ある罪人の死後 その陸・・・って、もうこのサブタイトル飽きたから止めて良い?
はい、前回の投稿から大体一週間が経ちました。僕の居る地域では台風のために終業式を早めにやってる学校も多いです。良いなぁ、補講が無くて・・・。
ぐちゃり、ぐちゃり。そんな湿った音を鳴らしながら、ラムドレー、レンブ、クララの三人は目的地である路地を目指して濡れ土を踏んでいた。
「・・・アジトに来るまではコンクリート続きだったから気にならなかったけどさ。結構濡れてるよね、地面」
己の後ろに連なる、靴跡型の水溜りを振り返りながら、クララが言う。
「・・・無限大蛇が言ってた『ハンニバルの通る道』ってのも、此処みたいに塗装されてない状態のところだしなあ。仕事に悪影響が出なけりゃ良いが」
口端に加えた煙草をピョコピョコ揺らしながら、レンブが呟く。
(思えば、昨日の雨は結構長時間降っていたしなぁ。まだ地面が乾いてないのも仕方が無いか)
覆面と手袋の入った鞄を抱えながら、二人の呟きに対し、ラムドレーはそのようなことを考えていた。
コンクリート製の道が土に変わってから、三人は既に200m程歩いていた。あと300mもすれば目的地に着くことになっていたが、ハンニバルがその目的地である路地を通るであろう時刻まで、まだ30分以上あった。故に、三人は少しも急ぐことはなく、かなり緩やかなペースで足を進めているのであった。
「・・・おっさんよぉ」
そんな緩やかな歩みの中で、レンブがラムドレーを呼んだ。
「え、何ですか?」
歩みを止めること無く、ラムドレーが問う。そんなラムドレーに対し、レンブが言葉を続けた。
「・・・今回の仕事、もしかしたらアンタにも戦闘に参加してもらうことになるかもしれねぇ」
「えぇ!?わ、私が!?」
予想していなかった言葉に、思わず足を止めるラムドレー。そんなラムドレーに合わせるようにレンブは足を止め、振り返る。その様子を見て、クララも立ち止まろうとするが、レンブはしかし彼女の方を見ること無く言った。
「クララ、お前は先に行ってろ。直ぐに追いつくから」
「・・・分かった」
レンブの言葉に、クララは特に何かを聞くことも無く、再び足を動かし始める。その姿を視界でちらりと確認してから、レンブはラムドレーに対し、話を始めた。
「・・・おっさんは、俺達の心象をまだ知らないよな」
ラムドレーは頷いて、言った。
「はい、教えられませんでしたから。・・・でも、どうして今になってそんな話を?」
レンブは煙草を口から離し、煙を空に吹き上げてから、こう続けた。
「・・・本当は、無限大蛇との同盟が済むまで、心象の内容をばらすつもりは無かったんだがな。・・・一蓮托生とは言え、心象の内容をばらすのは、俺達の居る世界じゃあ結構命取りだからよ。・・・でも、事情が変わった。今回のターゲットを殺る為には、心象の情報共有ぐらいはやっとかねぇと、それこそ命取りになりそうだからな」
「・・・ということは、私にレンブさんやダニーさんの心象を教えてもらえるということですか?」
「いや、今回教えるのは俺とクララの心象だけだ。ダニーは今回の仕事に参加してねぇからよ。・・・俺の心象は『強化』。内容は身体強化。で、クララの心象は『回復』。内容は外傷の治癒だ」
そのレンブの言葉を聞き、ラムドレーは合点がいったようにこう言った。
「・・・つまり、クララさんでは直接的な戦力にはならないから、私に戦闘の手助けをしろと」
「・・・一応、クララもそれなりに鍛えてるから、そんじょそこらの男よりも強いんだがな。・・・でも、おっさんの言う通り、ハンニバルと戦うには力が足りねぇ。・・・だから、俺がもしヤバくなったら、・・・助けてくれないか」
ラムドレーはレンブの言葉を聞いて、しかしこう言った。
「・・・ですが、・・・レンブさんが危くなるほどの戦闘に私が加わったところで、果たして戦力になるのでしょうか」
今までの仕事でラムドレーが見てきたレンブは、かなりの強さを持っている様に思われた。その際に見せた力が素のものでは無く心象によるものだったということを差し引いたとしても、である。少なくとも、ラムドレーが逆立ちしても勝てないような強さを、彼は誇っていた。
そんなレンブが危機的状況に陥る相手に自分が立ち向かっても、瞬殺されるのは目に見えていた。そうラムドレーは考えたのである。
そんなラムドレーの言葉を聞き、レンブは少し考えた後に、こう言った。
「・・・分かった。じゃあ、こうしよう。おっさんは、戦闘には加わらなくても良い。俺も、クララが回復さえしてくれりゃあ、それなりに戦える自信があるからよ。・・・でも、俺がもしもヤバくなって、しかも回復すら間に合いそうに無いってことになったら、・・・そん時はクララ連れて逃げてくれ。俺もそれなりに足掻いて、時間稼いでやるからよ」
その言葉に、ラムドレーは目を剥き、そして言った。
「えっ、でもそうしたらレンブさんが・・・」
「・・・死んで、・・・最終的にしょっ引かれることになるな」
レンブは煙草をふかしながら、淡々と言った。
「・・・良いんですか?」
ラムドレーは聞いた。レンブが、組織の中では比較的親しい人物だったから、ということもある。しかし、何よりこの組織に居るような人間が、己以外の人間の為に自らを犠牲にするということが、信じられなかったからだ。少なくとも、ラムドレーは現段階ではイットク以外の六道組の人間に、そこまで夢は持っていなかった。
しかしレンブは、そんなことを考えているラムドレーから少し目を逸らして、
「・・・良いんだよ」
と、煙交じりに言葉を吐きだしてから、それきり口を閉じてしまった。
無言が二人の間を満たす。早朝ということもあり、人が少ない泥濘の上は、それだけで静寂に包まれた。
その静寂を最初に破ったのは、
「・・・あー、まぁいろいろ言ったけど、俺だって捕まる気はさらさら無ぇからな。だから今俺が言ったような事態にはなんねぇと思うぜ?それに、俺にはまだおっさんには見せて無いような奥の手が有るしよ。って訳で、とっとと行こうぜ。女を一人で歩かせるには、この街は物騒だ」
レンブだった。
普段通りの気の抜けた言葉を吐いて、普段通りの軽くも重くもない口調で話し始めたレンブに、ラムドレーは彼の普段通りでない覚悟を感じた。故にラムドレーはこなした。
「・・・この街を物騒足らしめているのは、私達みたいな組織のせいだと思いますがね」
彼の思う、彼との普段通りの言葉のやり取りを。
その時のラムドレーの顔は、普段通りの表情を作っていた、筈だ。いつものようなどこか頼りなさげな眉の下がった表情を作っていた、筈だ。
だが、そんな可能な限りの『普段通り』を受けて、レンブは何故か、ラムドレーに『今まで見せたことない』ような穏やかな笑みを、その顔に浮かべた。
しかし、レンブはすぐにその表情を引っ込めると、普段通りの気の抜けた表情を、その鼻ピアスをした顔にぶら下げた。
「あー、確かに」
気の抜けた声と共に、レンブは再び煙草を咥え歩き出す。それに合わせて、ラムドレーも鞄片手に歩き出した。
「・・・なあ、おっさん」
再び鳴り出した濡れ土のぐちゃぐちゃという音の中で、先程までよりも早いペースで響く濡れ土のぐちゃぐちゃという音の中で、レンブが先程と全く同じ言葉を吐く。
「え、何ですか?」
先程と全く同じ問いを返すラムドレー。そんな彼に、レンブは、
「すまなかった」
先程とは違う言葉を続けた。その言葉にどのような意図が含まれていたのか、ラムドレーには分からなかった。だが、
「・・・良いですよ」
彼は、許した。何故かは、彼自身にも分からなかった。
二人が若干早足で歩を進めていると、目的地の30ⅿ程前でクララが立ち止まっているのが見えた。彼女の顔はこちらを向いており、二人を待っていたのだということを感じさせた。
「悪いな。遅くなった」
レンブが佇むクララに近づきながら言う。そんな彼にクララはにやりと笑って、
「あら、珍しいじゃん。アンタがちゃんと謝るなんて」
と言った。
そんなクララの言葉に対し、レンブは右眉をくいっと上げて言う。
「何だぁ?俺があーあー言うしか能の無い男とでも思ってたのか?」
「思ってた」
「・・・あー、割と凹んだ」
クララの即答に、全く気持ちの籠っていないトーンでそう吐きながら、自分の腕に巻かれた時計を見るレンブ。
「・・・あと10分だ。気合入れていくぞ」
それから、声のトーンを少し低くし、彼は仕事時の真面目な口調でそう言った。
「分かったわ」
「分かりました」
クララとラムドレーも表情を引き締め、そう返答する。
それから三人は再び歩き出し、今度こそ目的地の路地に着くと、その少し離れたところにある裏路地に入り、そこでハンニバルを待った。
「・・・時間通りに来るでしょうか」
覆面を被りながらラムドレーが零し、
「・・・さあな」
その言葉にレンブが煙草を口から離して煙を吐いた、
その時だった。
「・・・来たよ」
クララが、押し殺した声でそう言った。
「・・・そうか」
レンブが煙草を口に咥え直し、そう呟く。今更、誰が来たのかと聞くというような無駄なことはしなかった。この状況で、クララが神妙な表情でその様な言葉を吐いたということは、つまり。
(ハンニバル・・・ッ!)
ラムドレーは、自分の中でそう見当をつけた。
レンブがクララに問う。
「周りに人間は居るか」
「居ないわ」
「・・・分かった。・・・じゃあ、今回の仕事はこの裏路地じゃなくて、奴の居る本路地でやるか」
その言葉にクララが目を見張る。
「・・・それは・・・リスクが高すぎない?」
「・・・あいつがお前らの姿に気付くような真似は、出来るだけしたくない。流石に、回復役のお前じゃ、あの大男相手に大立ち回りすんのはきついだろ」
そう言って、レンブはいつの間にか殆ど灰になってしまった煙草を、裏路地に捨てた。どうやらボスの持っているような携帯灰皿は、レンブは所持していないらしい。そして、新しい煙草をポケットから取り出し、同時に取り出したライターでそれに火を付けて咥えると、ライターを再びポケットにしまい、レンブは言った。
「・・・だから、クララとおっさんは隠れてろ。危なくなったら、・・・そん時はここに戻って来るから」
「私がアンタの傷を癒すって訳ね」
「ご名答だ」
クララの継いだ言葉に対し、レンブはにやりと笑う。それから、その破顔した表情を、今度はいつも以上に引き締めて、クララよりも前に、つまり裏路地と路地の境界線に立った。それから、振り返らず、一つ煙を上空に吐いてから、光差す路地へと歩み出した。
(・・・さて、レンブさんが危なくなったらすぐに援護出来るように・・・そして、もしも万が一のことが起こったらクララさんを連れて逃げれるように、向こうの様子を見なければ)
レンブが裏路地から出て行った直後にラムドレーはそう考え、境界線から路地の様子を伺う。同じように、クララも向こうからは見えないような角度で、路地裏から状況に目を光らせていた。
レンブが咥え煙草をしながら路地裏を出た時には、ハンニバルは彼の10m手前にまで迫ってきていた。短い黒髪を被っているその顔は相も変わらず整っているが、しかしその淡い茶色の三白眼は彼の整った顔の印象を凶相のそれに変えてしまうほどに獰猛で鋭かった。その上半身に羽織られてる赤黒いコートは、内側の筋肉によって盛り上がり、その下半身に履かれている藁色の長ズボンは、脚の筋肉で突っ張っている。
(・・・写真で見た時から只者では無いってことは分かってたけど、生で見るとより一層威圧感が滲み出てるのが分かるな・・・)
鋼のような筋肉を感じさせるハンニバルの姿に、ラムドレーは遠目ながらもその手に冷や汗を握った。
しかし、ラムドレーよりも近くに居る筈のレンブは、動揺や怯えを微塵も感じさせること無く、淡々と目の前の大男を呼び止めた。
「おい、そこのアンタ」
その言葉に、歩いていたハンニバルが立ち止まる。
「・・・何だ」
低い声がその口から洩れ、冷たい光がその目から放たれる。その瞳は、先程よりも明らかに鋭さを増していた。
しかし、その眼光に臆することなく、レンブは言う。
「アンタが・・・、ハンニバルだな」
「・・・だったらどうすんだ」
その眼光が更に鋭利になり、レンブを突き刺す。
だが、やはりレンブは臆することなく、むしろ今まで以上に淡々と続けた。
「悪いが、アンタにはここで死んでもらう」
「・・・ほぉ」
見ず知らずの男に突然告げられた殺害予告に、しかしハンニバルは動揺も見せることは無かった。それどころか、彼の瞳に少しだけ、歓喜が混ざったようにさえ見えたのである。
「・・・殺し屋か?誰に雇われたよ」
口元を愉快そうに歪めて、ハンニバルが問う。瞬間、その状況を見ていたラムドレーは、いよいよ彼がクロだという確信を強めた。
「今から死ぬアンタにそれを言っても、俺の利益にはならねぇだろ。だって、蘇生先でその雇い先をアンタが獄犬辺りに言うのは明らかだしよ」
しかし、凶笑を浮かべるハンニバルに、レンブはそう言ってのけた。その言葉には、「俺は必ずお前を殺す」という意思が、はっきりと含まれていた。
その意思を察してだろう。ハンニバルは、更に笑みを深くし、同時に目つきを尖らせる。そして、
「上等だ。テメェ、肉にしてやるよ」
と言うと、コートの中に左手を突っ込んだ。
(銃か!?)
その行動を見て、反射的にラムドレーはそう考える。しかし、その考えは次の瞬間中断された。
「見ぃつけた」
声が路地に響いた。その声は、レンブのものでも、ハンニバルのものでも、ましてやラムドレーのものでも無い、少女の声だった。
その声が聞こえた瞬間、ラムドレーは咄嗟にクララの方を見たが、しかしクララも何が起こったのか理解できていない様子で、困惑をその顔に浮かべていた。
(・・・確かに、今のはクララさんのものでは無かった。・・・彼女の声より、結構高かったし)
そんな思考を巡らせるラムドレーだったが、しかしその思考もまた絶たれた。
「ねぇ、そこの鼻ピアスの人」
再び、少女の鈴の音のような声が響いたのだ。
「誰だ」
レンブは、ハンニバルから目を逸らすこと無く、その声の主に問う。
その時、ラムドレーは初めて気付いた。レンブの10mほど後ろに、茶色いセミショートの身長150㎝ぐらいの小柄な少女が、立って笑っていることに。
少女はくすくすと笑いながら、口を再び開いた。
「うぅん、そうだね。まぁ、貴方に分かるように言うなら、今まで貴方のお仲間を殺してきた組織の一員ってところかな」
瞬間、レンブの全身から殺気が漲った。それを感じ取り、少女はまたくすくす笑う。
「あれぇ?怒っちゃった?まぁ確かに、自分の仲間の敵を前に、ってか後ろにしたら、そりゃぁ怒るか」
「・・・おいガキィ。どこで俺の仕事仲間が殺されたこと知ったのかは分かんねぇがなあ、言って良い冗談と悪い冗談が有るってこと、理解しといた方が良いぜ」
背後に居る少女に凄むレンブ。しかし、少女は笑みを浮かべたままだ。
「貴方も早く、私の言ってることが冗談じゃないってことを理解した方が良いよ」
「・・・」
レンブは無言で殺気を強める。しかし、依然としてその眼はハンニバルの方を見たままだ。
だが、そんなレンブに対して、ハンニバルはコートに手を潜ませたまま、前方に居る少女に視線を向けていた。そして、すぐに何か納得したような表情になると、口を開けた。
「・・・おい雌餓鬼ィ。テメェが用が有るのはこの鼻ピアスか?」
少女はくすくす笑いながら頷く。それを見て、ハンニバルは僅かに舌打ちをしてから、言った。
「じゃあこいつはテメェにやるよ。俺は今から行かなきゃならんとこがあるんでな」
そして、ハンニバルはコートから手を抜くと、レンブに背を向けた。
「どこへ行く」
しかし、勿論それを見逃す筈なくレンブはその背中に肘鉄を決めようとする。だが、ハンニバルはそれを振り返ること無くひらりと躱した。
「っ・・・!」
驚愕を顔に浮かべるレンブだったが、すぐに体勢を立て直し、今度は蹴りを繰り出した。
「無視しないでぇ」
しかし、その蹴りは突然目の前に現れたくすくす笑いを浮かべた少女の両手に、受け止められてしまった。
「なっ!?」
思わずそんな声を上げるレンブ。そんなレンブを尻目に、ハンニバルはその場から去っていく。
「ま、待てコラ!!」
声を荒げるレンブだったが、しかしハンニバルは隠れて状況を見ているラムドレーの視界から消えるまで、その歩を止めることは無かった。
ハンニバルが去った後、少女は待っていましたとばかりに手を離した。瞬間、レンブはバックステップで距離を取る。そして、言った。
「・・・やってくれたな、ガキ。もうテメェを見逃してやる訳にはいかねぇぞ。聞きたいことも沢山有るしな」
その声には、今までラムドレーが聞いたどのレンブの声よりも、殺気が込められていた。
しかし、そんな凄味の効いた言葉に対し、少女は涼しい顔で言った。
「えぇ、聞きたいこと?どんな風に聞くのかなぁ?体に直接聞いたりとかぁ?きゃぁ、やらしぃ」
完全に彼女はレンブをおちょくっていた。だが、そんな少女の挑発に対し、レンブはこう返した。
「思春期も大概にしろやガキ。大体、俺には心に決めた女が居るんだよ」
「その路地裏に隠れてるサイドテールの女の人とかぁ?」
くすくす笑いと共に少女の口から放たれた言葉によって、ラムドレーの背筋は凍り付いた。
「・・・」
少女の放った言葉を受け、レンブは無言のまま、本格的な戦闘態勢に入る。そんなレンブの行動に、少女はまたくすくすと喉を鳴らした。
「あれぇ?図星だったの?あちゃぁ、これは悪いことし」
少女の言葉をそこでぶつ切るかのように、レンブがその顔面に向かって前蹴りを放つ
「ちゃったかなぁ」
だが、少女はその蹴りを交差させた両腕で難なく防ぎ、一連の言葉を完了させた。
「ちっ」
舌打ちをするレンブ。しかし、その表情に焦りは無い。その瞳は揺らぐこと無く少女を見つめていた。
そんなレンブに対し、一応外野である筈のラムドレーは動揺しまくっていた。
「ま、まずいですよクララさん。相手は、私達の存在を完全に認識しています。・・・どうしますか」
しかし、そんなラムドレーとは対照的に、レンブと同じように落ち着き払いながら、クララは言った。
「・・・相手の視線は感じなかった。ってことは、相手はこっちの姿を盗み見るようなことはせずに、私達の存在に気付いたって訳だね。・・・気配でも読まれたか、それとも心象による感知か。・・・まぁ、どちらにせよ、心配しなくて良いわ」
「えぇ!?いやっ、でもっ・・・!」
クララの言葉に反射的に異を唱えようとするラムドレーだったが、そんな彼にクララは満面の笑みをその顔に浮かべ、堂々と言い切った。
「だって私達には、レンブが居るもの」
その言葉に、どれ程信憑性があるかは分からなった。一応、今までのレンブと一緒に仕事をする際に、彼の強さは何回も確認してはいる。しかし、相手の少女の実力の底が、ラムドレーには見えなかった。そのため、目の前の戦闘に対する不安を拭い去ることは出来なかった。
そんなラムドレーの不安をよそに、レンブは少女を目前に、小さく唇を動かしていた。
「・・・心象認識」
刹那、レンブの纏う雰囲気が変わる。しかし、それをラムドレーが感じ取る頃には、既にレンブのローキックが少女の脛に決まっていた。
「ぎっ・・・!」
唸る少女。その顔が、初めて笑顔から苦悶の表情へと変わる。
(あれがレンブさんの心象込みの戦闘力か。今まで、心象込みとは知らずに何回か見たけど、改めてとんでもない鋭さだ。これなら、あと一分もかからずに勝負は終わるだろう。・・・流石にレンブさんも、あんな小さな女の子は殺さないだろうし)
動きがそれまでと比べて段違いに早くなったレンブの姿に、ラムドレーは心に余裕が出来たため、相手の少女の心配まで始めていた。
そんなラムドレーの心境など露知らず、レンブは顔を歪める少女に言う。
「・・・蹴りを受け止めた時は意外とやる奴だと思ったが、やっぱりガキだな。大したことねぇ」
そう言いながら、レンブは咥えた煙草を一度離して、煙を吹く。その視線は変わらず少女を捉えたままだったが、幾分か本人にも余裕が出てきたようであった。
しかし、その言葉に対し、少女は苦悶の表情を再び笑顔に変えて、返した。
「くすくす、確かに純粋な身体能力なら、貴方の方が上だね。それは認めるよ。でも」
刹那、少女は自分の着ている服に付いたポケットに手を突っ込み、そして言った。
「殺し合いは腕っ節だけじゃぁ出来ないんだよ」
その言葉が少女の口から放たれるのと同時に、服から乾いた音と共に鉛弾が放たれる。どうやら服の向こうに拳銃を隠し持っていたらしく、開いた穴越しに黒光りする銃口がラムドレーの視界に映った。そして、その死角からの弾丸は吸い込まれるようにレンブの左脚に向かって行き、その熱い筋肉をズボンの布ごと貫いた。
「っ・・・」
息を漏らすレンブだったが、膝を着くようなことはせず、すぐに心象によって強化された右足一本による長距離のバックステップを行い、一跳びでクララたちの待つ裏路地へ到達する。雨で悪くなった足場からは考えられないような跳躍力であった。
「逃がさないよぉ」
そう言いながら服から黒い自動式拳銃を取り出して、レンブの頭に向けて射撃を行う少女だったが、その時には既にレンブの頭は裏路地の薄い闇へ引っ込んでいた。
「あら、もう帰ってきたの?意外と早かったわね」
裏路地に入ってきたレンブを茶化すようにクララが言う。そんな彼女に対し、レンブも口元に薄笑いを浮かべて答える。
「あー、無駄口叩いてないで早く治してくれ。割と痛くて泣きそうなんだ」
「ふーん、どんくらい痛いの?」
尚も無駄口を叩きながら、クララはレンブの脚に開いた風穴に左手を翳す。
「あー、鼻にピアス開けた時くらいかな」
レンブがクララに負けず劣らずの無駄口を叩き終えた時には、既に彼の脚の傷は塞がっており、あとはズボンの穴が残っているのみとなっていた。
「相変わらず仕事が早いなお前は」
「あんがと。んなことより、とっとと路地に戻りなよ。女の子を待たせるもんじゃないわ」
そう言ってクララが急かしたので、レンブも「へいへい」と頭を掻きながら、薄闇から日の差す方へ出ようとする。
しかし、そんなレンブに対し、ラムドレーは心配そうに言った。
「あの、レンブさん!・・・私も、行きましょうか?」
少女の言っていたことが本当ならば、レンブは身体能力ではこの戦闘において有利だということになる。先程彼女が出した拳銃だって、今までも同じような銃持ちの相手にだって何度も殴り勝ってきたレンブならば、いくらだって対処可能だろう。それでも、ラムドレーの中では言い知れぬ不安が渦巻いたままであった。
しかし、そんなラムドレーに対し、レンブは振り返ること無く言った。
「安心しろオッサン。アンタは傍観者で良い。・・・それに、言っただろ。俺にはオッサンにまだ見せて無いような奥の手が有るって」
そう言葉を残し、レンブは路地の方を窺ってから低い姿勢で素早く闇から抜け出す。その背中を追う形で、ラムドレーは再び戦場を闇から覗いた。
路地の向こうでは、少女が銃を構えながらレンブの前に立っていた。そんあ少女に対し、レンブが紫煙を燻らせながら口を開く。
「何だってテメェ、俺が路地裏にいる時に強襲して来なかったんだ。まぁ、おかげで脚も元通りになったから御の字だけどよ」
その言葉に対し、少女は舌なめずりをしながら答える。
「だって、そこには女の人以外にかなり大柄な男の人が一人居るじゃん。反撃は目に見えてたよ」
隠れているラムドレーがブルリと震える。
(やはり、彼女は私達の存在に気付いている・・・。・・・やはり、感知系の心象なのか?)
彼は死後の世界に来てから、そこまで多様な人間関係は築いていない。そのため、心象に一体どのようなものが存在するのかはあまり分からなかったが、それでもラムドレーはレンブが戦っている少女の心象が感知系であるという見当をつけた。それ以外の可能性を考えることは、もう今の動揺しきったラムドレーには不可能であった。
「で、どうする。またさっきみたく撃ってくるか」
「当然でしょぉ」
レンブの言葉に対し、僅かな呼吸も置くこと無く少女は銃弾を放った。その弾丸はレンブの頭目掛けて空気の壁を貫いていたが、結局標的を貫くことは出来なかった。レンブが頭を横に逸らし、それを避けたからである。
「不意打ちじゃなきゃ当たらねぇよ。せめてさっきみたいに銃口を隠したらどうだ」
「アドバイスありがとぉ。ついでに死ね」
そう言うと共に、少女は四発銃口から弾丸を放つ。乾いた音が辺りの空気を四回爆ぜさせるが、しかし放たれた弾丸のどれもがレンブの体を貫くには至らなかった。
「こいつで七発だ。そろそろ弾切れじゃねぇか」
そう言いながら、白煙を上空に吹き上げるレンブ。しかし、それを最後に煙草は天寿を全うしたらしく、その体の殆どが白灰となりぬかるんだ地面に沈む。それを確認したレンブは、残った煙草の亡骸をその小さな灰の山の上に落とすと、新しい煙草を口に咥えて火を点けた。
そんなレンブの姿を見て、少女はまたくすくすと喉奥を震わせると、
「弾切れは戦闘続行不可能の理由には成らないんだよ」
と言うが早いか、その小柄な体を低くして、弾丸のようなスピードで飛び出した。
「・・・たまげたなぁ。さっき脛を負傷させた筈なのに動きがさっきより良くなってやがる。全く末恐ろしいガキだ」
向かってくる少女の姿を見て、レンブは苦笑を浮かべる。そんなレンブに、少女の体が迫る。その手には相変わらず拳銃が握られており、鈍器としてレンブにめり込ませようという明確な意思が感じられた。そして、少女の体が残り50㎝の距離まで近づいた時、レンブは煙草の先を赤く光らせながら、言った。
「だが、それでも俺には勝てねぇよ」
次の瞬間、レンブの口から大量の白煙が、凄まじい勢いで少女の顔に吹きかけられた。
「うっ・・・!」
白い煙が辺りを覆い、路地裏に居るラムドレーの視界すら阻む。
(まずいな・・・これじゃあ状況が分からないぞ。レンブさんは無事だろうか・・・)
だが、ラムドレーのそんな心配をよそに、その煙はすぐに晴れた。発煙地から離れていたこともその要因の一つであろう。
開けた視界の中で、ラムドレーは一人の姿を確認した。
「げほっごほっ・・・。モロに受動喫煙しちゃった・・・」
それは、少女の姿であった。咳をする度にその口から押し出される薄くなった煙が、彼女が先程のレンブの吐いた煙を肺一杯に吸い込んでしまったということを示していた。その眼球は赤く充血しており、頻りに少女は手で目元を擦っている。
しかし、少女にそれだけの被害を負わせたレンブの姿はまだ見えない。しかし、どこに居るのかは、すぐに分かった。
「・・・で、いつまで煙の中に隠れているつもりなの」
少女の背後には、白い煙の塊が有った。その煙は薄くなる気配は無く、中でレンブが新しい煙を吐き続けていることを、見る者に感じさせた。
「おぉい、聞こえてますかぁ。それともニコチンで耳でも患っちゃったんですかぁ」
煙の外から少女が呼びかけるが、レンブがその声に答える気配も、煙が晴れる気配も、全く見えてはこない。
「・・・リロォドしちゃお」
そんなレンブの態度に、少女はわざと聞こえるような大きな声でそう言うと、持っている黒い拳銃に、ポケットから取り出した弾倉を装填した。その行動にラムドレーは、
(・・・あれ、何で弾倉を持ってるのに、さっきレンブさんが煙草吸ってる隙に装填しなかったんだ?)
という疑問を抱いた。しかし、次に何が起こるか分からないので、とりあえずはその疑問を保留し、目の前の状況に集中することにした。
少女はリロードを済ませると、すぐさま煙の束に向けて七発放った。それらの弾丸は全て、しっかりと標準をばらけさせて、同じ軌道を通らないように放たれていた。もしもレンブが中に居るならば、避けきることはかなり難しい、否、不可能である筈であった。しかし、それらは何にも当たること無く、煙の中を通り過ぎるのみであった。
「・・・」
少し怪訝そうな顔を作る少女であったが、気にせず再び弾倉をポケットから取り出し、拳銃に再装填しようとする。
その時であった。
少女の背後の泥濘から、レンブが飛び出して来たのである。
「えっ」
背後からぶつかってくる泥の破片を感じながら、少女は後ろを振り向く。
その顔面を、レンブは容赦なく殴り抜いた。
「ギャッ」
殴り飛ばされた少女の体はノーバウンドで5mほど飛び、そのまま先程の煙の束を貫いた。瞬間、白煙に穴が穿たれ、一気に晴れていく。
するとそこの泥濘に、人一人通れるぐらいの大きさの穴がぽっかりと開いているのが、ラムドレーの目に映った。
「ここって本当に地盤が悪いんだな。おかげで雨がかなりの深さまで浸透してたから、難なく掘れたぜ」
口の端に加えた煙草を揺らしながらそう言うレンブの両手は、泥まみれになっていた。
「・・・くすくすくす」
少女の笑い声が路地に響く。どうやらまだ意識が有るらしい。それどころか彼女は、何事も無かったかのように泥濘から起き上がった。
「タフだなぁ、テメェ」
呆れたようにレンブが言う。そんなレンブに対し、少女はくすくす笑いを口元にへばりつかせたまま、口を開いた。
「驚いたよぉ。まさか貴方に、こんな土竜みたいな芸当が出来るなんて」
「あぁ、同感だ」
レンブが少女の言葉にそう返せば、彼女はまたくすくすと口元を震わせて言った。
「貴方、結構面白いね。・・・これならもう少し戦えそう」
「・・・その言葉の真意は測りかねるがよ。俺はテメェと長くランデブーするつもりはねぇぞ」
そう言うと、レンブは煙草を口から離して、それを泥に汚れた右手に持ち、再び構えた。
「・・・何のつもり?」
笑いながら首を傾げる少女に対し、レンブはまだ口の中に残っていたと思われる少量の白煙と共に、言葉を吐いた。
「知ってるか。煙草の火の温度ってのは、800℃くらいあるらしいぜ」
刹那、レンブは泥濘を蹴り、凄まじい速度で少女目掛けて駆けた。そして、その疾駆の中で煙草を持った右手を貫手の形に変えると、そのまま少女に向かって突き出した。
ドゴンッ、という肉を打つ重い音と、何かの焼ける嫌な臭いが、ラムドレーの居る裏路地にまで届いた。
「かふっ」
少女が殆ど呼吸のような声にならない呻き声を漏らす。かなり深くまでレンブの攻撃が突き刺さったらしい。
「まだだ」
しかし、レンブはもんどりうつ少女を目前に、少しの容赦も躊躇も見せなかった。彼は直ぐに右腕を彼女の腹から引き抜くと、煙草を持っていない方の腕の肘先を、その下を向いた頭に叩き付けたのだ。
「ぐぇっ」
たまらず少女は泥濘に顔をめり込ませる。べちゃりという水っぽい音が辺りに響いた。
哀れに倒れ伏す少女を前に、やはりレンブは攻撃の手を緩めない。地面と接吻している少女の頭の少し下、細い首の部分目掛けて、その右足裏を高速で放つ。
「・・・」
しかし、その攻撃を少女は視界が泥で埋め尽くされて何も見えない状態である筈にも関わらず、横に転がることで間一髪避けた。その回転の勢いを利用して、彼女は即座に立ち上がり体勢を立て直す。すると、その腹部に焦げた跡が残っているのが見えた。先程のレンブの貫手の様な根性焼きで出来たものらしい。
「良い動きだなガキ」
少女の一連の行動を見てそんな感想を漏らしながら、レンブは新しい煙草を左手で取り出し、右手に持った煙草の先に、その白いままの先端を押し付けた。
そんなレンブの行動に対し、少女は顔に付いた泥を拭いながら言った。
「・・・セルフシガレットキスってやつ?見てて悲しぃよ」
「煙草も吸えねぇようなガキが、ナマ言ってんじゃねぇ」
少女の口撃にそう対応しながら、レンブは左手の煙草の着火を完了した。
「さて、折檻の時間だぜクソガキ」
そう吐き捨てるや否や、レンブは左手の煙草を口に咥えて一気に吸うと、少女目掛けて再び煙を吐き出した。
「二度もその手は食わないよ」
しかし、少女はレンブが煙草を咥えた瞬間から、バックステップにより煙の届かない距離まで退いていた。故に、煙が少女を呑みこむことは叶わなかった。
にも関わらず、である。
「それで良い」
レンブは全く動揺する素振りも見せず、するりと自分の作り出した煙塊の中に入り込んだ。
「また土竜の真似事かなぁ」
そう言って、少女は煙塊の下の部分に向かって再び銃を構えた。
しかし、そんな少女の目の前で、白煙の塊がもぞり、と動くのが、ラムドレーの目に映った。
「っ」
その動く煙を見て、瞬時に少女は再びバックステップにより距離を取ろうとする。次の瞬間拳か足が突き出してくることを予感しての事であろう。しかし、その予感は次の瞬間裏切られることとなった。
煙塊から、再び少女に向かって煙が噴き出されたのである。
「くっ」
その攻撃を想定していなかったのか、少女はモロに煙に包まれ、姿を消す。
その少女を包んだ白煙の中から、次の瞬間何かが跳ね上げられたのがラムドレーの目に映った。
「あれは・・・銃か」
白い煙の尾を描きながら姿を現したそれは、少女の持っていた黒い拳銃であった。
「これで、レンブの勝ちは決まったようなもんね」
少女が唯一レンブに対抗出来る手段である銃が、持ち主の手から離れたのを見て、クララが言った。しかし、その言葉に対し、ラムドレーはまだ同意することは出来ずにいた。
「おらぁ!」
白煙の中から、レンブの声が響く。と、同時に重い打撃音が周囲の空気を揺らし、少女の体が先程の拳銃と同じように白い煙の尾を引きながら、そこから吹き飛ばされた。高速で飛んだ少女によって開けられた穴から、白煙が散っていく。すると中から、煙草を持った左腕を前に突き出しているレンブの姿が現れた。その左手は貫手の形を成しており、先程と同じような技でもってレンブが少女を吹き飛ばしたのだということを、如実にそれが物語っていた。
「ごふっ」
泥濘に頭から突っ込み、そのまま濡れ土に直線を引きながら少女の体が滑る。その腹は先程とは違う部分に焼けた跡が残っていた。どうやら、また防御もせずモロにくらったらしい。
しかし、それでも少女は再び泥まみれで立ち上がった。その顔には、やはり笑顔がこびりついていた。
「・・・そろそろ気を失った方が良いんじゃねぇか?」
先端の潰れた煙草を両手に持ちながら、レンブが少女に言う。その表情には明らかな呆れと、少しばかりの感心が浮かんでいた。
だが、そんなレンブの表面のみの労りの言葉に、少女はくすくすと笑った。
「何言ってるの?ここからが楽しいところなのにさぁ」
言うが早いか、少女は再び泥まみれの体を前進させた。その突進はまた速度が上がっており、全身に付いている泥片が体を撫でる風によってみるみる引きはがされていた。
「・・・気味悪ぃな」
レンブが目の前の少女に対し吐いた小さな悪態が、ラムドレーの耳に入り彼の胸中をざわつかせる。しかし、そのざわつきを破るように、レンブは目前まで迫った少女の顎に、煙草を五指に挟んだ左アッパーカットを喰らわせた。
ゴッ
という音と共に、少女の顔が跳ね上がる。その顎に火傷が刻まれているのが、揺れる彼女の髪越しに見えた。
「終わりだ」
レンブはそう呟きながら腰を低くし、全体重を乗せてガラ空きになった相手の腹に右の貫手を放つ。その貫手にはやはり煙草が付随しており、風に揺れてその先端が赤く光る。
「決まったわね」
レンブの紅蓮に輝く手突に、裏路地の暗がりの中でクララがそう呟いた。
ブツッ
シュシュシュシュシュシュシュッ
しかし、次の瞬間辺りに響いたのは、今までのような重い打撃音では無く、鈍い断裂音と、激しい噴射音であった。
「え?」
暗がりでクララが声を漏らす。その隣で、ラムドレーは目を見開いていた。
何かが宙を舞っていた。赤い尾を引きながら舞っていた。くるりくるりと空中に、赤い螺旋を描きながら、『それ』は泥濘に落下した。
水気をたっぷり含んだ泥を更に赤く潤していく『それ』が、『レンブの右手首』だとラムドレーが気付くのに、そう時間は掛からなかった。
「あ・・・が・・・」
ぷしゅぅ、という振った缶コーラを開けた時のような液体の噴射音が周囲に響く。しかし、その音は直ぐに勢いを無くした。レンブが己の右腕を心象によって強化された左手で握り、圧迫したからだ。その鍛えられた右腕の筋肉がおかしな形に膨らみ、大ミミズのような血管が沢山浮かび上がっているのがラムドレーの目に映った。
「くっくっ。くっくっくっ」
乾いた笑い声が辺りに響く。少女がアッパーカットを喰らったままの、天を仰いだ状態で、その喉を震わせていた。
その少女の姿を見ながら、ラムドレーは目を見張った。その顎を伝い、今まさに震えている喉に、赤い液の筋が流れ滴っていたからではない。その喉から洩れる笑い声が、いつもとは違ったものだからでもない。
少女の笑い声をいつもと違うものに変えている原因に、少女の口下を赤く染めている原因に、ラムドレーは驚愕したのである。
それは、今は顎しか見えない彼女の輪郭から、真っ直ぐ天に向かって伸びていた。
それは、先端から赤い液体を、レンブの血を滴らせて、彼女を赤く汚していた。
それは、1ⅿほどの長さを持つ、舌であった。
「・・・何だ、そりゃあ」
右腕を握りつぶしながら、レンブが絞り出すように言う。すると、少女は顎を下げながらその長い舌をしゅるりと口に終い、そして元の長さに戻ったらしいそれで己の口の周りをべろりと舐め擦って、言葉を発した。
「これが何か?見てわかるでしょぉ?これが私の心象だよ。まぁ、舌の持つ機能をちょっと強くするだけの、つまらない心象だけどね」
瞬間、ラムドレーは今まで感じていた不安の正体が、彼女の心象が分かっていなかったことであると気付いた。しかし、時既に遅し。たった今、レンブの右手首は失われてしまった。
「はっ。舌には今みたいな長く伸びる機能は付いてねぇ。ものをすっぱり切る鋭利さもまた然りだ。・・・ま、おおかた舌の長さやや厚さや硬さや速さを変化させるような心象だろ」
レンブがいつものような軽い口調で言う。しかし、その声は震えていた。
対して少女はわざとらしく目を丸くする。
「驚いた。三分の二くらい正解だよ。貴方、犯罪者よりも探偵とかをやったほぉが良かったんじゃない?」
少女の嘘くさい賛辞を、レンブは鼻で笑って、吐き捨てた。
「あー、正解だったか。案外当てずっぽうも悪かねぇな。・・・おちょくってんじゃねぇぞクソガキ。御託は良いから来いよ」
「そぉ?じゃあ遠慮なく行かせて貰おうかな」
レンブの言葉を受け、少女は何の躊躇いも無く大口を開けた。舌を放ち、レンブを穿つ気だと、ラムドレーは直感した。
ギインッ
次の瞬間、辺りに硬いもの同士がぶつかる様な音が聞こえた。
レンブの目の前で、赤い舌と白い爪の、その伸びた先端同士が激しくぶつかり合っていた。
「・・・おっさん」
レンブが、目の前で起こっている人体の競り合いから目を逸らさずに言った。
その声を、ラムドレーは明るい日の元の路地で、その人差し指の爪を伸ばしながら聞いていた。
「・・・へぇ、出てきたんだ」
レンブの背後に居る、戸惑っているような表情を浮かべているラムドレーに対し、少女は舌を伸ばしながら少し不明瞭な言葉を発した。
「って、やっぱり覆面してたんだね。通りで髪型が分からないと思った」
続けてそんなことを言う少女の瞳を見ながら、しかしラムドレーは内心焦っていた。
(くっそぉ・・・こっちは全力で爪を伸ばしてるのに、あっちは余裕の表情だよ・・・。やばいな、勝ち目無いな・・・どうしよう・・・)
しかし、そうやって自らの心を二進も三進もいかないような状態にしているラムドレーの爪を、少女はその舌でやすやすと上に弾く。弾かれた勢いで、ラムドレーはかなりの速さで地面に後頭部をぶつけてしまった。仮に下が泥濘でなかったならば、意識は無くなっていたであろう。
瞬間白黒した世界を瞳に映すラムドレーだったが、そんな彼の耳に先程より明瞭な少女の声が聞こえてきた。
「くすくす、冗談だよ冗談。私は今ここで鼻ピアスの人を殺す気なんて無かったよ。まぁ、それはおじさんも同じだったみたいだけどね。爪、私の頭じゃなくて脚を狙ってたし」
(脚しか狙えなかったんだよ・・・そう簡単に、私に人を殺す決心が着くわけ無いだろ・・・)
心の中で、ラムドレーはそんなことを言った。彼は小心者で、臆病者であった。故に、こんな状況でも少女を殺す覚悟は生まれなかったのだ。勿論、ラムドレーには少女の「殺す気はない」という言葉を信じる覚悟も生まれなかったので、彼はすぐに頭を振って泥を落としながら立ち上がった。
ラムドレーが立ったのを見て、少女はまたくすくすと笑うと、視線をラムドレーの後ろに移した。
「でも、貴女が出てきたことの方が驚きかなぁ、サイドテールの人」
その言葉を聞き、レンブは反射的に後ろを振り返った。その表情に次の瞬間動揺が浮かぶのを見て、ラムドレーも振り返る。うると、彼の顔もレンブのものと同じような表情になった。そこには、裏路地から出てきたクララが立っていた。
「おぉかた、鼻ピアスの人が心配で出てきたってとこかなぁ。あ、もしかして両想いってやつぅ?ヒュゥヒュゥ」
口笛を吹いて冷やかす少女には目もくれず、レンブはクララの方に釘付けになったまま、言った。
「く・・・らら・・・、お前、何でこんなところに!今すぐ路地裏に戻れ!おっさんとは違って、お前は!」
しかし、レンブの声が聞こえていないかのようにクララは彼の元に走り寄ると、その先端の失われた右腕に両手を添えた。瞬間、彼女の掌が触れている部分からレンブの右手首が生成され始めた。
そのクララの行動に目を見張りながらも、レンブは眉を顰めて、再び口を開いた。
「クララッ!」
「うるさい!!!!!」
瞬間、クララは今までラムドレーが聞いたことも無いような大声でレンブの言葉を掻き消した。それ程の大声をクララが出すところを見たのはレンブも初めてらしく、その口からは呼吸音すら消えていた。
「・・・隠れてたって無駄だったわよ。この娘には、何故かさっきから私やラムドレーさんの存在や場所を知られていたし」
「・・・だ、だが!だからってこんな危険な位置まで来るんじゃねぇよ!!殺されちまうだろうが!!!」
何とか我を取り戻したらしく、レンブは再びクララに対し怒鳴った。怒鳴りながら、自分の身を盾にするように、クララと少女の間に割り込ませた。
だが、そんなレンブの言葉にも、クララは言った。
「・・・大丈夫よ。だって、現に手を出してこないじゃない」
クララの言う通り、少女はクララがレンブに駆け寄った時から二人の様子をくすくす笑いながら傍観していた。手を出してくるようなことは無かった。しかし、それでもレンブは気が収まらないらしく、再び怒鳴った。
「それは結果論だろうが!!!」
「ええそうよ!!結果論よ!!!でも仕方ないじゃない!!!それとも何!?私にアンタやラムドレーさんを見殺しにしろとでも言うの!!?そんな判断が瞬時に出来る程、私が利口に見えるの!!!?」
「う・・・」
クララの剣幕に、レンブが再び黙る。と、同時にレンブの右手首が完治したのが、ラムドレーの目に映った。勿論、その様子は少女にも見えていた筈だが、しかし依然として笑みを口元に浮かべたまま、何もしてこない。それが、ラムドレーには不気味に映った。
だが、クララの目にはそうは映らなかったらしい。否、映ったが、それでも彼女は気迫負けしなかったのかもしれない。とにかく、彼女はレンブの右手首を握ったまま、少女の方を向いて言った。
「・・・あなた、何が目的なの?さっきだって、レンブを殺せたのに殺さなかったし、今だって、私を殺せるのに殺さない」
その問いは、ラムドレーも気になっているものであった。故に、ラムドレーも少女に視線を向ける。続けてレンブも少女の方に頭を向けた。
三人の視線を一身に受け、少女はまたくすくすと笑うと、言った。
「少し、貴女達に聞きたいことがあってね。それを聞くまでは殺せなかったのよ」
瞬間、レンブは身構える。クララもレンブの右手をようやく離して、身構えた。ラムドレーも、爪先を彼女の脚に向けた。
しかし、それでも少女は動揺することなく、言葉を紡いだ。
「貴女達の中に、『ローレン』って男の人を知ってる人、もしくは獄犬に知り合いが居る人って居ない?」
ローレン、そのような名の人間と会ったことは、ラムドレーは無い。獄犬にも知り合いは居ない。故に、ラムドレーは律儀にも首を横に振った。
それを見て、少女が言う。
「おじさんは知らない、か。・・・他の二人も様子を見る限りじゃぁ知らないみたいだね」
そう言い終わった後に、少女はにっこり笑った。
「ありがとぉ。じゃあ今度こそ死ねよ」
瞬間、彼女の赤い舌が凄まじい速さで口から放たれ、クララの腹に突き刺さった。
「がふっ!」
血を吐くクララ。
「くらっ・・・、テメェェェ!!!」
刹那、レンブは今まで見せたことの無いような鋭い蹴りを少女に放つ。しかし、それをクララから抜いた己の舌で防御すると、少女はニタニタと笑いながら後ろに飛ぶ。
そんな少女に向かって、ラムドレーは反射的に爪を伸ばした。だが、その高速で放たれた爪はそれ以上に早く動く舌で絡めとられ、そのままラムドレーは伸びた爪ごと後ろに投げ飛ばされた。
「がはあっ!!」
かなりの距離を飛び、泥濘に叩きつけられるラムドレー。流石に泥濘でもこのスピードでは勢いを殺しきれなかったらしく、ラムドレーの肺が衝撃により引き攣った。しかし、転がっていても眼球は動かせる。ラムドレーは倒れ伏しながらもレンブたちの方を見た。
そこには、少女の舌と格闘するレンブと、己の腹に手を当て治療するクララの姿があった。レンブは、少女の舌をかいくぐり、思い切り少女本体を殴り飛ばすと、大声でラムドレーの方を向き、言った。
「逃げろ!!おっさん!!!ボスにこのことを!!!」
そこまで言葉を連ねた後、レンブは再び向かってくる舌を頭を振り体を動かし、ギリギリで避ける。その回避により途切れた言葉の続きを言うように、クララが口を開いた。
「私がレンブの傷を治しながら戦うから、こっちは大丈夫!!だから早く!!」
クララの声がそこでまた途切れる。唸り迫る赤く鋭い舌を避けるのに、肺の酸素を回したのだ。再び言葉のバトンがレンブに渡る。
「安心しろおっさん!!俺だって、こんな女なんかと心中するのはごめんだ!!!だから、必ず生きて帰る!!!」
「右に同じく!!!」
クララも舌を避けながらそう言った。その顔には、無理して作ったような笑顔と、舌によって負った傷が張り付いていた。
彼らの言葉が、ラムドレーを安心させて逃げさせるための、まやかしのものであることは分かっていた。しかし、それでもラムドレーは直ぐに立ち上がると、その場からアジトのある方へ全力で駆け出した。それしか、今の彼には出来ることが無かった。
それから、どうやって帰ったのかは覚えていない。何度か転んだかもしれないし、何度か人にぶつかったかもしれない。そんなことさえもあやふやではあったが、その道中で腹に舌で風穴を開けられなかったことだけははっきりしていた。そのために、ラムドレーは命からがら、アジトに逃げ帰れたのである。
玉の汗を流しながらラムドレーがアジトに戻れば、そこにはイットクと、いつも通りの時間に来たらしいリムードの姿があった。
「パパ!?どうしたの!!?泥だらけだよ!!」
ラムドレーの姿を見るなり、リムードは慌てて言った。しかし、ラムドレーは覆面を脱ぐことも忘れて、そのリムードの心配に答えるよりも早く、イットクに事の次第を報告することを選択した。
「・・・成る程、大体分かった。標的が只者じゃなくて、且つヤバいガキに絡まれた、と」
イットクが神妙な表情をしながら言う。そんなイットクにラムドレーが覆面をしたまま問う。
「これからどうしますか・・・?」
その言葉に対し、イットクは少し考えた後に言う。
「・・・取りあえず、お前らは此処に居ろ。俺はレンブ達を助けに行く。今まさにヤバい状態にあることが分かってる部下を、ほっとく訳にはいかねぇしよ」
「その必要は無いよ、親分さん」
刹那、ラムドレーの肌が逆立った。今この場で聞こえてはいけない声が、聞こえてしまったからである。震えながら、動揺で歪みに歪む顔を声の方へ向ければ、そこには案の上あの少女の姿があった。その顔は笑顔で、傍にレンブ達は居ない。少女はくすくす笑いながら言った。
「案内ありがとぉ、おじさん」
その時になって、ラムドレーは自分が少女に尾行されていたことを悟った。己の膝から力が抜けるのを、ラムドレーは感じた。
ふらつくラムドレーを近くで支えながら、リムードが少女を睨む。イットクも同じ種類の表情を少女に向けていた。しかし、対する少女は涼しい顔で言った。
「あ、そぉそぉ。手ぶらじゃぁ失礼だと思ったから、土産を持ってきたよ」
そう言うと、彼女は服のポケットから何かを取り出すと、床に投げた。キンッ、という軽い金属音が、アジトの中に響く。
その金属音の方へ、ラムドレーは目を向けた。すると、そこには二つの物影が出来ていた。それをよく見て、ラムドレーは今度こそ気を失いそうになった。
それは、赤く染まったピアスと、土に汚れた髪束であった。
「・・・レンブの鼻ピアスと、クララの頭髪か」
下に転がる部下の欠片と思わしき物体を瞳に映しながら、イットクが少女に言う。
「大せぇ解。死体を二つ持ってくるには、この時間帯じゃぁ都合悪いからさ。せめてあの二人の一部だけでもと思って。どうかな?嬉しぃ?」
少女が無邪気そうに瞳を細めて、白い八重歯を覗かせながら言う。その言葉に対し、イットクの体がピクリと微振動するのを、ラムドレーは見逃さなかった。
イットクは若干声質を冷たくしながら、しかし口元に笑みを湛えて、少女に言った。
「あぁ。ありがとうよ、わざわざ出向いてくれて。お陰でテメェの死体処理が楽そうだ」
刹那、イットクが来ている服の懐から茶色い拳銃を取り出し、少女に向かって発砲した。その弾丸は、僅かの迷いも無く少女の頭部に目掛けて突き進んでいた。
イットクが弾丸を放つのと同時に、リムードも少女を右人差し指で指すと、その喉目掛けて爪欠片を放っていた。
ギギギギィン!
しかし、それらの飛来物を少女は身動き一つせず、ただ口を開いて舌を縦横無尽に走らせることで、全て叩き落とした。
「・・・化け物が」
イットクがそう吐き捨てるのを楽しそうに見ながら、少女は素早く舌を引っ込める。そして、言った。
「さぁてと、じゃぁ貴方達にも質問しておくね。『ローレン』って男の人知らない?または獄犬に知り合い居ない?」
リムードは少女の言葉に少しも反応を見せない。どうやら端から聞く耳は持っていないようだ。
「・・・ローレン?」
だが、そんなリムードとは違って、イットクは何かを考えるような素振りを見せた。
その様子を見て、少女の笑みが消える。
「知ってるのか」
その声は、今までのどこか人を茶化したような高い声では無かった。冷たさを感じさせる真剣な声であった。
「・・・いや、知らねぇな」
少女の声に対し、イットクは直ぐにそう言うと、再び銃を構える。だが、その銃は次の瞬間にグリップから先を切り飛ばされていた。
「嘘吐くと、テメェの首もそのちゃちぃ拳銃と同じ運命辿ることになんぞ。良ぃのかよ」
少女が今までに無いくらい威圧的な声で、そんな言葉を吐いた。だが、その言葉に対してイットクは憮然として言った。
「知らねぇ。いや、もしかしたら覚えてねぇだけかもしれねえけどよ」
「・・・どういう意味だ」
少女が凄む。
「テメェの死体の耳元で、その答えは囁いてやるよ」
しかし、イットクは冷たくそう言い放つと、少女に対して銃の堅そうなグリップを、凄まじい勢いで投げた。
「うぜぇ」
しかし、少女は簡単にそれを舌で絡め取り、イットクの脚目掛けてものすごい速さで投げ返した。
ゴキッ、という嫌な音と共に、イットクの太ももが歪んだ。骨が折れたようだ。
「ぐぅ・・・!」
イットクは苦悶の声を漏らしながらも、辛うじて立っていた。そんなイットクを冷めた目で見ながら、少女は言った。
「事情が変わった。テメェ、攫うわ」
瞬間、少女の口から舌が伸びた。イットクの体を絡めとる気なのだと、ラムドレーは直感した。故に彼はその爪を少女の舌先にぶち当てた。
だが、そんなラムドレーの行動に対し、少女は露骨な殺意を漲らせながら言った。
「テメェにはもう用は無ぇんだよ覆面野郎。さっきの二人みたく細切れにしてやる」
瞬間、少女の舌がラムドレーに向かって伸びた。
かと思えばその舌は空中でUターンして、少女の眼前に躍り出た。刹那、その舌が何かを弾く音が聞こえた。
「何パパに手ぇ出してんだよ。殺すぞ」
そう言って、リムードが爪を放つのがラムドレーの目に入った。どうやらさっきの音は彼女の爪先が少女の舌と接触した際に発生したものらしい。
また向かってくるリムードの爪を少女が再び弾く。
刹那、少女の眼が何故か少し揺れたのを、ラムドレーは見た。
だが、それ以上そのことについて考察することは無かった。イットクがその隙にラムドレーにこう言ったのである。
「あんた、今すぐあの女に向かって爪を伸ばしてくれ」
「え?・・・いえ、でも私の爪では」
彼女の舌には到底敵わない。そう言おうとするラムドレーであったが、イットクは、
「大丈夫だから!」
と言って、その言葉の続きを遮った。
そのイットクの態度にラムドレーは疑問を覚えるが、しかしそれを口に出す時間は無かった。目の前で、リムードが少女の舌に貫かれそうになっていたからである。
「くぅ!!」
ラムドレーは咄嗟に少女のその舌に向かって爪を伸ばした。その爪は少女の舌に到達すると、
それを難なく貫いた。
少女が驚きを顔に浮かべる。しかし、その次の瞬間にはもうその顔からは驚愕が除かれ、代わりに敵意が浮かんでいた。そして、彼女は今度はラムドレーに対して舌を放った。
だが、その舌をリムードの放った爪先が次の瞬間貫いた。
「なっ・・・」
血を流す己の舌を見ながら、少女が絶句する。だが、そんな少女と同じくらい、ラムドレーもリムードも絶句していた。
「な、何で・・・、い、イットクさん!」
訳が分からないという表情でラムドレーがイットクの方を見る。すると、ラムドレーの視界に入ったイットクが、笑って言った。
「俺の心象は『手助』って言ってな。自分が選んだ人間の心象を強化する力を持ってんだ。まぁ、半径10m以内に手助けする対象が居ないと、効果は発揮できないがな」
「成る程、じゃあ今私やリムードの爪が相手の舌を貫けたのも、イットクさんが私たちの心象を強化してくれたからなんで」
ラムドレーがそう言おうとした瞬間、彼の首目掛けて血を振りまきながら少女の舌が伸びた。
「させるかよ」
しかし、その舌に向かってリムードは何発も爪弾を放ち、器用に穴を穿って遂には切断した。
「ぐぎゃぁ!!」
耳をつんざくような金切り声をあげる少女に、しかしリムードは躊躇うことなく、顔目掛けて爪を放った。
「うぅぅぅぅ!!!」
だが、少女もやられっぱなしではなかった。彼女は、迫りくる爪の丁度腹の部分を掬い上げるように叩き、それを弾き、そして、
イットクの腹を貫いたのである。
「ごはぁっ!!!」
イットクが血を吐く。と同時に、リムードが続けて放った爪先が少女の舌に弾かれた。どうやら、今のダメージでイットクの心象が無効化されたようだ。
「安心しろ。急所は外してあるから」
血に濡れた舌を口にしまいながら、少女が言う。少女の目は、腹を押えて、それでも尚膝を着こうとしないイットクを冷たく見据えていた。
「くっ・・・」
ラムドレーは絶望を噛み潰したような声を、食いしばった歯と歯の間から漏らした。イットクの心象が切れた現在、自分達に万に一つの勝ち目も無くなった。そうラムドレーは強く感じたのだ。
「ぐぇ・・・はぁ・・・」
血と絶え絶えの息を口から流しながら、イットクは少女を睨む。だが、彼の心象は回復していないようで、隙を突いてリムードが爪を放っても、それは易々と舌に叩き落とされた。
形勢が再び逆転したのを確認してから、少女は言った。
「さぁ、今度こそ覆面と金髪にはご退場願おぉか。ミキサーにかけたみたいに切り刻んで、滑らかなムゥスにしてやるよ」
言葉の終わりと共に、少女は続けて舌を口から出した。その血袋のような赤い舌を前に、ラムドレーはいよいよ万事休すと目を閉じた。そして、自分を穿つ舌がいつ来るかいつ来るかと、恐怖に塗れながら待っていた。
だが、その舌が自分を穿つ音の代わりに、一発の銃声が遠くから響いた。
「ゴハァ・・・!?」
続いて少女の声が、ラムドレーの耳に響く。と同時に、びちゃびちゃという何か液体の滴る音が聞こえた。
恐る恐るラムドレーが目を開けてみれば、そこには腹に穴が開き、そこから血を流している少女の姿があった。その表情は、何が起こったのか分からないと、無言で語っているようなものであった。
目の前で起こっていることにラムドレーが目を丸くしていると、アジトの扉がガチャリと音を立てた。見れば扉に穴が開いている。どうやら、銃弾は扉を貫いて少女の腹を穿ったようだ。
「テメェ、ボスに何してんだコラ」
扉が開き、そこからダニーの姿が現れた。その瞳には憤怒が浮かび上がっており、その額には青筋が浮かび上がっている。その手にはイットクの持っているものと同じ形状の拳銃が握られており、その銃口から熱が発せられている様に、ラムドレーは感じた。
「・・・ちっ。扉一枚が邪魔してたせぇで、空気の味が分からなかったよ」
そう言いながら、口端から血を溢れさせている少女がダニーを睨む。そして、同時に口を開いた。
だが、そこで少女の動きが止まった。
(・・・?)
いきなり動きを止めた少女を前に、ラムドレーは疑問を抱く。だが、その疑問は長くは続かなかった。
「・・・ちっ。このままここで、親分残して皆殺しにするつもりだったが、気が変わった。今日はこれぐらいにしといてやる」
そう言うと少女は、アジトの天井を舌を使って高速で切り抜くと、そこから跳躍してアジトの外へ逃げてしまった。
「「・・・・・・」」
突然のことに、ラムドレーとリムードは言葉を失っていた。二人はその視線を点々と残された血痕に向けるだけで、そこから動くことは出来ずにいた。
しかし、そんな二人に対して、イットクは安堵した表情でダニーに言った。
「ありがとよダニー。お陰で助かったぜ」
その言葉にダニーは嬉しそうな表情をするが、すぐに真剣な面持ちになり、イットクに言った。
「そんなことより、ボスの怪我の手当てをしないと!・・・でも、そうか。クララが殺されちまったから・・・」
その言葉に、ラムドレーが目を見開く。
「な、何でそのことを!?私まだ言ってないのに!」
だが、その言葉をダニーは無視して、アジトの中を慌ただしく動き始めた。何かを探しているらしく、ある物ある物全てを開いたりひっくり返したりしている。その様子にラムドレーが疑問を持った時、ダニーは大きな声で、「あった!」と叫ぶと、何かを持ってイットクの元に駆け寄った。
「ボス!昇る太陽の変若水です!飲んでください!!」
ダニーの持っていたものは、水色の液体が入った硝子瓶であった。イットクはそれを受け取ると、一気に飲んだ。瞬間、彼の変に曲がった脚や、穴の開いた腹が、全て元通りに完治した。
その光景に目を見張るラムドレーであったが、驚きを押えて、彼はダニーに問う。
「あの・・・変若水って?」
ダニーはラムドレーの方を見ると、こう言った。
「・・・昇る太陽っていう転生者の集団が持ってる、万能回復薬だ。それを裏で取引してる売人が、獄番の近くに何人か居るんだよ」
「へ、へぇ・・・。あ、それより、さっきの事なんですが・・・。ダニーさんは何故、・・・その、クララさんのことを・・・」
その言葉に対し、ダニーは素っ気なく言う。
「・・・俺の心象は、周囲の人間の心を、断片的にだが読むことが出来るってものだ。だから分かった。それだけだ。・・・そんなことより、ラムドレー」
「え?な、何でしょう?」
いきなり名前を呼ばれ、思わず身構えるラムドレー。そんな彼に、ダニーは言った。
「・・・テメェと、テメェの娘のことが手配されてるぜ」
一瞬、ラムドレーはダニーが何を言っているのか理解できなかった。しかし、その言葉に対し、ラムドレーの代わりにリムードが言った。
「・・・どういう意味?私たちは仕事中ずっと覆面を被っていたから、身元が割れるようなことは無いと思うけど」
しかし、その言葉に対し、ダニーはズボンのポケットから、何やらしわくちゃになった紙を取り出して、彼女とラムドレーに見せた。
「・・・何だ、これは・・・」
思わず、ラムドレーはそんな言葉を漏らした。そこには、自分達の顔写真と行ったとされる犯罪が書かれていた。その犯行は両者とも殺人であり、この時点で既にラムドレーは首を傾げたが、その次の手配書の表記に、彼はわが目を疑った。
「・・・犯行現場が、獄番のある町・・・?」
彼は、そんな街に、今まで行ったことは無かった。仕事は勿論、プライベートでも、である。それはリムードも同じことであった
「・・・身に覚えが無いみたいだな」
手配書から目を逸らすと、ダニーが自分の顔をまじまじと見ているのが分かった。どうやら心を読んでいるらしい。
「・・・臭ぇなぁ。どうも」
ラムドレーから目を逸らし、ダニーは呟いた。どうやら、彼は今回の一件に関して、裏で何かが起こっていると確信したらしい。それはどうやらイットクも同じらしかった。
「・・・何者かがラムドレー達の変装をして、ことに及んだってことか」
「恐らくは」
イットクの言葉に、ダニーは神妙な顔で頷いた。それを見て、イットクは何かを考えるように腕を組んだ後、しばらくして言った。
「・・・敵に、・・・さっきのガキにアジトの場所もばれちまったし、天井だってくり貫かれちまったからよ。・・・ここは一つ、引っ越しでもするか」
「引っ越し、ですか」
「ああ。大分DPも貯まってきたしな・・・それでよ、ラムドレー。アジトの引っ越しと同時に、アンタも住居を変えろ」
イットクの言葉にラムドレーは驚くが、次の瞬間納得した。何故なら、
「・・・手配されたからには、獄犬も今の私たちの住んでいる家の方に向かってくるでしょうからね」
イットクは、ラムドレーの言葉に頷くと、続けて言った。
「まぁ、アジトを変えたぐらいで獄犬の牙から逃れられるとは流石に思えないがよ。・・・一か月後の無限大蛇との同盟が終わるまでは、静かに立て籠るくらいは出来るだろ」
イットクの言葉に、今度はラムドレーが頷いた。
いつもながら、糞文をダラダラ書いて本当にスンマセン。




