グレート・マザー
更新再開です…不定期更新ですけど。
「ありがとうございました」
「ありがとうね」
街の片隅にある、小さな食堂。
今日も十名ほどの客が来ては、ワンコインよりやや高いランチを平らげて去って行く。
従業員はゼロ。お客様自ら料理を運んでは食べると言うセルフサービス形式の、店主一人だけの店。
安くて、早くて、美味い。そんな三拍子揃った店の常連客達の年齢は、皆店主より二十歳ほど若い。しかし、その次が来ない。
「しかし何で来ないんだろうね」
「若い子は味が濃いもんが好きなんだろ、あたしだって一応トンカツぐらい揚げられるってのにね。まああんたらも真面目に仕事やんな…」
「何か暗いけどどうしたんだよ貴子さん」
「いや何、あたしが死んじゃったらこの店もおしまいかと思ってね、まあそれも流れって奴だなって」
伊藤貴子、六十七歳。
彼女は、自分の寿命が尽き次第この店が終わると言う現実に口ほど諦めが付いていなかった。
(こんなにもたくさんの笑顔があるとかありきたりな事を言う気はないけど、腹が減ったら人間生きていけないんだよ!だからこそ必死になって来たってのに、あのドラ息子は……)
四十にもなって遊び歩いて帰って来ず、料理学校にも通わせてやろうとしたのに店を継ぐどころかどこの料理屋にも勤めようとしない。かろうじてケーキ屋でバイトしていると聞いた時にはまあいいかと思ったが、それも一年でやめたと聞いた時にはもう完全に期待する気がなくなった。
で、とっくの昔に離縁した夫はと言うとまだ現世にいるが息子にやな所を遺伝させた張本人らしくまともに職にも就かずこんな小さな食堂よりさらに小さな所に間借りしてのんべんだらりとその日暮らしをしてるらしい。そのせいでこっちは息子に高校すら行かせるのがギリギリで本当に苦しい生活をして来たと言うのに、だ。
近頃の若い者はとか言う気もないが、今ここに来ているドラ息子よりやや年上の人間たちを見るにつけそれに引き換えと言わざるを得なくなって来る。毎日毎日、会社に行っては家に帰りせっせせっせとお金を稼ぎ家族を守る。そんな普通の事がなぜできないのか。
(できればくれてやりたいけどね、私の心がわかるような立派な子に)
あんなドラ息子には一円だって遺産なんか残してやらない。それが自分なりの最後のしつけのつもりだったが、その遺産をどこに行かすかの相手はまだ決まっていない。
心当たりがない訳でもない……と言いたいがどうも当てが悪い。平日には彼ら近所の会社の人間がやって来るとは言え休日になるとほとんど開店休業状態と言う儲けの少なさが原因なのかとも思ったが、どうも彼らの若い部下の一部がこの店の事を好いていないらしい。コンビニで出来合いばっかり買ってるのかと聞かれた際には皆首を縦に振っている。なぜだ、同額かむしろ高い癖に。あんなに栄養の偏った物を食べるだなんてよほど仕事に追われているのかと思ったが、自分の店に来る客を見る限りそうは思えない。
いわゆるホワイト企業勤めの癖に何のつもりなのか。若年層の心をつかめなければ先細りでしかないのが客商売であり、その現実が見えてしまえばそんな「負の遺産」には飛び付いてくれない。
美味しい物を、バランスの良い食事を、確実に提供する。
それだけの事なのに何がいけないのか。
貴子は、フライパンを振りながらも暗澹たる気持ちになった。
午後三時半。貴子は店をいったん空け、ここから徒歩十五分の場所へと向かう。
そしてそこで二時間ほどバイトをするのが、彼女の生活ルーチンの一部だった。
(この国の将来を担う存在を支える子のために頑張る、これもまた、重要な事じゃないか。どうしてその思いが分からないのかね、慣れ切っちまったのだとしたら不幸なこったよ、あん時にあの男に押し付けてりゃ少しはましだったかもね……!)
離婚した際に息子の親権を勝ち取ったのは、ダメ親父から息子を引き剥がして真っ当に育てるつもりだった。しかし結果は全くダメ親父の生き写しのようなドラ息子になってしまい、店に全く寄り付かなくなってしまった。
そのドラ息子の代わりのように、今彼女は息子たち娘たち、いや孫たちの面倒を見ている。別に保育士でも何でもなく、児童養護施設の夕食作りを請け負っているだけ。しかしそれこそ、親に捨てられたり面倒を見てもらえなかったりする子にとって最も重要な事ではないか。下は三歳から上は十七歳までの子どもたちに、もう二十年近く夕食を作っている。日曜日などは朝夕両方の事も多く、収入源であると共に生活の潤いでもある。
その子たちのために、自分は働かねばならない。
鞄にいつも通りの道具と、やけに奇麗に包装された本を一冊詰め込み、いつも通り仕事場へと向かっていた。
その彼女の頭を、赤い光線は容赦なく撃ち抜いた。
「何……」
そして、また、世界は揺れた。
「本日15時40分、我々は伊藤貴子を殺害しました。
全ては伊藤貴子の幸福のためであり、ひいてはこの国、否この世界に住まう全ての人類のためにです。我々はこれよりもまた、皆様の幸福と正義のために動き続けます。
ハッピー・テロリスト」
誰よりも働き者と自負していた伊藤貴子の六十七年間の人生は、ここに終わった。
彼女の鞄の中に眠っている一冊の本は、彼女の死体に潰されるように横たわっていた。
その名は、「ミルフィーユ娘」。
とりあえず今週土曜日までは本作をお楽しみ下さい。




