105.彼が陽の光を浴びる時-序章-4
「君はササノ・セッコウ……なんだろ?」
そうだった――。
ササノがあの時、己をそう名乗ったのは、死んでしまった兄の存在を忘れたくなかったからだ。唯一無二の兄を理不尽に奪われたあの時の恨みを、まるで昨日のことのように覚え続ける為だった。
そして何より。ササノがこの世で最も畏敬の念を抱く兄に、少しでも近づきたかったから。
パーシェの言葉は、ササノにそれを思い出させるのに十分な役目を果たしてくれた。自分は今まで、何故こんな些細なことで復讐を躊躇っていたのかと、心底不思議に思えてくるほどに。
「うん……そう、だよね……。
ありがとう、パーシェ。君のおかげで、大事なことを思い出せた気がする。なんだか色々吹っ切れたよ」
パーシェに対する心からの謝辞を述べたササノは、憑き物が落ちたような晴れやかな笑みを浮かべた。初めて見るササノの表情に、ギルドニスは目を見張る。彼が驚愕するのも無理はない。
何せ、ササノがこれまで屈託のない笑顔を向けた相手など、セッコウ以外に存在しなかったのだから。
そしてこの事実は同時に、ササノにとってパーシェという存在が、それ程までに大きく膨れ上がっているということを意味していた。
「パーシェ……僕、セッコウ兄を殺したイケすかない奴を、ちょっと殴りに行ってくる」
「うん。いってらっしゃい。この第三支部から、応援してる」
パーシェの何でもないような微笑みは、それだけでササノに根拠のない安心感を与えてくれる。
家族に出立を見送られるような感覚で、ササノは第三支部から一歩を踏み出した。そんなササノの背中を見つめるギルドニスとパーシェ二人が、何とも気まずい雰囲気で取り残される。
この短時間でササノの心を大きく動かしてみせたパーシェに、ギルドニスは既に一目置いていたのだが、パーシェは未だに穏やかな眼差しでササノを見つめている。まるで、始受会の元第一支部主教のことなど、まるで興味が無いとでも言わんばかりの雰囲気で。
「……失礼。あなたの名前をお伺いしても?」
「……」
二コリ。
ギルドニスの問いに対して、微かな沈黙と穏やかな笑みで返したパーシェを目の当たりにすると、思わず「おや?」と奇妙な感覚を覚える。
「元第一支部主教様に名乗るような身分の者ではございませんので」
「……私のことを知っているのですね」
「もちろんです」
「あなたに見覚えが無かったもので、てっきり私が破門になった以降に入団された信者なのかと」
「あはは……俺はどこかの支部に所属している信者でもありませんし、こんな影の薄い信者を主教様が知らなくても何ら不思議はありませんよ」
(この信者……)
――少し、私に似ているかもしれない。
直感的に、ギルドニスは思った。
その直感の大元は、恐らくパーシェがギルドニスに向けた目である。その眼が、眼差しが、奇妙な冷たさを孕んでいたのだ。
ササノに向けられていた温かさも、心動かされるような情も。何もかも微塵も感じられない冷たさ――無機質さと言った方が正確であろう。何の情も温度もない代わりに、敵愾心も感じられない。
恐らくパーシェは、ギルドニス・礼音=シュカという人間に心底興味が無いのだろう。その本音を、ガラス玉のような無機質な瞳で覆い隠しているのだ。
普通の人間であれば、この微々たる差に気づくことは無いだろう。だがギルドニスも、かつては悪魔という存在――今となってはアデルにしか、その情熱に火を灯すことが出来ず、その他の有象無象には何の興味も抱けない人間である。
だからこそギルドニスには、パーシェが放つその温度差が明瞭に見えた。同類にしか分からない、その微々たる違いが。
「やはりお名前をお伺いしても?」
「……パーシェ・ダグニエール。……何の面白みも個性も無い、ただの人間ですよ」
ニコっと目尻を下げつつ、パーシェはそう名乗った。その笑顔は、当に何の特徴も無い、模範解答のような冷めた笑みだった。
ギルドニスに分かるのはただ一つ。
パーシェにとってギルドニスは有象無象の一人でしかなく。対して彼にとってササノは、鎖に繋がれた心を解き放つ、貴重な存在であるということだけ。
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ユウタロウたちがハヤテからの知らせを受け、レディバグの隠れ家から飛び出した頃。ユウタロウとの通信を切ったハヤテは距離を取りつつ、人質となっているスザクの様子を確認していた。
屋敷内にいたハヤテではあったが、彼が異変に気付くよりも前に、スザクは完全に捕らわれてしまっていたので、秘密裏に応援を呼ぶ他無かったのだ。
冷や汗がタラリと肌を伝う感覚に震え、ハヤテはごくりと固唾をのむ。当主であるツキマや多くの重鎮相手では、勝算など皆無であることは、ハヤテが一番よく理解している。スザクを救出したいのは山々であったが、ユウタロウたちの到着を待って作戦を練った方が、勝率は高いとハヤテは考えた。ハヤテは感情を優先して無謀な賭けに出るよりも、スザク同様人質になってしまうのを回避することを重要視したのだ。
グッと唇を噛みしめると、ハヤテはスザクに背を向けるように踵を返そうとした。このままここで監視を続けていては、いずれツキマに勘付かれると思ったのだ。
歩を進め、縁側の曲がり角を曲がろうとしたその時、ハヤテは想定外の人物によって阻まれることになる。
「っ!?」
「どこに行くつもりだ?……ハヤテ」
「……ソウセイ殿」
ハヤテ――。そう呼ばれることにさえ嫌悪感を抱いてしまう程、ハヤテは遭遇した人物を憎んでいた。それこそ、父を父とさえ呼べない程に。
そう。ハヤテの行く手を阻んだのは、血の繋がった彼の父――ソウセイだった。厄介払いをするように、母親の件をツキマに告げ口し、彼女を見殺しにしたソウセイを前にすると、ハヤテは自然と眉間に皺が寄ってしまうのを堪えることが出来ない。
「どうせお前は知っているのだろう?」
「何の話をしているのか分かりかねます」
「裏切り者のロクヤの居所だ。昔馴染みだからと言って無駄な情をかけているのならやめておけ。この勇者一族で安息の地を求めるのならな」
「……」
ハヤテには、言いたいことが山ほどあった。山ほどあった、のだが。この状況下でそれをぶちまけるのは流石に憚られ、ハヤテは喉の奥底でそれをグッと飲み込んだ。そして一息つくと、冷静に、冷徹に。目の前の奇怪な存在に語り掛ける。
「裏切り者のロクヤとは、一体どういうことでしょうか?ロクヤが誰を裏切ったと?」
「もちろん我らが勇者一族に決まっているだろう。ハヤテ、あんな無能を擁護しているお前も、その裏切り者に成り下がろうとしているのだぞ?」
「もしかして、セッコウを殺したのがロクヤだと、ご当主様が騎士団に吹聴した件を仰っているのですか?」
「その通りだ」
「はぁ……」
疲労のにじみ出た、うんざりとしたため息だった。彼らに失望するのにも疲れ、最早何も感じなくなってしまった人間の成れの果てというのは、きっと今のハヤテのようなのだろう。
「もう一度聞くぞハヤテ。お前は、ロクヤの居所を知っているな?」
「知っていたとして、俺が答えるとでも?」
「答えないというのであれば、力づくで答えさせるまで」
(スザクの件を引き合いに出さないということは、人質はユウタロウ限定の対抗策か。随分となめられたものだ)
恐らく、ツキマの大元の計画では、スザクを人質にとることでユウタロウを脅し、ロクヤの居所を吐かせる算段なのだろう。だが、ユウタロウが口を割らない可能性も当然あるので、保険として彼らの仲間であるハヤテにも揺さぶりをかけるよう、ソウセイはツキマから命じられたのだろう。
父親の応答からそんな予測を立てていると、ハヤテは多くの騎士や重鎮らに取り囲まれる。万が一にも逃げられぬよう作られた肉壁を前に、ハヤテは鋭い睨みを利かせた。
すると――。
「なぁに面白そうなことしてるんだよ、ハヤテ。お前一人だけなんてズルいじゃねぇか。俺も混ぜろって」
窒息しそうな肉壁の外から声をかけてきた人物を探るようにして、彼らが庭園の方へ視線を移すと、そこには不適な微笑を浮かべるライトの姿があった。騎士や重鎮らが怪訝な眼差しでライトを捉える中、ハヤテは今にも決壊してしまいそうな揺れる瞳でライトを見つめている。
「っ!ライトっ……何をしているんだっ。お前が首を突っ込む必要はっ……」
ハヤテは、ソウセイたちが自らに気を取られている間に、ライトを逃がそうと企てていたので、彼の登場はアクシデントでしか無かった。
いつも冷静なハヤテには珍しく、焦燥を犇々と感じさせる表情を浮かべており、ライトはほんの僅かな罪悪感に苛まれる。
「エイトの倅か……。丁度いい。お前も来い。白黒はっきりさせてやろう」
「……いいっすよ。いい加減、このクソ下らねぇ攻防に終止符を打ちたいと思ってたんで。アンタら全員ぶん殴って、仲間にいい空気吸ってもらわねぇと」
こうなった以上、何も知らない振りは無意味だと悟ったのか、ライトは開き直ったような態度で言い放った。
不遜な態度のライトを前に、ソウセイが眉を顰める一方で、ハヤテは顔面蒼白になって二人の顔を見回している。
「そういうことならば、お前の父親にもこちらの応援に来てもらうか。反抗期の子供をしつけるのは、親の役目だからな」
「「…………」」
思わず、ハヤテとライトの二人は顔を顰めて言葉を失った。都合のいい時ばかり親という立場を振りかざすソウセイは、一周回って寧ろ清々しいが、そもそもハヤテたちは彼らを親だとは思っていない。
ハヤテはまたしても色々とぶちまけたい衝動に襲われたが、グッと飲み込んで平静を保った。
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それから二人は、ソウセイ率いる軍団に連れられ、屋敷の庭園の一角までやって来た。二人が警戒心をグッと引き上げ、辺りを鋭い目つきで見渡していると、視界の端――建物の向こう側から一人の人物が姿を現す。
「っ……父さん」
「ライト……お前には失望したぞ。まだそこの忌み色と、あんな無能を庇っているとは……」
ライトたちの元へ徐に歩み寄ってきたのは、彼の父であり、先代勇者のエイトだった。忌み色――ハヤテを捉える眼差しには侮蔑の色が混じっている。
一方で、仲間を蔑ろにするエイトに向けるライトの眼差しは酷く冷めており、失望以前の問題であった。
だが当の本人は、息子から期待も憎悪も手放されていることを自覚していないのか、続けざまに口を開く。
「今からでも遅くはない。……いいか?これは最後の忠告だ。馬鹿な真似は止めて、一族に身を捧げるんだ。そうすれば、あんな恥さらしではなくお前が勇者に……」
「はぁ……」
心底面倒そうな、責め立てるような盛大なため息が、エイトの言葉を遮った。思わずエイトは怪訝そうにライトを見つめるが、身の毛もよだつ程の冷徹な表情を前に、不覚にもエイトは全身を粟立たせた。
「アンタは一体、何度言えば分かってくれるんですかね?俺は勇者に見合うような人間じゃないし、勇者になるつもりも無いって。俺が勇者と認めているのはこの世でただ一人……アンタらの言う恥さらしなんだからな」
決別を感じさせる強烈な言葉に、エイトは眉を顰める。彼は気づいているのだろうか?ライトが遠回しに、父を先代勇者だとは認めていないと主張していることに。
「……そうか。ならば力づくでも、その歪んだ思想を正すまでだな」
どうしようもない怒りを内に秘めた、低く唸るような声でエイトが言い放った刹那、周囲に異変が起こった。
その異変は、目を凝らし気配を敏感に捉えなければ気づけない程の微々たる変化であったが、本質的には彼らにとって大きすぎる変貌であった。
彼らを取り囲む形で強固な結界が張り巡らされ、ハヤテたちは逃げるという選択肢を完全に封じられた。
この非常事態に誰よりも早く気づいたハヤテは、瞳と空の間を睨むように見上げる。
「これは……」
「お前たちと侵入者を逃がさぬよう、ご当主様が張られた結界だ。これで、私たちの戦いを邪魔する者は現れない……さぁ、存分に殺し合おうじゃないか」
エイトの殺意に囚われたハヤテは、思わず冷や汗を一滴流す。一人一人が様々な思いを抱える中、一族同士の戦いが始まろうとしていた。




