…………」
(……よし)
忘れた。
完全に忘れた。
もう記憶の奥底にしまった。
いや、捨てた!
捨てたんだ!!
「…………」
(……あ)
莉玖翔と燈李が……。
「うわぁぁぁ!! 思い出すな、俺!!」
なんでだよ!!
忘れたはずなのに!!
(……くそっ)
人間の記憶って、なんて厄介なんだ。
忘れようとすればするほど、鮮明に思い出してしまう。
(……なんて嫌味な作りなんだよ!!)
俺は、頭を抱えた。
***
キーンコーンカーンコーン。
「…………」
(……ん?)
聞き覚えのある音。
……チャイム?
「…………」
(……え?)
始業のチャイム!?
「……うわぁぁぁ!!」
やばい!!
こんなところで悩んでる場合じゃなかった!!
俺は慌てて男子トイレを飛び出した。
(……遅刻する!!)
全力で廊下を走る。
……けれど。
結局、間に合わなかった。
「柊くん!」
教室に入った瞬間、先生の声が飛んできた。
「どうして遅れたんですか!」
「……あ、いや、その……」
(……言えるわけねえだろ!!)
吉沢派の秘密を聞いちゃって、忘れようとしてたら遅れました!
……なんて。
そんな説明、できるわけがない。
「……すみません」
俺は、素直に頭を下げた。
その後、先生にこってり怒られたのは言うまでもない。
(……はぁ)
前髪は崩れるし。
吉沢派には遭遇するし。
聞いてはいけない秘密まで知ってしまうし。
挙げ句の果てに、先生に怒られるし。
(……なんなんだよ、もう)
今日は本当についていない日だ。
……ああ。
そういえば。
(……莉玖翔と燈李、帝耀の家に住んでるんだよな……)
「…………」
(……だから!!)
忘れろって言ってんだろ、俺ぇぇぇ!!
〈27時間目・終〉
〈柊明日夏〉
前髪命の男の子。吉沢派の人達からは明日夏ちゃんと呼ばれており、正直辞めて欲しいが、怖くて言えない。
吉沢派の人達はとても怖いイメージがあるため、まとまって来ると特に隠れてしまう。
たまに顔の周りに謎のキラキラフィルターが着くことがある。美形。だが本人は自分の髪しか見ていないため、自分のかっこよさに未だ気づいていない。
女手一つで育てられたが、その母親も料理中の事故で亡くなり、現在は祖父母に育てられている。
その祖父母から前髪を気にするなんて男らしくないと言われ、あまり上手くいっていない。
火を見るのが苦手で、料理ができない。
学校のサッカークラブに所属している。




