クレバー・フール
「俺は本当に何も知りませんでしたよ、ただ予感がなかったかと言ったら大ウソつきになりますけど」
「若者は若者らしく夢を抱いていた。しかしそれは、理屈に則ったようで現実を見ていない若者らしいそれだった」
若者らしい無謀な夢。
不動正もまた、そんな物を抱えて生きて来た。
正にとっての夢は、不動興産をより大きな企業にする事。
非効率を取り除き会社の体力を高め、世界と戦えるそれにする事だった。
「五年間、耐えて来たんでしょうね」
「最初にまず、小さな事務所を与えそこを運営させる、と言う道ならばうまく行ったかもしれないが…」
「しれないが?」
「私自身便りがないのは良い便りと言う事ですっかり安心していた。最初こそ不平不満があったと聞いたけどその後は何も言わず仕事に集中していた、と聞いてな」
「その最初の不平不満を抱え込んでずっと生きて来た…」
「ああ。君にすら愚痴をこぼす事もないままだったとはな…」
親友であったはずの存在にすら吐露する事もなく、じっと夢のためのエネルギーとして溜め込む。
それが出来るほどには、不動正と言う人間は我慢強かった。
我慢強すぎた。
「私もバカだった。自分がそれで成功したから息子もそれでいいだろと簡単に考えた。時代を顧みずにな」
不動継太は、高校を卒業してすぐ現場での修行に送り込まれた。それこそ必要最小限のそれしか持たないまま社長の息子とか言う使えないカードしか持たない状況で飯を食うために現場作業に従事し、現場の人間の苦労を知った。
だが不動正はその前に名門大学に入り経営学を学び世界を知り、その属性を既に身に付けた状態で現場主義を行う事になった。誰よりも社長の息子と言う地位を理解していた彼はその地位にある存在として驕り高ぶるのではなくその立場なりに誠実に動き、大企業の御曹司として合理性を何より重視しようとしていた。
「無駄な知恵を付けちまったからと」
「いや、必要な知恵だった。私は今から耳音産業の社長に謝罪に向かう。教育を誤った、と言うか私もまたマニュアルに囚われていた人間であった事を認めなければならない」
「そうですか、わかりました…じゃ俺はまた別のとこで…」
「待ってくれ」
不動正の一方的な夢物語の共犯者として引き込まれる所であった戸川にとって、不動興産とのかかわりはこれで終わったと思った。だいたい大学時代の親友とか言うコネでたやすく就業しようとした自分がいけないのだ、自分の手で何とかしなければならない。不動継太との通話を終え番号を消去しようとした戸川の耳に、継太は早口で声を上げる。
「確かに息子は愚かだった。私の愚かさを受け継いでしまってな。だがそれでも、文字通りの愚息であったとしても息子は息子だ。最後のわがままぐらい聞いてやるのが役目と言う物だろう」
「最後のわがままって!」
「落ち着いてくれ。聞いてやるべきわがままは聞く。一人増えるぐらいいいだろう」
「……一人って!」
「開発部門の空きが出来た。君は当分数字とかから離れた方がいい。しばらくは雑用係とイコールだが」
「それって!」
「ああ。来週水曜日の午後二時に来てくれ」
「ありがとうございます!」
そんな不平不満をほとんど口にしなかった息子の最後の願い事を叶える事が、親としての最後の務めであり責任だった。
数字に囚われていたくせに親友に対する情だけは捨てられない、そんなあまりにも人間臭い存在。
それが、不動正だった。
そして不動継太は、同時にもう一つの行動をとる事を決めていた。
「やっぱハッピー・テロリストはハッピー・テロリストなんですかね」
「妥協するように一個でも入れてりゃ話は違ったと思うか」
「わかりませんね。でも社長の事だから結局は俺らの色に染め上げてたでしょ」
「…だな」
鉄野孝太が貸衣装に身を纏い、耳音産業の社長共々葬儀に出る。
同僚の癖に結婚も出産も伝えられない程度には遠く、さらに結婚式さえも来てもらいたくないと言う事で開催をしなかったはずの人間だと言うのに、葬儀に出て来ていた。
「自分の理想に向けて目一杯生きてたんだろよ…でも残念な事に、理想と理想は衝突するもんだ。どっかですり合わせが必要だったんだろうけど、俺は生意気な若造をしつけてやろうとしちまったんだよ…」
「それが私の願望でしたから、あなたは何も悪くありません」
「社長さん…あんなにも深く頭を下げたあなたの姿、本当に辛そうだった…」
「あの刑事さんはすごく悔しがってましたけどね」
「会社のために息子さんまで犠牲にするか…大企業の社長ってのも因果な商売ですね…」
不動正が生きていたら、不動興産を悪意なく壊していた。
耳音産業もまた…と思いきやそっちはムハーク産業と言う生まれ変わった取引先があるため打撃は最小限であり、耳音産業の方から不動興産を切除すればさしたる問題ではない。
一番悪意を持った言い方をすれば、ガン細胞。
それが、不動正だった。
(やっぱハッピー・テロリストはハッピー・テロリスト、か……)
息子の同僚がこぼしたセリフを聞かされた不動継太は、改めてハッピー・テロリストと言う存在に恐怖と畏怖の念を感じると共に、二つの物体の処遇を決めていた。
一つは、息子が遺した二冊のノート。青春の黒歴史と呼ぶにはあまりに危険な二冊のノートを、息子の親友の了解を得て焼いた。
そしてもう一つ、息子の遺髪。
「そう言えば珍しく反抗していた時があったな…」
高校時代、どんなに注意しても髪を伸ばすのをやめなかった。
その時の流行りの芸能人の真似をしたいからと言い、自分を黙らせるために学問に身を窶したその姿こそ、不動正と言う人間の本質。
その本質を見極め損ねた自分への後悔と、あまりにも芸術的な因果応報。
そして、会社だけはある程度平穏で居られていると言う事実。
その全てが、この葬儀会場にあった。
そしてここにいる誰よりも不動正と言う人間の死に涙を流している存在がいる事を知っている人間は、誰もいなかった。
「刑事…」
「なあ、一つ聞きたいんだが…バカって犯罪か」
「いえ…」
「だよな、だよな…」
柏崎竜也は、ただただ泣いていた。
十年以上殺人事件を担当して来た大の男が、一件の殺人事件の被害者の死に、泣いていた。




