ニオイ
猫のフレーメン反応というものを生で見てみたい今日この頃。
ダイゴは腕の筋繊維を滅茶苦茶にした後、直ぐに同階の病床棟に来ていた。
マリオが言うには、先ほどのアッシュの攻撃による怪我や、親友の鉄拳による腫れとは違い、今回の繊維断裂は簡単に自然治癒する程度のものではないらしい。
マリオも診察に付いてこようとしたが、流石にこれ以上彼の手を煩わせたくなかったので、ダイゴはそれを丁重に断った。
そういう訳で今、診察室で椅子に座り、ダイゴは医師の診察を受けていた。
「ああ、こりゃあまた派手にやったね。筋繊維ズタズタだ」
そう言ってダイゴの腕を観察しているのは、髪の毛がバーコードと化している中年の男性医師だ。先程ミールとヒーカンを迎え入れたのと同じ人物である。俗に言う瓶底眼鏡を掛けており、身長165センチほどの痩せ型であるその風貌は、やはり何処か頼りなく見えた。
「しかも、こりゃあ外部からの衝撃によるものじゃないね、何やったんだいダイゴさん」
「い、いやあその、筋トレをしようと張り切ったら、張りだけじゃなくて筋まで切れちまって……。先生、何とかなんないっスかね?」
「まあ、死界の医療技術をもってしたら簡単に治せるけど」
「マジっスか!! って痛ててて!!?」
「はいはい動かないでね。現世だったら、一応かなりヤバイレベルの怪我負ってるんだから」
医師はそう言うと、近くにいる白衣を着た青年を呼ぶ。
「ちょっとジョーくん」
「はい、何でしょうかセンジロウ先生!」
青年の名前はジョーというらしい。ジョーは金髪で、鼻にはそばかすがあった。かなりの高身長で、少なくとも186cmはあるように見える。
男性医師、センジロウは続ける。
「そこにある『治癒香辛料』取って」
「分かりました!」
そう言うと、ジョーは近くの机にあった赤い粉末の入った透明な瓶を取った。
(治癒"香辛料"!? え、薬だよな……!?)
死界のシステムである自動翻訳により、その薬の名称を理解し、そして疑問に思うダイゴ。
そんなダイゴのことはお構い無しにセンジロウはその瓶の蓋を開け、何故か近くの診察器具の置いてあるスペースにある小さなスプーンを手に取り、それに一杯赤い粉末を掬うとダイゴに言った。
「それじゃあこの粉を飲んで。そうすれば体の細胞という細胞が一気に活性化して、筋繊維もすぐに治るから」
「は、はぁ……」
そう言いながらダイゴは赤い粉末の乗ったスプーンを受け取る。
「・・・クンクン、っウゴバスっ!!!?」
何となくその匂いを嗅いだダイゴは、しかし次の瞬間後悔した。
(刺激臭なんてレベルの匂いじゃねーよコレ! 敢えて言うなら死撃臭だよ!! ってうお!? 鼻血が垂れてきやがった!!)
「あらら、匂いなんて嗅ぐからだよ。ささ、そんなことしないでグイッといきなさいグイッと」
急かすセンジロウに、若干言い様の無い恐怖を覚えるダイゴ。しかし、その恐怖をぐっと堪えて問う。
「あ、あの! こういうのって水と共に飲むもんじゃないんスかね!?」
「ダメダメ。それやっちゃうと効果が半減しちゃうよ」
センジロウの言葉に泣きそうになるダイゴ。しかし、しばらく赤い粉末とセンジロウの顔を交互に見た後、覚悟を決めたのかスプーンを一気に口に含み、
(南無三!!)
喉に激痛が走る前に、全力で嚥下した。
『大悟。男たるもの、強くなくちゃいけないよ。強くなくちゃ、大切なものは何も守れないからね』
あれ?父ちゃん?
『・・・でもね、大悟。実は男には強さよりも大切なものがあるんだ。それが何か分かるかい?』
・・・ああ、これは
『それは優しさだよ。優しくないと、そもそも大切なものなんて出来ないから』
俺の
『父ちゃんも、父ちゃんの父ちゃんに、そう教わったんだ』
ガキの頃の記憶だ。
「って走馬灯じゃねぇかあああああああああああああ!!!!!!!!」
「ああ、起きたかい」
ダイゴが意識を取り戻すと、目の前には相も変わらずセンジロウが居た。どうやら椅子に座ったまま気絶していたようだ。
「ビックリしたよ。明日のジョーよろしく真っ白に燃え尽きてたんだから」
「いや、助けろよ!! 一歩間違えりゃ俺死んでたんスよ!? 医療ミス不可避っスよ!!?」
「大丈夫。普通、この粉を飲むと大体の人は気絶するのがデフォだから。それに、」
センジロウがダイゴの腕を指差す。
「ちゃんと治ったから」
ダイゴはその言葉を受け、試すように腕に力を入れてみる。すると、
「うお! ホントだ!!」
ダイゴの意志に腕は従順に答え、思うがままに動いた。
「はい、と言うことで診察は終わり。君は獄犬隊員だから診察料は無料だからね。それじゃあお大事に」
「は、はい! お世話になったっス!! このご恩は一生忘れないっス!!」
そう言って頭を下げるダイゴにセンジロウは苦笑する。
「……君もう死んでるから、一生は適用されないんじゃない?」
「ファっ!? そこに気付くとは、やはり天才か……」
「まあ、センジロウ先生は天才ですからね!」
そう言って、何故か、近くに居るジョーが胸を張った。何だお前は。
その姿を見て、ダイゴは吹き出した。センジロウもしかめっ面を作りながらも、笑いを堪えた表情をしている。
「あれ? 何か僕、変なこと言いました?」
そう言ってキョトンとするジョーに、センジロウもついに吹き出した。
「いやー、何か普通に良い人達だったなー、あの粉末は死ぬかと思ったけど。これなら、これからも何とか獄番でやってけそうだなー、あの粉末はホントに死ぬかと思ったけど」
そんなことを言いながら、ダイゴは白い廊下を歩く。
あとはこのまま鍛錬室に戻ってもう一回鍛錬するだけ、そう思っていた時。
ダイゴの視界に、白い廊下に不釣り合いな赤いパーカーを着た人物が映った。
「へー、何か派手な色のパーカーだ……な……、……!!?」
ダイゴは、そのパーカーを着たその姿に、見覚えがあった。
「あ、アッシュ、さん……?」
「ああ? ……何だハゲか」
アッシュであった。その顔はいつもの如く険がある。しかし、その身に纏っている者は、先程とは違っていた。
「……アッシュさんが着てたパーカーって、鼠色じゃあ」
「そうだよ。それがどうかしたか?」
「……いや、何で赤くなってんのかなっ……て……。あ、ああ! そうか! 途中で家に帰って赤いパーカーに着替えたとか!?」
"そんな訳は無い。"
ダイゴは、"そんなこと"は頭では何となく分かっていた。そして、"赤いパーカーの理由"も、朧気に察していた。だが、頭の何処かで、"それ"を認めるのを拒絶していた。
「んな訳ねえだろ。このパーカーの色はな」
聞きたくねぇ。しかし、耳に掌が届くよりも早く。アッシュが口を開いた。
「俺が屑殺した際にかかっちまった、汚ぇ返り血の色だ。ったく、よくもまあこんなにかかったもんだ。相当血の気が多い屑だったんだろうよ」
パーカーから漂う濃い血の臭いに、ダイゴは吐き気を覚えた。
そんなことよりゴールデンウィークが終わってしまって辛いです。